【距離】
「ルドルフ様、おはようございます」「やぁ。おはよう」
貴族院の門をくぐると、大勢の生徒たちが行き交っていた。その中でも、ひときわ目を引くルドルフ・バッケンバウワー。
肩まで流れる金髪が朝日に輝き、碧い瞳は自信に満ちている。すっと通った鼻筋に端正な顔立ち。まだ十歳だというのに、大人と肩を並べるほどの長身。その堂々とした姿は学院の制服に映え、誰の目にも優雅に映った。
「きゃー! どうしましょう、ルドルフ様にお返事頂いちゃいましたわ」「よかったわね、エリカ」「颯爽と歩いて行かれるあのお姿、素敵ねぇ……」
女生徒たちが集まってはしゃぐ様子を横目に、アリシアは足早に校舎へと向かう。まだ授業までは時間があったが、大勢の生徒が集まる前に教室に入りたかった。前回の人生ではこうした学院生活を営むこともできず、友人となった知り合いもいなかった。今でも結局一歩引いてしまい、周囲とうまく打ち解けられずにいた。賑やかな輪の中に入っていくのが場違いに思え、苦手だったからだ。
学院の門を抜ける生徒たちは皆、徒歩で校舎へと向かっている。貴族の馬車は門の外の馬車回しで止めなければならない。爵位や権力を学内に持ち込まないための決まりだというが、アリシアにとってはむしろ、貴族社会の縮図のように思えた。門の手前で馬車から降りた瞬間から、貴族の子弟たちは自然と身分ごとの序列を作り、誰が誰と並んで歩くのか、誰が先に門をくぐるのか、そんな無言の駆け引きがあちこちで行われていた。
この学院には、貴族だけでなく、ごく一部の平民も通っている。
教会の選別によって強い魔力を持つと認定された者は、貴族院への入学が許されるのだ。魔力の制御を学ばせるため、あるいは、力を持つ者を管理するため――いずれにせよ、学院の中では貴族も平民も平等であるべし、というのが建前だった。
とはいえ、国家がすべての魔力持ちを掌握できているわけではない。市井には魔力を持ちながらも貴族社会とは無縁の者たちもいるし、学院の門をくぐったところで、完全に身分の差が消えるわけでもない。
だが、この学院を卒業さえすれば、公職に就く道が開かれる。たとえ平民であっても、それは大きな意味を持っていた。
教室に入り席に着くと、隣の席のミーナがアリシアに耳打ちする。
「ルドルフ、人気なのね。やっぱり有望株だわ」
「ミーナも見てたの?」
「ふふ。そりゃあね」
「でもダメよ、ミーナ。あれだけ人気のあるルドルフよ? わたくしなんか釣り合わないわ」
「そう? そんなことはないと思うけど」
貴族院では、付き添い侍女を連れてくるのは禁止されている。
入学前、アリシアのことを案じてくれたのか、それともアリシアのそばで全てを見ていたかったのか。
「なら、侍女としてじゃなく、モブの一人、生徒の一人として潜り込もうかしら?」
ミーナはいたずらっぽく微笑むと、その姿を変えていった。
「平民の立場なら目立たずに紛れ込めるわね」
そう言いながら、ミーナの姿は大人の侍女の姿ではなく、アリシアと同じ十歳の少女へと変わっていた。
「ああ、アリシア。おはよう」
それだけ言うと、ルイスはアリシアの隣にどかっと腰掛けた。
「おはようございます、ルイス殿下」
アリシアは一瞬ルイスを見て挨拶を返すと、そのまま視線を逸らす。
ルイスも特に何か言うことはなく、教壇の方を向いた。
ずっとこんな調子だった。ルイスはいつもアリシアのそばに来るが、それ以上親しく話しかけることはない。まるでどこかに線を引くように、それ以上踏み込もうとしない。ただ、そばにいるだけで満足だと言わんばかりだった。
「ルイス殿下って、どう見てもアリシア様のことが好きよね」
女生徒たちの間では、そんな噂も流れている。
まさか、と思う。けれどアリシアには、彼の気持ちがどういうものなのか推しはかれなかった。 いや、考えないようにしていた、と言ったほうが正しい。
ルイスと恋をするだなんて、ありえない。たとえ彼が以前とは違う存在になっていたとしても、それだけは——。
そんなアリシアの気持ちを察しているかのように、ルイスもまた、一定の距離を保っている。かつて出会った頃のような尊大な態度は影を潜め、ただ静かにアリシアのそばにいるだけ。まるで、それだけで満たされるかのように。
◇◇◇
「やぁ、アリシア嬢」
授業が終わり、帰ろうとしていたところで、背後から声をかけられた。振り返ると、ルドルフがにこやかに立っている。
「次の週末、我が家でガーデンパーティを開くんだよ。弟のクリストも、君の妹のマリサ嬢に会いたがっていてね。二人でぜひ参加してくれないかい?」
(クリストがマリサに……。でも、それじゃあ……)
甘い声で誘うルドルフに、周囲の女生徒たちがキャーキャーと騒ぎ立てる。まるで自分が口説かれているかのような雰囲気。
(もう、わたくしはおまけなのに。しょうがないわね……)
「ルドルフ様、そのガーデンパーティにルイス殿下もお誘いしてもよろしいかしら?」
「ん? 殿下がいいなら構わないけれど」
隣で知らん顔をしているルイスを巻き込もう。それに、自分にはマリサとルイスの恋を応援するという目標もある。
「な、アリシア!」
突然、真っ赤な顔でこちらを見るルイス。
(どうしたのかしら? 急に話を振って悪かったかしら)
「ルイス殿下、ご一緒にルドルフ様のパーティに参加しませんか? ほら、マリサも誘いますし」
「お、お前がそこまで言うなら、参加してやらないことも、ない……」
ルイスは額にうっすら汗を滲ませ、そわそわと視線を泳がせる。
(おかしなルイス……。わたくしが誘ったのがそんなに変だったのかしら?)




