第8話 陰謀の闇より出でるモノ
あれからフランは何か心のつかえが取れたようで、帰る夕方前まで終始座りながら足をプラプラと楽しそうに揺らしていた。
愛らしい姿以上に、そうして嬉しそうに笑う彼女が見れてリンも嬉しい。
「今日は、ありがとう、ござい、ました。リンお姉さん」
「ううん、こちらこそありがとう。あ、なんなら家まで送るよ? また昨日みたいなのがあるかもだし」
「いえ、大丈夫、です。今日は、マリア様が、見ててくれてます、から」
帰り際、リンの提案にフランは一生懸命にそう言った。
まぁこれからマリアの使者を待つ身としてはその方が都合がいいのだが、それでも心配なのには変わりない。
しかしフランも頑なで、よく分からないが目の界法師に【見守られている】から大丈夫だと押し切られて、リンは仕方なく赤みを帯びた日を浴びる小さな背に手を振った。
「……はぁ、これからどうしよ」
「若者が何言ってんのよリン。あ、アルバ君が来なかったから心配なんでしょ?」
「いえ、そういう訳では……」
誰も居なくなった一階をガーネットと片付けながら、ため息を漏らす。
普段ならもう少し彼女の冗談に反応できているのに、今回ばかりは起伏の無い返答になってしまった。
「あらそうなの? ま、悩み過ぎるのも程々にね」
「はい」
うわ言のような返事に苦笑するガーネット。
対してリンの脳内はマリアからアイコンタクトで伝えられた情報の意図についての憶測でいっぱいいっぱいだ。
(マリアさん……悪人ではなさそうだけど、やっぱり役人だもんなぁ。というかそもそも私の身の危険と国の存亡が直結してるって何!? 絶対に巻き込まれ事故じゃん! そんなの。……ガーネットさんは、巻き込みたくないな)
状況が落ち着き、冷静さを取り戻したリンの心に湧き上がる不安。
貰い事故ならともかく、それ以外で陰謀やら事件に巻き込まれる要因は、正直思いつかない。あるとすれば捕らえられて国の永久食料製造機にされるか、昨日フランちゃん達を襲った連中の後ろにフラワ王国を脅かすほどの脅威がいるかの二つだろうか。
いずれにせよ、最終手段自分が国を出れば済む話であってほしい。
ガーネットさんはもちろん、アルバやフランちゃん。自分の五感の届く範囲で誰かが傷つくのは嫌だ。
「……でも、国を滅ぼすのが主目的で、私が傷つくのが経路上の虫だったら? 私は、みんなを守り切れるの?」
「リン? 大丈夫? さっきからブツブツ言っちゃって」
「へ? あぁ大丈夫ですよ? ちょっと考え事してて」
その言葉にガーネットは「さっきからずっとじゃない?」と思いつつ、思春期特有の悩みかもと深くは聞かなかった。むしろ、普段かなり深入りして話を聞こうとしている自覚はある。
だからこそ、今回は待つことにした。
いつか、彼女から自分に話してくれると信じて。
「あっそうだ買い物! リン、何か欲しいものある? 明日の分の食材、昨日買い忘れちゃったのよ」
「いえ、特に……あ、でも私も後で出かけるので、一応鍵だけお願いします」
「あらそうなの? どこ? アルバ君のとこ?」
「ち、違いますよ!? 中央教会です! マリア大司教に、花壇を見てくれと個人的に頼まれて……」
「へぇ~……凄いとこからの依頼ねぇ。ふふっ、頑張んなさい」
ガーネットの意味深な表情にリンはとりあえず頷き応える。
だが直後、颯爽と買い物に出かけようとしたガーネットの動きが止まった。珍しく慌てた様子で、彼女は屈んで周囲の足元を見回した後、少し照れくさそうにリンの顔を見上げると弱々しい声で言う。
「アハ……ごめんリン、鍵無くしちゃったみたい。どっか落ちてない?」
「ええ!? ちょ、ちょっと待って下さい。鍵……鍵……」
「いつもポケットに入れてるんだけどねぇ~? ホントどこいったのかしら」
二人は急いで一階を探し回ったが、鍵は見つからない。
既に時刻は夕方。結局店の時間も考えて、リンは自分が貸してもらっている合鍵をガーネットに渡し、自分が出るときは界法で店内の植物を操って内鍵を閉めると約束する。
「それじゃあ行ってくるわね!」
「はい! ガーネットさんも気を付けて!」
オレンジ色の世界に、彼女の赤毛がはっきりと輝く。
そうして自分より大きなその背に笑顔で手を振り、リンは覚悟を決めた。
絶対にこの日常を守り抜く。
たとえこの先の未来で自分がどんな事件に巻き込まれようとも。
「いや、国の存亡に介入できる程は流石に? 師匠ならまだしも……ダメダメ、こういうのは気持ちが大事なんだから」
玄関先で赤く染まった世界に誓ったのも束の間。
帽子で陰った自分の視界に戻るや否や、弱気と不安を口にしてしまう。
事実どれだけ羨望しようが師匠には勝てない。だがリン自身もかなり優秀な界法師ではあるのだ。ただ、比較対象が強大過ぎて未だに自信が無いだけで。
そんな時、背後から赤よりもオレンジな……若干黄色に近い声が聞こえた。
「お、思ってたより元気そうだな」
「……アルバ!?」
忘れていた彼の事を声一つで思い出し、振り返る。
そこには胸当てや剣などの装備を身に着けた、普段とは違うアルバの姿があった。
「え、その装備って……」
「アルバ隊・隊長、騎士アルバ! マリア大司教の命によりお迎えに上がりました! どうぞお手を、『花の界法師』リン様?」
昨日伝えたかった言葉が、偶然とはいえこうして行動で示すだなんて。
けれどアルバの目論見通り彼女は自分の姿や口調に驚いてくれたようだ。身なりも、敬礼も、言葉遣いも、そして力も、まだまだリンやマリア達から教わった三割も出せている自信は無いが、それでもこの姿で彼女の前に立てたことを誇りに思う。
「なっ! 何カッコつけてんのアルバ……ホント、入団おめでとう。あと、昨日はごめんね。痛くなかった?」
対してリンは普段とは百八十度超えて五百四十度くらい見違えたアルバの姿に思わず目を逸らす……。ただ、目は逸らすものの、芝居がかった身のこなしで差し出された手にはおずおずと自分の手を乗せ、色々と恥ずかしがった。
だってこんな人通りの多い往来で、まるで以前読んだ恋物語の一幕のようだ。
魔女に仕立て上げられ牢に閉じ込められた幼馴染を救うため、少年は騎士となり悪政を打倒し、彼女を迎えに行く。
そんな妄想を、一瞬でもしてしまった。
「お? おぉ? ……あー! 昨日のってあれか。気にすんな、鼻の奥が一瞬ウグってなっただけで、あとはしばらく口呼吸になったとか? あ、でも結構異物感凄かったな」
「そうだよ、ね……。やり過ぎたとは思ってる。ごめんなさい」
だが同時に、こうも思う。
自分なら本当に最後まで『魔女』のままなのでは、と。
嘘だって全員が信じれば真実だ。外の世界に出る前、母様とした約束。本当に危なくなったら助けに行く。けれど、師匠は来なかった。
本来の居場所すら寂しいと好奇心に駆られて出た外で、リンは世界の広さを認識してしまったが故に、自身の孤独を深めてしまったのだ。
だからもし、嘘でも真実でも、最期の瞬間、助けて欲しい時には、誰も……。
「あー、だから落ち込むなって。昨日のは俺の余計な一言が原因だろ? で、お前もやり過ぎたって分かってる。なら次に活かそうぜ」
「いいの? それで。……まぁアルバがそれでいいなら、いいけど……」
「うっし。じゃあマリアも待ってるし、さっさと行くぞ」
「あー待ってアルバ。鍵閉めないと」
リンは振り返り、無詠唱で界法を発動。店の鍵を閉める。
日が沈み始めたせいで彼女の顔は、幅広で大きな三角帽子も相まって余計に暗く見えた。実際、リンの表情が暗く落ち着いているが分かる。
(余計なことしちまったか? まー自分と国の危機だってのにふざけ過ぎたかもな)
正直、事の全体像を知らないアルバからするとリンの悩みは分からない。
同じく、早朝いきなり今日の任務を命じてきたマリアの苦悩も。
結局のところアルバには持っている側の気持ちなんて分からないのだ。
どこまでいっても自分の選択肢は狭く少なく、彼らは広く多く見える。だからこそ自分もそんな、持っている側になりたいと願う。が、現実は甘くない。
「ほんじゃ、行きますか」
「……アンタ、マリアさんから何か言われてないの?」
「何って?」
「いや……ほら、敵対組織の名前とか。それ以前に私が危ないとか、そこら辺の因果関係とか?」
ある種の神にも等しい彼ら『代行者』でさえ、こうして悩み苦しんでいる。
筋トレに終わりが無いように、たとえどれだけの力を手にしても苦しみからは逃れられない。
きっと種類が、変わるだけなんだ。
「いーや? 俺はただガーネットさんとこ行ってお前を護送して来いって。そんだけ」
「護送ねぇ。でも今襲われたら守るの私じゃない?」
「フッ、任せろ。悪漢程度なら、俺がやる。そのための剣だし、お前ともめっちゃ訓練したしな」
「そ。じゃあその時はよろしく」
だから今の、夢の道中を歩く自分に出来るのは、強く賢い連中の話を聞くことだけ。
それくらいなら弱くて馬鹿な自分にでも出来る。リン含む『代行者』なんてのは、言わば頭の中に全然知らないけど友好的な奴がいる状態なのだと彼女から教わった。
まぁ共感は出来ないけれど、理解はできる。
アルバは隣で徐々に笑顔を取り戻す彼女に格好つけながら、親指を立ててニカっと笑った。その笑顔と明るさが、どれだけリンの心を支えているかも知らず。
「ぷふっ、何それ。あ~あ、アンタ見てたら悩んでるのが馬鹿らしくなってきちゃった」
「なんだよ。喧嘩売ってんのか?」
「別にぃ~? ま、本当に敵が来ても『界法は自由』に則って、アンタの命令に従うわよ? 回復でもサポートでも。ね」
釣られて笑うリンにアルバが眉をひそめる。
仲良く大通りを北上する二人を沈んだ太陽の代わりに月と街灯が照らしていた。
風の心地よい、静かな夜だ。
「出たよソレ。あれだろ? 世の中の全部界法理論だろ? なんでもありじゃん」
「はぁー? 実際そうなんだから仕方ないでしょ。あと、これはメリュ師匠の信条でもあるんだからね?」
「はいはい。その割にお前の界法は軒並み殺意高いけどな」
言われた直後、図星を突かれたリンは思わず「ぐっ」と声に出してしまう。
だが偉大なメリュ師匠の言葉をただただ盲目的に信じている訳ではない。事実、人間の行動と界法を分けるのは、その場に存在しない『セカイ』の力を使っているかどうか。
食材という物質。料理という概念。それら知識を使い、相手を想うという認識。
そう、三界は揃っている。が、これはあくまで料理であり調理だ。対して界法とは、食材が無くとも、下処理などの工程を知らずとも、そもそも完成品しか知らなくとも料理を創り出せるもの。
過程を早め、結果を手にする。
しかしレトルトカレーが他全てのカレーに勝るとは限らないように、界法なんてブラックボックスから創られた料理が果たして全てに勝るのか。
「わ、私のは護身用! それに十二歳の子が一人で世界を旅するんだから、あれくらい強力なのが必要だったの……分かるでしょ?」
「まぁ知ってるけど……でも【華凛】とかやり過ぎ技だろ! あれ、普通に昏倒させるより危険じゃん!?」
「あれは~ほら、対界法師用で……どうしても倒したい人の為に創ったのだから。ね?」
「メリュ師匠?」
「そう」
「おっかな。普通にメリュ師匠に同情するわ」
アルバの適当な返答にリンは即座に怒りの反論を始める。
リンとメリュ師匠からしてみれば界法なんて親が泣いている我が子にする『痛いの痛いの飛んでけ~』くらいの、普段の日常に少し色彩を加える程度でいいのだ。
自由で、多様で、多面的で適当で。
それで慎ましい幸せならなお良い。
「あれを創ってなきゃ私ここにいないんだからね!? むしろ褒め称えなさいよ! あの母様に一矢報い、こうしてアンタと出会えた私の【華凛】を!」
「お前……その言い方だとなんか出会いのキューピットみたいじゃないか?」
瞬間、人のいない大通りにリンの怒声が響き渡る。
「はぁっ!? バッ! ガっ……何言ってんのよ馬鹿ばかアルバカ!」
「人を馬だと思ってる!?」
「は? 馬はウマ科。アルパカはラクダ科で、カバの方が近いから。で、アルバは馬鹿」
暗くなったとはいえ、まだ夜になったばかり。
しかも、ここは最も人の出入りが多い大通りだ。当然、観光客用のレストランやホテルなども多く、この時間で人っ子一人いないなど異常と言っていい。
「はいはい。どうせ俺は馬鹿ですよ~。馬鹿なアルバはパカパカ歩く~」
「プヒュィヒッ! ちょ、ひひひっ」
「えぇ……笑い方コワ」
「いや、だってアルバが……フヒヒ。アルパカパカパカみたいな……頭がガバガバ? アルふぁだ・ラティおま!?」
だが二人共、周囲の異常に気付いていない。
静かすぎる夜の道を二人っきり。目的の中央教会まであと少し。
「あー、ま~た自分のセカイに行っちゃった。リーン、戻ってこーい」
「だ、大丈夫だって。うん、ちょっとツボに入っただけだから」
「お前、最後呪文唱えてなかった?」
「あれは古代ガーデン語だから。心配しないで」
「便利だな、神話時代の冗談は」
そして、二人は教会へ辿り着いた。
真っ暗闇の中、街灯と月明かりしかない門前はなんというか雰囲気があり、今にも何か出てきそうだ。
「あれ? 鍵閉まってる。マジか、ちょっと待ってろリン。裏から誰か人を――」
「ッ! 待ってアルバ。来て」
「ちょっ!?」
瞬間、リンはようやく周囲の違和感に気付いてアルバを掴み、すぐさま暗い路地へ。
状況から推察するに国の法による人払いの結界。もしくはそれに準ずる効果をもった界法の仕業。いずれにせよ、あんな目立つ場所に立ってなどいられない。
「なんだよいきなり」
「人払いの結界が張られてる。本当にマリアから何も聞いてないの?」
「え? うおっ、ホントに誰もいない……。マジか、俺は何も聞いてないぞ」
「分かった。それで充分」
現状、リンの発動した【生命探知】に反応は無い。
どうやら周辺数十メートル圏内で外に出ているのは自分達だけ。だが、あんなに狙い易そうな大通りでも、こうして隠れた今も攻撃の気配は無く、それが反ってリンの警戒心を高める。
「なぁリン。これってあれじゃないか? 事件に巻き込まれてるお前を安全に中に入れようってマリアが思ってるとか……」
「だったらアンタに一言あるでしょ。人払いしてるから、こっそり入ってねって。まぁ、結構機密事項っぽかったし、あり得なくもないけど」
一理ある。しかし、ならば何故出迎えも無く、鍵も閉まっているのか。
疑問は多く、このまま待っていてリン達に困る要素は無い。むしろ使いのアルバがいつまでも戻ってこなければマリアの方から出てくるはずだ。
と、そう考えるリンの脳に刹那、ピキっとした痛みが走る。
(いきなり範囲内に反応!? しかも三人。後ろ!)
暗い路地から大通りばかり注視していたとはいえ、気付かないなどありえない。
何せ【生命探知】の反応は界法の範囲内に『入った』ではなく、すでに『いる』と知らせてきたのだから。
「アルバ! 下がって!」
リンは咄嗟にアルバを壁際に押しやりながら振り返り、物凄い速度で迫る三つの反応を視界に捉える。
「……なんの用ですか?」
「アハーッ! あなたがやっと見つけたお姉様? 噂の花の界法師? そして私達の永久なる希望の光!?」
路地奥の闇から現れたのはいかにも怪しい黒装束三人組。
今日会ったマリアの服装を黒にしたような格好で、よくもまぁここまで騒ぎにならずに近付けたものだと、リンはフラワ国内の治安警備に少し不安を感じた。
「おいリン、あいつらアイン教だ」
すると横から、剣を抜いたアルバがボソっと向こうの左胸に描かれた紋章を指差しながら耳元で呟く。
正三角形を囲む正円を囲む、正方形。
なるほどと、リンは初めて見たアイン教のエンブレムに理解を示す。あれもまた『セカイ』だ。国における国旗と同じく、自らの所属する集団・組織を示し、世界観を共有するもの。
「三界世界の箱庭ってとこ? 随分古い概念を持ち出して……」
「ねぇねえ! 聞いてた!? これでも私達アインソフお嬢様にお願いされて来てるんだよ!? 無限のアインソフを冠する大司教様だよ? 殺しても殺されても私達の勝ちなの! 分かる!? だから早く死んで! 死ね!」
コソコソ話していた二人に先程から一人でペラペラと主観的過ぎる言葉で話していたアイン教徒が地団駄を踏みながら叫び出す。まるで話を聞いてもらえなかった子供のように。
いや、もしかしたら本当に子供かもしれない。
何せ相手の顔はフードに隠れている。だが、そんなアルバの淡い期待は、地団駄を踏み暴れ過ぎた結果が握り潰す。
外れたフードの中の顔は、明らかに中年に見える男性。
それに合わせて外す横の二人も、成人していそうな男性と女性。分別の出来ない子供にはもちろん見えない。
「なっ!?」
「アルバ、集中して」
あまりに幼稚な話し方や行動に対し、中身は立派な大人。
横の二人はまだ若く、もしかしたらなどと思うアルバだったが、対してリンはより集中力を高めていた。
ギャップに驚いている場合ではない。
テロリスト集団と名高い『アイン教』だ。何が目的かは分からないが、幼稚な害意に対し先程の移動速度。到底、悪戯や喧嘩で済まされる範疇ではない。
(エンブレム。全員アイン教の『契約者』。最低でも身体を強化する界法。挙動が素人以下過ぎてちょっとヤだな。でも……この狭い路地なら突っ込む一択でしょ?)
いつ始まってもいいように、リンは脳内で界法を構える。
狭く暗い路地ではアルバの剣は使えない。精々防御と牽制くらいだろう。だがリンには『セカイ』があり、界法がある。加えてすぐ後ろに下がれば大通りがあり、その更に後ろにはマリアがいるはずの教会もある。
国家機関の近くで事を起こす辺り、マリアが黒幕でもない限りはこちら側が有利。
「いい? アンタは剣での牽制が仕事。最悪私を多少切ってもいいから、自分の身はなるべく自分で守って」
「お前……界法で治せるからって止めろよ」
「死ななきゃ勝ち。分かってる? 切り替えて」
恐らくアルバにとっては初めての実戦。
自分からすると余計な思考をしている彼に、リンは冷たく諭す。
もちろん彼の手を汚させる気はない。敵の動きは【生命探知】で先手を打てる。動いた瞬間に【竹槍】で貫く。今回は前の誘拐犯とは違い、先端鋭く刺し殺す気で。
どうせその程度では死なないはずだ。それに、リンには人体干渉での回復や治療もある。
そうリンが覚悟を決めている最中、ありえない位置からの声が場の全てを支配する。
「――ほう、探したぞ。花の界法師」
「ッ!?」
リンの背後から聞こえる、威圧的で、自信に満ちた、冷血なる女性の声。
だが【生命探知】に反応は無い。そもそも聞こえた声の発生源は、自分の『後ろ』ではなく……まるで、『上』から話しかけられているようだ。
「リ、リン……」
足が、震える。
恐怖が背後で嗤っている。
恐怖を強要する『何か』のせいで、隣のアルバはその先の言葉を伝えられずに膝を屈し項垂れてしまう。眼前の敵も、ヘラヘラと笑っているように見えて、額の汗が真実を物語っている。
いや、それ以上に気になるのは、彼らの視線。
(逃げ道を潰され……挟まれた!? いや、多分絶対違う。これは……あいつらの視線……上? 空?)
「こちらを見よ、花の。貴様の顔を確認しなくては、我も不安だ。なぁに心配するな、背後の雑兵が何をしようと、我が守ってやる」
自意識過剰。傲岸不遜。
けれど確かな実力が、一言発せられる度にリン達の脳を叩く。
そして誰も彼もが恐怖で動けぬ中、行動を許可されたリンだけが、恐る恐る振り返った。
「なッ!?」
「クカッ。認識したぞ、人間。貴様が花の界法師リン……だな?」
振り返った道には誰もおらず、見上げた空に『ソレ』はいた。
優雅に羽ばたく巨大な蝙蝠の翼。浮かぶ月の輪郭に足を組んで座り、風に銀の長髪をなびかせる、目算で百九十はありそうな絶世の美女。
その肢体は艶やかで妖しく、胸などリンとは隔絶した差を見せており、何よりそれらを際立たせる深紅のドレスが背景の星々より輝いている。
だが、リンの瞳は彼女のある種理想の美を体現した肉体やドレスには目もくれず、ただ美しい顔の一点を。その不敵で獰猛な笑みから覗く鋭い牙を。その紅く輝きこちらを射殺すように見下ろす眼光を。この世の者とは思えぬ『ソレ』に囚われ、震えていた。
事実、『ソレ』は人に非ず。
当然この世界の存在でもない。
「界物。……吸、血鬼」
「ほう、一目で我が本質の一端を言い当てるか。流石、マリアから博識と言われるだけあるな」
それは、異界からの使者。
状況や環境に過剰な認識をした人間が生み出す、架空の存在。
しかし逆説的に、それらを用意し整えれば人は勝手に世界を歪め、認識を歪め、周囲を干渉する。結界がそうであるように。痛みを飛ばすお呪いがそうであるように。思い込みや偏見が事実・真実を歪めるように。
――彼ら界物は現れる。
「我は異界にして魔界の女王、プニュリア・ヴァルキュリア! 貴様ら人間を、迎えに来てやった」