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005 絶世の美女との一夜②

 女の言う通り、すぐ近くに小屋があった。


 炭焼き小屋のようで、薪が堆く積まれている。中を覗いてみると、屋根の隙間から月明かりが射していた。ほとんどあばら屋だ。だがこれでも夜露はしのげる。まず祐人が中に入り、そのあとに着いて女も入ってきた。


「思ったよりいい所だな」


 祐人の口から、思わずそんな感想がもれた。


 床は板張りだが動物の毛皮が敷いてあり、少し休むには充分に快適と言える。照明はない。だが、あばら屋根から射す月明かりが小屋の中をあかあかと照らしており、薪割り台に置かれた手斧や、革でできた厚手の手袋まではっきりと見て取れる。ここなら大丈夫だろう。そう思って祐人は人心地つき、月明かりの中に初めて女の姿をまともに見た。


 ――その瞬間、祐人は思わず息を飲んで固まった。


 信じられないものを見る思いで、しばらく女を見つめた。そうせずにはいられないほど、女は美しかった。


 ……いや、単純に美しいというのとは少し違う。男には誰しも、一目見て『この女は駄目だ』となってしまう型の女がいる。ああこりゃ駄目だ、ではなく、この女の前では自分が駄目になり、いいところの半分も出せないだろう、と最初から諦めが入ってしまうような女だ。


 なぜ自分が駄目になるのか? もちろん舞い上がってしまうからだ。女の顔つきや表情、身体のラインや仕草といった、いわゆる女を感じさせるもののすべてが蠱惑的で心の琴線に触れる(たぐい)のものである場合、そんな(ひと)を前にして男は冷静でなどいられない。


 月明かりの中に浮かび上がる女を見たとき、祐人が感じたのはまさしくそれだった。言い方を変えれば、()()()()()()()だったのである。


 途端に、これまで厄介ごとのように感じていたこのシチュエーションが、ひとつの意味をもって祐人の目の前に迫った。


 自分が命を救った世にも美しい女と、月明かりの山小屋に二人。しかも女の服は破れ、ところどころに白い肌が覗いている。その姿を見ているうち、祐人は身体から力が抜けてゆくような気持ちになってきた。


 ……駄目だ、とても冷静ではいられない。気持ちを落ち着かせるために外の空気でも吸ってこようかと立ち上がりかけたとき、女が小さな声で祐人の名前を呼んだ。


「……ユート」


「ん?」


「……貴方はどうして、こんな夜の山の中に」


「……ああ、どうしてだろうな」


 女の質問に、祐人はそう答えるしかなかった。


 こっちが教えてほしいくらいだ、というのが本音だが、さすがにそこまでぶっちゃけるわけにはいかない。


 ただ考えてみると、あのタイミングで颯爽と現れた俺はかなり謎だ。……と言うより、あやしい。この状況でいたずらに警戒などしてほしくないが、彼女が訝しく思うのも無理はない気がする。


 あそこに俺が一人でいなければならなかった理由を、何かでっち上げられないだろうか……と、考えはじめた祐人の耳に、また女の小さな声が届いた。


「……どうして」


「え?」


「……どうして、私を助けた」


「そりゃまあ、あんなふうに女が襲われてたら助けるだろ」


「……奇跡を示せるのか?」


「奇跡?」


「……男なのに、貴方は奇跡を示せるのか?」


 その質問に、祐人は最初、何を訊かれているのかわからなかった。


 ……だが、すぐに思い当たった。そう言えば、自分が移行することになる世界には奇跡と呼ばれる魔法が存在するのだということ、けれども魔法を使えるのは女の、しかも王族だけなのだというようなことを悪魔は言っていた。同時に、ここはまだ銃のない世界でもあるとも。


 そのあたりをベースにさっき俺がしでかしたことを考えれば、俺が魔法を使える――奇跡を示せると思われてもおかしくない。


 おそらく、そういうことにしておくのが一番簡単なのだろう。だが男なのに奇跡とやらを示せる特別な人間と思われるのも嫌だし、そもそも奇跡など示せない。嘘が嘘を呼ぶ結果になるのも面倒なので、祐人は正直に――だが少しだけぼかして答えることにした。


「どうなんだろ。よくわからない」


「……」


「奇跡みたいなことはできる。ただそれが厳密に奇跡と呼んでいいものかどうか、俺にはわからない」


 要所はぼかしつつ、自分もまたわけのわからない状況に困惑しているという心情をにじませる、祐人なりに誠意をこめた回答だった。


 ちょっと苦しかっただろうか……そう思いながら祐人はおそるおそる女を見た。それまで顔をあげて祐人の方を見ていた女は、祐人と目が合うとなぜか目を逸らして俯き、独り言のようにぽつりと呟いた。


「……羨ましいな」


「羨ましい?」


「私はユートが羨ましい。貴方は気品に満ちている」


「気品……って俺が!? 冗談だろ。俺に気品なんてかけらもないぞ」


 驚きのあまりうわずったような声が出た。


 祐人にとって、気品があるなどと言われたのは生まれて初めてだった。お世辞を言うにしても普通はもっと別の言葉を選ぶ。俺のどこをどう見れば気品などというものに満ちているように見えるのだろう……。


 そんな祐人の声なき問いに、女は俯いたまま静かに答えた。


「……私にはそう見える。見たこともない奇跡で男たちを殺して、眉ひとつ動かさなかった。立ち上がれない私の隣に座って、いつまでも待っていてくれた。ここへ連れてきてくれたときも、淑女のように私を扱ってくれた。男たちに慰み者にされかけた、こんな私を……」


 そう言って女は悔しそうに一筋の涙を流した。やがてそれは大粒の涙となってぼろぼろとこぼれ落ちる。


 祐人は何もできなかった。ただ見守ることしかできなかった。やがて女は右手の袖で涙を拭うと、さっきまでとは違う押し殺したような声で言った。


「……どうして、私を助けた」


「え? いや、だからさっきも言ったけど――」


「どうして私を助けた! 私はあそこで殺されていれば良かったのだ!」


 夜の静寂(しじま)に女の絶叫が響いた。


 ……いきなりのことに祐人は唖然とした。この(ひと)はなぜこんなことを言うのだろう。しかもどういうわけか、まるで助けた俺を責めるような口調で。


 あるいは何か死にたい理由でもあったのだろうか――祐人はそう思い、ただどんな理由があったにしても女性がこんな山奥で男たちに犯されて死ぬなどということがあってはならないと思い直した。


 まして()()()()()()()()()そんな終わり方をするなど、他の誰が許してもこの俺が許さない。


 あまりにもストライクの女ということで最初は緊張もあったが、話しているうちにだいぶ気分もほぐれてきた。ここはひとつ、まだ事件に囚われたままの彼女の心を少しでも軽くしてやろう、と祐人は思い、心に浮かんだままの台詞を口にした。


「それは、良くないな」


「……え?」


「君が死ぬのは良くない」


「……」


「君みたいな世にも美しい(ひと)が死んでしまうのは、この世界にとって大きな損失だ」


 そんな歯の浮くような台詞を、演技感たっぷりに祐人は女に告げた。


 イケメンがこれを言えば女は頬を赤らめるだろうが、モブ顔の自分が言えば完全にギャグだ。そのギャグで女の笑いを誘い、深刻な方向に流れようとする雰囲気を修正したいと祐人は考えたのである。


 けれどもその台詞に、女は真顔で祐人を見つめた。まっすぐに祐人を見据えたまま、さっきまで激昂していたのが嘘のように落ち着いた声で言った。


「私は、美しいのか?」


「え?」


「ユートの目には、私が世にも美しい女に見えるのか?」


「ああ、もちろんだけど……」


 何を言っているんだ? と思いながら祐人は答えた。これだけの美貌をもつ女が、さすがに自分のことを美しくないなどと思っているはずはない。


 だが訝しく思う祐人の前でなぜか女は俯き、恥じ入るように小さな声で言った。


「……そんなことを言われたのは初めてだ」


「はあ!? 嘘だろ? 俺の方こそ、君みたいに綺麗な子見るの初めてなんだけど……」


 驚きのあまり祐人はまたしても素でそんな歯の浮くような台詞を吐いた。その台詞に何を思ったのか、女は顔をあげ、濡れた瞳で縋りつくように祐人を見た。


「……それならユートは、私を抱けるのか」


「え……」


「私を世にも美しい女だと思っているのなら抱けるはずだ。ユートは、私を抱けるのか」


「……」


 うったえるような目でじっと祐人を見つめたまま、震える声で女は言った。


 ……冗談でもからかっているのでもないらしい。ようやくそれに気づいたとき、祐人の心臓はありえないほどの勢いで全身に血を送り始めた。


 女と視線を合わせたまま、ついさっき女が口にした言葉の意味を考えた。この状況で抱くというのは、ただ抱き締めるだけという意味ではないはずだ。喉がからからに乾いていた。もはや何も考えられなくなった頭で、祐人は素直に自分の気持ちを口にした。


「もちろん、抱ける」


「……」


「もし君を抱けるなら、一人の男として、この世界にそれ以上の喜びはない」


 女の真剣に呑まれるように、祐人も真剣に返した。ただそれは、紛れもない本音だった。


 月明かりに濡れる女は息を飲むほど美しく蠱惑的で、もし触れることができるなら自分は死んでもいい。そんな思いをこめて祐人は女を見た。女は一度祐人から目を逸らし、それから再び祐人を見て、震える唇で言った。


「それなら、私を抱いてほしい」


「……」


「……私は浅ましくふしだらな女だ。半刻前にあんなことがあって、男など見るのも恐ろしいはずなのに……それなのに私は、貴方に抱かれたいと願ってしまった」


「……」


「貴方に命を救われ、月明かりに貴方の顔を見たとき……そのときから私は、貴方に心を奪われた」


「……」


「私は……自分が嫌になる。恋だの愛だの、くだらないものだと思って生きてきた。それがこんな時に、こんな抗いようのない恋に落ちた。私は今、貴方に抱かれたくて堪らない。男たちに慰み者にされかけた、そのすぐあとだというのに――」


「やめろよ」


 自分でも驚くほど低い声で祐人は言った。その言葉に女は小さく身体を震わせた。


「もうそんな風に、自分を悪く言うのはやめろ」


「……」


「慰み者にされかけたとか、そんなこと言うの、もうやめろよ」


 祐人のその言葉に、女はまた縋りつくような目で祐人を見た。


 心臓の鼓動はもう治まっていた。その代わりに突き動かされるような思いが祐人の胸の奥に生まれていた。女は美しかった。触れてはならないと思えるほど美しかった。


 けれども祐人は、自分が今、心から理想と思える(ひと)に触れることができる奇跡にも似た赦しを手にしていることを知った。


 祐人は立ち上がり、ゆっくりと女に歩み寄った。震える女の肩に手を回し、その身体をぎこちなく抱きしめた。


「俺が、ぜんぶ忘れさせてやる」


「……」


「でも、俺は死ぬかも知れない」


「え……」


「俺、これから君を抱くけど、そしたら嬉しすぎて、本当に死ぬかも」


 真面目な一言だった。だが女はぷっと吹き出した。それで緊張の糸が切れた。


 女は光る目で祐人を見つめた。うすく開かれた唇に、祐人は自分の唇を重ねた。


 やがて唇を離して女と見つめ合ったとき祐人は、自分が別の世界に来たことを忘れた。悪魔と契約を交わしたことも、初めて人を殺したことも忘れた。


 そこが深い森の中であることも、粗末なあばら屋の中にいることも忘れ、ただ目の前にいる女と二人だけの世界に溺れ、どこまでも沈み込んでいった。

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