41 責任
「僕とガオからすればありがたい話ですけど、この領地を空けていいんですか?」
リョウはディアンに訊ねた。
チャンドラーとその息子は先ほど出発しており、ディアンが離れれば、この領地、少なくともこの屋敷は空になるように思える。
地域の首長がその場を離れるのであれば、何かあった時の対処について、引き継ぎが必要なのではないか。
リョウは、そんな疑問を抱いたのだった。
「ええ、明日には長男が帰ってくるから大丈夫なはずよ。
夫も、最低限の引き継ぎ資料は作って行ったしね」
「トリオーノくんには、お兄さんがいたんですね」
「言ってなかったかしら。トリオーノは三男なのよ。
そういう意味でも、あまりユイちゃんの心配はしていないわ」
「どういう意味で?」
ガオが首を傾げて問い返す。
「うちの長男、エイコーが領主を継ぐでしょうから、ユイちゃんは、そう遠くないうちに自由な身分になるということよ。
エイコーも結婚して子供が生まれれば、トリオーノは貴族ではなくなるの」
帰ってきて、弟が婚約していたと聞いたら、エイコーは驚くだろう。
リョウはぼんやりとそう考えた。
だが同時に、ユイが婚約したと聞いた時の、アワルの住民たちの反応の方が、もっと大きいかもしれないとも思い直す。
(当たり前だけど、結婚や婚約の捉え方はよく分かっていない。ちゃんと確認しておきたいな……)
「ユイは、この屋敷に帰ってきた後、どうなるんですか?」
「しばらくは、フータン族の貴族に準じた扱いをしないと辻褄が合わないわね。
だから、ある程度の教育は必要になると思うわ。
三年くらいは、ここで暮らしてもらうことになると思うけど……ユイちゃんのことを考えると、月に一度くらいはアワルに顔を出せるようにしたいのよね。
色々調整は必要だけど、とりあえず三人でアワルに向かいましょう。明日の昼に出発すれば、日が暮れる前には着くはずよ」
ディアンは立ち上がり、背筋を伸ばしながら続けた。
「まずは、何か食べるものを用意するわ。
昨日から何も食べていないなら、相当お腹が空いているでしょう?」
リョウとガオは、顔を見合わせた。
確かに、最後に食べたのは昨日の朝食だ。
意識した途端、強烈な空腹感が二人を襲う。
ただ、フータン族の食事が口に合うかは分からない。
ディアンが用意する以上、奇妙なものが出てくるとは思わないが……
そんな二人の様子を見て、ディアンは少し困ったような顔をした。
「ええと……あ、私の本でも読む?
おもちゃはあまり置いていないから、時間を持て余すかもしれないけど、そこは我慢してね。ケメルデ語の本は、あなたたちが持ってきてくれた私の本しかないのよね……」
どうやら、二人が暇を持て余しているのだと勘違いしたらしい。
ディアンは一度部屋を出て、しばらくして戻ってきた。
数冊の本と、リョウに見覚えのある紙袋を抱えている。
「これ、お金も入っているから、そのまま返すわ。
泉の中に落ちていなかったのは、運が良かったわね。私も久々に読んで、懐かしかったわ」
テーブルにそれらを置き、ディアンは一冊の本を手に取った。
『森の中から王都に!?
~とある子爵家の専属メイドとして働く私が、ケメルデ語を学んだ勉強ノート~』
書店でリョウが手に入れたものと、全く同じ姿の本が、ディアンの手にあった。
ディアンが部屋を離れると、ガオとリョウの間にあった、わずかな緊張が解けた。
「この本が、ディアンさんの過去ってことなんだよな……」
「そのはずだよ。少しだけ読んでみようか。
そういえば、ガオって魔法は使えないのか?」
以前から気になっていたことを、リョウは口にした。
運動場でのガイの講義の途中、リョウは気を失っていたため、ガオの魔法適性については知る機会がなかったのだ。
「ああ、あんまりな。
でもユイは、リョウほどじゃないけど使えてた」
ガオは、少し照れたように続ける。
「俺も、兵士の見習いになったら、チョウガンさんが言ってたくらいは使えるようになりたいな」
だが、そこで言葉を切った。
「……でも、勝手にここまで来た俺は、兵士になれないかもしれないよな」
「それは……」
リョウは一瞬、言葉に詰まる。
「ガオは、僕たちを守ろうとしてついてきてくれたんだ。
多少怒られることはあっても、取り返しのつかないことにはならないと思う」
それは、ガオを安心させるための言葉であると同時に、自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。
本当なら、ガオの将来を考えて、同行を断るべきだったのかもしれない。
ガオ、あるいは彼の両親……
(思ったより、多くの人を巻き込んでいるな……)
シャオユーには、監督責任が問われるかもしれない。
カイやランは、時間稼ぎとして協力してくれた。
特にランは、金のことが発覚していれば、より深刻だ。
調査が書店まで辿り着けば、金の出所は当然問題になる。
アワルの大人たち、兵士団。
多くの人が、大なり小なり責任を負っているはずだ。
リョウの胸に、どうにもならない焦りが広がる。
「とりあえず……何かあったら、全部僕が巻き込んだことにしていい」
それが、自分にできる唯一の責任の取り方だと、リョウは思った。
ガオと、自分自身に諭すようにして、リョウは静かに本のページを開いた。




