第14話 災厄の魔女にして境界の代行者
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「――――メリュラント・ラングルス・クトゥブーリカだ」
そう、どこか苦しそうに自身の名を口にしたメリュ師匠に、俺はただ口を弱々しく震えさせるしか出来なかった。
「……ぁ、……え?」
何か言葉をかけようと、そう思えば思う程に言葉は遠のく。
自分が何を伝えたいのか、相手に何を伝えるべきか、何一つ纏まらない。そもそも神話時代なんて大昔の人が実際に目の前にいる事実に、俺の脳が処理できるはずも無く。
ただ、神がいるこの世界で、現代は神話と地続きである。
そこまでは俺だって理解している。だから別に、本や話に出てくる内容が全部嘘だとかは思わない。でも、大前提として神以外はみんな人間のはずだ。マリアだってどんなに心身が若く見え、振る舞えているにしても、中身は七十二歳の老人なんだ。
「本当に、本人なのか?」
「ああ」
「マジか……え? あんたって今、何歳なんだ?」
だからこそ、数千年の時を人間が生きられるはずが無い。
そう思って俺は、一応女性かなと出来る限り申し訳なさそうにメリュ師匠を見る。人によっては一発アウト。けれど向こうは一瞬だけ驚いた表情を見せ、それから大げさな程に笑った。
「ヴぁっ!? ふはははっ! いいな君、面白い。アハハから四段階上昇してオハハだ」
「わーどうしよ、リンより分からないかもしれない」
「そんなことなかろう少年。『ヴぁ』は、古代ガーデン語で強調や驚きを表す。リンもよく『ぷでヴぁって感じ』などと言わないか?」
「いや、俺が分かんなかったのは後半の方なんですけど。てか余計に難しいこと言わないでもらえます? メリュ師匠」
「君に師匠と呼ばれるつもりはないが……そうか。ちなみに『ぷでヴぁ』はめっちゃ疲れたの意だ」
「そ、そうっすか……」
瞬間、心に違和感という薄い疑念の膜が張る。
明らかな異常を脳が感じ取っているのに、彼女と話していると何故か一瞬で忘れてしまう。けれど異常事態は今も続いているのか、覆い隠されるたびにまた何度でも口に残った何かの薄皮のように気になり続けるのだ。
(なんだ? 質問に答えて貰ってないからか? いや、別にそこまで重要な話じゃないからいいんだけど……でもなんか、もっと大切な話をしてたような?)
もしかすると、俺はリンの親が『災厄の魔女』と知って驚きすぎているのかもしれない。それで何か……何か大切なことを……。
「リン……リンの親。『災厄の魔女』。アイン教に狙われる理由……?」
無意識の暗闇から浮かんできた言葉を口にして、俺は少しずつ違和感の輪郭を捉え始める。
リン。暴走。テロ。フラワの滅亡。アイン教。狙われる理由。それを探す界法。マリアの手伝い。誰かを助ける。英雄。身近な人間から。その一歩。
(思い出せ思い出せ、思い出せ……思い出せ!)
だが感覚的に後少しのところで、先に恐怖がやってきた。
「――誰が、誰の親だって?」
怒り。諦め。恐怖。脳内を一瞬で塗り潰す絶対的な感情。
それらが声に乗って届くのではなく、俺は先に感じ取ってから音を声と認識した。
「ッ!?」
人はこれを覇気だとか、オーラだとか呼ぶのだろうか。
暗い場所なのに、まるで月のように鋭くはっきりと輝く黒い双眸に睨まれて、俺は慌てて言い訳を口にする。
正直言って、めちゃくちゃ怖い。なんというか小さい頃、夜中に起きてトイレに向かう、あの時と同じ感覚だ。何かいる。何かある。これ以上は、絶対に駄目だという本能的な感覚。あれだ。
「別に謝らなくていい。一般的には、君の認識が正しいのだろう?」
「へ? えと、怒ってないんですか?」
「君は怒られたいのか? いや、単純な罪悪感か。……なら気にしなくていい。これだけ共に過ごし暮らしてきて、家族であっても親で無い方が珍しいのだからな」
あぁ、やっぱり変だ。
一転して優雅に、悠然と話すメリュラントはどこか、照れ隠しをしているリンを思い出させる。だがリンとは違ってこちらは本心からの振る舞いにしか見えず、俺の直感もメリュラントが嘘を吐いていないと言っている。
だが、そうなると絶対におかしい。
先程の恐ろしい眼差し。恐怖を感じた威圧的な波動。『災厄の魔女』に相応しく、それ以上に子供達から恐れられる童話『隙間の魔女』に相応しい瞬間だった。
あれだって嘘ではなく、むしろ両方が真実なのか。
「いや、そうじゃなくて。さっき本気でちょっと怒ってましたよね?」
「は? 誰が? 私がか?」
「はい」
俺の言葉にメリュラントは眉をひそめ、それから顎に手をやり考え始める。
その姿はやはり彫刻のように美しかったが、だからこそ俺には恐ろしく思えた。だって人間、あんなにも簡単に感情をコントロール出来ないはずだ。役者が演じる分かりやすい喜怒哀楽を、演技ではなく素で行うなんて。
人として疑う以前に、まず同じ人間なのか疑わしい。完成された人型コンピュータ。もしくは人間に擬態した得体の知れない何か。
気付けば俺の心は平静なのに、やけに舌が渇いていた。
「少年」
「はいっ!?」
「もう、気付いているのか?」
「はい! ……はい?」
緊張のあまり、訳も分からず咄嗟に出た言葉。
「そうか。君は心底、リンを想ってくれているのだな」
それがどういう訳か、メリュラントの心を打ったらしい。
彼女は俺に微笑みながら涙を流し、そして絶対的強者の威光と共に再び睨みつける。
「だが君の想いや私の愛が脅しになろうとも、私は変えられない。今の君に諦めが存在しなくとも、私は望む未来の為に行動し続ける」
両手を広げ、言い放つ。
俺には意図も意味も分からないが、一先ず向こうが情緒不安定では済まされないくらいヤバイ奴だってのは分かった。
「さぁ! お前の望みを言え!」
「は? 望み!? 何を……俺はただリンを……そうだリンを助けようと思って。アンタ、マジで何してんだよ!」
叫んだ瞬間、自分が界法に影響されていると認識できた。
初めてメリュラントの名を聞いた時、その直前まで俺は彼女の態度に怒りを覚えていたはずだ。今と同じ、リンに対する不誠実さに。
それなのに、あんなにも強引な話題転換で変えられるなんて。
「言っただろう。ここは意識世界で、私達は互いに共有していると。君が望みを思い出せなくなるまで、私はここを書き換え続ける」
悔しい。悔しすぎる。当たり前のように心を読み、俺には想像も出来ないくらい先の話をしているメリュラント。
それなのに。あぁ、想像も出来ないのに、彼女がそうしていると分かってしまう。
感情は弄ばれ、互いに共有しているはずの意識で向こうだけが完全に優位に立っている。もしメリュラントが種を明かさなければ、永遠に俺は彼女と雑談でもしていたのだろうか。
「……なんなんだよ結局。そんなになんでもできるなら! 自分で解決しろよ! 大切な娘だって思ってんならさ! 約束を守るだけじゃねぇか!」
怒りと悔しさに任せて叫ぶも、メリュラントには響かない。
彼女は依然として怒りに燃える瞳と、すべてを諦めさせるような冷たい笑みを俺に向けている。
だがおかげで、俺も一つ思い出した。
界法は相互干渉。そしてこれはキョウと同じ境界の界法で、俺とメリュラントは今、ほとんど同じ気持ちなんだと。
「だからどうした? お前はこの先、その感情を覚えて元の世界へ戻れると? これが三千年以上を界法研究に費やした者の界法だ。早く諦めろ」
「話をすっ飛ばすなよリンママ。この感情だって半分はアンタのだろ? 何にそんな怒ってんのか知らねぇけど、俺だってリンの役に立ちてぇし、アイツが苦しむ姿は見たくない」
明らかな事態の好転を感じ、俺かメリュラントのかは分からないが獰猛な笑みで言い返す。
まさかアホなシスターにされた悪戯が、史上最強と謳われる『災厄の魔女』相手に役立つなんて思わなかった。一応、元の世界へ戻ったらキョウにお礼を言おう。おかげでリンを、助けられそうだ。
「君の個人的な感情など関係ない。言葉ではどうとでも言える」
「そんなに見透かしてんなら、早く馬鹿な俺にも分かりやすく説明してくれ。何を言いたいかは、言わなくても分かるんだろ?」
悔しい。堪らなく悔しい。
既に俺はもう、この胸の奥から無限に湧いてくる思いが突然なのか当然なのか、分からなくなっている。
面白い。嬉しい。
相反する感情が、俺とメリュラントの脳を駆け巡る。少しでも気を抜いたら自他の境界を失いそうだ。けれど、俺はこういう時の対処をリンから教わっている。
精神干渉ならまず、自分を見失わないように己に問いかけろ、だったか。どうやら頭のいい人と脳みそを共有しているおかげか、今日はすこぶる冴えているみたいだ。
(俺は、何が悔しい? 助けられない自分? いや、まだ決まった訳じゃない。なら無知で無力な自分か? でも、だからって何もできない訳じゃないだろう、俺。進む理由はいくらでもある……)
一つ一つを整理して、少しずつ自分の輪郭を取り戻す。
間違いなく俺はリンの言う通り相手を信じて疑わないタイプだが、それはあくまで信じてる奴限定だ。俺は俺として、リンっぽく言うならしっかりとした『自分』を持っている。
巻き戻りそうな認識を、目を逸らさず向き合うんだ。
「そうか、そうだよな。どんだけ凄くて強い界法師でも、アンタは今、封印されてるんだもんな」
「……そうだ。私は動けない。神話に描かれている通り、私は神とミコト・アトプルマウ・サクラが創ったこの【棺】から物理的・概念的に逃れられない。故、外の世界に存在できるのは認識世界のみ。絵本・神話・人々の恐怖心。そして、リンの意識で作られたこの世界だけ」
「なら俺が絶対に助ける。だから教えてくれ。アンタなら、どうにかできるんだろ?」
「黙れ! 友人だからなんでも手伝うだと? 最後まで責任を持てるんだろうな!?」
あぁ、怒りが流れ込んでくるのを感じる。
でもこれは、親としての怒りだ。温かな、それでいて躊躇なく相手を傷つける愛の炎。
「先に言っておくがテロは止められない。私が止めたいのはリンが傷つき、自身も世界もどうなってもいいと滅ぼしてしまう未来だけだ! お前らフラワ人など、どうでもいい」
明らかに少し幼稚な反応。ただ今のは、本心とは微妙に違う。
どこかは分からないけれど、間違いなくメリュラントは嘘を吐いた。界法は相互干渉だと、そう知っているから余計に分かる。共有されている同じ認識世界で、俺達は繋がっているのだから。
「お前に出来るのは精々、戻った時に『災厄の魔女』の娘だったのかと罵倒して、リンを自主的にここまで帰らせる。それだけだ」
「――ッ!」
だから、向こうだって分かっているはずだ。
俺より賢くて、リンより凄い界法師で、世界にその名を知らぬ者などいない、あの偉大なメリュラント・ラングルス・クトゥブーリカが、俺より分かっていないはずがないんだ。
ずっと俺が歯を食いしばり、怒りに震えていると。
あぁそうだ。リンより面倒で、色々知っているが故に不器用になっているその心。俺をまだ理想だけの口だけ野郎と侮っているその心。
「ふざッけんな! どいつもこいつも、自分だけ傷つけばいいと思いやがって。だったら俺にも適用しろよ! 俺だって、俺だけ傷ついて済むならそれでいいと! 本気で思ってんだよ!」
絶対に許さねぇ。真っ向勝負だ。
いずれ英雄にと本気で思ってる人間が、身近な親友の危機に立ち上がれなくてどうする。俺はそこまで弱くないし、愚かでもない。
「無力なお前にか? ハッ、足手まといだと話も聞いてもらえず、リンに軽くあしらわれたお前に、何が出来る?」
当然、返すメリュラントの言葉は鋭い。
親でなくとも、その言葉の正当性は言うまでもなく。だからこそ読みやすかった。
テロは止められない。
そしてリンが破滅する、恐らくあの黒い波の未来を止めるには彼女に思っても無い酷い言葉を浴びせるしかない。
だが本当に、本当にそれだけしかないのか。
「…………俺は馬鹿だから、自分が無知で無力なのも分かってる。だが何が出来るかと言われたら! そりゃリンやアンタみたいに頭のいい奴の言うこと! 全部できるんだよ! バーカ!」
「なっ!? ヴぁ!?」
はっきり言ってやる。俺は馬鹿だが、メリュラントだって親バカだ。
我が子可愛さに国が滅びようが知った事じゃないなんて、多分『災厄の魔女』じゃなくたって言うはずだ。むしろ、その肩書きなら神くらい殺して貰わないと困るんだよ。
だから、打つ手が無いなんてあり得ない。
マリアだって一人では無理だからリンを呼び、界法で見た未来を伝えてくれた。一人ではどうしようもなくても、三人寄ればなんとやらだ。
「アンタが親バカなのは分かったからよ、さっさと友バカの俺に神すら欺いた頭で策を授けてくれ。そうでなきゃ、アンタが現れる理由がないからな」
予想通り、明らかにメリュラントは狼狽えている。
俺が普段より賢くなって、なんで向こうが現れただとか、どうしてテロについて話してくれただとかに気付けたように、あっちはあっちで俺のバカさや分かりやすさの影響を受けている。
「自分では何もできぬと、よく開き直れるな」
「ああ! それが俺のいいところで、悪いとこだからな」
「……そうか。本当は貴様ではなく、未だに恩を感じているマリアに伝えるつもりだったが、いいだろう! 自分は命を懸けられると信じて疑わぬその心、我が界法にて白黒はっきりつけてやろう!」
「えっ? どうすればいいか教えてくれるんじゃないの!?」
「馬鹿が。貴様に策を実行できる胆力があるか、妾が今から見定める。心せよ、凡人」
また一つ、雰囲気が変わった。
妖艶さが増し、温もりが失せる。冷酷な嘲笑を見せながらメリュラントは、小さく口を開いた。
瞬間、世界が悲鳴を上げた。
それはまるで紙を絞ってねじ切る時のような、爽快感の無い苦しい音だ。同時に俺の視界は歪み、ねじ曲がっていく。世界の中心点に存在するメリュラントを残して、重力に光が捻じ曲げられるように狂いだす。
「――【開放:自己解放】」
最後に一言、声を残して。




