第21話 花の名前は
倒れたアルバに発狂寸前の思考。空白。
無意識に放たれる「助ける」なんて無責任な言葉。
そこに『絶対』なんて付け加えるのだから、本当に救いようがない。
「大丈夫だよアルバぁ……。絶対、絶対に私が……私がっ……!」
嗚咽交じりの声。
彼の前で座り込むリンは視界が徐々に白んで、自分が泣いているのだと気付く。落した大切な帽子が血に浮かんでいるのには、気付かないのに。
(邪魔っ……邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔! 消えろ! アルバが見えない!)
必死になってリンは見るまでも無いアルバの状態を目視で確認しようとする。
涙が邪魔で拭おうとするが、生憎彼に残してもらったのは右腕と命だけ。アルバに近付き触れようとすれば、当然涙は拭えない。残酷な結果だけが残り続ける。
「ねぇ~え~? お姉様ぁ? やぁ~っと二人っきりになれたんですからぁー、お話しましょぉ?」
不快な声。笑う声。敵の放つ音だけがリンの世界を埋め尽くしていく。
リンは必死にアルバに触れ、口を半開きにした彼に回復の界法を発動しようとするが、思考がまとまらない。血だまりと、白くなっていく彼。左半身に空いた穴は間違いなく心臓ごと穿ち抜き、理性は既に即死だと告げている。
(嫌だ。嫌だ嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 許さない! 絶対に違う……こんな……)
けれど、リンは許せない。信じられない。
だって最善だったはずだ。最良で、間違いなんて無かったはずだ。ガーネットを救い、裏切り者のカエルム諸共アイン教の大司教を倒した。確かに一度は敵も意識を取り戻したけれど、アルバが一緒に戦ってくれたおかげで解決した。そこで終われば完璧なハッピーエンドだったはずだ。
なのに、なんで……。
なんで敵の目的であるはずの自分じゃなくて、ただ一生懸命だった彼が狙われたのか。
なんで自分みたいな、若いのに夢もなく、けれど生まれ持った力で日々を薄っすらと生きている人間が生き残って、夢も希望も目標もある、未来に生きるアルバが不幸な目に遭って死ななくてはならないのか。
「お姉様? お姉様ってばぁ~。もぉ~、死んだ人よりもぉ、生き残ってる人を大切にしましょ? 悲しむと、死人も悲しいって聞きましたよぉ~?」
声がまた、今度はずっと近くで聞こえた。
直後リンの視界にスッと敵の顔が映り込む。向こうは、こちらの顔を覗きに来たようだ。趣味の悪さは、言うまでもない。
瞬間リンは理解した。というより、合点がいった。
あぁ。あぁやはり、この世界は間違っている。自分は今、悲しみでいっぱいで、世界は全部彼の為の悲しみで埋め尽くされるべきなのに。敵が残っている。まだ生きて、彼を笑っている。
(駄目だ。……間違ってる。全部全部間違ってる。滅ぼさなきゃ。こんな世界、根底から全部。そうだ。お前(私)はなんの役にも立たない無能の分際で、せめて心だけでも彼に報いろ)
それは覚悟と呼ぶにはあまりに禍々しく、弔いと呼ぶにはあまりに穢れている。
涙は枯れた。枯れた花が残すのは種だけだ。せめて、世界に何かを押し付けたい。溢れて暴走を始める自身の感情を、もうリンは止めたりしない。きっとこれは互いに理不尽なのだ。世界からの理不尽に対し、こちらも理不尽を返す。何も間違っていない。
むしろ間違っているのなら、それは世界も間違っている証明なんだから。
「あれれ? お姉様? 聞こえてます?」
対して笑顔でリンの顔を覗くアインソフ嬢に悪意はない。
彼女の目的は一貫してリンとの会話。そしてアイン教への勧誘だ。
だからリンの涙が止まって自分の目を見てくれた時、嬉しかった。
これでやっと話が出来る。話したいことは沢山ある。自分の身に宿っている『生物界』すら内包している彼女の『セカイ』がどれだけ広いのか。名前の無い彼女にとって、『セカイ』が近いリンには家族のような親近感を覚えている。
だから、今初めて自分を見てくれて、嬉しかった。
「……【黙れ】」
「ッッッ!?」
しかし返ってきたのは冷たい言葉と、鋭く突き刺さるような殺気。
視界は暗転し、頭蓋に衝撃が走る。目覚めると視界には青い何かと、ゆっくりと動く白い薄煙。アインソフ嬢は何が起こったのか一瞬理解できず、それから今自分が吹き飛ばされて空を見上げているのだと気付いて立ち上がる。
「ンヒヒッ! これがお姉様の愛なのね!」
「…………」
そして即座に身体の損傷を『セカイ』に修復させようとする。
だが何故か上手くいかない。何かによって阻害されている。……が、アインソフ嬢は既に別の事柄に注目し、恍惚の笑みを浮かべて錆びた金属音のような笑い声を世界に響かせる。
自分の体なんて、どうでもいい。
「ひ。ひひひっ! きゅひひひひっ!」
笑う視線の先。少女は最初、それを男から流れた血だと思った。
しかし事実は違う。ようやくアイン教の目的は第一段階を突破したのだ。
アイン教が求める過去の楽園を再創造する為、今ある世界を滅ぼさなくてはいけない。故に彼らは必要な要素をそれぞれ『無』と『無限』の名を冠する大司教に担わせたのだが、本来はたった一つの答えで十分。
「やっぱりあなたこそ『無限の光』! ワタシ達を導く可能性の光なのね!」
「……【黙れ】。【黙れ黙れ黙れ】!」
ゆらりと立ち上がったリンから放たれる、赤黒い風。
吹き飛んだ左腕からはまるでタールのように黒く粘度の高い液体が流れ続け、それが周囲を飲み込みながら広がっていく。
そしてリンが「黙れ」と発する度、風は強く吹き、波動は少女の肉体を剥ぎながら吹き飛ばす。アインソフ嬢はその都度『セカイ』に修復させるが、やはり不完全な回復に終わる。ふと自身の肉体を見ると、そこには無数の赤黒い光の粒が付着していて、それがバチバチと少女の体を蝕み痛ませ、滅ぼそうと輝いていた。
「黙れ女。人間。いや、お前なんかと私が同族だなんておかしい。……消えろ。【今すぐ消えろ】!」
激昂しながら、リンはそのドロドロの左腕を敵に向ける。
直後、向けた手の平から赤黒い波動が放たれ敵を視界から消し去る。実際には遥か後方にある校舎まで吹き飛ばしただけなのだが、とにかく五感の届く範囲から消えてくれればそれでいい。
ただ……何故か、リンは無性に楽しくて仕方がなかった。
「アハハ。ナニコレ? これでいいの? こんなんでいいの? だったら今までは何だったんだよ! おい! ふざけるな!」
笑いと怒り。
葛藤を越えた矛盾。
自分の血に汚れた右手と、黒いドロドロで創られた左手を見ながらリンは叫んだ。
自覚がある。今ならなんでも出来る。周囲にはもう自分と敵以外、誰もいない。何をしても怒られないし、邪魔もされない。この広がる『黒い何か』は間違いなく自分の力で、これが世界のすべてを塗り潰してくれるのが分かる。
だからこそリンは笑うしかなかった。
自分の顔を引き千切らんばかりに両手で覆い、笑いと怒りを込めて絶叫する。
こんなのは界法じゃない。
こんなのが自分のやりたいことじゃない。
しかし内側に宿っていた『セカイ』は、感情は、こんなにも醜く穢れたものだった。
「――【転移】っと。……え? 何これ? うわっ、なんかべちょってしたんだけど」
「あぁ、キョウさん。丁度よかった」
「うわー……マジか。アタシは全然よくないんだけど?」
そう軽口を言いながらも、【転移】で戻ってきたキョウは周囲の状況を理解して警戒心を高める。最悪の場合、目の前にいるリンと思われる人物の中身は宿した『セカイ』自身の可能性すらある。
広がる黒く粘性の高い液体。
拘束されたまま転がされているカエルム。
左半身を穿たれ死んだであろう、アルバの肉体。
暴走。もしくはマリアが見た滅びの未来。その序章。
今すぐにでも【転移】で逃げたいが、こちらを見つめるリンの穏やかに開かれた目が確実に殺すぞと言っている。『セカイ』との親和性が上がったのか、前に見た薔薇の瞳は赤黒く濁ってゆっくりと渦を巻いている。どう考えても、危険な状態だ。
「いいから、従ってください」
「……はーい」
今はまだ、自分は彼女の敵ではないようだ。
しかしこうなっては応援に呼んだ騎士団にすら被害が及ぶかもしれない。いや、制御によってはフラワの一部が……。
なんて考えていると、リンはキョウに向かって無害そうな笑みを浮かべ、心を見透かしたように話をする。
「あぁ、私は大丈夫ですよ? それよりアルバと、あの裏切り者をお願いします。いられると殺しそうで邪魔ですから」
「あ~了解? え、お兄さんってもう――」
「【生きてます】、絶対に。私が治します。というか【治させます】から。……【早くしろ】」
言葉を遮られたキョウは静かにリンの行動を見守る。
彼女の事はあまりよく知らないが、間違いなく乱暴な言葉を使う人物ではないはずだ。
やはり、宿した『セカイ』に影響され過ぎているのだろうか。
禍々しい彼女の左腕が、死体の上に。そしてドボドボと降り注ぐ黒い液体がアルバだったその肉体に触れ、群がり、まるで何かを貪り食うように蠢く。
数秒後、広がり群がり続けていたソレらは彼の肉体を恐れるように避け。
そこには血肉の一片すら余さず命を取り戻した彼の眠る姿があった。
「は? ……えぇっ!? え、マジで?」
「ほら、寝てるだけだったんですよ。アハハ。ホント、アルバってば危ないですよね?」
「え? まぁいいや。とにかく運べばいんだよね?」
「はい。お願いします」
リンの言葉に、キョウは急いで行動する。
藪の先が蛇ではなく竜かもしれない。向こうの機嫌の良い間にと、キョウはアルバとカエルムを掴んで【転移】で離脱した。
「――あ、落してたんだ。これ」
これで残すは敵の始末だけ。
そこで少し冷静になれたのか、足元に落ちていた、大切なはずの三角帽子を拾う。
こうして見てみると、何故あそこまで大事に思っていたのか分からない。どうせ母様も自分も、この帽子や思い出も、最後は消えて無くなるのに。
けれどリンには結局捨てられず、手で軽く払ってから帽子を被った。――直後
『発動条件を確認。条件起動式界法を発動します。既定値を変更しますか?』
世界を分かつような轟音と振動が、フラワ中に響き渡る。
ある人は何事かと外を見まわし、ある人は世界の終焉かと手を組んで神に祈る。
激しい力と力の拮抗。相互干渉。対消滅。
赤黒い光と澄み渡る紫の光は互いに自らの世界観を主張し、そして今回は紫色の光がリンの『セカイ』を飲み込んだ。
『――頑張ったね』
瞬間、リンは声を聴いた気がした。
どこか懐かしい、一番欲しいもの。けれどもう二度と手に入らないもの。
帽子に触れたからだろうか、少し落ち着いた。
きっと久しぶりの命のやり取りに余裕がなくなっていたのだろう。
「あれ? 私……?」
呆然と立ち尽くしていたリンがやっと自意識を取り戻す。
見れば周囲の地面は不自然にひび割れ荒れていて、何故かアルバやカエルムの姿も無く、倒したはずの少女も見当たらない。
「嘘っ!? 逃げられた!? あれっ? 違う、キョウさんが運んでくれて……あれれっ?」
加えて考えようとふと下を見ると、右手は血に汚れ、左手は生まれたての赤子のように綺麗になっている。服もボロボロで、特に何故か綺麗な方の左腕側には布がない。
(え? 何これ? あれっ? 確かアインソフを倒して、それからキョウさんがアルバとカエルムを運んで……?)
不自然な記憶の断片に困惑するリンだったが、まだ敵が生き残っているのを思い出し、這い出てくるであろう場所を見つめる。
前方。大きな校舎に開けられた破壊の痕跡。その開いた穴の奥。
何故か全裸になっている大司教アインソフが、恍惚の笑みを浮かべて現れる。
「あらあら、もっと愛し合いたかったのにぃー。キヒッ」
正直、まだ考えていたい。
だが少女の背から幾本もの鋭い触手が生えたのを確認し、リンの思考は疑問の解消よりも戦闘を優先し――拳を握る。




