第23話 顕現したセカイ
顕現した『生物界』が微笑む。
その意図も意味もリンには分からない。ただひたすらに恐ろしく、溢れ続ける圧倒的な生命力がこちらの死を悟らせる。
それは、まるで森で出会ってしまった熊。茂みから飛び出し噛みつく毒蛇。あるいは気付かずに触れてしまった毒虫。もしくは突然ナイフを取り出して迫ってくる人間。
遭遇した瞬間に、死を覚悟する。
そんな存在。もしくはそれ以上の災厄。目の前にいるのはあらゆる生命を内包した生物界そのもの。直後にソレは内なる力に耐えかねたのか、少しむず痒そうに身をよじるとブクブクと皮膚を泡立てて膨張していく。
「ハ……ハハハ……」
リンは巨大化するソレを前に立ち尽くし、事の成り行きを見守るしかなく。
乾いた笑いが零れるが、決して一つたりとも笑い事ではない。何せ向こうの形が人間であったから、まだ精神を正常に保てていたのだ。
それが、今はより神話性の高い外見へと変化していく。
膨張し続ける肉体は途中、当然とも言えるが元の肉体限度を超える度に破裂し、内から血肉と共に幼い生命を産み落とす。それも大量に。
種。卵。幼虫。幼魚。赤子。
リンの目に映る範囲でこれ。もし【生命探知】を使っていれば、どれだけの反応があっただろう。間違いなくリンだって生命を司る側であるのに、剥き出しの生命達が放つグロテスクさに完全に呑まれ、思わず気分が悪くなる。
「……これなら、柘榴でもお供えしたら許してもらえませんかね?」
産み落とされた彼らは本能なのか、母体であるソレに向かって這い進む。
落された穴へ。温かな生命の源泉へ。しかしたどり着くより先に、彼らは母体に触れた瞬間死に絶え、ソレの身体を構成する一部となって同化した。
地面に残ったのは無数の死体・死骸。
腐臭。体液を含む臭いと、ソレへ戻ろうとしなかった仔や種。その成長した姿。
気付けば周囲は人の手が入る前の、最後の神秘。純粋な森となる。
学校の校庭だったはずのそこは、一瞬にして生命神秘が蠢く恐るべき『異界(場所)』となり、中心にはリンと、強大で壮大な生命の化身が存在している。
【許す? 何を許すというの? 生命に許しは不要よ? あるのはただ、営みだけ】
一見すればソレは、超巨大な妊婦のようであった。
しかし人々がかの『セカイ』に押し与えた概念要素は繁殖と繁栄に加え豊穣であり、完成した神体はそれらの要素を反映して出来ている。
豊満な女体を礎に、臨月の腹。複数の乳房。慈愛の微笑み。
大まかには原案たる人間の形に似ているが、人とは隔絶した存在であるのは言うまでもない。
腰と横っ腹からは他生物の脚が生え、特に腰回りはスカートのように脚が生えそろっている。背にはいくつかの羽や翼が生え、複数の尾が時折見え隠れする。頭部には触角と角、そして耳。顔もよく見れば、ほくろに見えるだけで複眼がいくつもある。
【それともあなたは別なのかしら。『ガーデン最後の神話(Myth-ing)』さん?】
「は……? え……?」
見惚れていた。それも嘘じゃない。
どちらかと言えば恐怖で、目が離せなかった。少しでも気を逸らせば、殺されてしまいそうで。
だからこそ、かの存在の言葉はリンを驚愕させた。
【あら、何も知らないの? そう。神も魔女も酷いことをするわ。それなら知性なんて与えなければいいでしょうに】
「な、なんの話ですか?」
恐る恐る、リンは口を開く。
幸いと言うべきか、かの存在は随分とお喋りだ。暴走ではなく顕現であったおかげなのか、無闇に力を振るう様子もない。ならば平和的にお帰り願おう。
何しろ相手は『セカイ』そのもの。
概念の具現化である彼らに物理攻撃は効果が薄く、界法でどうにかするにも同じだけの影響力と干渉力でなくてはいけない。具体的には国家の法程度の力でやっと制限できる。他には界法の極致である『自己解放』を使うしか対処と言える対処は無く。
故、最善は時間経過による物質的な神体の消滅。世界に『セカイ』が形をもって顕現しているという異常事態を、それこそ世界の強制力による影響・干渉で以って本来の概念へと還すのだ。
【あなたの生まれ。あなたの力。……それか、あなたの運命ね】
「えぇっと、難しい話ですか?」
【いいえ。もっと単純な話よ? あなたには世界を変える力と権利がある。それなのに神も魔女もあなたにその権利を教えずにいるの】
「…………?」
話を聞いて、リンは困惑する。
もっと話を引き延ばさなくてはいけないのに、質問や疑問をぶつける段階に無い。間違いなく前提が抜けている。むしろ何故『セカイ』が自分のことを知っているのだろうか。疑問を呈するなら、ここからだろう。
【ふふっ。これを教えるのがワタクシタチの役目。あの子の願い】
「あの子?」
しかしかの存在は残り少ない時間を理解しているのか、リンが質問するより先に答えを教えてくれた。
【あなたが殺した仔よ? あの子はあなたがアイン教に入らずとも、道は同じだと思ってるみたい。でも、その道がどんな道か知らなければ駄目でしょう? だから教えてるの】
慈愛の笑みと共に、その巨大な指先がリンへと向かう。
潰されるか、握り殺されるか。いずれにせよ、向こうの力加減一つで自分の命など路上の染みにすらならないだろう。
だが、向こうは器用にその人差し指で小さな命の頭を優しく撫でる。
まるで生まれたての子猫に人がそうするように。丁寧に、慈しみをもって。
【可愛らしいワタクシタチの仔。あなたは本来こちら側でしょうけど、その姿の内はワタクシタチの仔よ。ふふっ。だからいつでもいらっしゃい。あなたが命を受け入れる度に、ワタクシタチもあなたを受け入れるわ】
「あ、ありがとうございます?」
そしてリンは恐怖を受け入れ、すり減る意識も正気もなんとか保って恐るべき温かな人差し指の愛を無抵抗に受け入れる。
あと少し。あとほんの少しだ。周囲の、かの存在の輪郭が徐々に光の粒となって霧散していくのが視界の端に映る。あと数秒か、数分か。どちらにせよ顕現した『セカイ』の影響なんて少なければ少ないだけ嬉しい。
そう思ったのも束の間、かの存在はリンを気遣った。
【いいのよ。ワタクシタチは全生命体の母であり父。今はこうして目の前にいるけれど、本来はワタクシタチの胎の中にいるのがあなた達なのだから。……ふふっ、だからね、もっと甘えていいのよ?】
「……へ?」
【疲れているでしょう? 先の争いで、命が足りていないわ】
「い、いえ! 大丈夫です! ホント、あとでご飯も食べますから!」
瞬間、リンはある予感に慄き慌てる。リンに祖母はいないが、この手の会話には多少の知見があった。
これは、久しぶりに会った親戚の、特に高齢な方々の何かにつけて若者に食べさせたりするアレだ。まぁ確かに『セカイ』からすればリンなど孫どころの騒ぎではないのだろう。だが人の、家族という世界観の中ですらあれだけ大量に与えてくれるのだ。それが人と『セカイ』なんて規模も程度も隔絶した存在から与えてもらうとなれば……どうなってしまうのか。
【遠慮しないで愛しい仔。命なんてありふれて、溢れているもの。特にニンゲンは多くを欲するのでしょう? 最後にたんと食べて、安らぎに浸るといいわ】
「――――ッ!?」
直後、歌声が世界に響く。
それは『セカイ』が直々に下す界法。悲鳴にも、咆哮にも似たそれは詠唱ですらなく、かの存在にとっての『癒し』を与える為の声音であった。
だがリンに耐えられる程の『癒し』であるはずもなく、彼女の肉体は僅かに癒しとも受け取れる要素だけを感じて倒れてしまう。
一瞬映った緑と空色。木々と土の匂い。心地の良い風。豊かな味わい。温かく優しい声音。それら五感が大量にリンの脳へと送られ、休む間もなくリンは鬱蒼と茂る森の中、意識を失った。




