32 脱兎
三人は、息を殺して森の中を進んでいた。
森に入って二五〇〇メートルほど直進すれば、水を汲んでいる森人と接触したという泉に辿り着くはずだ。
本来の目的地は、森人の樹上拠点が発見されたという地点だった。
だが、そこは南門に近い。
兵士に発見された以上、そこへ向かうのはリスクが高すぎると、リョウは判断していた。
二五〇〇メートル。
平坦な道であっても、七歳の子供が歩けば一時間近くかかる距離だ。
ましてや、怪我人を支え、視界の悪い森の中を進み、野生動物に警戒しながらの行軍となれば、二、三時間は覚悟しなければならない。
その頃には、日が落ちている可能性も高い。
森に入って百メートルほど進んだところで、リョウは足を止め、二人を振り返った。
「ガオ、ユイ。引き返すなら今しかない。
草原に出れば、兵士に保護してもらえる可能性は高いと思う。
正直、二人を巻き込んでいることを、申し訳なく思ってる」
ユイは首を振る。
「巻き込んでるのは私だし……
支えてもらわないと歩けないのも私だから、リョウはそんなこと言わないで」
ガオは鼻で笑った。
「なんだよ、森に入ってビビったのか?
俺はリョウが帰っても、ユイをおんぶしてでも進むぞ」
二人の覚悟は揺らいでいなかった。
リョウも、静かに決意を固める。
もう、引き返さない。
空の上を、大きな鷲が何度も横切っていく。
まだ気付かれていないのか。
それとも、気付いた上で様子を見られているのか。
リョウには分からなかった。
もし襲われた場合、運良く太い木があれば、そのうろでやり過ごせるかもしれない。
だが、それは希望的観測に過ぎない。
目をつけられたら最後だ。
リョウは、そう考えていた。
そのため三人は、高い木が密集している場所を選んで進んでいた。
足場は悪いが、ガオもユイも黙々と歩いている。
ガオは右側のユイを気遣い、安定した踏み場を探しながら進む。
ユイの頬に張り付いた髪を伝って、汗が滴り落ちる。
彼女は首を振って汗を振り払い、一言の弱音も吐かず、前を向いて歩き続けた。
大鷲が上空を飛んでいるせいか、地上の生き物の姿は少ない。
一度だけ、左から魔ウサギが三人の前を横切った。
その直後、それを猛追するイノシシが現れる。
二匹は、三人に目もくれなかった。
だが、その姿は十分に子供たちの肝を冷やした。
牙は青くなかったが、練兵場で見た魔イノシシより、ひと回りは大きい。
リョウには、それが魔法を使う個体かどうかは分からない。
ただ、この森が危険な場所であることだけは、嫌というほど理解できた。
どれほど歩いただろうか。
恐怖は消えない。
それでもリョウは、大鷲の存在に感謝していた。
結局、遭遇したのは魔ウサギとイノシシだけで、今のところ大きな危険はない。
やがて、三人の目の前に泉が現れた。
方角を間違えていなければ、ここが目的の泉だ。
だが、その泉は周囲を崖に囲まれていた。
ユイを支えながら、斜面を下る必要がある。
断崖絶壁ではない。
下りようと思えば下れる。
その中途半端さが、かえって厄介だった。
さらに、その地形は思いもよらぬ効果を生んでいた。
泉の周囲には、三十匹ほどの魔ウサギや魔シカが集まっていたのだ。
この地形では、鷲は自由に飛んで狩りを行えない。
もし三人が、少しでも開けた場所に出ていたら、格好の獲物になっていたかもしれない。
魔ウサギたちは経験から、この泉が避難所になると知っているのだろう。
「崖に沿って泉の周りを回ろう。
あそこの低いところから、降りられそうだ」
リョウの指示に従い、三人は反時計回りに歩き始めた。
あと少し。
そう思った瞬間だった。
あと少しという気持ちが油断を生んだのか。
あるいは、ユイの足場に気を取られ、自身のものが疎かになっていたのか。
ガオの左足が踏んだ地面が、足裏にわずかな感触だけを残し、崖の下へと崩れ落ちる。
重心が宙に放り出される。
支え合っていた三人は、そのまま崖を転がり落ち始めた。
一瞬、リョウの視界に空が映る。
羽を揃え、降下してくる大鷲の姿。
(……タイミングを測っているだけだったんだ)
次の瞬間、視界は泉へと切り替わる。
魔ウサギや魔シカが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
リョウは、意識を繋ぎ止めるため、強く目を閉じた。
流れを作る。
三人を泉に叩き込むほどの、水の奔流。
(できるなら、この大鷲ごと飲み込んでしまえ)
空気中の水蒸気が凝結する。
雲を成し、膨れ上がった水滴が、重力に耐えきれず落ちてくる。
イメージするのは、熱帯雨林のスコール。
突如として生まれた巨大な水魔法は、
リョウの意識と引き換えに、大鷲と三人を泉へと叩き込んだのだった。
牛歩の更新になってしまって申し訳ないです。
今後の多忙さを考えるとストックの量が心許無いのです......。
魔法をかなりの制約付きのものにした都合上、構成が難しいのですが、自分の想像する「実際に人が生きている魔法世界」を描くために邁進してまいります。
応援よろしくお願いします。




