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008 たどり着いた王宮と激情の姫君③

 そこに至ってアイリアは爆発した。まさに爆発と呼ぶに相応しい、それは豹変だった。つかつかと小走りに婆やに近づきながら、大仰な身振り手振りを交えて全身で怒りをうったえる。その姿にさっきまでの優雅さはどこにもなかった。


「ああ、その通りだ! 私はこの男を拾ってきたのだ! それだけではないぞ、抱かれもした! 昨日の夜、粗末な炭焼き小屋で、私はこの男にこの身を捧げたのだ! 男たちに奪われようとしていたそれを、本当に捧げるべき相手に捧げたのだ! それで、はは、私はこの男に()()()()参ってしまった! 私をやさしく抱いてくれたこの男を、心の底から愛するようになってしまったのだ!」


 鬼気迫る表情でそう言って婆やに詰め寄るアイリアには、明らかに尋常ではないものがあった。


 ……話している内容もだいぶ酷い。その身を捧げられた当の本人としては相当にいたたまれないものがあったが、逃げ出すこともできず、祐人はただ二人を見守るしかなかった。


「今日までの私はお家大事に、ただそれだけを思って生きてきた。だが明日をも知れぬ命となったとき、女としてこの世にやり残したことがあると気づいた。そこに現れたのがこの男だ! 私の命を救い、私の心を奪い、私に女としての悦びをくれた。この男と共になら、どんなことでも乗り越えてゆけると思った! だからここに連れてきた! それすらも……それすらも私には許されないと言うのか婆や!」


 興奮のためだろうか、アイリアは全身を震わせながら、ほとんど額が触れるほど婆やに顔を近づけて絶叫した。


 激昂するアイリアとは対照的に、婆やは何も言わなかった。何も言わず、祐人を迎えに来たときと同じ無表情のまま、激しい言葉を投げかけるアイリアをじっと見つめていた。


「だが勘違いするでないぞ。決して無理強いして引き連れてきたわけではない。……婆やは信じぬかも知れぬが、この男は私を美しいと言ってくれる。このような私を……皇女でも何でもなくとも、ただの女として欲しいと、そう言ってくれる。ならば……ならば私は心に決めた!」


「……」


「皇女としての私はこれまで通りお家大事に生きよう。いつかまた攫われ、人知れず殺される、そのような運命も甘んじて受けよう。だが、女としての私はこの男に捧げる! この男に抱かれ、この男の女として生きる! もう決めたのだ! 誰にも文句は言わせぬ! それが……それがたとえ婆やであっても!」


 全身を熱病のように震わせ、鼻水さえ流しながらアイリアは叩きつけるようにそう言い切った。


 祐人は若干――と言うより率直に()()()引いていた。……引いてはいたが、アイリアにここまで言わせるものは何なのだろうと、むしろそのあたりが強く気になっていた。


 それまで黙っていた婆やは、アイリアが言い終わるのを見届けたあと、そっと目を閉じて静かに告げた。


「左様でしたら、(ばあ)はもう何も言いますまい」


 そう言って一礼し、部屋を出ていきかけた。そこでやおら祐人を振り返り、さっきまでの無表情とは違うどこか含みのある顔で祐人を見て、言った。


「ご要り用のものがあれば、これへ。何なりとお申し付け下さい。では」


 それだけ言い残して、婆やは部屋を出て行った。


 婆やの足音が遠くなり、聞こえなくなったところで、祐人はようやくアイリアを見た。祐人と目が合うとアイリアは一瞬、泣きそうな顔をし、すぐに目を逸らして悔しそうに言った。


「……すまない。見苦しいところを見せた」


「……いや。まあ、ちょっと驚いたけど」


 その言葉通り、祐人は驚いていた。もちろん、アイリアがこの国の皇女だったことにも驚いたが、そのあたりはさっきの婆やとのやりとりで全て吹き飛んだ。


 ……何より驚いたのは、アイリアの自分に向ける想いが想像以上に真剣なものだったということだ。


 皇女の立場やしがらみ、そういったものを理解できるとは言わない。ただアイリアはさっきのやりとりの中で、その全てを擲ってでも自分といることを望んでいた。これまでずっと守り続けてきたものを台無しにし、立場を無くすことを覚悟の上で俺を選んだのだ。そのことが、祐人には軽々しいことのようにはとても思えなかった。


 そんな祐人の思いを裏打ちするように、目を伏せたまま力無くアイリアは言った。


「……婆やは、この王宮で私に一番近しい人間だ。だがそれだけに、一番こわい人間でもある。私は今日、初めて婆やに逆らった。私の言葉を、婆やがどう受けとめたかわからぬ。あるいはこれで私は、婆やをも敵に回してしまったのかも知れぬ」


 アイリアの言葉に、祐人は何も返せなかった。


 ただ、自分に何の相談もなく部屋に住まわせるなどと決め、それを一方的にまくし立てた目の前の女を、祐人は責める気にはなれなかった。


 ……なぜだろう、婆やがいなくなり、部屋に二人だけとなった今、祐人にはアイリアの気持ちが手に取るようにわかった。先ほどの婆やとのやりとりの中で、なぜアイリアがあれほど感情を剥き出しにしてかからなければならなかったのかということも。


「……生まれてからここまで、私に自由など何ひとつなかった。あの森の中で男たちに殺されようとしていたときも、もちろん恐怖はあったが、これでようやく自由になれると思っていた。死ねば、もう皇家のために生きなくとも良いのだと」


「……」


「……皇女になど、なりたくてなったわけではない! だが皇女としての自分という檻に、私はずっと閉じ込められていた。その檻から連れ出してくれたのがユート、貴方だ。私が生まれて初めて求めた自由がユート、貴方だ」


 そこで初めてアイリアは顔を上げ、真っ直ぐに祐人を見た。今にも涙がこぼれ落ちようとするその瞳に、祐人は射すくめられた。


「この王宮に、私が心を許せる者など一人もいない。一昨日、私が拐かされたのは、あろうことか城の中庭だった。城の中にも……いや、城の中にこそ敵はいる。いつまた危険が降りかかってくるやもわからぬ。……済まないユート。そんな危険な場所へ、私は何も話さずに貴方を連れてきた」


「……」


「貴方と共にいたい……ただその想いだけで、ユートの意思さえ確めずにここまで来てしまった。だから……ユートが望むなら、すぐにここから逃げてほしい。私はユートを追わない。追ったりはしない」


 祐人を真っ直ぐに見つめたまま、アイリアは震え始めた。自分で震えているのがわからないのか――あるいは極度の緊張のためか、歯がかちかちと鳴っているのにアイリアは口を閉じようともしない。


 祐人は、もう堪らなかった。


 すべての疑問と葛藤を置き去りにしてアイリアに駆け寄り、その身体を力いっぱい抱きしめた。


「俺はどこにも行かないから。つか、お前みたいな好い女残して、どこに行けるってんだよ」


「……っ」


「望み通り、俺がお前の自由になってやる。だから、もうそんな顔するな」


 どれほど引こうが引くまいが、危険があろうがなかろうが、祐人の答えは最初から決まっていた。


 この国の皇女だとか何だとか、そのあたりもどうでもよかった。一日にも満たない短い時間の中ではあったが、アイリアという(ひと)の人となりを知り、その心に触れるに及んで、この人の傍にあって力になりたいと、祐人は素直にそう思った。


「うっ……うああ……あああ……」


 祐人の腕の中でアイリアは声をあげて泣き出し、祐人の背中に爪を立て、掻きむしるようにしながらしばらく泣きじゃくった。


◇ ◇ ◇


「……ひとつ、約束してほしい」


 ――やがて泣きやんだアイリアは、祐人の胸に額を押し当てたまま、文字通り泣き疲れた少女のように弱々しい声で言った。


「なんだ?」


「ここにいる間は、私をただの女として扱ってほしい。この国の皇女でもなんでもなく、どこかの村娘のようなただの女として」


「わかった」


「そのかわり、私はユートにすべてを捧げよう。私という女のすべてを好きなようにしてほしい。私にできることならば何でもしよう。どんな要求にも応えよう」


「……あまり刺激的なこと言わないでくれよ」


「ユート」


 アイリアは顔を上げ、祐人を見た。最初からそうすることが決まっていたように、祐人はうすく開かれたアイリアの唇に自分のそれを重ねた。


 唇を離して、間近にアイリアの顔を見た。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったその顔に、祐人は堪らない欲情を覚えた。


「アイリア」


「……なんだ」


「さっそくだけど、アイリアが欲しい」


「え……?」


「アイリアが欲しい。今すぐに」


「今からか? まだ日が高いぞ。それに……」


「さっき言ったよな。好きなようにしてくれって」


「……」


「俺は今すぐ、アイリアが欲しい」


「……いいだろう」


 そう言ったアイリアの瞳に、涙ではない光が灯ったのを祐人は見逃さなかった。それは昨日の夜、月明かりの中で求め合ったとき、ずっとアイリアの瞳に灯っていた小さな炎だった。


「実を言えば私も、ちょうどユートが欲しかったところだ」


 そう言ってアイリアは祐人の顔を引き寄せ、貪るように唇を奪った。それから祐人の手を引いて、ほとんど小走りに寝台へと(いざな)った。


 天蓋からおろされたカーテンを引きちぎるようにして祐人と二人寝台に倒れ込み、くすくすと笑いながら互いの服を脱がせにかかったとき、アイリアの、まだ涙の乾かないその顔には、まるで何かに憑かれたような恍惚の笑みが浮かんでいた。

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