【顰面】
スローテンポのワルツが会場に響き渡る。ゆったりとしたダンスを踊るのはほとんどが大人ばかり。自分たちのような子供ではこうしたダンスを嗜んでいるものも少ないのか、貴族院の上級生ぐらいの年齢のものくらいしか広場にはいなかった。
アリシアにしてみたら、一応公爵家の淑女教育のカリキュラムにこうしたダンスがふくまれていたおかげか、一通りのダンスのステップは覚えている。
貴族院に入学したら必要になるからと父ライエルが選んでくれた教師に、こうした内容も一通り学んでいた。
前回の人生ではこうしたダンスを習う機会が無かったことを考えても、せっかくのチャンスとばかりに真剣に取り組んだアリシアは、この年齢にしてはかなりの上達ぶりを見せていた。
それでも、ルイスのかなり強引なリードについていくのが精一杯。
まるでこちらを気遣う気持ちのないルイスに、少し腹が立ってしまう。
「どうして今日はそんなに不機嫌なのですか?」
ダンスの最中に、思わずそう漏らしていた。
「——ん、そうか……」
一瞬、考え込むような表情を見せたルイス。
「おまえは、私と一緒にいたくないのだろう? それなのになぜ今日のパーティに私を誘ったのだ? そうすれば私もこんな気持ちにならなかった」
(——え?)
「幼い時に見せてくれた笑顔も、私にはもう見せてくれないくせに、ルドルフには微笑んで顔を赤くするんだな。こんなことなら最初から断っておけばよかった……。おまえはルドルフがいいんだろう? だったらなんで私を誘ったりしたんだよ」
「殿下!?」
「もう、いい。このダンスが終わったら私は帰る。おまえはルドルフと仲良くしていればいいさ」
不貞腐れたようにそう吐き捨てるルイス。
その手に込められた力も、強引なダンスのリードも変わらない。
まるで、彼自身の苛立ちをこのダンスにぶつけているかのようだった。
(ルイス殿下……)
アリシアは踊りながら静かに息を整え、ルイスのことをまっすぐに見つめる。
「ルイス殿下、わたくしは別にルドルフ様のことをお慕いしているとか、そういった気持ちはありませんわ」
「——は?」
「今日だってここに来るのは気が重かったんです。だからつい……あの時ルイス殿下も誘ってしまったのです。ごめんなさい、ルイス殿下……」
「私が来た方がおまえの気が楽になった……つまりそういう意味か?」
「ええ、そうです。殿下がいてくださって助かりました。それは本心ですわ」
アリシアはしっかりとルイスの瞳を見つめ、そう告げた。
顰めっ面だった彼の顔が、少しだけ綻んだのがわかった。
伴奏が替わり、つぎに流れたのはアップテンポなポップな曲。
若い子向けのダンスナンバーとして有名な一曲だ。
大人びたワルツが苦手な年少組が広場に集まり、代わりに大人たちは席へと戻っていく。
アリシアもルイスに手を引かれながら席へ戻る途中、クリストがマリサの手を取って広場へ向かう姿とすれ違った。
クリストはとても幸せそうな笑顔を浮かべ、マリサも楽しそうだ。
はたからみれば、本当に初々しいカップルにみえる。
けれど、アリシアにはわかっていた。
今のマリサにはまだ恋愛といった感情はない。
誰とでも仲良くできるマリサは、たとえ相手がクリストでなくとも同じように楽しく過ごすのだろう。
それはわかるのだけれど——どうしても心のざわつきを抑えることができない。
自分の席に戻ったルイス。先ほど、もう帰ると言っていたのを忘れてしまったかのように、機嫌も直っているようにみえる。
飲み物を口にし、目の前のフルーツをつまむルイス。
ルドルフが何か話しかけても、それにも笑顔で応えている。
(機嫌、直ったのね、よかった……)
隣でずっとイライラされていてはたまらない。
アリシアは、彼の機嫌がようやく直ったことに、ほっと胸を撫で下ろして。
(せっかくだから。わたくしも楽しまなきゃそんよね)
そう思いながら、目の前のお料理を取り分けてもらおうと周囲を見渡す。
サッと横に来てくれたミーア。
「どちらをお取りしましょうか」
「あ、ではそちらのタルトをお願い」
バッケンバウウワー家の給仕係も大勢控えてはいるが、貴族の令嬢や令息はみなそれぞれ専属の侍従侍女を連れてきている。こうした食事の取り分けなどの給仕を令嬢自身がするのではなく専属侍女等に任せるのも、嗜みの一つとして習ってきたアリシア。
(まどろっこしいけれどしょうがないわよね。こんなひらひらなドレスでお料理を取り分けたら裾が汚れてしまうもの。不衛生極まりないわ)
前回の人生ではこうした貴族らしい社交とは無縁だったせいか、自分のことは自分でするのが当たり前だった。
教会で過ごしているときは一応聖女として扱われていたので自分で食事を作ることまではしなかったけれど、それでも給仕を誰かにしてもらうといった経験は無かった。
(ロッテンマイヤーさんのおかげよね……)
父ライエルが選んでくれた教師、ロッテンマイヤー女史。
彼女は一族の子爵家の令嬢であったが、若い頃は行儀見習いも兼ね王宮の侍女として支えていたのだという。
そこで妃教育などを間近で学び、その経験を活かして退職後は幼少の令嬢たちの家庭教師を務めていた。
アリシアにとって、厳しいけれど凛としたその姿はとても参考になった。




