異世界転生と最弱スキル
「田中さん、今日も残業お疲れ様でした」
午前三時。オフィスの蛍光灯の下で、俺——田中健太は同僚に軽く手を振った。またもや終電を逃し、始発まで会社で過ごすことになる。
二十七歳、独身、趣味は料理。それが俺の全てだった。
「あー、疲れた...」
デスクに突っ伏した瞬間、胸に激痛が走った。
(え...?)
視界が暗転する。最後に頭をよぎったのは、冷蔵庫に残した手作りのハンバーグのことだった。
────
「おお、勇者よ!よくぞ我が国に!」
目を覚ますと、そこは立派な玉座の間だった。王様らしき人物が興奮気味に俺を見下ろしている。
「は...?」
頭がぼんやりとしたまま立ち上がると、周りには同じように困惑した表情の男女が四人立っていた。みんな俺と同じくらいの年齢で、どこか現代風の服装をしている。
「皆様は我が国が召喚した勇者様方です!魔王復活の危機に際し、異世界よりお呼びいたしました!」
王様の説明によると、俺たちは異世界に召喚された勇者だという。そして今、魔王が復活しようとしており、それを阻止してほしいとのことだった。
「それでは、皆様のスキルを確認させていただきます」
宮廷魔法使いが水晶球を取り出した。一人ずつその球に手を当てていく。
「田村様、『剣聖』のスキルです!素晴らしい!」
「佐藤様、『大魔法使い』!これは心強い!」
「鈴木様、『神官』のスキル!回復役として完璧です!」
「山田様、『盗賊王』!探索と暗殺のエキスパートですね!」
みんな凄いスキルを持っている。そして最後に俺の番がやってきた。
緊張しながら水晶球に手を当てる。
「田中様は...」
大魔法使いの顔が曇った。
「『料理』...スキルですね」
「料理?」
王様の声にも困惑が滲んでいる。
「えーっと...料理に関する知識と技術が向上するスキルです。戦闘には...」
「役に立たないってことですか」
俺の言葉に、その場の空気が重くなった。
「いえ、そんなことは...料理も大切な...」
王様は慌てて取り繕おうとするが、その表情は明らかに失望を隠せていなかった。
他の四人も申し訳なさそうに俺を見ている。
(やっぱり、俺って何をやってもダメなんだな)
翌日、俺は一人で王都の外れにある小さな宿屋にいた。
他の四人は勇者として丁重に扱われ、立派な屋敷を与えられた。しかし俺だけは「戦力にならない」という理由で、この安宿に追いやられたのだ。
「お客さん、元気ないね」
宿屋の女将さんが心配そうに声をかけてくれる。
「すみません、ちょっと色々と...」
「そうかい。でもお腹は空くでしょう?うちの料理、あんまり美味しくないけど食べる?」
女将さんが持ってきたのは、焦げた魚と硬いパンだった。確かに...あまり美味しそうではない。
「あの...もしよろしければ、俺が作らせてもらえませんか?」
「え?お客さんが?」
「はい。実は料理が趣味で...お代は要りませんから」
女将さんは困惑したが、俺の熱意に負けて台所を貸してくれた。
久しぶりに包丁を握る。この異世界でも、調理器具は現代とそれほど変わらないようだ。
「よし...」
俺は手慣れた様子で料理を始めた。まずは簡単なものから。現代の知識を活かして、この世界の食材で味噌汁を作ってみることにした。
大豆を発酵させて作った調味料があることを確認し、それを使って出汁を取る。野菜を切って煮込んで...
「できました」
三十分後、俺は味噌汁とおにぎりを女将さんに差し出した。
「これは...」
女将さんが一口飲んだ瞬間、目を見開いた。
「美味しい...こんなに美味しいもの、生まれて初めて食べた...!」
そして驚くべきことが起こった。女将さんの顔に血色が戻り、疲れきっていた表情が生き生きとしてきたのだ。
「え...?」
「お客さん!私の持病の腰痛が...痛みが全然ない!」
「そんな...」
俺は自分でも味噌汁を飲んでみた。確かに美味しいが、特別な効果があるようには感じられない。
「これは奇跡よ!お客さん、あんたはただの料理人じゃない!」
女将さんの興奮した声を聞きながら、俺は気づいた。
もしかして...俺の料理スキルって、ただの料理技術じゃないのか?
「あの...他にも具合の悪い人がいたら、料理を作らせてもらえませんか?」
「もちろんよ!待ってて!」
女将さんは興奮して隣近所に声をかけに走って行った。
一人になった台所で、俺は包丁を見つめた。
戦えない。魔法も使えない。レベルも上がらない。
でも...もしかしたら、俺にも何かできることがあるかもしれない。
「料理で...人を救えるのかな」
その時は、まだこのスキルがどれほど凄いものか、そして俺がどんな運命を背負うことになるのか、知る由もなかった。
しかし、これが最弱と言われた料理人の、長い戦いの始まりだったのである。