【聖女】
◇◇◇
「ありがとうミーナ。ううん、ウィルヘルム。わたくし、ずっとあなたに助けてもらっていたのね……」
自分のお部屋。母フランシスがずっと使っていて、そのままアリシアが今使っているその部屋に入るなり、アリシアはミーナに抱きついて。
「ごめんなさい。アリシア……」
「ううん、ううん、ミーナ、本当にありがとう。わたくし、あなたとずっと一緒にいたいって、そう願ったのね……」
「ああ、そうだ。それでも俺は、おまえにもう一度ちゃんと人生をやり直して欲しかった。だから……」
「だからもう一度、今度は生まれ変わるところから始めさせてくれたの?」
「前回の復讐は、本当に満足のいくもの、だったかい?」
「ううん。本当は虚しかった、わ……。ルイスにもマリサにも思い知らせることは確かにできた。けど、それでも心が晴れたとか、そういうのは無かった……。あの人たちの悪意を先回りすることができたことへ達成感、みたいのはあったかもしれない。最後に刺されてしまったからじゃ、ないわよ? あんな最後がなかったとしても、心からは喜べなかった。それよりも、聖女らしくなろうと努力したことや、精一杯生きられたことの方が、嬉しかったのかもしれないわ……」
「だから、復讐のやり直しは求めなかったのか?」
「そうね。もう、やりたかったことはできたもの。最後に刺されたことで、あの世界のマリサにも刑罰が下ったでしょうし。それ以上は蛇足だと思ったのもあったのよ。それよりも……」
アリシアは両手でミーアの頬を包んで。
「あなたは、満足できたの? わたくしの復讐劇を見たかったって言ったあなたは、あれでよかったの?」
じっと、ミーアの瞳を見つめる。
ミーアも、されるままにアリシアの瞳を見つめて。
「あたしは、楽しかったわよ。あなたと一緒に生きた気がしてた。退屈でしかなかった世界に色がついたみたいに。あなたが精一杯生きようとしている姿、あなたと一緒にパズルを組み立てるように復讐劇を組み立てていくのも、楽しかったわ」
ウィルヘルムからミーナへと口調が戻って。
アリシアは、そのミーナの言葉をしばし反芻して。
「わたくしも、自分の本当の生をやり直しているの、好きだったわ。だから、なのよね?」
「ええ。あなたが真の意味で人生を最初からやり直したらどうなるのだろう。それを見たくなったのよ」
「嘘。あなたはわたくしのために、そんな人生のやり直しをくれたんでしょう?」
「ふふ。だからおまえは興味深い。おまえのそのマナのそばにいるのは、心地よいよ」
「ありがとうウィルヘルム。わたくしも、あなたがそばにいてくれて嬉しいわ」
◇◇◇
「お姉様!」
貴族院の入学式を終え、講堂を出たマリサ。目の前にいたアリシアに駆け寄って抱きついた。
「あらあら。だめよマリサ。あなたはもう立派な貴族院のレディなのよ。校内で走るのははしたないわ」
「ふふ。今日は特別ですもの。これでやっとわたくしも、お姉様とご一緒に学院に通えますわ」
白銀の髪のアリシア。茶系の金髪のマリサ。髪の色は違うものの、二人の顔立ちはよく似ていた。
学院に入学する歳になったマリサは身長も伸び、アリシアと変わらないくらいにもなって、ますますよく似た姉妹だと言われるようになっていた。
ここのところマリサも随分と大人びて、言動も貴族らしい品格を感じさせるものに変わってきたと感心していたアリシアだった。こういったおこごとを言うのも随分減ってきたと思っていたのに。
「もう、しょうがないわね」
口ではそう言うものの、マリサが自分に甘えてくれることに嬉しさも感じて、アリシアは抱きついてきたマリサの頭を撫でた。
もう、心の整理はついたつもりだった。
断罪を仕組んだマリサに対しての復讐は済んだ。
今のこの目の前にいるマリサは、あの時のマリサとは別人。全く別の心が宿っているとしか思えない。
自分が悪役令嬢のアリシアとはどうしても同じ気持ちになれないのと同じように、各々の世界で生まれる登場人物と同じ名前の人であったとしても、その心は違うのかもしれない。
そう、思えるようになった。
◇◇◇
「そうね。世界のマナの泡は分岐したりくっついたりしながらエーテルの海を漂っているけれど、そこで生きる人は同じようで別人だわ。あなたのようにやり直しや生まれ変わりで記憶が継続していない限り、全くの同一人物というわけではないわ」
「マリサが将来あの時のマリサのようになってしまう可能性は、もうないの?」
「それはわからないわ。人は、環境によって変わりうるものだから。世界の強制力って見えるものも、分岐したはずの世界がまたくっついてしまうときに起こるものだし。でもそれはもう誰にも制御はできないの。ただ生きているあなたが明確な意思でそれに抗うことしかね」
(ねえ、ウィルヘルム。どうしてあなたはわたくしを助けてくれるの? どうしてそんなにわたくしが欲しいと思った言葉をくれるの?)
会話の途中で何度もそう聞こうとして、アリシアは口をつぐむ。
答えを聞くのが怖かった。退屈だった、とか、興味深い、とか、それだけじゃ納得できないけれど、それ以上の言葉をウィルヘルムがくれるとも思えなかった。
そんなアリシアの気持ちを知ってか知らずか、ウィルヘルムは続けた。
それも、ウィルヘルムの声音で、アリシアの耳元で囁く。
「で、だ。おまえはどう生きたい? おまえという人生を、どう彩っていきたい?」
一瞬、ドキッと心臓が高鳴る。
(もう。ウィルヘルムの意地悪。でも。今はまだ、これでいいわ……)
高鳴る胸を押さえつつ、ゆったりとミーナの姿のままの彼を見つめる。そしてそのままふわっと微笑んだ。
「そうね。わたくしらしく、生きたいわ」
「そうね。あなたはそう言うと思ったわ」
ウィルヘルムのミーアは、優しげな声色で微笑み返す。
「あ、でもね。いままでの事を否定するつもりはないのよ? この世界の強制力の果てにあの断罪があるのなら。どんな形であれ、それは絶対に回避したいわ。その上で、やっぱりそのためにはルイス殿下の真実の恋を応援してあげるのが一番だとおもうのよ」
「真実の、恋、ね」
「そう。ルイスとアリサ。この世界があのロマンス小説から生まれた世界なのなら、本来の主人公であるアリサと、アリサを愛するルイスの真実の恋を叶えてあげることが、あの断罪を引き起こさない唯一の方法だって、そう思えてしょうがないの」
「そうね。そうかもしれないわね」
「もう、ミーナ。あなたもそう勧めてくれたでしょう?」
「まあ、そうよね。でもあたしはアリシア、あなたが生きやすいように目標を示したに過ぎないわ。決めるのはあなた。あなたがそうして意志を持って世界に抗うことが大切なのだって、何度も言ってると思うけど」
「ありがとう、ミーア。そのためにもわたくしは、今世では関わってこなかった聖女の修行も頑張ってみようかなって思うの」
「聖女に、なるの?」
「聖女職に就くのはまだ先でいいわ。今聖女職になってしまうとまたルイスとの婚約話が出てきてしまうかもしれないもの」
「じゃぁ、修行ってどうするの? 学院の授業だけだと難しくない?」
「ええ、そこはまあ、考えもあるのよ」
そのまま曖昧に微笑む。
「みていて、ミーナ。わたくし、頑張るわ」