第22話 名も無き園より『セカイ』へ
吹き飛ばされた瓦礫の中、少女は笑う。
未だ拭えぬ、姉と慕う彼女からの黒い憎悪。肉体を這い回り、蠢き、蝕む。それを少女は愛だと感じた。だって、互いを肉欲で貪る番いのようじゃないか。と、アインソフ嬢は暗闇の中で自らの肉体が徐々に削られ消滅していく感覚に喜び震え、絶頂の至りとなる。
だが、それも束の間。
彼女の暗く黒い愛は消えてしまった。終焉に向かうはずが一瞬にして肉体が復元され、再生していく。仕方がない。少女は失った身体の先からウニウニと血管や筋繊維が新たに生まれ伸びていく感覚に少し寂しさを感じたが、瞬く間に切り替わり、次なる愛と快楽への期待感に心を躍らせ這い出す。
激しい頭痛も、崩れかけの『セカイ』も、傷つく身体も少女を止められはしない。
命があればそれでいい。次があればそれでいい。アインソフ嬢にとって『愛し、愛され、愛し合う』とは、命の循環や営みにおいて『殺し、殺され、殺しあう』と同義なのだ。
「あらあら、もっと愛し合いたかったのにぃー。キヒッ」
故、『生命の界法師』としての主力は未だ万全。
力の根源は明確で、目的は最初から一つしかなく、想いもまた一つ。今はただ彼女が欲しい。この目的が達せられるまで、もしくは命が失われぬ限り名前の無い少女の界法は終わらない。
(あれ? なんで裸? というかどうしてあんなとこまで……まぁいいか。むしろ髪色と瞳の色が変わってるのに気を付けないと。親和性が上がったか、【華凛】の影響で『セカイ』が崩壊寸前か……? あれ? いや、私さっきも同じこと考えてなかったっけ……?)
見つめ合う両者。
片方は疑問と警戒を、片方は興味と欲望を。
無意識的な欲求にアインソフ嬢の『生物界』も応える。その背を変形させて触手を創り、これで貫き犯したら、彼女はより強い感情を少女へと向けてくれるだろうか。
「あは」
もっと見て欲しい。もっと恨んで欲しい。もっと憎んで欲しい。
だって強い感情は相手の心を占拠して、常にそれらを想わせる。日々のすべてに自分を感じて、自分を想ってくれる。これが愛でなくてなんなのか。
対してリンは触手を生やして前傾姿勢になる少女に対し、拳を握る。
来る。と、直感が言う。しかし握った右の拳に違和感が生じた。複数回の【華凛】の使用。その意識の疲労感に対し、思考はかなり明瞭で、感覚の齟齬に動きが止まる。
(あれ? 知らないうちに使った? いや、相手の界法?)
その一瞬の疑念に対し、少女は本能で突っ込んでくる。
「ッ!? 【貫け!】」
「アハハッ!」
咄嗟の判断で地中から生やした幾本もの竹槍。
直後リンの頭は激しく痛み、同時に手足の痺れと若干の眩暈が襲う。
理由は分からない。
分からないが、とにかく今は界法の規模や複雑な効果を控えろと脳に叩き込む。ふらついている場合ではない。意識をしっかりと保ち、なるべく接近戦に持ち込むべきだ。何しろ相手は貫かれて宙に浮いた肉体を変形させて脱出しようとしている。少し前にリンが脚を一時的に変化させたのとは訳が違い、恐らくアレは自らの肉体を顧みないのだろう。
(前より変形が遅い。よかった、ダメージはちゃんと入ってる。……大丈夫、耐久と精神面では向こうが有利でも、戦闘経験と界法はこっちが有利!)
リンは思う。推測ではあるが、間違いなく『変形と再生』が敵の得意界法だ。ならば中距離以上での戦闘はこちらが不利。物理攻撃があまり意味をなさない以上、距離を取っての界法の撃ち合いでは一方的に消耗させられる。しかし近距離に限っては体術と【華凛】のあるリンが有利。
実際、アインソフ嬢の動きは単調だ。
ただ突っ込む。ただ触手を刺そうと伸ばす。その規模や速さに惑わされそうだが、異常なまでの回復界法がなければ相打ち前提の攻撃ばかり。そもそも、あの少女は一度だって攻撃を躱そうとしていないし、反応できていない。
勝機は、そこにある。
「【身体強化】」
深く息を吐き、強く地面を踏みしめ押し出す。
眼前の敵にとって人体の変形と再生が無意識にでも出来る得意界法ならば、リンにとってのそれは間違いなく身体操作だ。
「あら、お姉様から来てくれるグォッ!?
「…………」
竹槍の剣山から抜け出した少女の、赤子のように前に伸ばした腕をリンは振り払い、掴み、拳を腹に叩き込む。
日々の鍛錬と、日々の訓練。
純粋な肉体錬磨に加え、長く細い髪の毛を操り結い結ぶ操作精度。それこそリンにとって全身を動かす行為はアルバが手足や指先を操るより精密で繊細だ。強化され、普段とは全く違う肉体感覚の中でも、一部の狂いもなく自身の意思を肉体に実現させる。
(腹。横。顎。股間。膝。崩し……)
殴打に次ぐ殴打にて、リンは少女の触手を解除させる。
それだけ向こうは『セカイ』も意識も余裕がない。瞬間「ここで完全に黙らせろ、もう二度と起き上がれないように」と暗い声が脳内で囁く。
「……【華凛】」
「ギャッ!」
「【華凛】……【華凛】、【華凛!】」
「ぎゃ、ぃぁ――」
地面に倒した少女の顔を全力で踏み潰す。
右腕は使えない。左腕も界法の指向性を示すため残しておきたい。だから足だ。
「なんででしょう。あなたを踏み潰すのがとても楽しい。ずっとこうしたかったような、そんな気持ちです」
まるで槍のように、親指の付け根の一点を突き刺すが如く踏みつける。
何度も、何度も、何度も。どうせ敵は動けない。【華凛】を右足で二回、左で二回。これであと、それぞれ一回ずつ【華凛】を残している。だが、既に少女の肉体は起き上がることも目を覚ますこともないはずだ。
殺した……とまではいかない。
けれど今までの生活が困難になるほどの苛烈な攻撃をした。最悪の場合、脳の損傷により脳死、もしくは植物状態となるだろう。だが、この国には他人の頭を覗き見れる者、自他の境界を操って相手の過去を自身に同期させられる者、そして眷属として不死の傀儡に堕とせる界物もいる。
何一つ問題ない。
意識が完全に無いというのは、それだけ恐ろしい状態なのだ。特に界法師の前では、無地で無抵抗な自由帳と同じくらいに。
「……はぁ。何やってんだろ、私」
しかし今度こそ完全に沈黙した少女を見下ろしながら、リンは悲しい溜息を吐く。
勝ったはずだ。解決したはずだ。それなのにリンの心は空しく、酷い感情ばかりが渦巻いている。きっと自分の顔も今、酷いものだろう。これだけの事に、あるいはこれだけの事をして、感情的になるだなんて。
過剰防衛。私怨による私刑。
そんなはずはないが、晴れない心がネガティブな未来を想起させる。ギリギリだ。ギリギリだったのだ。心も、体も。ただ目ばかり冴えて、思考もはっきりしているから、余計に暗く狭い想いに囚われてしまうだけで……。
リンの中で回答は出なかった。
別解は単純な、逃避を提案している。と、そこに誰かがこう答えた。
「【――あは。その殺意も愛でしょう? ワタシは受け入れるわ】」
「は?」
真下からの声。
同時に聞こえてくる、割れる硝子のような音と肉塊を潰しているような水音。
【生命の世界に、循環に死は当然。営みの中で死を遠くに離して息をしているのは、あなた達ニンゲンだけよ?】
その驚愕にリンは疲労も痛みも忘れて界法を行使する。
未だに世界に響き続く声。明らかに何かがおかしい。と、増大し続ける本能的な恐怖の中、リンはあの少女が気を失ったのではなく迫る【華凛】という死を受け入れたのだと気付いて絶望した。
(ハ、ハハ……やばい、今すぐ逃げないと……あれ? アレ? 駄目だ、母様の時と同じくらい怖い!)
失敗した。判断を誤ったのだ。
殺すのを躊躇った訳ではない。せずとも問題ないと判断した。全力を叩き込んで、結果死なせずに済んだだけだと。
だが、敵の覚悟は――あるいは『愛』に対する認識は――リンの想定を遥かに上回っていた。
迫る死の受容。
リンの【華凛】は相手の意識と『セカイ』対し強制的に強い抵抗を生み出すことで意識と『セカイ』に亀裂と分断を作る。それをアインソフ嬢は抵抗なくすべて受け入れたのだ。
結果、張り巡らされたリンの【華凛】は本来の想定より更に深く広く伸びていき、対消滅の衝撃を放って空洞を作る。なれば当然、多少のひび割れでは済まない。
意識は砕け、あれだけ脳にも損傷を受けていた少女は死ぬ。
そして同時に内なる『セカイ』は外殻を失い、宿主の消えた肉体が新たな外殻となったのだ。
【ふふっ。だからこそ面白い。自らの為、自ら望んで死ぬだなんて……あなた、素晴らしい命なのね。少しはあの子達の望みも、叶えてあげたらどうかしら?】
立ち上がる死した少女の肉体。
それは自らの意思と意志で行う『自己解放』とは全くの別。
明け渡したのだ、内なる彼らに。
そう気付いた時にはもう、リンの目の前に顕現していた。
「なっ……ぁ、っ……」
【あらあら、息が下手なのね。逃げないの?】
概念の化身。ある種の神。世界に存在する『セカイ』そのもの。
ソレは怯えて声も出ないリンに対し、人の身を上手に使って微笑んだ。




