29 長話
アワル書店の扉を開ける。
「いらっしゃい。坊ちゃん一人かい?」
扉に取り付けられた鈴が鳴ると、店の奥からすらりとした中年男性が現れた。
立ち居振る舞いの一つひとつに、貴族特有の余裕が滲み出ている。
(確か父さん、今の領主様のまたいとこに当たるって言ってたよな)
「はい。父に頼まれて、南の森の攻略の助けになる資料を買いに参りました。
簡単な地図と、森人に関する資料があればと思っています。
予算は、ひとまず三万ディストリーほどです」
自然と、言葉遣いが畏まる。
「南の森の地図か……確かに、色々な土地の兵士団がまとめた資料は扱っているけど……
あれ? 坊ちゃん、森人を知っているのかい?」
(やばい……!)
アワルでは、九歳未満の子供には魔法や魔物の存在を知らせない取り決めがある。
森人について明確な線引きは知らないが、同列に扱われていても不思議ではない。
自分の失言に、リョウは内心で舌打ちした。
「実は、半月ほど前に父に連れ添ってこちらに来た際、
あの棚で『魔物と声を通わす』という本を見かけまして。
気になって父に質問したところ、色々と教えてもらったんです」
リョウは、言語学習の棚を指し示す。
「半月前……ああ、君はチョウガンさんのところの息子さんか!
よし、分かった。ちょっと待っててくれ」
店主は何度か頷くと、店の奥へと姿を消した。
(父さん、領主の親戚に顔を覚えられるって……一体何をしたんだ……)
店主は、ニンニンの森の略図と、十数冊の資料を両腕に抱えて戻ってきた。
「これを兵舎に届ければいいかな?」
「いえ、家で勉強するためのものなので、僕が持って帰ります」
「そうか。じゃあ、いくつか選ぼうか……」
積み上げられた資料を見下ろしながら、店主が言う。
「父は、森人とのコミュニケーションの可能性を考えているようで、今回の南部調査では、それを一つの目標にすると話していました」
必死に取り繕いながら、リョウは言葉を重ねる。
(森の地図が無造作に置いてあるわけなかったな。
正面から行って正解だった。ランのおかげだ)
魔法での壁越えばかり考えていたせいで、それ以外の詰めが甘かったことを思い知らされる。
「森人とのコミュニケーションか……
坊ちゃん、それはあまり外で言わない方がいい。父さんに聞いたのかい?」
「はい。母と話していた内容だったので……
本当は言ってはいけないことだったかもしれません。そういう資料はありませんか?」
時間を食い過ぎている。
リョウは、内心で焦り始めていた。
「実はね、この街にも、家族や友人を森人に連れ去られたという人がいる。
だから、街中でその話をするだけで不快に思う人も多いんだ」
店主は顎に手を当て、少し考え込む。
「……兵士団が、彼らとの接触を考えている、か」
「よく分かりませんけど……そういう本は、ないんですか?」
声に、わずかな苛立ちが混じる。
「あるにはある。ただ、どれも眉唾でね。
そもそも森人と意思疎通した例が少ないから、情報量が圧倒的に足りない。他に何かあっただろうか......」
店主は再び奥へ向かおうとする。
リョウは、ここで妥協することにした。
「すみません。家に本を置いてから、託児所でみんなとおやつを食べたいので……
その、怪しいやつで構いません。
地図と資料で、いくらになりますか?」
「地図は複製に手間がかかるものだけど……
兵士の学習用として売るんだったら、一万五千ディストリーでいいだろう。
それと……」
店主は、言語学習棚の上段から一冊の薄い本を取り出し、タイトルを読み上げる。
「『森の中から王都に!?
~とある子爵家の専属メイドとして働く私が、ケメルデ語を学んだ勉強ノート~』
南の森から来たという女性が書いた、とされている本だ。
ケメルデ語と森の言葉との対応が書かれているから、本当の話だったら、筆談くらいには使えるかもしれない。
定価は二千ディストリーだが、どうする?」
激しい後悔を噛み締めながら、
リョウは一万ディストリー硬貨を二枚差し出し、地図と本の入った袋、そして千ディストリー硬貨を三枚受け取った。
礼を言って店を出ると、リョウは少しだけ地図を確認し、南へと走り出す。
ポケットの硬貨が揺れて鬱陶しかったため、紙袋に移した。
リョウは走る。
遅れることで、シャオユーを心配させてはいけない。
何とか十二時、おやつの時間までに託児所へ戻ることができた。
門の前に立つと、十数秒後にガオとユイが姿を現す。
三人は作戦通り、まず北へ進み、
少し先で左の細い道へと折れた。
周囲の視線を集めてはいけない。
カイとランが、うまくやってくれたのだろう。
三人を追ってくる大人の姿はなかった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
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水曜日の投稿は、少し毛色が違うものになる予定です。
登場人物のまとめもおまけとして掲載したいと考えています。




