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35 月光

女性に気付かされるまで、リョウの頭の中に、魔法を使って状況を打開するという選択肢はなかった。


そもそも、リョウの土魔法の制御練度は、十センチメートル四方の魔法土を、どんなに頑張ってもせいぜい百個生み出せる程度だ。

この広さの部屋では、生み出せる量も大きく減るだろう。


練習によって魔法土の密度を上げ、多少の硬度を持たせることはできるようになったが、鉄格子を破壊するほどではない。


水魔法に至っては、どう使えばいいのか、未だに見当もつかない。

この閉じた空間では、魔法水を利用しても、目の前の少年を転ばせるくらいが関の山だろう。


他に可能性はないか。


リョウにとって魔法とは、空気中に存在する魔法粒子を抽出し、物体化する技術だ。

それを応用すれば、と考えたところで、思考はそこで行き詰まった。


ふと周囲を見渡し、今すべきことは、魔法の可能性を追究することではないと、ようやく思い出す。


「あの、ここはどこで、あなた方は誰なんですか?」


「あれ。私のことは知ってて、ここに来たのかと思っていたんだけれど」


金髪の女性はそう言うと、左手に持っていた紙袋から一冊の本を取り出した。

紙袋も本も、リョウには見覚えがある。


「私は、この『森の中から王都に!?

とある子爵家の専属メイドとして働く私が、ケメルデ語を学んだ勉強ノート』の作者、ディアンよ。

こんな恥ずかしいタイトルで売られてるとは思わなかったけど、このおかげで本がたくさん売れて、トンジョランに戻ってこられたんだから、感謝しないとね」


「じゃあ、ケメルデ語が上手なのは……」


「そういうこと。私はもともと、この辺りでフータン族の娘として生まれたの。

十歳の頃、北の街に遊びに行った時に迷子になってね。その後、子爵家のメイド長に拾われたのよ。

そこから先は、本に書いてある通り。王都には後継ぎ様に付き従って何度か行っただけだから、正直、タイトル詐欺っぽいけどね。

本が売れてお金になったから、拾ってくれた人に感謝しながら、ここに戻ってきたの。二十年くらい前の話よ」


「え、じゃあ結構おば……」


ディアンは、ガオの口を右手で掴むようにして制止した。


「言っていいことと悪いことがあるわ、ガオちゃん。私のことは、ディアンさんか、ディアンお姉さんと呼びなさいって言ったわよね?」


ガオは、口を掴まれたまま、慌てて首を縦に振る。


「そうそう。質問の途中だったわね。

それより、あなた達。こんなに時間があったのに、自己紹介もしてないの?」


ディアンは長身の男性と少年の方を向き、フータンの言葉で何かを責めるように言う。

男性は言い訳めいた様子で答えたが、案の定、ディアンの説教が始まった。


その間に、少年はうまく抜け出したらしく、ディアンの横を通り抜けて、ガオやユイと話し始めている。


できることならリョウも加わりたかったが、ディアンと男性の口論は鉄格子のすぐ目の前で行われており、口を挟む余地はなかった。


しばらくして、ディアンはリョウに向かってケメルデ語で話しかけてきた。

長身の男性は、すっかりぐったりしている。


「色々説明が足りなくてごめんね、リョウくん。とりあえず、これだけ話すわ。

ここはトンジョラン。あなた達の言うピータ大森林の、北に少し突き出た場所よ」


「ピータ大森林……?」


「あまり聞いたことがないかしら。南の森って言えば分かる?」


「ニンニンの森なら聞いたことがあります」


「そうね。ここから東にかけて、東西に長くて急な山脈が伸びているの。その近くを、ニンニンの森って呼ぶ人もいるわ。

ニンニンって、昔のフータン族の言葉で、壁って意味なのよ」


「なるほど」


リョウは頷いた。

ニンニンの森とは、広大なピータ大森林の中の一地域を指す呼び名なのだろう。


「あと、簡単に紹介するわね。

ここで半べそをかいてるのが、私の夫のチャンドラー。

あそこでガオちゃんやユイちゃんと話しているのが、二人の子どものトリオーノ。

それから……リョウくんの位置からだと見えないかしら。さっき私たちを呼びに来たのが、長年この家に仕えてくれてるアンダルよ」


ディアンは一息ついてから、微笑む。


「じゃあ、場所を移しましょう。リョウくんも、いつまでもここにいるのは辛いでしょう」


どうやら、独房から出してもらえるらしい。


リョウが入っていた独房から見て右側の廊下の先には、上へと続く階段があった。


リョウが閉じ込められていたのは地下室だったのだ。


階段の先から、真っ黒な夜空に浮かぶ月の光が、静かに差し込んでいた。

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