愛してない? 知ってますが。
イジドール・ド・セルペットは私の婚約者でした。
幼い頃から定められた婚約。そこに互いの愛などは勿論存在しませんでした。
愛のない婚約。
貴族として生まれた者ならば当然受け入れるべきものです。
しかし私は信じていました。
例え始まりが政略から成る婚約であっても、良好な関係を作ることが出来れば愛を育む事だってできると。
事実、私の両親は政略結婚でありながら互いを愛し合っていました。
私は両親のその仲睦まじい姿に強いあこがれを抱いたのです。
私はイジドールへ献身的に在ろうとしました。
彼の頼みは殆ど聞き入れました。
例え多少無茶な願いであっても、それは私にある程度の信頼を寄せてくれているからだと信じていました。
伯爵家の彼にとって、自分の家よりも裕福で地位の高い侯爵家の私はさぞかし都合の良い女だったことでしょう。
初めは恋というものに思いを馳せるだけの、世間知らずの女でした。
しかし成長を重ねるにつれて私は気付きます。
――ああ、彼は私を愛してはいないのだろう。
と。
彼は私に笑顔を向ける事が殆どありませんでした。
寧ろ自分の言った我儘を私が家の力で叶えれば叶える程、彼の表情は険しくなりました。
けれどそれでも、私は信じていたのです。
彼の敵ではないと行動で示し続ければ、いつか心を開いてくれるだろうと。
いつか、互いを思いやれるような素敵な関係を築けるはずだ――と。
しかしそうはなりませんでした。
***
「セリア・ド・ファリエール! お前との婚約を破棄する!」
私達が王立魔法学園に入学して一年が経った頃。
彼は年に一度の学園のパーティーでそう言い放ちました。
彼の隣にはルイゾン・ド・リシュパン男爵令嬢が立っており、私達の周囲は大勢の生徒が取り囲んでいます。
私は初め、何を言われたのかが分からず呆然としてしまいました。
そんな私へ、彼は言います。
「お前は貴族社会で弱い立場にあるルイゾンを虐め、孤立させようとした!」
「そ、そんな事は……!」
「煩い! 彼女がそう言ったのだ! 違うというならば……昨日の放課後、何をしていたのかを言ってみろ!」
昨日の放課後。
その言葉に私は顔を強張らせます。
昨日の放課後は丁度、ルイゾン様からお手紙づてに裏庭へ呼び出されていました。
私はそれに答えて裏庭へ向かっていました。
それ以前にも、私が彼女を虐めているといううわさが流れている事は知っていましたし、ここで彼女の申し出を拒絶すればまた望まぬ形で噂が流れるのではないかと危惧したのです。
結局、ルイゾン様は裏庭にはやって来ませんでした。
ですから彼女とはそもそも接触していません。
しかし私がその時間一人であったという事実は変わらず、その時私の無罪を証明できるアリバイは存在しませんでした。
イジドールの隣ではルイゾン様が勝ち誇った笑みを浮かべています。
どうやら私は嵌められたらしいと、漸くそこで確信が持てました。
「それは、裏庭にいて」
「裏庭に? ハッ、そんな場所で一体何をしていたというんだ」
「ルイゾン様に呼び出されて……」
「何故虐められている彼女が、お前を呼び出そうとなんて考えると思うんだ! 醜い言い逃れはやめろ、腹立たしい!」
「その際に頂いた手紙だってあります! 筆跡を鑑定すれば証明だって可能なはずです」
「もういい! 自身の罪をここまで明らかにされながら謝罪の一つもできない。……お前にはうんざりだ!」
何を言っても彼は聞く耳など持っていなかったのでしょう。
自身の立場と、そして私の発言。
それらを客観視できていない彼は傍から見れば愚かに見える程、視野が狭まっていると言わざるを得ませんでした。
私と彼は十年に渡る付き合いがありました。
一方でルイゾン様との繋がりはたかだか一年。
私は十年間、彼の信頼を得られるよう尽力してきたつもりでした。
けれど結果は見ての通り。
彼は私ではなくルイゾン様を信じる事に必死になっていました。
「そもそもお前は家の身分だけで俺に散々偉そうな態度を取って来た! 事あるごとに、家の力を見せつけ、俺の家を見下すような振る舞いばかり……ッ! お前のような傲慢な悪女等とこれ以上共に過ごすなどごめんだ!」
イジドールは続けてこんな言葉を吐きました。
「俺が真に愛するのはここにいるルイゾンだ! お前など――愛していない!」
――愛していない。
その言葉が私の胸の奥深くに突き刺さりました。
勿論知っておりました。
十年経っても彼の心が私のところにない事など。
入学してすぐにルイゾン様に見惚れ、時間が許す限り彼女の傍に居たがった事も。
……私には一度だって見せなかった幸せそうな笑顔を、彼女には惜しむ事無く向けていた事も。
ええ、知っておりました。
それでも未練がましく彼が振り向いてくれる事に固執したのは私。
もうとっくの昔に消えていた愛してくれる可能性に気付かないふりをしていたのは私。
無謀だとしても、十年の想いが無駄だとは思いたくなかったのです。
気付いていながらも、頭の隅に押しやっていた現実。
それをあろう事か、イジドール本人から突き付けられました。
どこかでわかっていたというのに、彼の言葉はとても鋭くて、私はその胸の痛みに耐えることが出来ませんでした。
私の両目から涙が溢れ出します。
彼はそんな私を見て笑いました。
「まさか、俺がお前を少しでも好いていたと思っていたのか? 自分がどれだけ卑しい女かも気付かず――とんだおめでたい頭だな!」
これ以上、彼の悪意ある言葉を聞きたくはありませんでした。
私はイジドールとルイゾン様に背を向けると、パーティー会場である広間を飛び出しました。
私は泣きながら校舎の隅まで走りました。
それから、疲れてしまって足を止め、その場にしゃがみます。
私は膝を抱え、顔を埋め、静かにすすり泣きました。
その時です。
「こんなの、契約違反です!」
女性の声が校舎の陰から聞こえました。
驚いてそちらをこっそりと見やれば、着飾った男女が向き合っていました。
「我が家は、そちらの家の後継者であるパトリス様との婚約を希望しておりました。にもかかわらず気が付けば私を交えない場所でお相手が代わっていただけではなく……シルヴァン様は、私を婚約者として扱ってはくださらないではありませんか!」
女子生徒の方は不満を顕わにしており、憤っているようにも見えます。
一方の男子生徒はその気迫に怖気づく様子も一切ない、鉄仮面っぷりでした。
私はお二方どちらの事も存じ上げておりました。
女子生徒の方は、整った容姿から社交界でも名を馳せる侯爵家の御令嬢です。
男子生徒の方もこれまた有名なお方で、シルヴァン・ルフェーヴル様という、公爵家の次男に当たる方でした。
お二人が最近婚約したという話は耳に挟んだ事がありましたが、どうやら関係は良好とは言えないご様子です。
「婚約者として扱う? 夜会の出席時は共にいるし、定期的に我が家へ招待したりそちらの家へ訪問したりと、義務は果たしているつもりだが」
「その全てがただの作業として行われているではありませんか! 私は婚約者なのです、他の方とは違う扱いをしていただかなければ、我が家がルフェーヴル公爵家に軽視されているという噂だって流れかねません」
「事実ではない噂に怯える必要がどこにある? 後ろめたい事さえなければ気に留める事もないだろう。公爵家との繋がりという確固たる地位を得られるというのに何が不安だと?」
「顔に泥を塗られるのは我が家なのです。それにいくら公爵家の血筋と言えど、シルヴァン様は未来で分家を立てるようなお方でしょう? 我が家が本来望んだものとは大きく異なります! その点をご理解いただいた上で、そのこちらを見下すような態度は控えてください」
顔を険しくさせている侯爵令嬢は淑女としての教養はあるものの、その整った容姿を愛でられ、華のように育てられたが故に、少々傲慢で我儘な面が目立つという噂のある女性でした。
公爵家と侯爵家ではその身分に大きな差があるというのに、それを考慮しない物言いが出来るのも、自分ならば許されるという考えがあったからなのかもしれません。
「見下してはいない。他者と同様に接している為、婚約者だからと愛しているフリをしているだけでもないが」
「な……ッ! 私は仮にも婚約者ですよ。その様な言い方は……!」
「愛せないものは愛せない」
シルヴァン様は彼女の無礼な物言いに小さく肩を竦めました。
「では、俺のような男は願い下げだという事だな」
「……はい?」
「生憎と、俺は我が家の地位や財を当然のように貪ろうとするような女とは馬が合いそうにないと思ってな」
「……ッ! 貴方のような方、こちらだって願い下げですわ! この婚約、なかった事にさせていただきます!」
「ではそういう事で。幸い、兄上は今も婚約者がいない。婚約解消後に改めて提案してみると良い」
「言われなくたって!」
そう言い残すや否や、シルヴァン様は侯爵令嬢から離れました。
しかし彼が動き出したとことで、私は気付きます。
私は二人のやり取りを聞いている内に、動く機会を失っておりました。
そして立ち位置の都合から、校舎の隅から移動を試みた際、シルヴァン様や侯爵令嬢が私のいる場所を横切るのは当然の事です。
移動しなければと思い、腰を浮かせた時には、シルヴァン様は私の目の前へ足を踏み出していました。
無表情だった彼は僅かに青い瞳を見開きます。
「あ、も、申し訳――」
せめて謝罪し、早々にこの場を去らなければ。
そう思った私の腕を、シルヴァン様は引き上げました。
そして彼は何も言わずに私の腕を引き、その場を後にしたのです。
「あ、あの」
シルヴァン様はそのまま裏庭まで私を連れてきました。
状況が理解できず動揺した私が何とか声を掛ければ、漸く彼は手を離しました。
「突然すまない。とはいえ、あのままでは状況が余計複雑になっていただろう」
侯爵令嬢の方は気が立っていたし、私は泣いていた上に二人の口論を聞いていたしで、確かに謝罪などであの場に下手に長居した方が、ろくな展開にはならなかったかもしれません。
シルヴァン様は私へハンカチを差し出しました。
「使うか」
「いいえ、持っていますから」
泣きぬれた私を気遣ってのものだったのでしょう。
……それにしては相変わらず硬い表情をしていましたが。
「申し訳ありません。聞くつもりはなかったのですが」
「いや、意図した訳ではない事くらいは理解できる。それより」
シルヴァン様は私をまじまじと見つめました。
そして
「俺と婚約してはくれないだろうか」
「…………えっ!?」
彼の突飛な発言に私は驚かされます。
しかし当の本人は至って真剣という顔で私を見ていました。
冗談の類ではないようです。
「貴女の事は勿論耳にした事がある。セリア・ド・ファリエール侯爵令嬢。婚約者がいるという事も把握してはいるが……噂では不仲とか」
彼が私の目尻に溜まった涙を見ます。
「勿論無理強いはしない。俺の提案がタブーである事も理解しているから、不快に思われたのならば有りの儘噂にしてくれても構わない。だがある事情から早々に婚約者が必要となってな」
婚約者が必要になったのは、先程婚約者を振られるような言動をしたせいではないだろうか。
そんな私の考えを悟ったのでしょう。
シルヴァン様は呆れたように溜息を吐きました。
「いくら急ぎだとは言えども、政略的な関係にあれ程の自我を持ち込まれては溜まったものではない。貴族階級程度はどんな時でも重んじられる者であってくれなければ」
「でしたら、私のようにすぐに泣く女は避けたほうがよろしいのではないでしょうか」
「貴女は彼女程目立った悪評がある訳でもない。それに彼女程気性の荒い淑女もほぼいないだろう。少しでも環境が改善されるならば多くは望まない事にした」
悪評。
その言葉に私は苦く笑う。
「悪評でしたら、私もありますが」
「ああ、男爵令嬢を虐めているとか」
「ええ。それが理由で先程婚約を破棄されましたから。明日にはもっと大きな噂になっているのではないでしょうか」
やはり私の噂は広まっているのでしょう。
そう顔を曇らせたのも束の間。
シルヴァン様は目を丸くしてこう言いました。
「なんだ、独り身ならば好都合じゃないか」
「……はい?」
たった今婚約破棄をされて泣いている女性に向かって『好都合』とは、あまりにも思いやりのない言葉だと思います。
けれどこの時の私は、あまりにもなんて事のない事のように彼が言うものですから、驚きが勝ってしまって、不思議と怒りを覚える事はありませんでした。
「貴女は自身の悪評を気にしているようだが、あの噂を鵜呑みにしている者は学園の生徒の半数もいないだろう。そもそも、男爵家の娘の事など興味を示さない者も多いしな。貴女が思う程大した噂ではないと思うが」
「……シルヴァン様は私が噂通りの女ではないと?」
「噂通りであろうとなかろうと、我が家へ汚名を被せるには小さすぎる問題だ。男爵令嬢程度への嫌がらせなど、社交界を出回るゴシップにもならないだろう」
この言葉を聞いて私は悟りました。
彼にとって、早々に婚約相手を見つけ出す事、その相手が貴族として最低限のマナー(自身の家名に泥を塗らない程度のもの)がある事が最優先。
婚約者の人柄だとか愛情だとかは全く考慮していないようなのです。
つまり彼と婚約をすれば、私が求め続けた夫婦関係とやらは手に入りません。
けれど……それはもう今更の事でした。
どの道、イジドールに捨てられた私の手には入らないもの。
夫婦愛だとか、献身から築かれる愛などというものは存在する事の方が稀で、自分は手に入れられる人間ではなかった。
ただそれだけだと割り切った方がずっと楽です。
初めから期待しなければ、今回のように傷付く事もないでしょう。
愛を諦めれば、それ以外の条件は侯爵家の娘である私にとってとても望ましい婚約相手であるとも言えました。
「先も聞いていたとは思うが、俺は愛だとかなんだとか、そういう事には疎い。期待しないで欲しい。それでも構わなければ、という話にはなるが」
私は決めました。
愛を諦める事を。
「構いません」
私はシルヴァン様へ手を差し出します。
「どうぞよろしくお願いいたします。シルヴァン様」
シルヴァン様は瞬きを数度繰り返してから、小さく頷いてその手を取りました。
「ああ。こちらこそ頼む」
これが、シルヴァン様との出会いでした。
***
結果から申しましょう。
彼と築いた婚約関係は、私の想定を大きく外れました。
まず、私の悪評についてや婚約破棄についてはパーティーの翌日から大きく出回る事になりましたが、シルヴァン様の言う通り、鵜呑みにする人は一部の方々に限られていました。
逆に味方に付いてくれる方々が現れ、学園生活に支障を来すような事も、社交界で白い目で見られる事もありませんでした。
そんな穏やかな学園生活が半年ほど続いた頃。
気が付けばある時から、シルヴァン様は毎日お昼休憩に私を呼びに来るようになっていました。
そして二人で食事をとるのが日常になっているのですが……
……何故だか、二人きりになった時の彼の表情が甘いのです。
「今度の休みだが、家に来ないか。父が貴女に会いたがっているんだ」
「畏まりました」
「それとついでに、隣国の茶葉を新たに仕入れたからお茶でもどうだろうか」
「っ! それってもしかして……」
「ああ、最近入手が困難になった茶葉だ」
「よろしいのですか……!」
「ああ」
私は様々なお茶の香りや味を楽しむのが好きでした。
思わず喜びを顕わにすれば、シルヴァン様は長い睫毛を伏せて品の良い笑いを漏らします。
初対面の時に感じた鉄仮面っぷりは一体何処へ行ったのやら。
そうは思いますが、この関係性に至るまでの彼を見ていたからこそ、彼のぶっきらぼうな言動の理由を私はよく理解していました。
端的に言えば、シルヴァン様は非常に不器用なお方でした。
ルフェーヴル公爵家の嫡男……シルヴァン様のお兄様に当たるパトリス様は、勉学を嫌い、また口が軽く、女遊びも激しいという……当主には向かないお人柄に在られました。
その片鱗は幼少の頃に既にみられていたようで、厳格な御父上――現公爵は万が一パトリス様の言動が成人まで落ち着かなかった場合を考え、シルヴァン様にはより厳しい教育を積ませたそう。
大人相手に心を開くな。
常に相手の腹を探り、最適且つ最低限の言葉を返せ。
そのような教育を受けた彼は感情を抑え込んで生きていく内、自身の心の機微に疎くなり、感情表現が希薄になってしまったそうでした。
その結果、社交界で求められる返答は出来るが他者の心に寄り添った言葉選びでは失敗してしまうようになってしまったとの事。
しかし彼の本質には、とても優しい心がありました。
不器用ながらに相手を理解しようとする彼は、言葉があまりにも足りず関係性を深められていない相手からすれば意図せぬ方向へ解釈されてしまう事もありますが、一度彼の性格を理解すれば、それすら愛おしく思えてしまうのです。
婚約を提案した時だって、「愛には疎い」「期待しないで欲しい」とは言いましたが、「愛するつもりはない」とは言いませんでした。
これが彼の本質なのです。
それを察してからの私は、彼が自身の不器用な一面を見せてくるたびにそれを微笑ましく思うようになってしまい、彼が言語化できない本心を丁寧に掬い取って接するようにしました。
その結果が……この、冷たさも悲しさも微塵もない、温かな関係性です。
「ルフェーヴル公爵のご容体はいかがですか?」
「ああ。最近は調子もいいみたいだ。一時期はどうなる事やらと思ったが」
シルヴァン様の御父上に当たるルフェーヴル公爵は半年前、難病にかかって床に臥しました。
この時期こそシルヴァン様が婚約者を探していた時期であり、その理由は――彼が正式な跡継ぎとして認められたから、というものでした。
いつ公爵という地位につくかもわからない立場。
いつその時が来てもいいように身をかため、備えておきたかったというのが当時の彼のかんがえだったそうです。
私達は昼食を終え、教室へ戻ろうと中庭のベンチを立ちます。
するとシルヴァン様は目を泳がせながら、私の腕を引きました。
「セリア」
そして私を大きな木の陰に隠し、顔を覗き込みます。
僅かに頬を染め、困ったように眉尻を下げるシルヴァン様。
彼がこういう顔を近づける時がどういう時か、私は良く知っています。
とくん、と鼓動が鳴り、思わず身構えてしまいながら目を伏せます。
そしてシルヴァン様の息遣いが近づくのを感じていると――
「セリア!!」
そんな甘い空気を壊すような声が飛びました。
私とシルヴァン様は弾かれたように離れ、何事かと声のした方を見ました。
するとそこには――イジドールが立っています。
彼は半年前から随分とやつれていました。
その理由はわかっています。
ルイゾン様の悪事が社交界へ広まったのです。
具体的には、私への偽りの噂を流し、評判を落とそうとし、また婚約者であるイジドールを横取りしたという事。
その結果、ルイゾン様は退学処分となり、また社交界でも常に避けれられ、笑い者にされる為、他の貴族の前に顔を出すことが出来なくなりました。
そして彼女の悪評のせいで、イジドールもまた立場を悪くさせました。
ルイゾン様に加担して私を陥れ、また貴族階級も考えずに無実の婚約者をなじった人でなし。
それが世間の評価です。
彼は退学処分にはならなかったものの、それでも多くの味方を失い、また私との婚約破棄を公言した挙句に男爵家という下位貴族と婚約するなどと豪語した事で両親から叱咤されたそう。
「ご機嫌よう、イジドール様」
両親からも見限られそうになっている彼の事です。
今になって私の前へやって来た理由も薄々勘付いていました。
「様なんて、そんなの……俺とお前の仲には必要ないだろう?」
歪な笑みを浮かべながら、猫撫で声で彼が言います。
一歩、彼が私へ近づきました。
するとすぐさま、私の前にシルヴァン様が立ちます。
彼はいつもの涼し気な顔でも、先程までの甘い顔でもなく、あからさまな嫌悪と怒りを顔に刻んでいました。
そのあまりにも険しい表情に、イジドールは肩を震わせて動きを止めます。
「俺の婚約者に何か用か?」
「っ、婚約者、だって……? 俺とセリアだってそうだったんだ! なぁ、セリア!」
イジドールが私へ声を投げます。
自分の立場が危うくなれば切り捨てた相手であろうと縋りつく。
その卑しさと――そして恐らくは私が苦しむことを気に掛けて。
シルヴァン様が怒りを口にしようとしました。
「シルヴァン様」
それを私は静かに止めます。
彼の手を握って、その青い瞳を見据えて。
私は大丈夫と伝えました。
そうしてから、私はシルヴァン様の前に立ち、イジドールを見つめます。
「俺とお前の仲……? ええ、勿論知っておりますとも」
私は鼻で笑います。
辛うじて口角は上げていますが、その顔は隠し切れない怒りに満ちていた事でしょう。
当然です。二人きりの甘いひと時に、これ以上にない水の差され方をしたのですから。
「私は貴方を『愛してない』。貴方も私を『愛してない』……それが全てです」
「な……っ、セリア――」
「行きましょう、シルヴァン様」
私はすぐさまシルヴァン様に向き直り、彼の腕を引きます。
それからそっと彼の耳に囁きました。
「お預けのままなんて、あんまりです」
すると、険しい顔がたちまち解れ、頬に赤みが灯る。
本当に、なんて愛おしい人。
「……ああ。行こうか、愛しのセリア」
「まぁ。相変わらずお上手だこと。……私の方がずっと、貴方を愛しているのに」
私はシルヴァン様にエスコートをされながら、その場を去ります。
……因みに。
ルイゾン様の悪評の流出に私は一切関与しておりません。
となれば、どなたかが人なり力なりを使って証拠を集め、私の為に動いてくれたということになるのですが……敢えて特定するまでもないことでしょう。
その場を去る私を呼び止める声が背後から聞こえてきましたが、勿論振り返る事はしませんでした。
二度と、彼と言葉を交わすこともしないでしょう。
人気のない場所に改めて移動するや否や、シルヴァン様は私を腕の中に閉じ込めました。
「ああ、もう。あまり俺を煽らないでくれよ」
「ごめんなさい。でも私だってあの場では被害者でしょう?」
シルヴァン様の胸に甘えるように擦り寄り、思わず笑みをこぼしてしまう。
「セリア」
やがて、甘い声で名が呼ばれます。
それだけで心が浮き立つのだから、愛とは何て強い力なのでしょう。
顔を上げれば、愛おしくてたまらないという笑みが向けられました。
きっと、私も同じ顔をしていた事でしょう。
「愛しているよ」
「ええ、私も……愛しています」
あの、婚約破棄の日には考えられなかった未来。
且つての私が望んだはずの未来は、求めた以上の幸福を伴って私の元へやって来てくれました。
ツン、鼻の奥が熱くなるのを感じながら私は目を閉じます。
それから唇を重ね合わせ、溶けてしまいそうな程に甘い幸福に溺れるのでした。
最後までお読みいただきありがとうございました!
もし楽しんでいただけた場合には是非とも
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また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!
それでは、またご縁がありましたらどこかで!




