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007 たどり着いた王宮と激情の姫君②

 城は小高い丘――というよりほぼ切り立った崖の上に、都全体を見渡すように建っており、城門らしきものはなかったが、さすがに城の入り口には衛兵が立っていた。


 祐人たちが城に入ろうとすると、二人の衛兵が駆け寄ってきた。だが衛兵が口を開くより前に、アイリアが祐人の前に進み出て、それまで被っていたフードを脱いで頭と顔を晒した。衛兵たちは不審そうな顔でアイリアを眺めていたが、一人が何かに気づいたようにもう一人に耳打ちし、二人揃って最敬礼したあと大慌てで城の中に走り去っていった。


 衛兵がいなくなってしまってから、どういうことなのかと祐人はアイリアに訊ねた。だがアイリアはそれに答える代わりに自分に着いてくるように言い、城の構内を歩いてこの城壁の前まで連れてきたのだ。


 城の中心からは少し外れた場所のようで、アイリアと別れてから祐人は誰とも会っていない。だがここが城であるからには見廻りの衛兵などといったものがいてもおかしくないわけで、もしそうした連中に見つかってここにいる理由を問い質されたら何と言って答えよう、と祐人は気が気ではなかった。


 ……もっとも、それも最初のうちだけだった。いつまでも戻ってこないアイリアを待つうちにそれもどうでもよくなり、ここに至ってはいっそ誰かに見つかれば進展があっていいのではないかと思うまでになった。


 ぐう、と祐人の腹が鳴った。……そう言えば腹も減っている。思えば昨日の夜から何も食べていないのだから腹が減るのも当然だった。山を歩いているとき沢の水は飲んだが、町に入ってからはそれもないため、喉も渇いている。陽の高さからするともう昼下がりだろうか。


 ……アイリアは何をしているのだろう、と祐人は思った。


 なぜ自分を残して城の中に入っていったのだろう。そもそもアイリアはいったい何者なのだろう。


 入り口での衛兵の反応を見るに、あるいは身分のある人なのかも知れないが、なぜ俺をいきなり城になど連れてきたのだろう。もしかして朝に口を滑らせた、俺が他国から来たという設定を真面目にとって、入管手続きか何かのために動いていてくれるのだろうか――


「お……」


 祐人が退屈のあまりそんなことまで考え始めたところで、重々しい音を立てて扉が開いた。


 だが、中から顔を出したのはアイリアではなかった。


「お(ひい)様から仰せつかっております。どうぞこれへ」


 扉を開けて現れた女性は、無表情で開口一番そう言うと、祐人に中へ入るように促した。


 だが何時間のレベルで待たされた上につっけんどんにそう言われた方としては反応もままならない。祐人は立ちつくしたまま女性の顔をじっと見つめた。


 年の頃はおそらく三十になるかならないか。茶色に近い黒髪の、少しきつめの顔立ちだが充分に美しい女性だった。アイリアに待っていろと言われたここにこの人が現れたということは、アイリアの代わりに迎えに来てくれたということなのだろうか。


 そこで祐人はようやく女性の言葉が、自分に城の中へ入るように言っているのだということに気づいた。


「どうぞ、こちらへ」


「あ、はい」


 もう一度女性に促されて、今度は機械のように女性のあとに着いて扉をくぐった。


 窓がないことから想像していた通り中は相当に暗く、しばらくは女性の背中以外何も見えないほどだったが、やがて目が慣れてくると様子が明らかになった。狭い洞窟を思わせる石造りの廊下はひんやりとしており、なるほどこれが中世の城かと祐人は思った。


 延々と続く廊下を歩き、階段をのぼり、やがて重々しい扉が開かれた先に、祐人は瀟洒な家具が並ぶ広い部屋へ通された。


「ここは?」


「お(ひい)様のお部屋でございます」


「お(ひい)様って誰?」


「アイリア様でございます」


「アイリアの……」


「お(ひい)様に、ここへお通しするように仰せつかりましたゆえ」


 そう言ったきり女性は扉の脇に立ち、微動だにしなくなった。


 祐人としては他にも色々と聞きたいことがあったのだが、軽々しく声をかけられる雰囲気ではない。仕方がないので祐人はアイリアの居室だというその部屋の様子を見回した。


 ここまで歩いてきた廊下と同じように石造りだが窓があり、中はだいぶ明るい。内壁は綺麗に磨きあげられていて、冷たい感じはするものの優美な印象があり、何より調度の豪華さには目を見張るものがあった。


 細密な象眼が施された円卓や、寄せ木細工だろうか、不思議な模様が浮かぶ木製の箪笥。とりわけ目を惹くのが天蓋と、そこからおろされたレースのカーテンがついたいわゆるお姫様ベッドだった。祐人も話には聞いたことがあったが、実物を見たことなどなかった。アイリアの部屋だということはわかっていても、物珍しさが(まさ)ってつい不躾にもじろじろと見てしまう。


 背後から唐突に自分を呼ぶ声がかかったのは、そのときだった。


「ユート」


 振り返るとそこにはアイリアが立っていた。だがそのアイリアの姿に、祐人は返事もできずに固まった。


 ……そうせずにはいられないほど、アイリアは美しかった。


 部屋に現れたアイリアは腰紐のついたシンプルな白のワンピースを身に纏っていた。山で最初に会ったときアイリアはパンツルックで、そのあとはパンツはそのままに祐人のパーカーを着ていたから、こうして女性の装いをしたアイリアを見るのは初めてだった。


 ただそれだけのことで、祐人はすっかり頭に血がのぼってしまった。シルクだろうか、光沢のある清楚なワンピースはアイリアの身体のラインをはっきりと浮かび上がらせており、そのたおやかな姿はやはり彼女こそ自分にとって理想の女だと祐人に思わせるのに充分だった。


 何より山道を歩いていたときには埃にまみれていたアイリアの顔――そのときでさえ祐人にとっては魅力的だったその顔に、今はうっすらと化粧がされている。そんなアイリアと目が合ったとき、祐人は頭の芯が痺れるような思いを味わった。


 この女と今朝、森の中で自分はキスしたのだ、と。


 この女を昨日、自分は抱いたのだ、と。


 そのことが信じられない思いで見つめていると、アイリアは祐人を気遣うように、眉をひそめて言った。


「ユート、どうかしたか?」


「え? ……ああ、いや。何でもない」


 最初、祐人は心に思ったままアイリアに見惚れていたと言いそうになり、だが部屋の中にもう一人の(ひと)がいることを思い出して咄嗟に飲み込んだ。


 アイリアはそれ以上気にする様子もなく、そのもう一人の女に向き直り、幾分改まった表情で静かに言った。


「先ほども話したように、私は昨夜、殺されそうになっているところをこの男に救われた。この上は召し抱えて私の親衛とし、当分、私の部屋に住まわせることにする」


 一息に告げられたそのアイリアの宣言に、祐人は少し――と言うより率直にかなり驚いた。


 山道を歩く中で、都に着いたらアイリアと恋人として付き合いたいと思っていたのは事実だが、いきなり同棲などという大胆なことを考えていたわけではない。ましてどうやらやんごとなき身分のお方であったものとみえるこの人が、どこの馬の骨とも知れない自分をいきなり部屋に住まわせるというのは、正直どうなのだろうか。


 だがそんな祐人の心配などお構いなしに、アイリアは涼しい顔でなおも続けた。


「食事もここで共にとる。男物の着衣を三日分、いや五日分すぐに用意せよ。また私が留守のときも、この男に言われたものは全て用立てるように」


「お姫様」


 アイリアの言葉を遮るように、それまで黙っていた女性が口を開いた。


「なんだ、(ばあ)や」


「お姫様のお命を救った功名に、召し抱えて報いるというのであれば止めは致しませぬ。ですが、お姫様のお部屋に住まわせるというのはいかがなものかと」


「何が問題なのだ?」


「お姫様が男を拾ってまいったと口さがない者たちが噂を立てましょう。お式を控えた大事な御身にございます。お考え直されますよう」


 アイリアが婆やと呼んだ女性の言う通りだ、と祐人は思った。


 見た目の年齢からして婆やという呼び方が適切かどうかは置いておくとして、この婆やが言っていることはあくまで正しい。……と言うよりそれは、婆や抜きでアイリアから同じことを言われたとき、きっと祐人が返していただろうと思われる内容だった。つまり婆やが言ったことは、概ね祐人の考えと一緒だったのである。


 けれどもアイリアはそんな二人の考えなど意に介さないと言わんばかりに、婆やから目を逸らし、部屋の中に進み出ながら何でもないことのように言った。


「言いたい者には言わせておけば良いではないか。私は、何も気にしない」


「お姫様がお気になさらなくとも、下々の者は気にするのでございます。皇家の御息女としてのご自覚を、どうかお忘れなきよう」


 思いがけず飛び出してきた『皇家の御息女』という単語に、祐人はまたしても大きな驚きを覚えた。


 つまり、アイリアはどちらが皇位につくかで混迷しているという皇女の片割れということなのだろうか。……そう思って驚愕しながらも、やはり婆やの人はまっとうなことを言っていると祐人は思った。もしアイリアがその皇女様だとすれば、俺を部屋に住まわせるなどというスキャンダルは断じて避けなければならない。


 だが窓の方へ向かい歩いていたアイリアはその言葉に立ち止まり、婆やと祐人のいる方を振り返った。その顔には……何だろう、祐人が見たことのない表情が浮かんでいた。その表情のまま、低く抑圧した声でアイリアは言った。


「自覚? 婆やは今、自覚と言ったのか?」


「……」


「この状況で、私に皇女としての自覚を持てと、婆やはそう言うのか? いいか、私は殺されかけたのだぞ! 深い山の奥で誰にも知られぬように! そんな目に遭った私が、この期に及んで皇女としてのどんな自覚を持てと言うのだ!」

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