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001 明け方の賢者と亡国の姫君

「……やってしまった」


 あばら屋根から射す朝の光に瞼をこじ開けられた祐人(ゆうと)がまず目にしたのは、昨夜貸し与えた自分のパーカーを毛布がわりに寝息を立てる女のしどけない寝姿だった。穏やかに上下するパーカーの裾からは長く白い脚が覗き、半端にかけられたフードはその豊かな胸を隠しきれていない。


 ――昨夜の出来事を思い出す。


 衝撃の出会いとなった事件のあと、この炭焼き小屋に辿り着いた二人はごく自然に求め合い、身体を重ね合ったのである。……のであるから、その相手である裸の女が隣で寝ていても何の不思議もない。


 だがある意味で予言されていた――けれどもそんなことが自分の身に起こるとは夢にも思わなかったこの事態に、祐人は困惑を隠せなかった。


 ……まったく来て早々、俺は何をやっているのだろう。これではあの悪魔が言っていた通りだ。乱暴に頭を掻きむしり、大きくひとつ溜息を()いた。女が目を覚ましたのはその時だった。


「あ、起きた?」


「……ユート」


「おはよう」


「……おはよう」


 女はしばらくぼんやりと祐人を見ていたがやがて身を起こし、それから思い出したようにパーカーで胸を隠した。頬に含羞の赤みがさし、首筋から肩にかけて広がってゆく。


 昨夜、女がしきりに初めてであることをうったえていたのを思い出し、恥ずかしがるのも無理のないことだと思った。


 どんな素性の女なのか、なぜこんな山中で男たちに襲われかけていたのかわからない。わかっているのは会って半日も経たないうちに結ばれてしまったことと、朝の光の中に直視するのが躊躇われるほど女が美しく魅惑的であるということ――それだけだった。


「で、これからどうしようか」


「……昨日の夜、貴方は――ユートは私のことを美しいと言ったな」


「え? ……ああ、言ったけど」


「ユートの目に、私は世にも美しい女に見える……と。この明るみの中で私を見ても、ユートはやはりそう思うか?」


 そう言われて祐人は改めて女を見た。まず目を引くのは、夜にはわからなかった赤みがかった金髪――光の加減で赤く輝くこうした髪の色をストロベリーブロンドと言うのだとどこかで聞いたことがある。


 羞恥のためか今は同じように赤みがかっている肌は抜けるような白。一点のしみもなければ曇りもない。パーカーで隠され、けれども隠しきれていない豊かな胸と身体の線が、祐人の理想をそのまま具現化したものと言っていいことは、昨夜の薄闇の中に確認した通りだ。


 そして、顔立ち。少しだけつり気味の目と凛々しく整った眉、意思の強そうな唇は何かを(こら)えるように固く結ばれている。この端正な顔が放恣にとろけるのを、昨夜の闇の中、間近に見た。


 ……間違いない、と祐人は思った。この女は間違いなく、()()()()()()()()()()()()という意味において『世にも美しい女』だ。


「ああ、そう思う。世にも美しい女に見える」


「……それがもし本当なら、私をユートの国に連れ帰り、妻としてくれないだろうか」


「え?」


「この服……ユートはどこか余所の国からここへ来たのだろう? 詳しい事情は話せないが、私はもうこの国を出た方が良いのだ。昨日、殺されそうになったのも、考えてみれば都合が良い。あそこで死んだことにすれば、私はもうどこへでも行ける」


「……」


「……それに、私はもうユート無しでは生きられない。ユートが私のことを美しいと思ってくれて、私を自分のものにしたいと望んでくれるのなら、望み通り私はユートのものになりたい。……どうだろう、私を連れていってくれないだろうか?」


 そう言って女は潤んだ目で祐人を見た。その眼差しをどうにか受け止めながら、祐人は内心に頭を抱えた。あの契約の場で悪魔から授けられた能力のことを思い出したのである。


 ……何のことはない、この状況は、あそこで限界まで引き上げてしまった魅了値のせいだ。


 それにしてもここへ来て半日も経たないというのに、見ず知らずの女からのプロポーズとは溜息が出る。『旦那のお顔にゃ今からもう女難の相が出てやすぜ』と、俺をここへ送り出す前に悪魔は言った。……あいつの言った通りだ。最高に好みの女との一夜限りの逢瀬、ビギナーズラックで与えられた夢のようなシチュエーション――などと思い浮かれていたが、万一、今後もこの流れが続くとなるとこれはラッキーでは済まされない。


 ……いずれにしてもここは毅然と対処すべきだ。女の提案は魅力的だが、うかつに乗ることはできない。俺が魂をベットしてまで身を投じたのはハーレムルートが約束された恋愛シミュレーションではなく、あくまで古き良きウォーシミュレーションゲームの世界なのだ。


「申し訳ないけど、それはできない。俺はその……なんて言うか、使命を果たすためにこの国に来たんだ」


「……使命。どんな使命があってユートはこの国へ?」


「……この国を強く大きくし、敵国(どこ)と戦っても負けない国にすることだ」


 ――そう、俺のやりたいことはそれに尽きる。初めて自分の目的を口にして、祐人はその思いを新たにした。だが女はなぜか悔しそうに祐人から目を背け、吐き捨てるように言った。


「それは無理というものだ。ユートも知っているだろう、帝国の置かれた状況を。東方ではウマン朝の伸張著しく、西にはイグリス王国の勢力が迫る。属国とは名ばかりのリトラリアからは朝貢にかこつけて毎年莫大な返礼を求められ、唯一開けた海には海賊ばかりで貿易もままならない。だいたい版図は都市ひとつにも満たないのに帝国を名乗っていることからしてお笑い種だ。この国のどこに未来がある? もしあるのなら教えてほしい。この国をかつてのような強国とし栄光を取り戻す、そんな方法がどこに転がっていると言うのだ?」


「わからない。でも、だからこそ俺はやってみたい」


「……」


「そういうのが好きなんだ。この国が危機的な状況にあることなんて、最初からわかっていた。それがわかっていて、だからこそ俺はこの国を選んだ。周りは強い敵ばかりで巻き返しの方法もない? そんなの最高じゃないか。勝ち目のないところから巻き返すには工夫が必要だし、一筋縄じゃいかない。でも、だからこそ面白い。方法はどこにでも転がっているはずなんだ。ただ、それがあると信じて真剣に探さないと見つからないだけで――」


 呆然と自分を見つめる女が目に入り、そこでようやく祐人は自分が思わず熱くなっていたことに気づいた。


 ……引かれてしまっただろうか。だがまあ、本心なのだから仕方ない。悪魔にも似たようなことを語ったが、それが自分のプレイスタイルなのだ。誰が使っても勝てるような強国などまっぴらご免だ。いつ滅ぼされてもおかしくない弱小勢力がいい。かつての栄光にしがみついて滅亡する寸前の帝国……実にいい。


 目の前の女が俺にとって非の打ち所のない理想の女だとすれば、この国は俺にとって同じように非の打ち所のない理想の国だ。契約の場でこの国を薦めてきた悪魔の判断は正しかった。……もっともその場で確認したように、俺がプレイヤーとしてこの国を使えるようになるためには、まず乗り越えなければならない壁があるわけだが――


「どんな形でもいいから、この国の政治に関わりたい。そのために、俺はこの国にやってきた。だから、君を連れて行くことはできない。本当は俺も、君とずっと一緒にいたいんだけどさ……」


 別れの言葉のつもりで、祐人は女にそう告げた。女がこの国を出るということなら、もう会うこともないのだろう。そうなれば昨日のことは晴れて一晩限りの恋、夏の夜の夢としてやり過ごすことができる。


 そう思えばこの世界で初めて知り合い、心を通じ合わせた(ひと)との別れに、一抹の寂しさを覚えもする。そんな思いをこめて祐人は女を見た。だが女はさっきまでの縋るような眼差しとは違う、強い意志を感じさせる目で祐人を見て言った。


「……なるほど。やはりそれが私の進むべき道ということか」


「え? どういうこと?」


「ならば都に向かうとしよう。この服だが、都に着くまで貸りたままで良いか?」


「ああ、いいけど」


 祐人がそう言うと女は立ち上がった。胸を隠していたパーカーを羽織り、腕を通す。その過程で前を隠すものがなくなり、すっかり眩しくなった朝の陽光の下に女の裸が露わになった。


 そのあまりの美しさに、祐人は昨日のことも忘れ、思わず息を呑んだ。視線に気がついた女は少し顔を赤らめ、けれども表情を崩さずに言った。


「前を閉じてくれないか」


「え?」


「不思議な服だな。閉じ方がわからない。ユートの手で、この服の前を閉じてほしい」


「ああ、わかった」


 ファスナーを上げようとした祐人の指が女の内股に触れ、「あっ」と小さい声があがった。


「ごめん、大丈夫?」


「……大丈夫だ。まったく、昨日あれだけ触れられたというのに」


 女の赤裸々な言葉に、今度は祐人が赤くなる番だった。


 口ぶりからすると女はこの国を出るのをやめ、本来為すべきことを為すために都へ向かうことを決意したようだ。


 昨日ここに来たばかりで都までの道のりがわからない祐人にとって渡りに舟には違いない。だがそうなるとまたさっきの問題が復活する。『ユート無しでは生きられない』とまで言い切った女が、今後も結婚を迫ってくる可能性は高い。


 この上なく理想の女であることは間違いない。この上なく理想の女ではあるが……右も左もわからないこの世界で初めて会った(ひと)と、軽々しく一生添い遂げる約束をするのはどうなのだろう。


 それに――そこで初めて祐人は女に大切なことを聞き忘れていることに気づいた。


「……あのさ、今更こんなこと聞くのすごく失礼だってわかってるんだけど」


「え?」


「名前、聞いてなかった。君の名前は?」


 祐人がおそるおそる顔を上げると、女は驚いたように目を見開き、それから花が咲いたように笑った。


「こちらこそ失礼、そう言えば名乗っていなかったか」


 そんな前置きをして、女は穏やかに自分の名前を告げた。


「私の名前はアイリア」


「アイリアか。よろしく、アイリア」


「こちらこそ。よろしく、ユート」


 そう言って、祐人とアイリアは初めての握手を交わした。


 ……いずれにしても都に着かなければ何も始まらない。こうなったのも何かの縁。アイリアの身を守りつつ都まで案内してもらい、そのあとのことはそこで考えよう。そんなことを思いながら祐人は、身繕いするアイリアをぼんやりと眺めた。


 都に着くなり王宮に通され、荘厳な城と衛兵たちを目の当たりにして初めて、祐人は自分が手をつけたのがこの国の皇女――神聖アウラリア帝国皇位継承権第一位アイリア=エウレリウス=アウラリアその人であることを知ることになる。

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