【皮肉】
アリシアはフォークで目の前のタルトを突きながら、広場のマリサを眺めていた。
「はしたないわよ?」
耳元でそうミーアに耳打ちされ、はっと気がつく。
(ああ、貴族の令嬢らしくないわね……恥ずかしい)
ミーアには目配せで謝意を示すと、「お飲み物ですね。わかりましたお待ちください」とそう誤魔化してくれた。
目の前には空になったミルクティーのカップ。
そういえばそろそろおかわりが欲しかったのだと思い出す。
楽しそうに踊るマリサのことを考えていて集中力が欠けていたと、反省して。
(ありがとうミーア。おかげで冷静になれたわ……)
マリサがこのままクリストと婚約することになってしまったら……。
そんな未来を考えているうちに変な想像をしてしまっていた。
今のマリサはきっと特に恋愛感情もなしにクリストと仲良くしているだけ。
それは前世で読んだ小説でもそういう描写があったから、きっと間違いないのだろう。
マリサとクリストの婚約、それ自体も前回の刻が戻る前の人生でも親たちが決めていた事。
前回はクリストにブランドー公爵家を継がせるという目的があったけれど、今回だってあり得ないことではない。
もしバッケンバウワー公爵家がアリシアをルドルフの婚約者にと望んだら?
その交換条件としてもクリストがマリサと婚約するという可能性は大いにあった。
お互いの家の繁栄のため。そういう政略的な話もあり得ないことでは無かったから。
当然、今アリシアの父ライエルは、アリシアの望みを最優先してくれるだろう。
アリシアの努力の結果、この五年の間にそうした関係はできていた。
そうした意味でライエルがアリシアを裏切るとかそういう心配はしていなかった。けれど。
「ライエル父様がマリサを愛しているのは、本当だものね」
そう小声で呟いて。
アリシアは、今のライエルがアリシアに協力してくれるのも、全てアリシアがマリサを受け入れているからだと感じていた。
一族に、ブランドー家の正統後継者であると認めさせることに成功したアリシアに、迂闊なことはできないと認識していたはずの今回の父ライエル。そのアリシアがマリアンヌとマリサを受け入れ表向きにしろマリサのことを実の妹として愛して見せているのだ。そのことに感謝し、アリシアを尊重してくれるようになったのだろう。前回の、あのアリシアのことを蔑んで蔑ろにしていた父は、もうどこにもいなかった。
それでも、だからこそ、アリシアもマリサも幸せになることを祈り、マリサにクリストを当てがおうと考えるのは不思議じゃない。
(でも、それじゃぁ……)
前回のように、マリサとクリストが婚約し、アリシアとルイスが婚約する未来になってしまった場合。
世界の強制力によって、あの断罪劇が繰り返されない保証はどこにもない。
いや、もしかしたらあの理不尽な断罪劇がまたこの世界でも繰り返されてしまうんじゃないか。
それが、怖かった。
それだけは避けなければ、いけない。
そう強く願って。
そんなことを考えていた矢先——。
「まあ、楽しそうですこと。純粋無垢なふりをして、ちゃっかりクリスト様の心を掴んでいるなんて」
皮肉めいた声が、アリシアの耳に飛び込んできた。
「カトリーナ・アイゼンベルク様……?」
アリシアのちょうど真向かいにいた令嬢、アイゼンベルク侯爵家のカトリーナが、意地の悪い笑みを浮かべたまま周囲の令嬢たちと話していた。
これみよがしに聞こえてきたのはそれだけだった。
その後は両隣の令嬢たちとクスクス笑いながら話すだけで、内容までは聞き取れない。
時々、平民、とか、あんな、とか、そんな不穏な言葉が漏れ聞こえてくるくらいだった。
(それでも、ブランドー家の内情はかなり漏れ伝わってると考えていいのかしら)
確かに母フランソワが亡くなりすぐ再婚した女性の連れ子がアリシアと一つしか違わなかったのは事実。交流のある貴族であれば、それくらいのことは把握されてしまってもしょうがない部分でもある。
狭い世界のこと、マリアンヌの出自にしても元平民だというのは知れ渡っていたのかもしれない。
前世で読んだ小説のマリサは、「平民の娘のくせに!」とアリシアになじられていたシーンもあった。
アリシアのがマリサをいじめるのも致し方ない、当初、周囲からはそう捉えられてもいたのだ。
父の不倫、相手は平民の女性、そして年子の連れ子。
アリシアに同情的になる貴族がいたのも、当然だったのかもしれない。
まあ、今回は目の前の令嬢たちはアリシアに同情している風でもない。
血筋が劣るマリサが公爵家次男のクリストに言い寄っていると、そう非難しているのだろう。
(どうしよう。どうするのが正解なのかしら……)
マリサを庇って彼女らに釘を刺す?
それとも気が付かなかったことにしてされるままに任せる?
彼女らがこうして悪口を言っているだけならまだいい。
もしマリサに対して何か酷い意地悪とかされたら。
そう思うとこのまま黙っているのも嫌だ。
「自分で手を出さないのなら罪悪感を持つこともないわよ」
心の奥底の悪い心が、そう囁く。
「ううん、だめ。自分でしようが見過ごそうが、意地悪をするのは嫌だもの」
反対の心が、そう主張する。
「あのこは前回の人生での仇だったんじゃなかった?」
「だって、仇だったのは前回のマリサよ。今のマリサじゃないわ」
「あら、死よりも恐ろしい復讐を、って言ってたのは誰?」
「それは……」
「復讐に、ただ殺すのなんて生ぬるい、そう思ったのは誰?」
「わたくし、だわ……」
「彼らに報いを受けさせるために、あなたは刻を逆行することを選んだのではなくて?」
ぐうの音も出ない。
心の中の二つの心が言い合いをしているだけ、だったのに。
そうだ。復讐のためにこうしてもう一度人生をやり直していたのではなかったか。
すっかりと絆され流され、今が幸せであればそれでいい、そんな気持ちが芽生えていた。
それでも。
アリシアの心は揺れ動いていた。
ミーアもアリシアの復讐のために協力してくれているはずだった。
それなのに肝心のアリシアが復讐心を忘れてしまっていただなんて。
目が泳ぐ。
ミーアにこの気持ちを聞いてもらいたかった。
答えが欲しかった。
アリシアは目を見開き、周囲を見渡す。
ミーアがまたそばに来てくれないか、それだけを祈って。




