第9話 身近に潜む恐怖
名乗る界物にリンは驚愕し、目を見開いた。
言ってしまえば界物は『物質』『概念』『認識』の三世界における概念と認識が生み出した産物であり、『セカイ』の一端そのもの。
だが眼前で嗤う『ソレ』は自らをプニュリア・ヴァルキュリアと名乗った。
吸血鬼や悪魔なんて概念的な、包括した名ではなく、個体としての名を。つまり彼女には個としての自我があり、自らの世界を持ち合わせている。物質として、この世界に限りなく存在しているのだ。
(う、そ……。じゃあ、私(代行者)と同じ権限で……!? それに物体として存在してるから一発【華凛】を当てても『セカイ』を壊して異界に還せない!?)
蝙蝠の翼を広げ、物理法則を無視してゆったりと地に下りる。
名を持つ界物の出現に、リンの前提は大きく覆された。自己の内に『セカイ』がある人間とは違い、彼らは吸血鬼や悪魔といった概念の内に自己の世界がある。故に内部破壊や抵抗による対消滅を主とする通常の【華凛】では対処が難しい。
まだ、後ろのアイン教三人だけであれば、制圧するだけの道もあったのに。
「リン! 待ってくれ!」
臨戦に際しリンの認識が変わる。
横で必死に何かを伝えようとするアルバの声が、今は遠くに思えた。
けれど意識が遠退くとはまた違う。意識が周囲の空間世界に行き渡り、脳が必要と不必要を切り分け、重要必須に集約される。
その懐かしい感覚は、リンにかつての訓練を思い出させた。
護身の為と、師匠との死闘に身を置く日々。偉大な母に勝ち、外への権利を手に入れてからの、より厳しい世界でも戦えるようにと鍛錬を積んだ一年。
(『代行者』同士の戦いはなるべく一撃必殺。先手必勝。後ろは【生命探知】。前のは目視で確認しながら肉体諸共を壊して異界に還し、それから三人には色々と聞かせてもらおう)
下りた彼女が手を向けゆっくりとこちらに迫る。
身の危険に脳の奥からグギュっとアドレナリンが溢れ出し、リンの感覚は戦闘用に冴え、気付けば口元に獰猛な笑みを宿して薔薇の瞳を冷たく輝かせていた。
これで、戦える。
意識は自己に。感覚は周囲に。目的は戦闘に。
考えがすべて一つに纏まり、場を支配していた恐怖から抜け出す。あとはただ、行動あるのみ。
「――【穿て】」
瞬間、リンの詠唱に『セカイ』は応え、想いを形に世界を変える。
地面から突如として現れた幾本もの竹槍にプニュリアは四方八方貫かれ、身動きを封じられた。
「がッ!? 貴様、この程度で我をッ……」
もちろんリンもこの程度で吸血鬼を止められるとは思っていない。
しかし目的は達成した。この時間で次の界法に繋げる。勝利条件はアルバの手を汚させず、かつ彼に怪我一つ無い状態で敵を倒す。
「【ここより先は私の聖域。踏み入れたくば代価を払え。血の代償。茨の道のり。隣人を守る薔薇の棘。血も無き魔を払い除け、邪悪を穿って縫い留めろ】――」
リンがプニュリアを攻撃したことで恐怖による制圧が一気に緩まる。
当然、後ろのアイン教は笑顔でその手にナイフを、リンに向かって身体強化された肉体で瞬く間に詰め寄る。
だが、振り返らずともリンにその凶刃は届かない。
詠唱を続けながら、攻撃の意志ありと既に構えていた界法を発動させ、敵三人を吸血鬼同様貫き、蔦で絡めて地面に拘束する。
「――【悔い改めよ!】」
そして強く宣言するように詠唱を完結させた直後、リンの背後に一本の黄金に輝く桜が現れ、その周囲に同じ輝きを放つ薔薇と茨が咲き乱れる。
フラワの国旗から着想を得たこの界法は戦えない国民を守り、害する吸血鬼とアイン教を退け、リンに近付くほど棘に全身を貫かれる。結果すぐ後ろで倒れているアイン教徒達は棘による戒めに耐え切れず絶叫しながら意識を沈黙させ、リンに触れようとしていたプニュリアはその指を黄金の光で焼き、弾かれた。
「なガッ!? おい人間! 話が違うぞ!」
言葉より行動。あまりに強すぎる拒絶に火傷した指を引き、冷たい殺意を放つ恐ろしい魔女を睨みつけるプニュリアは、マリアから聞いていた情報との差に思わず舌打ちした。
(ただの無詠唱ではなく詠唱と並行しての界法発動。更に花々で分かりやすく自身の領域を示し、敵に特化した結界を即座に創る技術と知識。これで少しお転婆な少女だと!? マリアめ、ワザと言わなかったな!?)
恐怖から立ち直り、身動きを制限する光の茨を解いて少女の下へ向かおうとするアルバとは違い、プニュリアには『セカイ』と界法についての知識がある。故に、目の前の少女が本当に『ただの代行者』なのか疑問で仕方が無い。
黄金の輝きを放つ桜木に薔薇と茨。
フラワの国旗から攻撃と防御にうまく使い、黄金の輝きは『聖なる』部分を担っているのだろう。だがそれほどまで多くの概念を付与して平然としている彼女の脳は、一体どうなっているのだ。
「貴様、まさか『セカイ』に飲まれているのではないだろうな?」
「『セカイ』の手足が。質問するのはこっちですよ? あなたはもう、逃げられないんですから」
リンの言葉にプニュリアは周囲を見回す。
先程までアルバを守るよう、少女を中心に広がっていた植物がいつの間にか自分の周囲を取り囲んでいる。加えて、明らかに不吉な輝きを放つ向日葵まで。
向こうの口ぶりからするに恐らく太陽の象徴。
吸血鬼としての側面が強いプニュリアには現状からどうすることもできない。
しかし、これで確信に変わった。
目の前の少女は、アイン教が襲い、手に入れようとするだけの価値がある。
「ハッ! 一つの界法にこれだけ多くの概念要素を付与しておきながら質問するなだと? 笑わせる。それは! 我のような『あり得ない存在』だからこその無法であろう! それともなんだ? まだこの力がただの界法とでも言うのかッ! 人間!」
直後、リンはフフッと笑ってしまう。
まさか強大な力を持つ吸血鬼が。それも、個として名を持つ特別な界物が、だ。
長身美女の形すら自由自在。霧となり蝙蝠となり、様々な能力を含む概念そのものである彼女が、まさか自分の界法をまるで同じかのように言ってくれたなんて。
もはや喜びすら込み上げてくる。
自らの努力が、少し報われたような気がした。――だが、
「別に、大したモノじゃないですよ。同じ『代行者』なら、多分練習すれば誰にだって出来ます。みんな、やり方を知らないだけで……」
到底、素直に受け入れることは出来ない。
プニュリアが驚愕するように、リンもまた知識があり、偉大な界法師との試行錯誤の日々がある。
彼女の意見は、要するに皿の大きさに対し具材が多すぎるという話だ。
人間の脳を皿として、界法に含む三世界の要素が具材。確かに、具材をそのまま全部使うのであればリンの界法は多すぎる量ではある。
「強い要素は少しで十分なんですよ。逆に難しい部分は、こうやって輝かせたりして雰囲気だけでも伝える。後は詠唱で……あなたも聞いてたでしょう? 『魔を払え』って。だからそういう界法だと認識した。結果私一人の自分ルールではなく、共通のルールとして認識され、本来以上の効果を発揮してるんです」
「……それで、本当に済む規模と程度だと思っているのか?」
「三世界で最も強い世界は『認識』です。ガーデン神話にもそう書いてますから、あなたがどう思おうとも関係ない」
「ハッ! ならばそうして力を振るっていろ。どれだけ自分を卑下しようとも、周囲の認識こそ事実。貴様はもう敵にもマリアにも見つかったのだ、今更逃げられると思うなよ」
「……そうですか」
不敵に笑うプニュリアに、リンは再び冷たい表情と共に手を向ける。
どれだけ向こうが人より強く、音より速く動けようとも、周囲に創造した向日葵から放たれる太陽の光には物理的にも概念的にも勝てるはずが無い。
結局どこまでいっても界物は概念集合体。
初手で肉弾戦をしてこず、こちらに猶予を与えた時点でリンに負けは無く、あとは少し思うだけで勝ちだ。
だが、直後リンの腕を誰かが掴み、無理矢理下げさせた。
「待て待て待て! 違うんだリン! あいつは……プニュリアは敵じゃない!」
「……誘惑の魔眼? 私の界法が発動するより前にアルバの精神世界に干渉を――」
「されて無い! されて無いから一旦休戦してくれ! 頼む! お前も何いい感じに敵っぽく話してんだよプニュリア! マリアの使いで来たんじゃないのか!?」
横から必死に説得しているのに、リンの視線はプニュリアから少しも動かず、思考だけを少しこちらに使ってくれた程度に終わる。
まずい。このままでは間違いなくまずい。
そう判断したアルバは咄嗟にリンの正面へ行き、自分の顔を無理矢理にでも視界に入れてもう一度説得しながら、現状を説明しろとプニュリアにも叫ぶ。
「チッ、余計なことを……。これで肉体が一度消滅すれば、マリアとの契約も解除され次の肉体で自由に行動できたというのに……貴様のせいで台無しだ、小僧」
「おまっ、それで俺達まで威圧してたのかよ!?」
「あの時点ではどれが『花の界法師』か分からなかったからな。逃げられぬよう能力を使うのは当然だろう?」
「……え? 何? 本当に洗脳されてないの? アルバ」
二人の会話に、戦闘モードだったリンの脳も徐々に現実を理解していく。
聞けばプニュリアはマリアと契約を交わした、言わば使い魔のような状態で、アイン教の襲撃を【未来視】したマリアからリン達を守るよう命じられたのだとか。
しかし命令は二人を守るだけで、自身の生存は命じられていない。
それでリンに肉体を消滅させようと行動していた辺り、流石は悪魔とでも言うべきか。むしろ複数概念の集合体に対し、一括りに『悪魔』と片付けるのが間違っている可能性もあるのだが、安堵したリンにはどうでもいい。
「……じゃあ全部私の勘違いだったってこと?」
「いや、今回はこいつが悪いだろ。……まぁ俺もすぐプニュリアのこと説明できなかったから、一概に他人のこと言えねぇけどさ」
細かい事情は後でマリアから聞くとして、今は血を流して倒れているアイン教徒達の治療が最優先。
一応、こいつらには聞きたいことが山ほどある。
プニュリアに向けた界法とは違い致命傷は避けた。まぁそれでも出血は多く、リンが【華凛】の要領で相手の身体情報をすぐさま認識し、適切に界法で治療しなければ死んでいただろうが。
「うん、こんなもんかな」
「おい花の。何故敵を治す? どうせこいつらは極刑。それで意識を取り戻したら反撃されるとは思わないのか?」
「別に拘束してますし、仮に起きたら尋問するだけです。……それに生き血でなければあなたも彼らの魂に触れられないでしょう?」
「貴様、マリア同様見た目と年齢が一致しない人間か? 平気そうな顔で恐ろしい……」
「え? 見た目通りのもうすぐ十七歳ですけど」
倒れた三人の頭上で平然と話す二人。
足元は血の海だというのに、彼らはまるでお茶会のように会話を続ける。
それがアルバには、とても遠くの景色に思えた。
「ならば余計に恐ろしいな」
「……じゃあマリアさんは何歳なんですか?」
「奴は今年で七十二歳だ」
「なっ!? 七十二!? それ時空が歪んでません!?」
「ほう、やっと年相応の反応をしたな、人間。まぁ奴はアルビノで、二十歳そこらで完全に失明した後、目の代行者に選ばれた。そのせいで自己認識が当時で止まっているのだ」
少し遠くを見るプニュリアに、リンが頷く。
傍から見れば何か思う所がありそうな両者だが、実際二人の近くにいるアルバには人体に空いた穴から覗かせる肉の微細な振動や、そこからモリモリと溢れるようにリンの界法で再生していくアイン教徒の姿ばかりが目を引いて辛い。
「なぁ、お前らよくそんなとこで普通に話せるな。気持ち悪くないのかよ?」
「我が人間如きの生き死にで心乱されるはずないだろう」
「私も慣れてるかな。それに敵だし」
「マジかよ……」
ドン引くアルバを他所に、テロリスト達の完治を確認したリンは少し離れ、プニュリアが彼らの首筋に牙を立てる。吸血鬼としての側面を持つ彼女であれば、吸血行為によって相手を眷属か意思無き奴隷にでき、その血と魂に刻まれた情報を文字通り抜き取れる。
だが、すぐに異変は起きた。
プニュリアが牙を立てた刹那、何かに弾かれるようなバジッという音と共に、彼らの背に描かれた大きなエンブレムが光り輝く。
「チッ。――【主亡き血は我が手に集え】」
瞬間、倒れた三人の肉体は急激に膨張して弾け飛ぶ。
鮮やかな血肉に混じって硬い骨も飛び散り、少し離れていたアルバだけでなく至近距離にいた二人もただでは済まないはずだった。
「アイン教め、人間の分際で同族の命を弄ぶとは」
「わーびっくりした。えっと? これで向こうの能力は『身体強化』と控えめな『自己再生』。それと何かあった時用の自爆、と」
しかし咄嗟に顔を庇ったアルバに痛みは無い。
恐る恐る前を向くと、彼らだったモノはすべてプニュリアの前に集まり、赤黒くグロテクスクな球体になっていた。
「お、おい。大丈夫……か? 二人共」
「フッ、貴様こそ大丈夫か小僧。いつまで強く剣を握っている? 血が流れているのも気付かないとは、余程重症に見えるが?」
「嘘!? ごめんアルバ、気付かなくて。すぐ治すから、手出して」
「あ、あぁ……」
瞬間的な驚愕が、今はアルバの中で恐怖に変わりつつある。
今日一日で多くを経験した。騎士になった以上……いや、それ以前の英雄願望の時点で分かっていたはず、だったのに。
死体を見る。敵を殺す。
いつかはあるだろうと先送りにしていた『いつか』が、今来ただけ。
隠せない動揺。じゃあ、自分も慣れればリンのようになれるのか。その思いに肯定と否定が頭を巡る。敵を穿ち、自分を守ってくれた彼女の手。敵を睨み、今は自分を心配してくれているリンの表情。
その薔薇の瞳に、先程の血飛沫がよぎる。
「ねぇ? 本当に大丈夫? 顔色悪いけど、漢方かアロマでも出そうか?」
「……いや、これでいい。このくらい乗り越えなきゃな。自分には、負けたくねぇ」
「? 意味わかんないけど、とりあえず治したから。それとホントに駄目そうならすぐに言って。私も、ちゃんと見てあげるけど」
「分かった。ありがとうな、リン」
彼女の優しさが、今は少し怖い。
不死身のプニュリアと同じ、自分の命を天秤に乗せていないような気がする。誰にでも優しく真面目なリンの本質が、実は誰にも心開かず、自他共に興味が無いからだとしたら……。
弱さに種類があるように、強さにも種類がある。
物事は多面的だと言った彼女は、曰く最強の界法師の下で育ち、その強さに自信を持てないでいる。ならば自分はどうだ。自分の求める『英雄』とは、どういう存在でありたい。
自らに問いかける前、アルバはこれで任務完了と、同じ敷地内にある孤児院へ帰るつもりだった。
「なんだ? 残った血肉すら灰になるのか、悪趣味だな。……まぁいい。行くぞ花の、マリアが待っている。小僧もご苦労だったな」
「待てよ。俺も行く」
「なんだと?」
だが心の底から震えるような恐怖を受け、友人の別側面を見た今、考えが変わった。
やはりリンは強いが、人として危うく脆い気がする。
だから……なんて強気になれる程、アルバは自意識過剰ではないがそれでも自分だって巻き込まれたのだ。たとえ吸血鬼に睨まれようとも、もはやこの程度の恐怖で屈するアルバではない。
「俺も行く。リンの事なら、ガーネットさんの次に俺が詳しい。だったら、俺が一緒の方がマリアだっていいだろ?」
「……勝手にしろ」
友人と母国の危機を知っていて、今更怖気づくなど理想とする自分じゃない。
その強い意志はアルバの心に強く確かな支えとなり、手足の震えをピタリと止める。
もう、大丈夫。
確信したアルバは月夜の下、先を歩く二人の背を追って最初の一歩を踏み出した。




