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42 弛緩

本は、前半部分が筆者ディアンの略歴、後半部分が彼女がケメルデ語を練習するときに用いていたノートを写したものだった。


リョウがこれまでに読んできた本は、印字されたケメルデの文字やイラストから成り立っていた。

そのため、イラストを写し取るような要領で転写されているディアンの手書きのノートは、リョウの目には新鮮に映る。


「とりあえず、最初の文章のところから読もうぜ」


「そうしよう。たしかディアンさんは、十歳の頃に北の街で迷子になったって言ってたよな……」


本によると、ディアンは母と弟と共に、キリル市という都市に遊びに行っていた際に迷子になり、バーラット子爵家のメイド長に拾われたという。


ざっと目を通す限り、リョウの知る地名や人名はケメルデとディアン以外に登場しなかった。

全て架空のものか、アワルより西側の、自らが知らない地名なのだろうと、リョウは想像する。


フータン族の中でも、ディアンが特別にケメルデの言葉を話せるわけではなく、多少は話せる者もいるらしい。

ディアン自身も、保護された十歳の時点で、簡単な挨拶や日常会話はある程度できたと記している。


リョウは、トリオーノと同じか、それより少し劣る程度のレベルを思い浮かべた。


スピーキングやリスニングについては特別な努力を必要としなかった一方で、ライティングとリーディングの習得は非常に困難だったことが、前置きとして書かれていた。


識字能力のない侍女候補たちと同じ環境で、必死に勉強を重ねていた経験が、実感を伴って記されている。


リョウが、ガオの語彙に関する質問に答えながら読み進めていると、ディアンが両手に皿を持って戻ってきた。


二人の前に皿と水の入ったコップを置き、カトラリーを並べながら言う。


「そんなに真剣に読まれると恥ずかしいわ。

ご飯を用意したけど、食べられないものがあったら言ってね。

この屋敷にいる間は、ガオちゃんとリョウくんはお客さまだと思ってくれていいから」


二人の前に置かれた皿には、焼いた肉とサラダが載っていた。

レタスのような葉物野菜と薄切りにしたフルーツのサラダに、しっかりと火が通った豚肉系のステーキが鎮座し、ナッツのドレッシングソースが全体に回しかけられている。


ドレッシングのややスパイシーな香りとフルーツの甘い匂いが鼻孔をくすぐり、リョウとガオの視線は本から離れ、目の前の皿に釘付けになる。


「ディアンさん、俺、こんなに豪華なの食べていいのか!?」


「豪華かは分からないけど、もちろんいいわよ。

お腹がびっくりしないように、よく噛んでゆっくり食べるのよ」


「いただきます」


リョウとガオは無心になって食べ進めた。

時折、感嘆の声や、食べ物を口に入れすぎたガオの呻き声が挟まるが、基本的には黙々と食事を続ける。


ディアンはその様子を見て、にこにこと笑いながら、かつて自分が書いた本を開き、懐かしむように読み返していた。




ガオは腹が満たされると活力が湧いてきたらしく、外で体を動かしたいとディアンに直談判した。


フータン族の暮らしを見てみたいと思っていたリョウも説得に加わり、二人はディアンの監督の下で屋敷の外に出してもらえることになった。


リョウは靴を履き、玄関を出たところで、改めて辺りを見渡す。


屋敷の周辺の森は少し切り開かれているが、住居が密集している様子は見られない。

まるで、森の中に屋敷だけが存在しているようだった。


ディアンは躊躇いなく、森の中に微かに見える獣道のような道を進んでいった。

二人の子供は不安を抱えながらも、その後をついていく。


不思議と歩きづらさはなく、普段から使われている道であることが、感覚的に理解できた。


数回の方向転換を経てしばらく歩くと、森が開かれた広場と、木造の建造物が視界に飛び込んできた。


領主の屋敷と比べても倍以上に大きく、何かの用途で使われる施設なのだろうと想像できる。


入り口を入ってすぐ左側には、年嵩の女性が座るカウンターがあり、受付のような役割を担っていることが一目で分かる。


ディアンが女性にフータンの言葉で何かを説明すると、女性は横目でリョウとガオをちらりと見た。


品定めされているかのようなその視線に、リョウは緊張を覚える。

視界の端に映るガオも、どこか落ち着かない様子だった。


女性は何か愚痴めいた言葉を呟いてから、首を縦に振った。


ディアンが手招きし、リョウとガオは奥へと進む。


「ここは、何の施設なんですか?」


「ケメルデでいうところの、学校みたいなものよ。

リョウくんたちは、まだ学校に行っていないでしょうし、行くことになるのかも分からないけれど、フータンの子供たちは皆、ある程度の教育を受けるの。

特にトンジョランは森の中だから、魔物への対処方法も知らなきゃいけないしね」


「森の中に住んでいないフータン族もいるのか?」


「あら、ガオちゃん、それは当然……とも言えないのかしら。

ケメルデ側から見ると、森の中に住むフータンしか知らないものね。

あとで地図を見せてあげるわ。

とりあえず、ここよ。ちょうど同じくらいの年の子たちが体術と魔法の授業を受けているから、一緒に受けさせてもらいましょう。許可は取ってあるわ」


そう言ってディアンが扉を開くと、中庭のような場所で、十数人ほどの子供たちの一団が整列して座っている様子が見えた。


膝を曲げ、お尻と足の裏を地面につけ、脚の周りで組んだ腕で姿勢を固定している。


日本人には馴染み深い姿勢だった。


その前に立っている、おそらく教員であろう人物は、ブロンドの長髪を後ろで束ねた男性だった。


(ヨーロッパのサッカー選手にいそうな人だな)


男性はこちらを見ると、首を軽く傾げた。


ディアンは笑顔で男性の方へ歩み寄り、途中で歩を止めると、リョウとガオの方向に顔だけで振り返って言った。


「言葉が通じなくても、通じるものはあると思うわ。

必要な時は通訳するから、楽しんでいらっしゃい」


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