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第17話 花が咲く

 朝、リンは恐怖に急かされ目を覚ます。


 焦燥感に理性が語る。思い出すな。考えるな。とにかく、前に進め。

 そんな心の声に背を押され、後ろから迫ってくる恐怖や不安から逃げるように風呂場へ向かう。


 具体的な時間は分からないが、今日はアルバ達が護衛に来るはず。

 乙女として、それまでには済ませたい。と、リンは三角帽子を握って不安を軽減しながら水を浴び、界法で水分を即時吸収して新しい服に着替える。


「あ、ガーネットさんにもアルバ達が来るって教えなきゃ」


 薄紫の動きやすいワンピース。腰紐を結び、それから髪を界法で操作して三つ編みを作ると、リンは界法器でもある帽子から深い紫のリボンを出して結ぶ。


 そして二階のリビングへ行って今日の件をガーネットに伝えようと降りるが、そこに彼女はおらず。探すもキッチンや一階、彼女の部屋にもガーネットはいなかった。


「出かけてるのかな? わー、だったら昨日のうちに伝えとくんだったな……」


 とは言え向こうがいつ来るとも限らない。

 時刻は午前七時。まずは朝食を済ませようとリンはキッチンでサンドイッチを作り、そして昨日作ってくれたであろう鍋の中のミネストローネを器に入れ、コップに水を注ぐ。


「いただきます」


 大きく口を開いて一口。

 冷蔵庫に残っていたチーズのねっとりとした旨味と、界法で創ったレタスとトマトの水分と酸味がパンに染み込み次の一口をリンに急かせる。


 起きてすぐは見えない未来の恐怖や不安にソワソワしていたが、食べ始めると杞憂な気がしてきた。人間とは不思議なもので、多少の鬱状態や不安などは食事と睡眠、それと運動をすれば解決する。


 実際リンも徐々に精神を健康な状態に戻しつつあり、食べながら不在のガーネットのことを考える余裕すら出てきた。


(やっぱり買い物に行ったのかな? 冷蔵庫に何も入ってなかったし。あれ? でも昨日買い物に行ったんじゃ……?)


 疑問を浮かべながらもリンはモグモグとサンドイッチを頬張り、温めなおしたスープをスプーンで掬う。そして最後は残しておいたパンの耳で器に残るドロッとしたミネストローネを余さず口へ。


 これで自分がすべき事は済ませた。

 残るはガーネットが戻ってきたら今日一日の事情を伝えるだけ。幸い、今日も花屋は休業だ。突然の報告ではあるが、きっと許してもらえるはず。


「さーてと、さっさと食器を……ん? なんか踏んだ?」


 美味しい朝食を終え、自然と笑顔になるリン。

 これこそ幸せに向かう第一歩。食器を片付けようと立ち上がった際に感じた一瞬の痛みも、見ればガーネットが昨日無くした鍵だった。


「あっ! こんなところに落ちてたんだ。ホント、こういうのって探さなくなったら見つかるのよねぇ」


 テーブルの脚の陰に隠れていた鍵を拾い、ついでに鍵につけている仙人掌サボテンの編みぐるみを指でグニグニと押す。


「こらこら。全く、ちゃーんとガーネットさんのポッケに入ってなきゃダメでしょ? もう。いっそ中に界法で創った種でも入れて常に位置情報を……いや、それだと私がずっと発動し続けてないといけないから難しいか」


 客観的に、界法的な難しさよりも発想がストーカーな部分を気にするべきだが、リンは至って真面目だ。

 感覚的には家族が帰りの遅い相手を心配して連絡するのと同じで、ある種『家族』や『仲間』といった世界観の認識が相手側の自己認識や感覚・感情を超えてプライバシーを侵害するのに似ている。


「……ま、そこまで気にする話じゃないか」


 そう言いながらポケットに鍵をしまい、食器を洗って客人を迎える準備を進める。

 時刻はもうすぐ午前八時。あれから一時間経ちそうだというのにガーネットが帰ってくる様子はなく、アルバ達が来る気配も無い。


 ならば、とリンは箒で部屋やリビングの掃除をし、まだ大丈夫と植物達の様子を見ながら『セカイ』と歓談する。こういう対話も界法師としての相互理解に繋がり、延いてはスキルアップになるのだ。特に、無詠唱の習得には欠かせない。


(ガーネットさん遅いな。大丈夫かな?)


 何はともあれ準備は万端。落ち着いたところでリンは一人、一階で椅子に腰かけ静かに待つ。


 ガラス越しに見る往来にガーネットの姿は無く、アルバの姿も無い。

 ただひたすらに時間だけがゆっくりと過ぎていき、徐々にリンの中で不安の種から想像力の芽が伸びる。


(……どうしよ、アルバ達がまだ来ないなら一回外を探しに行こうかな。買い物ならこんなに時間が掛かるはず無いし、それに珍しくガーネットさんが植物達に水とかあげて無かったし。……流石に変だよね?)


 昨日買い物に行ったのに、朝からまた買い物とは考え難い。

 時刻は八時半を過ぎた頃。リンがガーネットの不在を認識してから約一時間半が経った。どこかへ出掛ける話は聞いていないし、置手紙らしき物も見つからない。花の発注だって『桜祭り』に向けて既に済んでいる。


 もちろん、彼女だって大人だ。自分が気にし過ぎなのも理解している。

 だが最悪を想定すると、アイン教は教会や騎士団だけでなく、既にフラワ内部に多く潜伏している可能性すらある。そんな中で早朝から二時間近く帰ってないとなると……。


「……だ、大丈夫大丈夫。きっと私の為にサプライズでプレゼント選んでくれてるとか、そういう理由だよきっと。むしろ、現状で私より先にガーネットさんが狙われる理由なんてないんだから大丈夫、絶対」


 俯きながら、祈りを込めて呟く。

 もし自分のせいで……なんて妄想が現実だとしたら、リンはとても耐えられない。早く、早く帰って来て欲しい。


 すると直後、来客を知らせる鈴の音にリンは顔を上げた。


「ガーネットさん!?」

「あの~? ここって『花屋ガーネット』で合ってますか?」

「あえっ? そう、ですけど……。今日はお休みですよ?」


 扉から顔を出したのは、肩で揃えた緑の髪に毛先だけピンク色な丸眼鏡の女性。

 加えて彼女の白い祭服はマリアが着ていた物に似ていて、もうそんな時間かと察したリンは観察を続けながら立ち上がる。


 平均より少し低い身長。大きな胸。巻き肩と若干の猫背。気にしているのか、眼鏡に触れながら顎を引く動作。ソワソワとした手に、自信の無い表情。童顔。


 年齢は恐らく自分と同じくらい。にも拘わらずマリアの任務をと考えると、かなりの信頼と能力があるのだろう。推測ではあるが、彼女は髪色に対して瞳が一般的な碧眼である界法師。つまりは条件の良い『契約者』か、成りたての『代行者』のはず。


 などと考えているうちに、彼女の後ろから見慣れた顔が現れた。


「よっ! おはようリン。護衛しに来たぜ」

「ちょっとアルバさん、任務中なんですから敬語で……」

「無理無理。お兄さんにそんな常識なんて無いでしょ」


 騎士装備のアルバに続き、生意気そうに笑う少女が入ってくる。

 印象はなんというか、『暗い』というより『暗め』な感じ。服装は黒のハイネックの上に、薔薇十字教会の祭服。しかしマリアや眼鏡の女性のとは違い黒が主で、リンは見たことがないタイプだ。


「なっ、キョウお前なぁ」

「それよりさぁリリー? アタシって必要だった? 担当夜なんだし、帰っちゃダメ?」


 気だるげな表情。虚ろな黒い瞳。

 髪は黒く、蒲公英の綿毛のように短くぼさぼさとしていて、リンはどことなく既視感を覚えた。


「あわわわわ……。ふ、二人とも一旦並んでください!」


 そして、ようやく緊張感の無い二人に先程リリーと呼ばれていた眼鏡の彼女が注意すると、任務らしく二人は整列する。


 流石に、こうして並んでみるとアルバも立派になった。

 恐らくリンでなくとも、その立ち姿だけで彼が戦う側の人間だと認識できる。


 だが同時に、心配な部分でもある。

 恐らく今日に限ってマリアは来ない。加えてこの場を指揮するであろう人間が目の前の気弱そうな彼女。マリアからの信頼があるのは分かるが、それでもかなり若く見える。何かしらの界法師なのだろうが、現状では少しむず痒く思ってしまう。


「その、リン様……ですよね?」

「はい。本人です」

「よ、よかった。私達は大司教マリア様から派遣された特別護衛部隊で、そのリーダーを任された特別司祭のリリーです。後ろはご存じかと思いますが、騎士団のアルバさん。そしてマリア様の専属特殊部隊『いずれ芽吹く者たち(シーズ)』のキョウさんです」

「なるほど……」


 リリーの紹介に、リンはキョウと呼ばれた少女を見る。

 服装込みで目立つ、不健康そうな青白い肌に細い手足。髪だって栄養不足から来ていそうなぼさぼさ感で、目もどこか虚ろ。だが彼女こそマリアが口にしていた噂の人で間違いない。


「わー。めっちゃ睨んでくるじゃん。魔女の人」

「ちょっとキョウさん! 駄目ですってそんな言い方。……すみませんリン様。一応その、リン様の身の上はこの場の全員と、教会で情報伝達をしているヒマワリさんが知っていますが、それ以上に広めたりはしませんので」

「あ~そうなんですね。分かりました」


 慌てるリリーの言葉も、微笑ましく見つめてくるアルバの視線も意に介さず、リンの意識は、曖昧で掴みどころのないキョウに向けられていた。


 そのダウナーな声と態度。

 キョウの言動にはどこか、こちらを試している節がある。


 挑発して、何かを探りたいのか。

 それとも純粋な性格の問題なのか。


 ただ彼女の真っ直ぐに見つめる虚ろな瞳の黒に、またしてもリンはどこか、懐かしさを感じた。


「――あら! いらっしゃいアルバ君と……まぁ! 騎士団受かったの!? だったら教えなさいよ!」

「痛っ! ちょっ、ガーネットさん叩き方強いですって」

「いいじゃない男の子なんだから少しくらい。それで? 皆さんはアルバ君の同僚さん?」

「い、いえ。私はマリア様の使いで……その、護衛の件はお聞きになりました?」

「護衛? 何かあったんですか?」


 静かに鳴った鈴の音の、直後に響くガーネットの驚き。

 事の経緯はリリーが『災厄の魔女』の部分を省いて伝え、その間にリンはひたすらに安堵できた。


 本当に、本当に良かった。

 ぶら下げた買い物袋。元気そうな顔。途中、自分の親代わりの人について触れられるかとも不安になったが、リリーの配慮のおかげで知られずに済んだ。


「大変だったわねリン」

「アハハ。まぁ私よりマリアさん達の方が大変というか……あ、そういえば探してた鍵、見つけましたよ」


 話を聞いて近付き、リンの肩を心配そうに撫でるガーネット。

 やはり心配されるのは気が重い。そう思ったリンは咄嗟に話題を変えようと、ポケットに入れていた鍵を彼女に渡す。


「へっ? 鍵?」

「ほら昨日、無くしたって言ってたヤツです」

「そうだったかしら? ……あらやだ、ホント。私がリンの鍵持ってたのね」

「ええ。ですから昨日――」

「間違って持って行ったのかしら? 教えてくれてありがとう、リン」

「…………」


 だから、間違いだなんて思いたくない。


「そ、そういえばガーネットさん。昨日は買い物、間に合わなかったんですか?」


 質問なんてしなくていい。

 何も知らなければ幸せなまま。それが真実か本当かなんて、確認しなければいいのに。


 人間は、時に理由の無い幸せに不安を覚える。

 故にリンもまた静かに問う。目の前のガーネットに異常は見られない。だが、その奥に立つキョウも自分と同じく、ガーネットを鋭く観察しているのが分かった。


「昨日? なんの話?」

「そう、ですか……ちょっと失礼します。【生命探知】」


 その返答にリンはガーネットの肩に触れて界法を発動する。

 周囲に異様な行動している者はいない。加えてガーネットの生命反応に異常は無い。だが明らかな異常が、目の前にぶら下がっている。


 もう既に、アイン教によるテロ活動は始まっているのだろうか。


 昨日のことを一切覚えていないガーネット。

 あるとすれば精神干渉か。しかし思い出させないようにする効果ならば、リンの界法での干渉に抵抗があるはず。逆に記憶そのものを破壊しているのであれば、効果による後遺症や記憶の空白が残っているはずだが、彼女にはそのどちらも見られない。


(あり得るの? それとも純粋に忘れちゃっただけ? いや、それで一日分の記憶がなくなるなんて変だ。もっと探さなきゃ……)


 そうしてリンはガーネットの精神世界により深く侵入すべく、わずかな隙間から根を伸ばしていく。普段から自身の髪を一本一本操作している成果もあり、少しの抵抗による痛みも無く広がり進み、より詳細な生体情報をリンへと伝える。


「ねぇリン? これってまだかかるの? せめて荷物を置いてからじゃ駄目?」

「すみません。あと少しなので……」


 しかし一向に見つからない。

 精神世界と脳に無いとすれば、異常があるのはリン自身の認識世界か。具体的には、昨日マリアから受けた目の界法が最も怪しいのだが……。


「魔女の人。もっと下」

「……その呼び方、止めてもらえません? 悪意が無いにしても少し嫌です」

「そう? じゃあお姉さん、その人の心臓って取り出せる?」

「は? 何を……」


 キョウの言葉にリリーが驚きながら注意を始め、それをアルバが宥める中、リンは伸ばしていた根をガーネットの心臓の方にも伸ばす。


 すると、何かが触れた。


 触れ方の強さから言って、恐らく概念世界。感覚は人体における痒みが微弱な痛みであるのと同じ。リンが今行使している界法は概念世界の側面が強く、次に物質世界によって構築されている。正直、癌や血栓では無いだけホッとしたが、やけに冷静な表情のガーネットに異様な『何か』を感じてしまう。


「ガーネットさん、動かないでくださいね」

「見つけたの? 分かった。ジッとしてるわ」


 キョウには何が見えたのだろうか。

 彼女の目の黒さに、懐かしさを覚えたのは何故だろうか。


「【人体を花として、その心根と共に顕現せよ】」


 心臓に本来ないはずの概念が付いている。

 なんて推論を確認する為の詠唱を終え、リンは更に集中する。


 ガーネットの胸から現れたのは、リンの界法によって人型になった真っ赤な九重葛ブーゲンビリア。しかし、ガーネットを象徴する花は以前、赤い薔薇だったはずだ。もちろん人は成長する、故にこの界法によって現れる花が毎度同じとは限らないし、現実世界に存在する花とも限らない。


「……花言葉は『情熱』『あなたしか見えない』」

「そうよ。私は最初から、あなたしか見ていないもの」

「ガーネットさん?」


 瞬間、ガーネットの声に、感情に、異物が混じった気がした。

 まるで美しい花の葉の陰で、ブクブクと太った芋虫を見つけたような……と、リンはふと視界で動いた何かに気付いて下を見る。


 美しく咲いた、真っ赤な九重葛ブーゲンビリア。その人型の心臓に当たる位置に、ソレはいた。


 茎の裏から覗く、おぞましい人の露悪。悪趣味な色の人面毛虫が、驚くリンを見て嗤っていた。


「――発動条件を確認。実行します」


 突如響く無機質なガーネットの声。

 それにキョウを除く全員が驚きに絶句する。


「『アッハハ! 見つけてくれてありがとうお姉様! 初めまして、ワタシはアイン教の大司教が一人。無限のアインソフを冠する者』」


 思わず意識が途切れ、解除してしまったリンの界法。

 目の前にいるのは、もはやガーネットの皮を被った誰かだ。


「『みんなからはアインソフお嬢様~とか、ママって呼ばれてるけど、お姉様にはもっと特別な呼び方をしてほしいな』」


 追いつかない理解に対し、脳で響く理性の声は冷静に先程心臓に付着していた概念が条件起動式の界法であったと告げる。


 だが、今更知ったところで意味はない。

 リンの視界の端ではキョウがアルバ達に店の外に出ろと誘導しているが、誰一人として動く様子はなく、話を続けるソレへの驚愕が意識の最優先となってしまっている。


「『ふへへェ。あ、それと早く会いに来てね。明日になったら、この人殺しちゃうから。どう? 興味を持ってくれたかな? ちなみにィ、ワタシ達の場所は~……ヒッ、お姉様なら絶対わかるよ!』」


 淡々と進む独り芝居。

 意味不明な言動に最後まで付き合って、得られたのは単純な誘いの言葉。


 ――だけでは無かった。


「『じゃ、また後でね』」


 直後、ガーネットの肉体が爆弾となって炸裂した。

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