表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/33

3 内省

リンが扉を開けると、チョウガンは身を屈めて建物の中へ入った。

立ったままでは木枠の上辺に頭をぶつけるのだろう。普段から繰り返しているらしく、その動作には迷いがない。


扉と枠は木製だが、壁や天井はおそらくコンクリート製だ。

鉄筋コンクリートが存在するかどうかは分からないものの、コンクリートを扱う技術水準はかなり高いように見える。


街を歩いてきた(正確には、抱えられて運ばれてきた)道中、リョウは街並みを目にしていた。

画一的な形状のコンクリート建築が立ち並び、それぞれが隣と被らないよう、色とりどりの塗料で彩られている。

三人が入ったこの建物は、濃い黄緑色で塗られていた。


建物の内壁は、外観よりも落ち着いた緑色だった。


六畳より少し広い程度のワンルームに、大きめのベッドと簡素な台所、二人掛けのテーブルと椅子が所狭しと配置されている。

その中で、ベッドの隣に置かれた、ひときわ座面の高い椅子が目を引いた。


少し緑がかったコンクリートのような質感だが、リョウの記憶には存在しない素材だ。

テーブルと椅子が木製である分、その椅子は狭い室内でも異彩を放っている。


(……多分、自分用なんだろうけど)


その素材について、もう少し観察を続けたかったが、リンが籠からリョウを抱き上げ、ベッドの上へと優しく寝かせた。


柔らかく、白いシーツ。

包み込まれるような感触とともに、リョウの意識は抗えない眠りへと沈んでいった。


 


家に到着してからの二日間、リョウ、リン、チョウガンは家の中で穏やかな時間を過ごした。


チョウガンは書類仕事をそれなりに抱えているらしく、数時間おきに兵士が紙の束を持って訪れる。

そして、チョウガンが何らかの処理を施した、ほぼ同じ厚みの紙束と交換するようにして帰っていった。


リンも読み書きができるようで、チョウガンの仕事を手伝っている。

いや、リョウの目には、むしろリンの方が主役に見える場面も多かった。


「食堂の経費、計算が合わないわ。どこかで桁を間違えていない?」


「あ、本当だ。この資料だと売上が少なすぎるな。要確認書類に回しておこう」


リンが指摘し、チョウガンが応じる。

そんなやり取りが何度もあったが、二人並んで机に向かう姿は、終始楽しそうだった。


 


その間、リョウは家の中を観察するか、眠るかして過ごしていた。


もちろん食事も必要だが、リンから母乳を与えられることはなく、長時間煮た穀物を、ココナッツミルクのような液体で溶いたものが与えられた。


少し残念に思う一方で、不思議と安堵も感じている自分がいた。


定位置となったベッドからは、壁と、あのキッズチェアをじっくり観察できる。


壁面は非常に滑らかで、塗装技術の高さがうかがえた。


キッズチェアは、触れば適度な弾力があり、感触だけなら樹脂製に近い。

しかし見た目は、砂を固めたようにも見え、そのギャップが脳に違和感を残す。


製品表示には「人工土100%」と記されており、五年経過後は、所定の機関へ返却することが求められていた。


文字が問題なく読めることに気づいてからは、チョウガンとリンが扱う書類の山を、こっそり覗き見ることもあった。


内容は主に兵舎関係の決算書類や領収書で、チョウガンは経理のような役目も兼ねているらしい。


経理手法や数学的水準を探ろうと考えたこともあったが、深い思考に踏み込もうとすると、強烈な眠気に抗えない。

結局、この二日間で、リョウが何か新しい発見や発明をすることはなかった。


 


一方で、目を閉じて行う内省は、驚くほど捗った。


まず大きな問いは、ここが死後の世界なのか。

それとも、時間軸の異なる元の世界なのか。

あるいは、完全に切り離された別世界なのか。


リョウは、どれであっても今後の判断に大きな影響はないと考え、この疑問を保留した。


次に浮かぶのは、自分が坂倉良弥本人なのか、それとも記憶を引き継いだ別人なのかという問いだ。

どこかで読んだ「テセウスの船」の話を思い出したが、結局この問題も、今すぐ答えが出るものではない。


この問いも、保留。


ただし、自分の中にある良弥の記憶については、何らかの想定をしておく必要があると感じていた。


人は三歳頃に、幼少期の記憶がほとんど消える。そんな話を、保健の授業で聞いた覚えがある。


それが自分にも当てはまるのかは分からない。

だが、少なくともこの世界の両親は、自身がよく知る普通の人間に見える。


もし、すべての人間が前世の記憶を持ち、三歳前後で等しくそれを失うのだとしたら。

だからこそ、前世の記憶が表に出る者がいないのだとしたら。


荒唐無稽だと自分でも思いながら、そんな仮説が頭をよぎる。


つまりその場合、良弥としての自分には、数年後に「精神的な死」が訪れることになる。


(……それでもいい。記憶が消えるなら、その前に、リョウに知識だけでも残しておきたい)


(まあ、高校二年生程度の知識しかないけど)


リョウは、そう結論づけた。


 


もっとも、記憶とは本来、境界線を引かれるように消えるものではない。

グラデーションのように薄れ、自我もまた、静かに形を変えていく。


すでに良弥としての輪郭が曖昧になり、リョウとして適応し始めていることに、本人が気づいていない。

それこそが、記憶と自我の関係の、最も厄介なところなのだが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ