16 埒外
リョウには、父親の心配を裏切るような行為をしている自覚はあった。
しかし、リョウは自分の興味を一番の優先事項として、入浴のタイミングで魔法を扱う訓練を行うようになっていた。
病は気からというように、気持ちから身体に影響する経路があるんだから、身体から気持ちに影響する経路があってもおかしくない。
自分は今身体は七歳児なのだから、それに影響されて判断力や欲望を抑える力が七歳児並みでもいいじゃないか。
これが、リョウなりの自己正当化の論理だった。
リョウが湯浴みを一人で行うようになったのは、チョウガンが家を空けがちなことによる影響がある。
その期間中、リンがリョウを連れて女性用のエリアに入るという選択肢もあったのだが、リョウは断固として断った。
共用の浴場とはいえ、区画を同じくする近所の家はチョウガンの同僚などの信頼できる人しかいなかったため、リンが許可したのだった。
リョウは言葉を話せるようになったことで、両方の意味で目をつぶって女湯に入る必要がなくなったのだ。
読書と練習、二つのアプローチで魔法が身近になるような日々を過ごしていると、あっという間に授業の日がやってきた。
リョウはチョウガンに連れられ、兵舎の東側にある練兵場に向かった。
(大通りを外れるのは初めてだな)
大通りの南側の突き当たり、兵舎と託児所の門を向かって左に曲がると、狭い道が練兵場に向かって伸びていた。
百メートルほどの道を半分程度進むと、兵士たちの規則正しい掛け声が聞こえてきた。
進むにつれ、その音量は徐々に大きくなっていく。
練兵場の門を通り、正面の受付にチョウガンが事情を説明し、身分証のような小さなカードを提示した。
受付はカードを確認すると、にっこり笑って左手を差し出す。
「第二運動場でお待ちです」
第二運動場は、サッカースタジアムのグラウンドを縮小したような、すり鉢形の構造をしていた。
中心のグラウンド部分はテニスコートより少し広い程度の大きさで、少人数対少人数の模擬戦などで使われる様子が想像できる。
入り口の向かい側の観客席部分の最前列にユイとチンハオが座って話し込んでいる様子が見える。
チョウガンは、運動場を横切り二人に近づく。リョウもそれに従った。
「リョウ! 魔法見れると思ってたけど、見れないかもしれないらしいよ。残念……」
ユイがリョウを見つけて泣き真似をすると、チンハオが焦ったような様子になる。
「いや、ガイさんが何をするか読めない人ってだけで、多分見せてくれると思うけど……
チョウガンさん、どうなんですかね? ガイさんとはあんまり喋ったことないんですよね」
「ああ、確かにガイは変わったやつではあるが、魔法への情熱と人の助けになりたい気持ちは強いはずだ。だからリョウやユイが頼めば見せてくれると思うぞ」
「そうなんですね。自分は兵舎の中ですれ違うか、報告を聞くぐらいでしか正直関わったことないんで、失礼かもしれないですけど変な人としか分かってなくて。だってさ、ユイちゃん。魔法見れそうだってさ」
「えー、別にいいかなあ。休みの日にみんなに会えるだけでユイは楽しいし」
「残念ってさっき言ってなかった?どういうことなんだよ一体」
チンハオは見事にユイに翻弄されている。
「おーい、リョウ。リョウの父ちゃんでかいな!」
リョウの背後から声がする。ガオの到着である。
「お、ガオくんか。元気がいいな。確かに俺はリョウの父ちゃんのチョウガンだ」
チョウガンが振り返って答える。
「チョウガンさんは強いんだろ? あとで俺と勝負しようぜ! 母ちゃん、チャンバラのやつ持ってきてるだろ?」
「一応持ってきてはいるけど……すみませんチョウガンさん。主人が『リョウの父ちゃんは俺より強い』なんて言うもんだから」
「いえ、構いませんよ。そうでしたか……」
チョウガンは少し思案するように上を見上げ、すぐにガオに向き直った。
「よし、ガオくん、全部終わって疲れてなかったら勝負しようか。
でも知ってるか? 確かに剣で勝負したら俺はジンに勝つと思う。
でもジンの本職は槍だ。ジンが槍、俺が剣で勝負したら俺も確実に勝てる自信はないぞ」
ガオは目を輝かせる。
チョウガンはガオの母であるホウに顔を向け、悪巧みをするような表情を見せる。
「ジンが仕向けたんだったら、これくらいは仕返しさせてください」
六人が談笑していると、唸るような鳴き声を響かせながら、四本足の動物が入り口から入って来た。
救命ボートくらいの大きさの全身は黒っぽい毛に覆われ、胴と直接繋がっている頭部は流線型を描いている。
異質なのはその口元で、透き通った水色の牙が2本、フォークリフトの爪のように前に鋭く伸びている。
牙の先はわずかに上に反っており、下から突き上げるような突進をして獲物を仕留めるのだと一見して理解できる。
その生き物は鼻先をグラウンドの土につけ、周囲の様子を伺っているようだ。
数秒の沈黙の後、その生き物は六人が固まっている方向に狙いをつけ、突進を始めた。
全員がその生き物に気付く。
チョウガンは武器も鎧もないまま突進の経路に身をねじり入れた。
リョウとガオ、その母親のホウは立ちすくみ、呆然と成り行きを眺めることしかできなかった。
ユイは金切り声をあげ、チンハオはユイを前から抱えるようにして庇う。
水色の牙が近づく。
チョウガンは腕を斜めの十字に組み、足を踏ん張って衝撃に備える。
子供達は目を瞑る。
しかし、牙がチョウガンに突き立てられることはなかった。
突如として、その黒い生き物が崩れ落ちたのだ。
短い首の後ろに薄緑の矢が刺さっている。
その矢は、魔物の息の根を仕留めることで自分の仕事は終わったとでもいうように、次の瞬間には、痕跡の穴だけを残して消えた。
同時に運動場の入り口から、先が折れ曲がった黒の三角帽子を被り、焦茶色のローブを身に纏った背の高い痩身の男が現れた。
その左手には弦の張られていない弓が握られている。
「こんにちは諸君。そこにいるのが猪の魔物で、息の根を止めたのが私の魔法だ。
私の名前はガイユエンロウ・ブスール。この国の階級では少佐で、アワル兵士団の魔法弓部隊を率いている。何か質問はあるかい?」




