第4話 平和な世界
「――【解除】」
気絶し地面に倒れる男を眺めながら、リンは周辺を閉ざしていた界法を解除する。
これで一件落着。問題解決。ふぅ、と安堵して息を吐き、天を仰いで徐々に晴れていく霧の先に広がる空を見る。
「……」
ぽっかりと空いた木々の隙間。陽光で葉脈が透ける葉の、額縁の向こう。
緩やかに流れていく白い雲と青い背景の美しい景色にリンの心のモヤモヤも、解除した界法と同じく晴れていく。
だが完全に懸念や問題が払拭された訳ではない。子供達の精神面や干渉してしまった周囲の自然環境が今後、元の健やかな状態に戻るかどうか。仮にもここは花と平和を象徴とするフラワだというのに。
(とりあえず今はこいつを運んで、アルバに騎士団を呼んでもらわないと)
そんな物寂しい気持ちを心の隅に置き、無詠唱で倒れた男を蔓で拘束。そのままリンは身体強化された肉体で掴み上げ、丸男の方へと歩く。
思えばガーデン世界に六つある大国の中で最も平和なフラワでさえ、毎日どこかで揉め事や事件が起きている。結局『平和な国』なんてのは、殺人や強盗などの凶悪犯罪が特に少ないという意味であって、犯罪が無いことを表している訳ではない。
それに最近はフラワ王都でも犯罪が増え、噂ではテロリスト集団『アイン教』の仕業だとかどうとか。今回倒して捕まえた彼らも、裏で手を引く大きな影の末端だったりするかもしれない。
(……な~んて、考えすぎか)
そう自嘲気味に考えながら、リンは掴んだ男をお仲間の隣に寝かせる。
いや、元お仲間と言うべきだろうか。なんて、そんな冗談を一人脳内で思い付き、ほくそ笑んでいた直後、リンは重大なことに気付いて来た道を振り返る。
(逃げた先に仲間がいる!? なら馬車か何か……【生命探知】!)
もし暴行が目的なら少年達をナイフで脅すなり殺すなりしてから少女の花を散らせばいい。だが、彼らは少女を袋に入れて攫い、どこかへ逃げようとしていたのだ。向かった先で仲間が逃走手段をもって待っていると考えるのが自然だろう。
展開した界法の効果範囲を全力で広げ、リンは敵の仲間を探す。
男達が向かおうとした先。森の奥。公園の敷地を越え、大通りに停車している馬車を三台見つけた。
(どれ!? いや、今から急げば……あっ!)
だが、リンに分かるのは生命体の情報のみ。要は馬と人間がいるとしか分からず、荷台がどうなっているだとかは知りようがない。
そのうえ、リンが【身体強化】で走って行こうかと考えている内に三台ともどこかへ走り出してしまった。
「ぐぅっ……はぁ、仕方ない。元は断てなかったけど、末端は捕まえられたし」
悔しい気持ちを溜息と共に吐き捨て、気持ちを切り替える。
それにまだ周囲に仲間がいないとも限らない。今はとにかくアルバ達と合流し、彼に騎士団を呼んできてもらうのが最優先。
そう考えリンはすぐ向こうに見える子供達の下へニコニコ笑顔で向かう。
アルバが騎士団を呼んでいる間、子供達の面倒を見るのは自分だ。なら少しでも仲良く過ごそうと、彼女なりに愛想良くしているつもり……だったのだが。
「ひぃ! 怪力ゴリラ女!」
「隙間の魔女!」
「ちょっと! 助けてくれたお姉さんに何言ってんのよ!」
「うん。お姉、さんは……優しい、よ?」
近付くリンに男の子二人が怯えた様子でそう叫ぶ。
幸いラベンダとフランがすぐにリンを擁護するのだが、言われた本人は何故怯えられているのか分からず笑みを張り付けたまま立ち止まる。
ただ、彼らからすればリンは助けてくれた人であると同時に、人を片手で掴んで歩く怪力と森に霧を出し怪鳥やら得体の知れない虫やらを出した張本人でもあるのだ。
「…………?」
困惑したまま、怖がられている理由も考えるリン。
やはり道中アルバに言われた通り、この幅広で大きな三角帽子は子供達にとっては恐ろしく見えるのだろうか。それとも少し鋭い眼のせいか。それか、自分の背の高さが小さい子供達には威圧的に感じられるのかも……。
実際、リンの目線の高さからアルバにくっ付いている子供達を見る場合、どうしても俯くか見下ろす形になってしまう。アルバにも時折「顔が怖い」と言われる辺り、余計に恐ろしく映っているのではないか。
「こーらチビ共。あんまお姉さんを困らせんなぁ~。このお姉さんはな、ちゃんと優しい魔女なんだぞ」
「そうよペラル! お姉さんが私達のこと助けてくれたの、見てたんでしょ!? だったら謝って、お礼も言って!」
「はぁ!? なんで俺がお礼言うんだよ! 捕まったのはラベンダだろ!」
「なんですって!」
そんな不安を、アルバのフォローが多少晴らす。だが安心したのも束の間、今度はラベンダと、彼女にペラルと呼ばれた金髪の生意気そうな少年の言い合いが始まる。
二人の喧嘩にリンはどうしたらいいのか分からずワタワタと慌てるが、こういう時の対処はアルバが上手い。彼は喧嘩する二人の頭にポンと手を置いて、それから視線を合わせるように屈むと、リンの方を指差して言う。
「ほ~ら喧嘩すんな。今からあのお姉さんが凄い界法見せてくれるから。な?」
「へっ!? 私っ!? え、えっと、どういう界法がいいかな?」
「あ~……とりあえず薔薇とかか? お前らも好きだよな?」
焦るリンの姿にアルバは無難な答えを用意し、子供達に同意を求める。
薔薇はフラワにおいて最も人気な花であると同時に、とても重要な意味をもつ。美しさと強さ。棘のある、気高い孤高の花。フラワ国旗にも描かれている通り、桜を守る薔薇の盾は、民草を守る国家機関の象徴だ。
つまるところ、子供達にとってはヒーローくらい人気がある。
「じゃ、じゃあみんなお姉さんの手を見ててね」
アルバの言葉に目を輝かせ、早く見たいとリンの手を注目する子供達。
そんな彼らの切り替えの早さと熱量に少し圧倒されるリンだったが、せっかくアルバが自分に与えてくれたチャンスだ。ここで自身の界法師の腕前を見せてアピール出来れば、子供達とも仲良くなれるかもしれない。
「いくよ~……ハイ!」
そうやる気になったリンは子供達と目線を合わせるように屈んでから、何もない手の平を閉じてくるりと回し、再度手を開ける。するとそこには一輪の見事な薔薇の花があった。
「どう、かな? 驚いた?」
ニコニコと、少し興奮気味に子供達に聞くリン。
今のは結構手応えがあった。物体の創造。その速度。加えて無詠唱だ。界法師についてあまり詳しくない人でも、これなら一目で凄いと分かる。
だが、見方が変われば世界も変わる。
裏と表で色の違う折り紙のように。光の当たり方で影の形が変わる円柱のように。
結果、見ていたアルバや子供達にとっては……
「なんか、マジックみたいだな」
「マジック!?」
ペラルと呼ばれていた少年の一言に、思わず復唱して驚くリン。
その姿にアルバは笑いを堪えられず吹き出し、後ろを向いて口を手で押さえる。
「ちょっとペラル。お姉さん頑張ってくれたんだから、ちゃんと褒めなさいよ」
「いやっ、でもやっぱマジックじゃん。見た目だけ魔法使いみたいな……クレマもそう思うだろ?」
「僕? う~ん、僕はマジックでも凄いと思うけどな。帽子も、なんというかソンブレロみたいでカッコイイと思うけど」
「そんなにメキシカッ……んんっ。な、なんでも、ないですぅ」
子供達からの散々な言われようにショックを受けたリンは思わず異界の概念を持ち出しそうになるが、ギリギリのところで踏み止まる。
それより問題は彼らに自分のアピールポイントが何一つ伝わっていないことだ。あの一瞬で出来る限り良いものを見せようと、ビックリさせようと思ったのに。
そんなリンの不器用な優しさを察してか、俯く彼女にアルバとフランが近付く。
「大丈、夫。お姉さん、は白くて……いい人」
「お、よかったなリン。ちゃんとこの子には伝わったみたいだぜ?」
「うぅ~ありがと~フランちゃーん」
こちらの袖を掴みながら慰めてくれたフランに喜びを伝えつつ、その小さな頭をリンは優しく撫でる。
二人の様子を見下ろすアルバは「え、俺は?」などと感謝を求めてくるが、そんな厚かましい奴に言う言葉など無いとリンはジトっとした目で彼を見上げた。
「アンタねぇ……」
しかし彼の口添えあっての現状……なのも事実。
少しばかり気恥ずかしいが、ここで礼を欠くのも違う。それに彼のおかげでリンは冷静に、何故ここへ戻ったのかを思い出した。
自分の気持ちより、相手の感情。
リンは立ち上がると彼の目をチラッと見て、その真っ直ぐな瞳に耐え兼ねて視線を外す。だがしっかりと、言うべき話はする。
「まぁでも? その……ありがとう、助けてくれて」
「お、おう。なんか今日素直だな、どうした?」
「なっ! はぁー!? アンタなんで毎回一言余計なのよ! それと、あいつらの仲間がまだいるかもしれないから、さっさと騎士団呼んできて!」
素直に言ったにも関わらず、この仕打ち。
流石の自称すっごく優しい代表のリンでさえ、これにはしっかりと抗議し、勢いそのままついでにお願いもする。
対してアルバはまさかこの程度の小さな気遣いに彼女が感謝してくれるなんて思っておらず。それどころか、自身の無意識的な行動を褒められたことを飲み込めずに、何か裏があるのではと勘ぐってしまった。
「だぁー、分かった分かった悪かった。とりあえず行ってくるから。……お前らも、このお姉ちゃんと一緒に待ってろよ? 騎士団呼んでくるからな」
結果、互いが互いに気まずさと小さな罪悪感を抱え。
アルバは降参だと言わんばかりに両手を上げて騎士団を呼びに走り、リンは少し頬を赤らめ彼からプイと顔を背ける。
だが、そんな二人の様子に子供達は好意的な印象を抱いたようだ。
「ねぇ! お姉さんってあのお兄さんと付き合ってるの?」
「ふぇっ!? え!? 私!?」
ラベンダの純粋な質問に取り乱すリン。
性格上、相手が子供だろうと嘘は吐けない。確かにアルバとの関係は特別なものだが、恋人関係ではないし、ましてこの『特別』は彼の他に友人がいないからかもしれない。
そんな風に言葉の正確性や情報の真実性を真面目に考えすぎるあまり、リンはラベンダの質問にいつまで経っても答えられず、何をどこから伝えるべきかと口をパクパクし続ける。
「あんた以外に誰がいんだよ」
「ペラル! 言い方!」
「は? 別にいいだろ? 恥ずかしがることでもないし、あっちの方が年上なんだからさ。で、彼氏くらいいるんでしょ?」
「だから言い方!」
しかし、いつまでも悩んでいられない。
自分の返答が遅いせいでラベンダとペラルがまた口喧嘩を始めてしまった。それをクシャクシャっとした癖毛の少年が止めようとしているが、二人共「クレマは黙ってて(ろ)!」とヒートアップするばかり。
とにかく今は早く何か答えなくては。リンは口から出まかせでもと思いながら頭の手前にある情報から言葉にした。
「あっ、ちゃんと話すから、二人共一回落ち着いて? ね?」
喧嘩を止めるべくリンは屈み、二人の肩に手を置いて落ち着かせる。
それから一度大きく深呼吸をしてから次は自分の番だと、まだゴチャゴチャしている想いを少しずつ紡ぐ。
「えぇーっと、ね? あの人と私は恋人関係じゃないけど、私は大切に思ってる。私にとっては初めての友達で、初めての弟子だから……」
頬を秋空に染め、熟れた稲穂のように俯いて話す、青い花。
まだ花を散らせたことも、種子を実らせたこともない彼女だが、それでも子供達に向かってはにかんだ姿には僅かでも色があった。
それは、色知らぬ若葉達でさえ色彩に想い馳せてしまう程に豊かで、暖かな心模様に他ならぬ。
もちろんリンの想いなど当然子供達の理解するところではないが、だとしても近しい認識を身近な家族から感じている。きっとそれは恋ではなく。
「じゃあ! 二人は愛し合ってるのね!」
「へ? えっ!? なんでそうなるの!?」
故に、ラベンダは思った感想をすぐさま口にし、その言葉に他の三人も頷く。
「お姉さんの名前は?」
「えと、リン……」
「私はラベンダ! こっちはフランで、前髪で隠れてるのがクレマチス」
強引な彼女の言葉に面食らうリンだったが、ラベンダに紹介されて静かに頭を下げるフランと「初めまして」と挨拶してくれたクレマチスにハッとさせられ、挨拶を返す。
「よろしくね、ラベンダちゃん。フランちゃん。クレマチス君」
「あ、僕のことはクレマでいいですよ」
「そうなの? じゃあクレマ君」
「おい! 俺は!?」
「自己紹介くらい自分で出来るでしょ?」
和やかに自己紹介をする中、最後までラベンダから紹介してもらえなかったペラルが彼女に向かって文句を言う。
対してラベンダは待ってましたとばかりに正論でのカウンター。先程の口喧嘩もそうだが、この二人は何かと競い合いたいらしい。
そう感じ取ったリンは二人が喧嘩を始める前に止めようと、ペラルの方を向き、目を見て微笑む。
「ペラル君、だよね? 大丈夫。ちゃんと聞いてたから」
「う、うん……」
「よし! じゃあみんなで待ってる間、お姉さんが凄い界法見せてあげる」
微笑む自分に照れて目を背けてしまったペラルを可愛いと思いながら、リンは立ち上がって手を叩き、とっておきの界法を使うべく準備する。
幸い子供達はその手に長めの枝を握って地面に大きな円を描くリンの姿に興味津々で、飽きて勝手にどこかへ行く気配も無い。これなら自分一人でも、なんとかアルバが戻って来るまで全員の面倒を見ていられそうだ。
「いい? これは『結界』って言って、誰でも作れる簡単な『セカイ』なの。で、今からこの内側に私の権限で自然界の力を自由に使えるようにするから、見ててね」
そう言ってリンは子供達を円の内側に入るよう促し、詠唱を始める。
本来ならば界法陣として内側にもっと世界観を表す象徴物を置いたり模様などを描かないといけないのだが、今回は遠隔操作や誰かに間接的な操作をお願いする訳ではないうえ『花の界法師』本人がいる。
「【代行者リンが命じる。結界の内は私の領土、私の『セカイ』。客人を招き、力を貸す。春の名を冠す子供達に今、一時の祝福を与えよ】」
ただの円であっても、そこに意味を込め、その意味を認識する者がいる。
線という物質的・物理的境界。円形は『セカイ』の象徴という概念。そしてそれらを認識し賛同する、リンを含む子供達四人。界法の行使に『物質』『概念』『認識』の三界すべてが絶対に必要な訳ではないが、ともかく界法としての条件は揃った。
これにて『セカイ』は創造され、完成する。
「さ、これでみんな一時的な『契約者』になったはずだから、試してくれるかな?」
リンの言葉に、子供達は輝かせていた瞳をキョトンと惑わせる。
詠唱の割に何か変わった様子を感じない。けれど目の前の人が本物の界法師なのは分かっている。そうして皆が皆、目を合わせて悩む中、ペラルが思い切って「さっきの花出ろ」と念じた。
「わっ、ホントに出た……」
ぱぁっと目を輝かせたペラルの手には、先程マジックと言われてしまったリンと同じ赤い薔薇が。その姿に他の三人も目に光を咲かせ、思い思いに界法を行使する。
花・鳥・風。
子供達は想像力を働かせ、時にリンに質問しては自由に生み出し、自由に操る。流石に月までは創れないが、彼らは雅や風流より初めての経験に大層はしゃいでいるようだ。
楽しければそれで何より。
ついさっき恐ろしい思いをした彼らが、こうして笑って過ごせるならば一番だ。
(月……は、太陽の光を浴びて初めて私達の目に認識される。なら、これは花鳥風月より素敵な花鳥風陽……かな?)
子供達の姿に界法行使による多少の頭痛も忘れ、リンは思わず心の内で想い馳せる。
自分も、あの南端にある家で今も母様と暮らしていれば、こうして子供らしくはしゃいでいたのだろうか。
「あの……リン、お姉さん?」
「ん? どうしたの?」
そうしてボンヤリと子供達を見ていたリンのスカートの裾を、優しく握って引く小さな手。足元を見ると、少し不安そうな上目遣いでこちらを見るフランの姿があった。
「あの、さっきは……黒い、人? から、助けてくれて、ありがとう、ございます」
「……ううん。フランちゃんが無事で、私も良かった」
一生懸命な感謝の言葉に一拍遅れて、リンは屈んでフランの小さな頭を撫でて微笑む。
というのも倒したあの悪党の服は藍色。確かに髪や肌は浅黒く、子供が黒い人と表現してもおかしくはないのだが、リン自身もまた彼女に「白くて良い人」と言われている。
まぁ、大して気にするほどの疑問でもない。
けれど何故か、リンの心に引っかかる。もしかしたらフランのクリーム色の髪や少し白すぎる肌も先天的な色素欠乏で、視覚にも何かしらの影響があるのかもしれない。
(気になったからって返事が遅れるなんて……ホント、気を付けなきゃ駄目。こんなの私が悩んだって仕方ないんだし、きっと家族が気付いてるんだろうから。悩まない)
リンは好奇心による衝動を飲み込み、立ち上がって再び子供達の様子を確認する。
フランはまだ少し不安なのか、裾から手を離さず少し遠くを見つめているようだ。
助けた時はあんなにも冷静に落ち着いて見えた彼女も、当然怖かったはずなのだ。
きっと、自分より怖がっている友達の為に一生懸命に頑張ったのだろう。と、そう考えたリンは隣にピッタリとくっ付いているフランの頭に優しく手を置き、「あなたは優しいね」と小さく言った。
「そう、ですか?」
「うん。私はそう思うな」
互いに何か近しいものを感じた二人。
すると直後、この和やかな雰囲気をぶち壊すほどの大声が聞こえる。
「おぉおい! リン!」
瞬間、アルバの大声に驚いたフランがスカートの裾を握ったまま、自身を守ろうと手を頭上にもっていく……。
声に振り返るリン。捲れるスカート。そして、丁度良くラベンダが行使した風を起こす界法。
「なぁヴぁッ!?」
突然のことに驚きすぎて変な声を漏らすアルバ。
彼が見たのは、風に舞う桜の花びらと、捲れるスカート。奥に隠れた、乙女の神秘。
そして蕾は花開き、アルバは隠された紫苑の装飾を目に焼き付ける。
前から紫色が好きなのは知っていたが、まさかそこまで『花の界法師』だとは思わなかった。加えて、こっちを振り向くリンの顔があまりにも普段通りの静かさで、それが余計に彼の心をギュっと締め付ける。
「へ? ……ッ!?」
「見てない! マジでなんも見てない!」
状況に気付き、慌ててスカートを手で押さえるリン。
辛うじてアルバの後方から遅れて現れた騎士団の人達からは自身の神秘を守れたようだ……が。
「…………えっと、捕まえた犯罪者は向こうです。お願いします」
互いに気まずい沈黙の後、リンは騎士団に捕まえた悪党の場所と一人が『契約者』であったことなどを冷静に話す。
あくまで冷静に、平静を保って。顔が赤いとか、心臓の音がうるさいとか、そういうのが絶対にバレていませんようにと願いながら。
「ご協力、感謝します!」
騎士団のお兄さんの爽やかな笑顔にぎこちない笑みを返すアルバとリン。丸男はそのまま連行され、髭の方は界法師専用の手枷と耳当てを付けられて連行されていった。
対応の違いは、脅威の違いだ。界法の犯罪利用はどの国でも重罪となる。考えるだけで世界に干渉できるのだから、当然と言えば当然の対応。だからこそ界法師の収監は音などの刺激で意識を分散させて、考えをまとめられなくするしか方法が無く、特に強力な界法を扱える『代行者』ともなれば、薬物を使って廃人状態にする場合もある。
故に、過去の人々は界法師を差別した。
思うだけで証拠も残らない。きっとこの災害も病も不幸も理不尽も何もかも、アイツらのせいだ。自分達と殆ど変わらない姿でありながら、中身は『セカイ』に魂を売った恐ろしい悪魔のせいだ。
「で、アルバ? 話の続きをしたいんだけど」
「ハナ、シ? いやぁ~俺はなんも知らないんだけどなァ~」
今でこそ染髪やタトゥー、カラーコンタクトはオシャレの範疇だ。
だが、昔は界法師支持者の証。もしくは自らを守る為の、見せかけの力。
それか――内に宿った『セカイ』に少しずつ肉体を変えられている証。
「はぁ……別に、私怒ってないから。だから正直に言って。あれは……ほら、事故なんだし」
今の平和はその数多の屍の上に成り立っている。
決して楽な道ではなく、一人一人の意思と行動によって成り立っているのだ。
互いを知り、知ろうとし、許し合う。
かつての人類にリンのような『代行者』と、生来の赤毛であるガーネットや色素の薄いフランなどを判別する方法は無かったのだから。
「えぇっと、その……」
どう切り出すか悩むアルバに、見たなら見たで早く言って欲しいリンは待ちきれずに近寄る。だが彼からすると急に至近距離まで近付かれて、余計に緊張してしまう。
「あーもう! 恥ずかしいなら、私の質問を否定して。……下着、見たの?」
「見てませんっ!」
顔をグイと近付けて話すリンは、子供達と遊んでいた界法を解除し、新たな界法行使のために詠唱を始めた。
「そう。――【彼の心根より咲く花よ、私の前に咲きなさい】」
直後、アルバの胸から見事な黄色の百合の花が咲く。
それをリンはまじまじとしばらく見つめ……ゆっくりと結論を述べる。
「黄色の百合の花言葉。陽気。不安。偽り……うん、だと思ったけど、忘れなさい。いいわね?」
「えっ? 忘れろ?」
「え、もう忘れたの? なら別にいいけど……」
「でもさリン、流石にあのスケスケ花模様は――」
緊張からの弛緩。
人間、緩んだところに隙は生まれる。
「……【咲け】」
アルバが失言に口を噤むよりも早く、リンの界法が彼を襲う。
「ぎゃああああああああああ!!!!」
植物に身体を拘束され、鼻から花を咲かせられ。
アルバの絶叫する姿に後ろで見ていたペラルとクレマチスがボソっと「やっぱり隙間の魔女」と漏らした瞬間、リンは笑顔で振り返る。
「さ、みんな帰ろっか。みんなの家まで私が安全に送ってあげるからね」
彼女の言葉に子供達は静かに頷く。
そして動けずフガフガと藻掻くアルバを他所に、リンは四人と手を繋いで安全に家まで送るのだった。