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009 早くも行き詰まった展開と愛人の苦悩①

 アイリアのそれとは熱量に差があったのかも知れないが、王宮入りしたその日、祐人の中にあったのは紛れもない恋心だった。


 だが三日もしないうちにその恋心には違和感が混じるようになり、やがてそこに疑念が生まれ、焦燥へと変わっていった。


 貴方が望むなら、ここから逃げてもいい。そう言ったアイリアに、どこへも行かないと答えた祐人の気持ちは本当だった。


 ただ最初は本当だったその気持ちが、祐人自身も気づかないまま嘘に変わるまでに、一週間もかからなかった。


◇ ◇ ◇


 ――城に迎えられてからというもの、祐人は文字通りアイリアの囲い者としての生活を送っていた。


 政務から部屋に戻るやアイリアは祐人を寝台へと(いざな)い、そのまま空が白み始めるまで放そうとしない。閨に臨むアイリアは夜毎にその奔放さを増し、初めのうち外の者に気取られぬようにと押し殺していた声も、今や鼓膜を気にしなければならないほどになった。


 そんなアイリアを、いつの間にか祐人は醒めた目で眺めるようになっていた。


 最初は認識できていなかったし、今も正直、実感はない。だが有り体に言ってしまえば、祐人はアイリアの()()にされたのだ。


 その事実に気づいたとき、祐人は愕然とした。まさか自分がそんな扱いをされようとは夢にも思わなかったのだ。


 ただ、一言弁護しておけば、アイリアは決して祐人を騙していたわけではない。思い返してみればアイリアはちゃんと祐人にそのことを伝え、意思を確認した上でそうした扱いをしていた。皇女ではなく、ただの女として貴方と共にいたい。自由に振る舞えない自分の、ただひとつの慰めとなってほしい――と。


 ……あのときはわからなかったが、今にして思えばこれは『皇女である私の、私的な愛人になってくれ』という頼み以外のなにものでもない。そこまで言われてなぜわからない? と人は言うかも知れない。だが祐人にしてみればわかるわけがなかった。それはそうだろう。輝くばかりに美しい女が、こんなモブキャラを愛人にしたがるなどと誰に想像できるというのか?


 だがおそらく、そこには悪魔が口にしていたファクターが強く関係している。男女の社会的地位の逆転と、美醜の基準の違いがそれだ。そのあたりを踏まえなければ、今回の顛末の正確な像は見えて来ないのだ。


 アイリアを魅力的だと思う気持ちが消えたわけではないし、毎晩のように求められることに嫌気がさしたわけでもない。だがここでこうしていても何も始まらないということがようやくわかり始め、祐人はこの世界に来て早々、大きな岐路に立たされた。


 まず、情報が入ってこない。


 ここに来たばかりの祐人が一番ほしいのは、何と言っても情報である。この国のことに限らず、聞きたいことは山ほどあった。けれども城に囲われてからというもの、ずっとアイリアと二人きりの日々で、城の他の人たちと顔を合わせる機会もない。婆やでさえ、食事やら何やらを差し入れてくれるだけなのである。しかも一緒にいる時間の大部分を寝台での行為に費やしているため、アイリアとすらろくに話すこともできない。これではいつまで経っても、この国のことは何もわからないままだ。


 祐人がかろうじて把握できたのはこの国の大まかな歴史と、アイリアにエレネという姉がいること。あとは皇族でありながらアイリアが奇跡を示せないということ――それくらいだった。


◇ ◇ ◇


 この国――神聖アウラリア帝国の歴史は三百年前に始まり、精霊庁(しょうりょうちょう)より与えられる冠を代々皇家が世襲してきた。


 この精霊庁とは、あちらの世界におけるローマ法王庁と似たもののようで、現世における精霊の代弁者にあたる。信仰の対象である精霊(しょうりょう)はちょうど我々が八百万の神と呼んでいるもの――と言うより、人智でははかり知れない超自然的な存在をそう呼んでいるもののようで、スピノザの唱えた汎神に近いものだと祐人は理解した。西方諸国はみな精霊を信仰する国々であり、それはとりもなおさず精霊庁が一定の影響力を持っていることを意味する。


 特徴的なのは、この国では末子相続が慣例となっていることだ。


 末子相続というのは、末に生まれてきた子が先に生まれてきた子よりも優先的に相続する制度で、あまり知られていないがあちらの世界にも存在する。かのモンゴル帝国を築いたチンギスハーンの一族がその典型である。その例に倣えば、妹のアイリアが皇帝を継ぐことになる。つまりは、現時点でアイリアがこの国の皇帝に最も近い人間ということになるのだ。


 ――にも関わらず、アイリアが祐人を政治の場に引き出してくれる様子はどこにもなかった。


 祐人としては、あの初めての朝の会話で、自分がこの国の運営に関わりたいという強い意欲を持っていることを、はっきりアイリアに伝えたと思っている。もちろん、そのときはアイリアが皇族であることなど知らなかったわけだが、そうと知れば希望を持ってしまうのも無理のない話だろう。


 あの会話の流れでアイリアが自分を城に連れてきたのは、恋人として自分を傍に置いておきたかったばかりでなく、国政への志を買ってくれたものと早合点した祐人は、アイリアの部屋住みとなった翌日には政治の仕事を手伝わせてほしいとアイリアに持ちかけていた。そのときはもう少し落ち着いてから、というようなことをアイリアに言われて引き下がったが、祐人はそれからもことあるごとに国政に関与させてもらえないものかとアイリアに働きかけを続けていた。


 だが曖昧にはぐらかすばかりでただただ行為に溺れ込むアイリアの様子から、それをアイリアに頼むのは土台無理筋だったのではないかという思いを持つようになった。アイリアは自分を政治の場に連れ出したくないのではなく、何か連れ出せない理由があるのではないか――と。


 あるいはその辺り、アイリアが奇跡を示せないという事情とも関係しているのかも知れない。


 アイリアは宮廷内のことについて祐人に話したがらなかったが、あるときぽつりと、自分は奇跡が示せないために宮廷での立場が弱いといったことをこぼしていた。それが理由で、皇位の継承をめぐって争いが生じている、とも。


 ……いずれにしても、アイリアに引き立ててもらうことで手っ取り早くゲームのスタートラインに立つという祐人の思惑は崩れた。


 この世界に飛ばされて早々に次期皇帝に巡り会えるとはまさに僥倖、悪魔に限界まで上げてもらった幸運値のたまものと浮かれていた身としては、だいぶ豪快な肩すかしを食らった感は否めない。


 そればかりか、逆にアイリアに囲われたことで詰んでしまったようにさえ思う。なまじアイリアが好みなだけに、求められると応えずにはいられないし、そればかりかつい自分からも求めてしまう。肝心のゲームについては何の進展もないまま、ただアイリアとの愛の日々が重ねられてゆく。


 このままでは本当にアイリアの愛人になり果ててしまう――いつの間にか祐人は、そんな()()に囚われるようになった。


 囲われの身としては昼間は何もすることがない。そこで祐人は、いつものようにアイリアを送り出したあと、じっくりと今の状況を解析してみることにした。


 鍵となるのは悪魔が口にしていた件のファクターである。この際、わかりやすいように、自分が置かれたこの状況を、元いた世界でのそれに置き換えてみる。そうすれば見えていなかった何かが見えるかも知れない。


 まずは今の状況の整理だ。大枠はアイリアが俺を拾って城に連れ帰ったということ。これはあちらの世界での出来事になぞらえれば、どこかの国の王様――いや王子様が村娘を見初めて召し出した構図になる。


 この構図に、アイリアが皇女である事実を隠していたという要素と、未だに少し信じられないが俺という男に惚れきっているという要素が加わる。命を救ったとはいえ会って半日もしないうちに結ばれていたことを考えれば、一目惚れということになるのかも知れない。ただ、その意味で言えば、俺もまたアイリアに一目惚れしている。


 つまりあちらの世界で言えば、お忍びで村に出向いた王子様と村娘が互いに一目惚れし、粗末な納屋の中でひとつに結ばれたという()()()()な構図が浮かび上がってくる。


 王子はそのまま村娘を城に召し出す。城に囲われる身となった村娘と王子は更に激しく燃え上がる。特に王子の方が村娘にいたくご執心で、三日にあげず伽をさせては夜通し離そうとしない――


 これが今の状況だ。なるほどあちらの世界での構図に置き換えてみると色々なものが見えてくる。


 まず、この構図には一見何の罪もない。


 王侯貴族が庶民の娘を見初めて囲い者にすることなど歴史上ごまんとあったのだろうし、おそらく現在進行形でもそこかしこで行われている。そこで娘が脂ぎった王様に嫌々なぶられるのであれば話はまた違ってくるが、お互い一目惚れの王子と娘が密やかな愛の巣を築くことに何の問題があるだろう。身分の違いこそあれ、それはある意味で恋愛の理想形である。二人でどろどろになるまで溶け合い、いきつくところまでいけばいいのだ。


 ただ、俺とアイリアのケースを正確になぞらえるのであれば、この構図に更にひとつの要素を付け加えなければならない。


 村娘は王子との関係だけでは飽き足らず、国政に参加させろと王子をかき口説いている――


 ()()だ。()()で何ともお粗末なオチがつく。


 王子がまともなら決して取り合わないだろう。いや、取り合ってはならない。……と言うかこの村娘がイタい。普通にイタい。一歩引いて見ると自分がどんな無理難題をアイリアに押し付けていたのかということが見えてくる。


 逆に王子の立場で考えてみるとどうだろう。この際、王子が娘に言うべきことはひとつだ。


『政治は遊びじゃない、口出しするな』


 これだ。これしかない。だが王子は言わない。言うことができない。なぜか? ……娘に惚れているからだ。言うべきことを口にできないほど、娘に惚れきっているからだ。夢見がちな娘に現実を突きつけるのはいい。だがそれで娘の心が離れていってしまうのがこわい。


 懲りずに俺が国政の件を口にした時、一度だけアイリアは表情を曇らせてこう言った。


『ただの女としての私では、ユートがここにいてくれる理由にはならないのか』


 そのときはアイリアが何を言いたいのかわからなかった。だが、今はわかる。アイリアがどんな思いでその言葉を口にしたのかも。……あの炭焼き小屋でただの女として俺の妻にしてくれと言ったときから、アイリアの気持ちは何も変わっていないのだ。


 そんなアイリアを想って――胸がずきりと痛んだ。いつの間にか俺の方でも、アイリアのことをこんなにも好きになってしまっていたようだ。締め付けられるように痛む胸を押さえながらそのことを悟って、祐人は遂に城を出る決心をした。

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