【矯正】
◇◇◇
アリシアは呆然と窓の外を眺めていた。
まさかのルイスとの帰宅。
ブランドー家の馬車はマリサのために残しておかなければいけないからと躊躇している隙に、ルイスが用意してくれたのは黒塗りの馬車。
王室の紋章入りのそれに、ルイスと彼の侍従、アリシアとミーアの四人で乗っている。
アリシアの向かいにルイス。前を見ると目が合ってしまうから、なるべく見ないようにと窓の外を眺めていたのだった。
(マリサは、大丈夫だったろうか)
カトリーナ・アイゼンバーグのあの挑発的な言葉。
それはまるで悪役令嬢だったアリシアを見ているかのようだった。
おはなしの中のアリシアだったら、あんなセリフも言ったかもしれない。
マリサをいじめる目的で、あの子を貶める発言をしただろう悪役令嬢アリシア。
そう言えば、と、思い出す。
学院でのアリシアの取り巻きの一人は、あのカトリーナだった。
カトリーナ以外の取り巻き令嬢たちはお話の中では完全にモブだったから、名前がちゃんとあったかどうかも覚えがないけれど、あのカトリーナ・アイゼンバーグのことだけはしっかりと明記されていた。
そう。
マリサへの傷害事件。
その犯人として。
実際には直接手を出したわけではなかったけれど、実行犯の騎士崩れ、ジョセフ・リンガットをそそのかしマリサを襲わせたのは、彼女カトリーナだった。
もちろんそれも全て悪役令嬢であったアリシアの命令。
自分では一切手を汚さず、周囲のものにさせる。
それも決して証拠を残したりはしない。
事が発覚したその場でカトリーナは自ら命を絶ったのだから。
そんなカトリーナの最後を思い出して身震いする。
前回の人生ではカトリーナと親しく話した事もない。ほとんど関わりなく過ごしていたから気がつかなかったけれど、カトリーナもまた悪役令嬢アリシア・ブランドーの犠牲者だったのだと気がついて。
同時にもう一つ思い出した。
前回の断罪のあの時のルイスの言葉。
「偽聖女のこの魔女は、そこにいるマリサ・ブランドーの暗殺を企てたのです。死刑に処されて当然かと」
まったく心当たりが無かったから分からなかったけれど、もしかしたらマリサ暗殺の企てというのがこのジョセフ・リンガットによる傷害事件のことなのだろうか?
と、そう思い当たったのだった。
小説のストーリーと前回の人生とは全く違うと思っていたけれど、断罪に至る流れには共通していることも多い。
とすれば、このマリサに対する傷害事件そのものもやはり世界の流れの矯正の一つなのだろうか。
この事件そのものも、歴史の強制力によって生み出されてしまう出来事なのだろうか。
(わたくしは……どうすればいいのだろう……)
カトリーナがマリサの悪口を言っているだけならまだいい。
でも、もし。
彼女が暴力でマリサを傷つけようとしてしまったら。
もしかしたら、前回のような断罪が起こるかもしれない。
それが怖かった。
「アリシア」
かけられた声に、はっと気がつく。目の前には心配そうな顔をしたルイスがじっとアリシアをみつめていた。
「ルイス、殿下……」
こちらをみつめるルイスの顔は真剣で、優しくて、アリシアを心から心配しているのだと感じることができた。
だからこそ、アリシアは悲しかった。
このルイスに愛されたいと思った前回の人生をどうしても思い出してしまう。
(このルイス様は前のルイス様とは違う……。だけれど、だからこそだわ。このルイス様が将来わたくしを断罪するのだとしたら、今度こそわたくしの心はどうにかなってしまいそうで、怖い……)
もし、今のルイスに心を許してしまったら——
もし、心を許した殿下がアリシアを断罪しようとするなら——
アリシアの心は今度こそ完全に魔に染まってしまうかもしれない——。
ウィルヘルムを呼び出した時。
アリシアの心は魔に染まりかけていた。
心が真っ赤に燃え、そして残るのは漆黒のカケラだけ。
悔しくて、悲しくて、ただ殺すだけでは飽き足らなくて。
彼らに自分と同等の、いや、それ以上の苦しみを与えたい、そう思った。
あの時ウィルヘルムは言った。
ただ殺すなら造作もない、と。
きっと、あの時。
ウィルヘルムがアリシアに嵌められた魔力封じの首輪を壊してくれるだけで、よかった。
魔に呑まれかけていたアリシアの心はそれで暴走し、莫大な魔力が弾け王国王都を巨大な炎で包むことさえできただろう。
いや、精霊グラキエスやイグニス、アウラにレイン、彼らの力、権能を解放すればこの国一国を滅ぼすことさえ容易だったかもしれない。
それでもあの時のアリシアは言ったのだ。
——だったら、一つだけ。お願いがあるの。
——わたくしをあの刻に。
——まだあいつらの本性を知らなかった、あの無垢だったあの刻に。
——戻してちょうだい。
——ただ殺したって、あいつらはなんの反省もするわけじゃないもの。
——死ぬって、ある意味逃げだわ。
——死んでしまえばもうどんなに悪いことをした人間だって、無に帰るだけじゃない。
——なんの報いも受けずに、なんの恐怖も覚えずに。
——そんなの。
——まず破滅を回避、断罪回避、そのためならなんでもするわ。
——こんな情けない死に方はまっぴらですもの。
——その上で。あの二人にはちゃんと報いを受けてもらおうと思う。そんな素敵なエンディングを用意してあげるわ。
そう目の前の魔王、ウィルヘルム・マックザカートの前で宣言した。
この時は本気で、そう思っていたはずだった。
(ごめんなさい。ウィルヘルム……。あの時の思い描いていた復讐劇を、見せてあげることはできないかもしれないわ……)
心の中でそう謝って。
(何を謝るの? アリシア)
(え? ミーナ?)
隣に座っていたミーナの手が、アリシアの手を包み込んでいる。
それと同時に、彼女の心がアリシアの中に流れてくるのを感じていた。
心の中でミーアと話しているなんてこと目の前にいるルイスには悟られたくない、と、アリシアはそっと目を閉じる。
(謝ることはないのよ。ごめんね、あたしのほうこそ隠していたことがあるの)
(隠していたこと?)
(あなたのこの逆行人生、実は二度目なのよ)
(え!?)
(あなたには1回目の逆行の記憶はないのよね。それはあなたの中を覗かせてもらった時にわかっていたわ。だからあえて言わなかったのだけど)
(2回目、っていうことは、わたくしは失敗したの?)
(失敗、と言っていいのかどうか。実際に体験してもらった方が早いかしら)
(そんなことできるの?)
(前回のあなたの記憶、あたしが共有している部分をあなたに体験してもらうことはできるわ。どう?)
怖い。でも。知らないままではいられない。
アリシアはそう、覚悟を決めた。
(お願い。ミーア)
(じゃぁ、記憶を流し込むわよ。ちょっと混乱するかもしれないけど覚悟して——)




