不死身
第4審判が掲げたボードには、ロスタイムが3分であることを示していた。
普通に考えれば、4点差をひっくり返すことはまず不可能である。
ただし、サッカーは「10秒もあればゴールに運べる」という人もいる。ゆえにあきらめることはそれだけもったいないことなのだ。
剣崎の雄たけびで、和歌山の選手たちは幾分戦意を取り戻した。
「剣崎の言うとおりだ。まだあきらめるなっ!やられっぱなしで終わらんぞっ!!」
ここでチョンも味方選手を鼓舞する。選手たちの目に活気が戻っていた。
『へえ。あいつ相当信頼されてんだ。いいねえ。9番はそれくらい信用ないとね』
戦意を取り戻した和歌山の選手を見て、ネイレスは純粋に感心していた。
剣崎にボールをつなぐ。
ロスタイムを戦う選手たちは、それを合言葉に懸命にボールを奪いに行く。だがキープ力に長けた柏の選手たちからなかなかボールを奪えないでいる。
「馬鹿じゃねえの。必死こきすぎなんだよ」
柏の選手からしてみれば、今頃になって張り切る和歌山の選手たちには失笑の対象でしかない。しかし、そんな弛緩した空気に漬け込んでチョンがボールを奪った。そしてドリブルを仕掛け、センターサークル付近にいた剣崎に鋭いパスを通した。
「剣崎っ!遠慮なくぶち込んで来いっ!!」
「任せろいっ!!!」
距離にして40メートル弱。だが、剣崎は躊躇なく右足を振りぬいた。それに対して西谷が走りこんでいた。
(入らなくても、跳ね返りを押し込んでやるっ!)
一見、剣崎のシュートは無謀で策も感じない一撃。危惧するほどのもんではない。だが、柏のキーパー杉野はこのシュートに体を強張らせていた。
(こんなシュート・・・。俺が柏に来る前に見たことある。こいつは・・・入っちまうっ!!)
そう意を決した瞬間、時すでに遅かった。剣崎の一撃はクロスバーに直撃した後、真下に叩き付けられてゴールマウスの中にバウンドしていった。
「よっしゃあ、あと3点取るぞっ!アツ、早く早くっ」
「っせえな、今行ってっだろうが」
「柏の人、キックオフ急いでくれよっ、時間ねえんだから」
仰天の超ロングシュートを叩き込みながら、特に喜びもせずにとにかく急かす剣崎。西谷はもちろん、柏の選手もついていけていない。
同時に少しずつ変な空気にもなってきた。「もしかして…」という、万が一が全員の頭に過ぎる空気が。
その根拠として、剣崎が得点したシュートの難易度にある。
今のロングシュートはもちろん、先制点のオーバーヘッドは共に難易度が高く、普通ならただのスタンドプレーとしてむしろひんしゅくを買う。だが剣崎はためらいなくそのシュートを選択し、決めた。よほどの無関心でないかぎり「ただ者ではない」と感じずにはいられない。柏の選手たちに緊張感が高まってきた。そして、緊張がいい具合に解れる時に生じる隙を、友成がしたたかに狙っていることに、気づいた選手はいなかった。
試合再開。柏側は仕切直して時間稼ぎに入る。
『ちぇっ。もう逃げ切りかい。まあ、ハットトリックも決めたし、別にいいけどな』
前線でボールを受け取り、寄せてくる和歌山の選手をいなしながら、ネイレスは巧みな足捌きでボールをキープする。迫ってくる和歌山のDFたちを相手に、プレスをいなしながらゴールに背を向ける。そして1トップの田口にボールを繋ごうと横パスを出した瞬間、ネイレスは自分の目を疑った。
パスのスピードが緩いのを見切って、キーパーの友成がそれをカットした。それはまだ彼の想像の範囲内だった。だがそのあと、友成はドリブルで突っ走りはじめた。それもJ1のタックルやスライディングをかわしながら。
『おいおい。東洋の神秘ってやつかい。レネ・イギータが日本にいるなんて聞いてないぜ』
ネイレスが苦笑いを浮かべる間にも、友成はドリブルを続けてハーフウェーラインをも越え、どんどんゴールへの距離を詰めていく。自分へのマークが集中してきたと見るや、すぐさま右サイドね西谷にパス。ボールを受けた西谷は、対峙するファン・スンホとの肉弾戦に挑んだ。「あの野郎…、剣崎といいうちには規格外の奴らばっかりだ。…ちょっとは目立たねえとしゃくだろうがっ」
剣崎や友成の目覚ましい活躍に西谷は激しく嫉妬し、それを血肉と化して現役韓国代表と激しく競り合う。途中出場である分体力もあり、ついにファンを振り切った。
「く、くそぅっ!!」
この突破に慌てたファンは、無我夢中に左手を伸ばす。それが西谷のユニフォームを掴む感触を得ると思い切り引っ張った。西谷はその力に抗えず仰向けに押し倒され、遅れてレフェリーの笛が鳴った。その音にファンは我に返り、自分が退場となることを悟った。絶好の位置でのフリーキック献上という、ありがたくない置き土産を残して。
「イテテテ…ちょいと首イッたかな」
「ま、相当強引に引っ張られたかんな」
友成の手を借りて起き上がった西谷は、首をさすりながら愚痴った。
「しかし友成よ、お前何でまたあんなドリブルしてきたんだよ。下手したら点取られたぞ」
「俺は天才なんだからなんでもありなんだよ。倒されてフリーキックになっても、今のメンツじゃ俺よりいいボール蹴れるやついないだろ。時間ももったいなかったしな」
天才。自分で言うと安くなってしまう言葉も、友成が言うと妙に説得力を持つ。つくづくその才能に恐れを抱き、うらやましいやら憎らしいやら複雑になる西谷だった。
おそらくこれがラストプレーになるであろう、和歌山のフリーキック。キッカーは友成。ゴール前には剣崎、鶴岡、大森が敵のマークにつかれながらファーサイドに構えていた。ニアサイドには佐久間、西谷らスピードのある選手がいつでも飛び込もうと構えていた。
(友成〜っ、てめえ俺んとこ蹴ってこい〜っ)
一番遠いサイドに立つ剣崎は、とにかく友成に念を送りつづけた。体から放たれるオーラも強烈で、剣崎には二人の選手がマークについていた。
「ちっくしょうっ!あんたら邪魔なんだよっ!あんまりはっつかれたらあいつ蹴ってこねえだろうがっ!」
「お、お前馬鹿か?なんで2点取ってる選手をフリーにしなきゃなんねえんだよっ」
「勝ってんだから別にいいだろっ?ハットトリックさせてくれよっ!」
「…」
子供のように駄々をこねる剣崎に、柏の選手たちも呆れ気味だ。当然、この様子を見た友成が剣崎の期待に応えるわけがない。
友成に対峙する壁には、柏の選手たちに挟まれて猪口、毛利の小柄な二人が膝立ちをして壁に凹みを作っている。ボール2個半ほどのわずかなすき間だが、壁の向こう側にいるキーパー杉野には、なまじ友成の動きが見えるだけにかえって不気味な感じを受けている。
(さすがに直接あのすき間を通すって芸当は無理にしても…、直接狙うって可能性はありそうだしな…)
一方で、友成の腹は端から決まっていた。
(シンプルに一番でかい鶴さんを狙う。俺にしろあのバカにしろ、ありえないプレーばっかやってんだ。こうなったらセオリー通りも意表だ)
そして友成は助走をつけて左足を振り抜き、イメージ通りに鶴岡にクロスを上げた…はずだった。マークに張り付かれていて十分にジャンプ出来なかったこともあるが、ボールは鶴岡のわずか上を通過していった。
「ちっ。誰かの肩に当たったか」
友成は思い通りにいかなかったことに舌打ちする。だが、外れた先にはすでに剣崎が飛び込んでいた。一瞬マークが緩んだ隙に会心のジャンプを見せた。
「やっぱおいしいところは俺のもんだぁっ!!!」
剣崎はボールをしっかりと頭で捉え、角度のないところからヘディングシュートを叩き込んだ。ボールがゴールマウスに突き刺さった直後…。
本来なら高校野球でよく耳にする音が響き、剣崎の意識はそこで切れた。
ゴーン…
ここは和歌山県屈指の観光地で、西国三十三箇所の一つ、紀三井寺。2013年の元旦、毎年県内外から大勢の初詣の参拝者で賑わうこの寺で、男女三人組が賽銭を投げ入れて鐘を打ち鳴らした。
真ん中の大男は肩肘張って手を合わせ「ぜってーチームをJ1に上げれますようにっ」と周りにはっきりと聞こえるぐらいに言い切る。両サイドの男女は、あまりに堂々とした振る舞いに笑いをこらえながら願い事をした。
「もうっ、剣崎はホントにバカよね。子供みたいな真似してさ」
「ああ?なんか悪いのか?それだけ思いが強いんだよ」
「にしても、周りがあんなにいる中で叫ぶかよ普通。まあ、お前らしいけどさ」
三人組は参拝のあと、線香の煙を浴びていた。大男は剣崎、もう一人の男は栗栖、女は県内唯一の女性社会人チーム、南紀飲料セイレーンズFWで二人の幼なじみ、相川玲奈だった。
中学の同級生で実家が隣近所(剣崎と相川はもろ隣)の三人は、紀三井寺に初詣に来ていた。痛みを取ると言われる煙を、栗栖と相川はサッカー選手の財産である両脚に、剣崎は生々しい抜糸痕が残る額に浴びせていた。
「でも本当びっくりしたわ。ゴールポストにこめかみぶつけるなんて。テレビでも音拾ってたもん」
相川は剣崎の傷を見ながら、目を丸くしてつぶやいた。
「しかもパックリ切って流血してたからな。NHKでスラップター映像だもんよ。それで『ただの打撲』だからすげえよな」
「ははっ。まあそれだけ不死身の体を産んでくれたおかんもすげえってことさ」
現場にいた栗栖も未だに驚きが抜けない。二人に対し剣崎は自慢げに笑った。
あの試合のシーン。剣崎のゴールが決まり、剣崎がゴールポストに頭をぶつけたと同時に試合は終わった。結局和歌山は柏に敗れたが、急所の一つであるこめかみからの流血にスタジアムは騒然となり、失神した剣崎はそのまま救急車で搬送された。箇所が箇所なだけに最悪の事態が予想されたが、病院に着くと同時に剣崎は意識を取り戻し事なきを得た。そしてそれ以上に担当した医者は「こんな怪我なのに、MRIで検査したところ脳どころか骨にも異常がなく、出血もすぐに止まりました。金属製のポールが凹むくらいの衝撃だったはずなんですが…」と、剣崎の頑丈さに衝撃を受けていた。
「まあ、さすがに俺も驚いたな。さっきまでサッカーしてたのに、頭固定されて救急車の中だもんな」
「でも…あんた恐くなかったの?ポールに頭ぶつけそうだとか、考えたことないの」
「ないね。多分この先も」
振り返る剣崎に相川がもっともな質問をすると、剣崎は真顔で断言した。
「アガーラ和歌山がJ1に上がるために、俺ができんのは点をとるこった。その可能性があるなら、後頭部ぶつけそうになっても俺はゴールに突っ込むね。それがエースストライカーである俺の信念だ」
「…まあ、ゴールを決めるときは前向いてるから、後頭部はそうそうないだろ」
「な、なんでそゆこと言うんだよ。例えば、オーバーヘッドしたときとか、ダイビングヘッドしたときとか…」
「お前オーバーヘッド得意科目なんだろ?それで怪我しちゃただの笑い者だぜ」
せっかくの真面目に言ったのに、栗栖にシリアスな雰囲気を台なしにされた剣崎はしどろもどろになる。それがおかしくて相川は吹き出した。
「アハハハハっ!あんたホントにバカよね。カッコつけちゃってさ。ハハハ」
相川の笑いに、栗栖も、そしてすねていた剣崎も吹き出した。
一通り笑った後、相川が切り出した。
「ま、今年はあたしたちもなでしこリーグに昇格しないとね。チャレンジリーグ(なでしこの二部リーグ)じゃほんと注目されないしね」
「アベック昇格ができりゃ言うことねえな。そんでもって、俺は2年連続の得点王だっ」
「あたしだって得点王狙うわ。それに天宮杯もとって、アガーラよりも目立っちゃうからね」
新年の抱負を語るストライカー二人を見て、栗栖がつぶやいた。
「おまえら二人ってお似合いだよな。付き合えば?」
言われた二人は一旦見つめ合って、すぐに栗栖に言った。
「「ないない」」
しまりがない上に、ダラダラ長い文章になりましたが、一様一段落です。
来年(というか明日)から新シリーズが始まります。お楽しみに。