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【夢現】

「大丈夫? 目が泳いでるわよ?」

 耳元でミーアの声がする。


 動悸がひどく、冷や汗もかいていた。背筋にじっとりと冷たい汗が流れていくのがわかる。


「ごめん、ミーア。わたくしなんだかだめみたい……」


 そう小声で懇願するように呟いたあと、アリシアの視界が反転した。

 ツーっと頭の中を流れる水。


「お嬢様!」


 アリシアの体はそのまま椅子から崩れ落ちるように沈み込んでいった。



 ◇◇◇



 夢をみていた。

 夢の中で夢とわかる、そんな夢。

(これは、現実じゃないわ……)

 そう思っているはずなのに、目に映るもの全てがアリシアの心に傷をつけていく。


「だから、あなたなんかが王太子妃だなんて、そんなことがあってはいけないのよ!」


 前回の、意地悪なマリサ。彼女のその顔がアリシアの目の前に迫る。


「そもそも、お前なんかが私の婚約者に選ばれたのが間違いなのだ。ああ、これでせいせいする。さあ衛兵よ、この痴れ者を地下牢へ連れて行け!」


 両腕をがっしりと掴まれ、無理やり歩かされるアリシア。

 絶望が彼女の心を黒く蝕んでいく。


 衛兵を率いるのはルドルフだった。

 ルイスの片腕、騎士団長となったルドルフ。

 腰には真っ黒に鈍く輝く剣を下げ、その瞳は厳しい光を放ちアリシアを睨みつけている。


「あなたも……なの? ルドルフ……」

「お前のような悪女に名前を呼び捨てにされる謂れはない」

「だって、だって。わたくしは何もしていないわ。全て冤罪よ。どうしてこんな理不尽な目に遭わなければいけないの!!」

「ざれごとを!」

「だって、本当のことだもの!」

「うるさい! これ以上騒ぐなら、この剣で切って捨てても構わないと殿下からお許しを受けている。黙らないのなら——」

 ルドルフは腰に下げていた漆黒の魔剣を抜き上段に構えた。

「お願い、助けてルドルフ」

 漆黒の剣先がアリシアの真上に落ちてくる。


 悲鳴も上げることができないまま。アリシアの景色は漆黒の闇に包まれた。



 ◇◇◇


「大丈夫? アリシア嬢」


「きゃぁ!」


 気がつくと目の前にルドルフの顔のアップ。

 思わず悲鳴をあげてしまったアリシア。


「はは、酷いな、いきなり悲鳴をあげられるとは思わなかったよ」


 苦笑いするルドルフ。


「お前はアリシアに近づきすぎだ。だから怖がられたんじゃないのか?」


 隣にはルイスもいる。


「ルイス、殿下? ルドルフ、様、も……」


 状況が飲み込めなかった。


 見渡してみると見覚えのない部屋。寝かされていたのはベッドの上? それも客間なのか、あまり装飾のないベッドだった。


(さっきのは、夢、よね。現実じゃ、ないわ……)


 夢だとわかっていた、はずだった。それでも先ほどの恐怖はアリシアにとっては本物だった。


「申し訳ありません。わたくし、倒れてしまったのですね……」


「もう、大丈夫なの?」


「ええ、多分、大丈夫ですルドルフ様……」


「無理はするな。なんなら送っていくからこのまま帰ろうか」


「ルイス殿下!?」


「そうだね、無理はしないほうがいい。ご両親やマリサ嬢には私の方から話しておくから、君は帰ったほうがいいね」


「ルドルフ、様……」


 二人とも、優しい……。夢の中とは大違いな二人の優しさに、アリシアはもうどうしていいのかわからなくなっていた。





 ◇◆◇



「お姉様!!」


 クリスト様とのダンスから帰る途中、いきなり椅子から崩れ落ちるように倒れるアリシアお姉様の姿が見えた。

 慌てて駆け寄った。貴族だからお淑やかにとかどうとか、そんなの関係なかった。

 お姉様は侍女のミーアが抱き抱えてなんとか倒れ伏してはいなかったけれど、意識がない状態。

 ルイス殿下もルドルフ様も、心配そうにしている。


 あたしが走っていってしまったものだから、クリスト様が後からくる形になってしまった。

 ほんとごめんなさいクリスト様。


「ごめんなさい、クリスト様」


 振り返りそう言うと、クリスト様ははあはあと息を切らして。


「ああ、いいよ。僕は大丈夫。それよりもアリシア様、だよね」


 そうおっしゃってくれた。


 細く見えるミーアだったけれど、それでも大人だからなのか、アリシアお姉様をすっと抱き抱え立ち上がると「申し訳ありません、お嬢様を休ませたいのですが」と、ルドルフ様に話してた。

「ああ、客室を用意させよう。おい、ジャック」

「はい、ご主人様」

「アリシア嬢はこちらのジャックに運ばせよう。君では荷が重いだろう」

「いえ、わたくしはアリシアお嬢様専属でございますから。このままわたくしがお嬢様をお運びいたします。お気になされずに」

「いいのかい? 君、名前は?」

「ミーアと申します。お見知りおきを」

「ではミーア、任せるよ。ジャック、こちらのご婦人方を客室にご案内して」

「了解しました。ではこちらに」


「ミーア。お姉様は……」

「マリサお嬢様。大丈夫ですよ。どうやら貧血を起こしただけのようです。お嬢様はお部屋で少し休ませてもらいますが、マリサ様はこのままこの会をお楽しみくださいませ」

「ううん、わたくしも……」

「いえ、それでは逆にアリシアお嬢様に心配をかけてしまいますわ。マリサお嬢様がこの会を優雅に楽しんでくださること、それがアリシアお嬢様の望みでしたから」

 ミーアのその言葉に、あたしは反論できなかった。

 お姉様はあたしが貴族らしくちゃんと過ごせるよういつも考えてくれていた。


 覚えてる。まだ平民として過ごしていた時のこと。

 覚えてる。初めてお姉様とお食事を一緒にした時のこと。

 まだ幼くて何もわかっていなかったけど、お姉様はあたしのために色々教えてくれたのだ。

 多分、公爵家の令嬢というのがどういうものなのか、あたしにちゃんと理解させて、それでもって外に出ても恥をかかないようにと考えてくださったのだろう。


 今になってわかる。本当だったらあたしのことなんか気にしなくてもよかったはずの姉様。

 そのお姉様の想いに応えようと、頑張ったことを無駄にしてはいけないんだって。


「わかりましたミーア。わたくしはお姉様の代わりにブランドー公爵家の一員として恥ずかしくないよう過ごしてまいりますわ」


「ええ。よろしくお願いいたします」


 ミーアはお姉様を横抱きにしたままスタスタと歩いていった。

 あの細い体のどこにそんな力があるのか、不思議だったけれど。

 その背中を見つめて。

 わたくしは、お茶会のテーブルに戻った。

 そう、もう「あたし」じゃだめだ。

「わたくし」はマリサ・ブランドー。ブランドー公爵家のマリサ・ブランドーなのだから。

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