15 苗字
「えっ」
リョウは苗字を見て、思わず声をあげた。
想定外のものがあった時より、ないと思っていたものがあった時の方が驚くものだ。
「どうした?」
チョウガンがリョウの方に目を向ける。
家の中では三人ともが集中して静かにしていたため、小さな驚きの声はよく響いた。
「父さん、仕事の邪魔してごめん、名前が二つある人がいてびっくりしたんだ」
リョウは、苗字の存在を知っていることを気取られないように工夫して答えた。
「ああ、ちょっと見せてくれ……なるほどな。王様の近くで暮らしている偉い人は、苗字と言って家の名前が名前の後に付くんだ。それよりも、このページには色々なことが書いてあるが、魔法を使おうとするのは日曜日まで待つようにしてくれ。万が一魔法が暴走した時に、夜遅いとまずいからな」
貴族のような仕組みがあることは初耳だった。
ただ、苗字の仕組みに関してはよく知るものと同じようだった。
どのくらいの割合の人に苗字があるのかは分からないが、リョウがこの村で出会った人に苗字を名乗る人はいなかったので、そこまで多くないのだろうとリョウは推測した。
(もしかしたら隠している人もいるのかもしれないな)
ともかく、国立魔法学園の教員のホウファレン・クラシークさんは、王様の近くで暮らしている偉い人なのだということは分かった。
「分かった。ありがとう父さん。じゃあこの人はクラシークという家のホウファレンさんっていうこと?」
「ああ、そうだ。よくどっちがどっちか分かったな」
「うん。なんとなくホウファレンの方が名前っぽいと思ったんだ。母さんとかランとか、ロウシンさんに響きが似てるからかな? いや、クラシークが名前っぽくないのかもしれない」
「そう。キリがいいところまで読んだら、お湯を浴びてきなさいね」
リンが目線を書類に向けたままリョウに釘を刺す。
「じゃあこのページを読んだらにする」
お湯を浴びるための設備はこの家にはなく、大通りから見て家の裏側にあたる位置に共用の浴場が存在している。
南部住宅街は区画ごとに分けられており、それぞれ使用する共用浴場が決まっている。
リョウの家でいうと、台所の奥にある扉を開くと浴場などの設備につながるようになっている。
ゴミの集積場やトイレもそこに配置されているので、大通りに出したゴミにカラスが群がるような光景は見ることがない。
ホウファレンはかなり敬虔な人物のようで、『神の寵愛』『祝福』というワードがインタビュー中に頻繁に登場した。
クラシーク家は祝福された家系であり、歴代数々の優秀な魔法研究者を生み出してきたという。
ホウファレン自身は、現在のリョウより幼い五歳くらいから魔法を使うための鍛錬をしていたらしいが、家庭教師と二人三脚の日々を過ごし、十歳になって初めて手のひら大の魔法土を生成するのに成功したと語る。
(専属の家庭教師五年間!?金持ちすぎるだろ......)
実用レベルの魔法を使える人数に関しての正式な統計はないが、国内の優秀な学生が集まる国立魔法学園と国立官吏学園では、卒業時点の人数比が例年およそ一対五だという。
どちらも国が運営する学園であり、官吏学園在学中に魔法の素質が発現した場合、国立魔法学園に編入できる構造らしい。
魔法の才能には遺伝性があるとされており、国民全体では十パーセントほどが魔法を実用レベルで使えるだろうと推測されている。
(いや、普通の人は五年も家庭教師雇えないからだろ......)
リョウは会ったこともないホウファレンにジェラシーを感じていた。
お湯を浴びながら、リョウは魔法の使い方を反芻していた。
(世の中に溢れる神々しさを感じ取り、自分の手に集める、か......)
ロウシンは「無から有を生み出す」と言っていたが、二人のおじいちゃん魔法使いの使う言葉はどちらもリョウにはしっくり来ないものだった。
(どう考えても納得できない。高いエネルギーの出入りを伴うと質量保存が破れることがある、とはどこかで読んだことがあるけど、どうしても神々しさや無からあの魔法土が生まれる気がしない)
リョウは自分の実感や納得を大事にする。
リョウが人工土の性質をロウシンから聞いた時の一番の感想は、「環境に優しそう」というものだった。
(ある程度の時間が経ったら消えてただの土になる。植物性の紙袋とか、生分解性プラスチックの容器みたいな感じだよな。たしか窒素が分解するみたいな感じだったはず)
リョウの認識は厳密には誤っており、生分解性プラスチックを分解するのはバクテリアであり、分解の際に地中の窒素を用いる場合がある、という程度のことが教科書的な事実なのだが、今回はその誤解がいい方向に働いた。
(窒素か......魔法土は分解されたら空気中に拡散する?)
リョウはお湯が出ていた蛇口を止める方向に捻り、斜め上を見る。
澄んだ空気を通して、輝く星が瞬いている。
リョウは神経を研ぎ澄ませ、煌めく星々と自分自身の間にある空気、具体的にいうと空気中に残っているかもしれない魔法土の残滓を探す。
眩い光。
リョウがその残滓の一端に触れた感覚を感じ取った瞬間、リョウの目の前の空気中にある粒子が鋭く緑色に光る。
リョウが驚き、張り詰めていた集中力が途切れた瞬間、その緑色の粒子は四方八方に飛び去り、満天の星空に溶けるように消えていったのだった。




