第7話 火種は蒔かれた
新たに店に入ってきたのは、リンより少し低い身長にマリアと同じローブを着た、黒髪に褐色肌の中年男性。
「すみません、ここに大司教様が……あっ! マリア様!」
「あらカエルム。早かったですね」
彼はこちらを一瞥しマリアを見つけるや否や、慌てた様子で近付いてくる。
瞬間、立っているリンの横で座っていたフランが怯えたような声を上げて突然立ち上がり、リンの後ろへ隠れて呟く。
「黒い、人……」
震える小さな声。
しかしリンの耳にははっきりと聞こえ、疲れてはいるが明瞭になったばかりの思考に黒い失望の色がブワッと染み出す。
(あっ、駄目だ。これは絶対駄目だ。確かにあの人は黒っぽいけど、だからって言っていいことと悪いことがある。いや、むしろ単なる事実にここまで反応する私が悪いのかな? でも……)
瞬間的に感じた『悪』『失望』『差別』の三つ。
だがそれらの感覚が真実とは限らない。リンは反射的に注意しそうになったのをグッと堪え、考え直す。
求めるのは叱って終わりの強制や矯正ではなく、相互理解。
フランにだって理由がある。知らない人がいきなり近付いてきたら怖いし、黒猫を見て「黒猫だ」と言うように、彼の見た目をそのまま語っても問題ないはずだ。
(……真実や正しさが、人を傷つけない訳じゃない。事実だからこそ相手に伝えてもいいように、事実だからこそ、相手が傷つく。私が『優しい』フランちゃんの言葉に『悪い』と感じたのだって、フランちゃんが悪い子になった訳じゃない。そういう一面が瞬間的に出ただけ。でも、悪いことに変わりない)
迷走した思考がようやく纏まり、リンの意識が現実を再認識し始める。
まずはフランと話し合おう。こういう時、心が読めれば彼女の意図も分かるのかな。なんて思いながら、リンはなんとなくフランの方へ振り向く前にマリア達を見た。
心を見透かせるマリアはベールで隠れた顔をこちらに向け、その前に立っていたはずのカエルムと呼ばれていた男性は既にフランの言葉に気付いてリン達の目の前に。
「あっ、やっ」
それに後ろの少女は酷く怯えた声を上げながらリンの背にギュっとしがみつく。
しかし自らの行いを分かっているのなら尚更だ。リンは少し戸惑い悩んだ後、目の前のカエルムを見る。
結んだ口元から漂う堅い雰囲気。
最初こそリンは彼が話すのなら横で見守っていようと思ったが、カエルムの纏う印象からフランの間に居続けようと決める。もちろん、二人の邪魔をするつもりは無い。
「フランちゃん。ちゃんと話そ。ね?」
屈んで目線を合わせるリンに、フランは何かを必死に伝えようと不安に震える目で訴えかけるが、生憎リンはマリアではない。
ただそれでもフランは新しい友人だ。
彼女の真意は分からないが、一緒に怒られるくらいなら出来る。
「あっ、あの。ごめんなさい! ほら、フランちゃんも」
「うぅっ……ごめん、なさい」
振り返るとそこには、二人を見下ろす知らない大人の、少し怖い無表情。
だが直後、カエルムは優しく微笑み、膝を折って怖がるフランと目線を合わせた。
「えぇ、もちろんです。自分でも悪いと思ったから隠れたのでしょう? けれどあなたは逃げずにちゃんと謝れました。とても、勇気のある子ですね」
「「え?」」
思ってもみないカエルムの表情と言葉に、思わず二人は声を揃えて驚く。
特にリンなど、驚きの余り見上げ過ぎて帽子を落としかけてしまう。あれだけフランに対し思う所がありながら、結局は自分も同じ。いや、むしろ無意識の偏見に気付けただけ次の許しに繋がるはず。
……なんて、綺麗事や理想だけでは理解など到底できないぞと、リンの内で自罰心が嘲笑う。行い自体は偏見で勝手に嫌悪している人々と何も変わらない。規模や回数の違いはあれど、やっている事の構造は同じ。
自分の愚かさが、心底嫌だ。
「ですが、どれだけ善意であっても言動には気を付けましょうね。かの偉大なメリュラント・ラングルス・クトゥブーリカですら、現代において『災厄の魔女』と呼ばれているのですから」
直後、その言葉にリンは目を見開き、フランは先程マリアから聞いた知識を引っ張り出してカエルムの話の意図や意味を探ろうと下を向いて考える。
対してリンは違う理由で下を向いていた。
悟られたくない。見られたくない。最南端の土地で暮らしていたリンは幼少期の教育含め、ガーデンの神話や一部の歴史に触れる機会が多かった。
故に。だからこそ。
疑念の種が再び芽吹き、一つの推測が花開く。
ずっと考えていたことだ。外へ出てからの不安と孤独が、ずっと小さなリンに嫌な想像をさせていた。そのうえ、人々から話を聞くと余計に自身と師匠を取り巻く環境への疑念が深まるのだから。
「私はね、思うんですよ。『災厄の魔女』の罪は唯一神ヴァニタスが創造した世界に溢れる『セカイ』の力を独占し、神になろうとしたことと、楽園だった神の国を六つの国に分け隔てたこと。ですが私は、本当は彼女が善意だったのではと思っています」
そう言いながら立ち上がるカエルムに釣られてリンも少し遅れて立ち上がる。
彼の言葉に、何故か少し救われた。リンは薔薇十字教会の規律だとか宗教観などはあまり知らないが、それでも言葉で他人に救いを与える姿はやはり聖職者なのだと実感する。
けれど立ち上がる最中、彼の右の袖の内から何かが閃いてリンは話を聞きながら目線はずっとカエルムの服越しに少し膨らんだ右手首を注視してしまう。
「もちろんアイン……失礼、今はヴァニタス教でしたね。んんっ、私はヴァニタス教徒ではないので、彼らには失礼かもしれませんが、ガーデン大陸に唯一存在する楽園で唯一神が世界には『セカイ』が溢れているなどと多様性を説くのですから、『災厄の魔女』のような方が現れても不思議ではないと思うのです。お嬢さんはどう思いますか?」
「え、えと……ごめん、なさい。難、しくて」
「要するに色んな人がいていいってことです。色の世界だって赤も青も黄色もあって、赤系統となれば朱色も薔薇色もあるでしょう? 人間だって性別や環境、年齢や肌の色。あなたがいて、私もいる。それでも同じ人間で、同じ世界に生きているのですから」
難しい言い方だったが、それでもフランはカエルムの言葉に頷き、理解を示す。
隣で聞いていたリンも同意見だ。ただしカエルムの言葉に付け加えるなら、と言うよりリンの価値観・世界観からすると、そこに知っていてなおの自己判断だと理解しなくてはならない。
あくまで自己判断。決して自己責任ではない。
要するに使い方は自分で選ぶべきなのだ。相手を許すも、許さないも、自分で決める。相手を一部許し、理解を示し、それ以外を許さない。これも一つ。
罪を憎んで人を憎まず。
偏見は世界を狭めるが、偏見無くして興味はなく、興味なくして理解は無い。
大切なのは偏見に気付くこと。そして自ら改め、正すことだ。
「まぁそれでも法律や規則など、何をしてもいい訳ではないですけどね。『災厄の魔女』も神話通りなら国を分け、人を分け、大きな争いの火種を作った訳ですし、特に縁の国など大陸から少し離れて島国になってしまった訳で……そういえば、先程からそちらのお嬢さんはどうしたのですか? 私の……何か気になる事でも?」
「あぃえっ!? いや、その……手首に何か着けてるのかな~って。アハハ」
他人の話から派生させて脳内トリップをキメていたリンは我に返る。
焦って出た愛想笑いにカエルムは少し目を細めたが、すぐさま「あーこれですか?」とローブの袖をめくって腕に着けたそれを見せてくれた。
「十五歳くらいまではルナで暮らしていまして。その頃の友人が私の司教就任の祝いにと贈ってくれたのです」
「わぁー! かっこいいですね! やっぱり月の国の製品は銀色が渋くていいんだよなぁ」
「ええ、私も気に入っています。ただ少し機能が多すぎて、登録対応デバイスの遠隔操作だの心拍数の急変動アラートだのと、今の私には中々扱いきれなくて……」
それは機械式の腕時計に似た、全く別の何か。
光沢のある鉛色をした六角形の端末。月の国の知識があるカエルムとリンはそれが腕時計型の多機能デバイスだと分かって話しているが、周囲で聞いているフランとマリアからすると見た目以上にそもそも会話の内容が分からない。
「まぁそれでも、こうして透明人間を見つけられたのもこの子のおかげですがね」
カエルムはそう零して画面に触れる。
液晶に映った時刻は二時五十分で、彼は苦笑すると本来の目的を果たすべくマリアの傍へ行くとリンの方を向いて丁寧にお辞儀した。
「マリア様にお付き合いいただきありがとうございました。では、私達はこれで失礼します。さ、行きましょうマリア様。会議に遅れます」
「あら、もうそんな時間なのですね。ふふっ、ではリン様は後程。フランも、身体には気を付けるのですよ」
口元の微笑みを残し、最後マリアはリンとフランに「また会いましょう」と言って二人の視界からカエルムごと消えた。
時計を見るともうすぐ三時。リンは心身共に疲れ、今さっきの出来事がたったの一時間くらいなのかと、嘘か夢のようにすら感じる。だが、勝手に開いたように見える扉と、鈴の音だけが今までの出来事すべてが真実だと物語っている。
「はぁ……。フランちゃん大丈夫? なんか、色々あったけど」
「あ、はい。私は……大丈夫、です」
「そっか」
言った直後、リンは言い表せぬ罪悪感に襲われる。
今、自分の疲労感や苦痛をフランに共有し認識させて軽減させなかったか。つまりは自分の重荷を半分彼女に押し付けなかったかどうか。
なんて考えに飲まれかけたが、リンは大きく深く深呼吸し、考えを改める。
(気にし過ぎ。誰でもするし、実際フランちゃんだって巻き込まれてるんだから会話として間違ってない。大丈夫。大丈夫。今はただ、マリアさんの界法とかで気力と脳のリソースが削られてるだけ。大丈夫)
しかしそうしていると、今度はフランがリンを気にかけ言葉をかける。
「リン、お姉さん? あの、一緒に座りませんか?」
「……うん! ありがとうね、フランちゃん!」
「あ、はい……」
昨日もそうだが、何かこの子には他人には見えていない『何か』が見えているように感じる。リン自身五感は鋭く、時折他者の精神世界に深く踏み込み見透かせる瞬間があるが、それとは別の能力に思えた。
だからこそ、彼女はマリアと『友人』なのかもしれないが。
「あの……お姉さん?」
「ん? どうしたの?」
座るフランに続き、リンも席へ。
すると彼女はモジモジと、可愛らしい赤い靴の先を交互に擦り合わせながら何か言いたげにこちらを見つめる。
「いいよ。なんでも言って」
「その……」
そして彼女はしばらく両手をグッと服の裾を引っ張るようにしていたが、意を決してリンと目を合わせ、言葉にした。
「どうやったら界法師……って、辞められますか?」
「へ? なりたいじゃなくて?」
「はい。……辞めたい、です」
「…………」
思ってもみないお願いにリンの脳がしばらくフリーズする。
四捨五入して十七年の人生において界法師になりたい、や『代行者』になりたいから教えろなんて言ってきた連中はいたが、まさか逆が存在するとは思わなかった。
が、要するにフランにはそれだけの理由があるのだろう。
誰かに強要されて『契約者』になっているのか、選ばれて『代行者』になったはいいが、そのリスクに気付いて不安を抱えているか。
「えと、フランちゃんは『契約者』? それとも『代行者』?」
「『代行者』……です」
そう言ってフランはまた俯いてしまう。
前髪の隙間から見える彼女の表情には絶望……とまではいかなくとも、確かな悲しみと苦悩の色が見える。
どうにか、解決してあげたい。
けれど『契約者』と違って『セカイ』に選ばれた『代行者』は良くも悪くも特別だ。自ら望む、もしくは望んで集団に属する前者と違い『代行者』は彼ら『セカイ』が望んで行う。
そこには相互干渉が故の確認があるはずだが、彼らも彼らで強情だ。
いわゆる天賦の才と同じく、永遠と繰り返される勧誘や自身の素質や好みの傾向からほとんどの場合で選ばれた人は『代行者』になる。望む望まないに関わらず、『セカイ』はその対象を何が何でも祝福するのだ。
故に――
「……ごめん、フランちゃん。『代行者』は……辞められない」
「そう、ですか」
泣きそうな声で更に下を向く。
だが何も対策がない訳ではない。フランが『代行者』として何に困っているのかは知らないが、自らの内に宿った才能への向き合い方はいくらでもある。
「でも使わないって選択もあるよ。『セカイ』は私達に従順だから、言えば絶対に従ってくれる。もちろん真実を話してくれない時もあるけど、約束は絶対に守ってくれる。だから『セカイ』に飲まれちゃうかも~とかだったら界法を使わないのも手だし、その『セカイ』に関係する物事を止めて、距離を置くのも手だよ」
リンは椅子から立ち上がり、悲しむ少女の手を握る。
白く儚く、そして冷たい小さな手。その柔らかな手をリンは人生の先輩として優しく握り、俯く彼女の顔を覗き込みながら界法を行使する。
「【大丈夫。安心して、私がいるから】」
心を落ち着かせる花の香り。
肉体を少し温める植物の力。
二つを同時に、無詠唱……とまではいかないが、条件起動で発動させる。
「また何か不安なことがあったらいつでも相談してよ。フランちゃんの頼みなら、なんでも手伝うからさ」
「お姉、さん……」
リンの微笑みに、ようやくフランも顔を見せてくれた。
「ありがとう、ござい、ます」
「うん」
苦しそうだった顔が綻び、小さな花を咲かせる。
笑うフランにリンは手を伸ばし、優しく頭を抱きしめた。