ドラゴンと魔女のアルバム
ここは魔法使いの世界だ。
人の手を使わずとも動くものはたくさんあるが科学を使って動かすものはほとんど無い。
それでも時折どこからかいわゆるキカイというものが流れ着くことがある。
正に奇々怪々といったところだがここは魔法の世界なのだから不思議なことが日常的に起こるのであった。
魔法使いの中には人間の使うキカイなどと下に見て低俗なものと扱う風潮がある。
しかしそもそも好奇心が強い魔法使いのことだ、少数派ながらキカイに興味を示す者たちもおり彼らの家にはキカイのコレクションがあったりする。
私の父も後者であり、居間には飾りこそしなかったが地下にいくつかのキカイを飾った部屋があった。
2、3点のささやかなキカイたちはホコリよけの魔法がかけてあったのか初めて見たときと変わらず綺麗な状態で棚に置かれていた。
確か左から「ラジオ」「マイク」「カメラ」という名前だった。
ラジオとマイクは手に入れたときから壊れていたらしく用途も書物で調べた程度にしか知らない。
しかしカメラだけは使える状態だったらしく実際に父はそれを私達家族に向かって使って見せてくれた。
毎年家の前に私と母を並べて撮ってくれていたが撮る側の父は一緒に写れないのをひどく残念がっていて、それならと母に魔法でシャッターを押せば良いのではないかと言われていたがそういうことじゃないんだよと父のポリシーがあったらしく、タイマーの存在が発見されるまで父は家族写真に映ることができなかった。
書架の一番下の段にあるアルバムを引き抜き開いてみると写真の香りなのか特有の香りがふわと広がる。
凝り性だった父は現像も自分でやっていた。
さすがに薬液は手に入らず渋々魔法でやっていたが手に入れば暗室を作って楽しそうに作業していたに違いない。
丁寧に撮った年月をラベリングして収められている写真には母と私が写っている。
身長が伸び大人びていく私と、緩やかに年を重ねていく母に途中から父が混ざってきた家族写真には毎年大差は無いがそれでも少しずつ違いが現れている。
間違い探しのようにそれらを見つけるとそれにまつわる思い出がぶわりとホコリを払うように蘇る。
この黒いローブは魔法学院初等科に入学した年だから着ているのだろうとか、腕に赤いトカゲを乗せているのは使い魔を飼育する許可が下りた年だとか。
そこではたとこのアルバムを見せたい家族の存在が思い当たったので私は箒に跨ると空へと飛び出していった。
箒を降りたのは我が家のある地域からやや離れたところにある荒涼とした岩山地帯である。
見渡す限り大小の岩や石ころが転がるその土地に私の愛しい家族はひとりで住んでいた。
岩山の中腹にある大きな洞窟の入口の前に来て大きく息を吸い込む。
「アルマ、私よ。ちょっと出てきてくれないかしら」
びゅうと洞窟内を駆け巡る風の音とは違う、何か生き物の息の音と唸るような声がどしんどしんという重たい足音と共に近づいてくる。
やがて一対の金色の宝石が暗闇に煌めいたかと思うと赤い鎧のような鱗を纏った手足がぬっと現れた。
「久しぶりだな、サラ。元気だったかい?何かあったのか」
人語を話す巨竜の見た目は厳ついが柔らかな物腰に私はかつて彼がトカゲのような姿の幼体であったときと同じようにその硬い皮膚を撫でた。
温かみが手を通して伝わってくる。
「父さんの写真を見ていたの。ほら昔毎年家族全員で撮っていた…あれ見てたらアルマに会いたくなっちゃって」
「ああ、あれ」
アルマの金色の瞳が細められる。
この金色の輝きだけは昔から変わらない。
魔法使いは学院に入学して三年目で使い魔の使役許可が下りる。
初めて自分の使い魔が持てるとなった魔法使いの卵たちは皆うきうきしながら使い魔を探す校外学習の日を待つ。
場所は学院の管轄内にある深い森の比較的安全なエリアで己の使い魔となるべき動物を採取する。
私もエリア内の茂みをかき分けて探していた所、真っ赤な美しいトカゲを見つけた。
トカゲにソッ、と近づき契約呪文の文言を唱える。
「トカゲさんトカゲさん、良ければ私の話を聞いていただけないでしょうか…」
古くは強制的に使い魔契約を結ばせていたが昨今法律が改正され相手の合意をとりつけてから契約を結ぶのが現在では鉄則となっている。
トカゲの金色の目がきょろりとこちらを向く。
逃げる素振りはないようなのでこのまま契約の手続きに入る。
契約の解除は使い魔側からの一方的な要請でも可能なこと。主人と使い魔の立場は平等であり主人は対価である魔力の供給を怠らずそれによって使い魔は主人に求められた働きをすること。
かつて奴隷同様に使い魔がこき使われてきた歴史があり、主人の死亡と共に殉死するのが当たり前であった時代がある。
そういった歴史と法律を学んだ上でようやく使い魔を使役する許可が与えられるのだ。
それらの形式的な文言を唱えながら指で契約の書を空に書き出す。
金色のインクが指先からきらきらと流れて四角い図形を描くと、トカゲはそれをしげしげと眺めた後にぱちぱちとまばたきをした。
それが合意の合図であり、契約図は虹色に輝くと砂が風に流されるように宙に消えていった。
かくして私はこのトカゲをカバンに入れて城へと帰還したのだがこの後、一騒動が起きる。
「ターナー君、これはただのトカゲではないよ。ドラゴンの幼体だ」
使い魔にした生き物を生物学の教師に見せると、彼は心底珍しいものを見たという表情でそう私に告げた。
ドラゴンの幼体はだいたい成体のミニチュア版だが種類によってはトカゲとそっくりなものもいるらしい。
「あの森には確かにドラゴンが住んではいるがもっと奥深くのエリアだ。こんな使い魔を探しに行くようなエリアにはなかなか居ないよ。君は非常に幸運だ」
それを聞いて私はそうなんですかと、ただびっくりして素っ気ない返事をすることしかできなかった。
騒ぎ出したのは周りのクラスメートで、よく見せてくれ私にも貸してくれ、中には自分の使い魔と交換しようなどと言ってくる者までいた。
それらを一蹴し、私はドラゴンを使役する道を選択したのだった。
ドラゴンの使役は難しいとされている。
少なくとも学院の通常学習プログラムで習うレベルではなくドラゴンライダーと呼ばれるエキスパートのもとで特別講義を受けなくてはならない。
その上ドラゴンという種族は総じて気高く自身に相応しくないものには触れさせることすらしない。
無理やり服従させようとして火あぶりにされたり雷に打たれたりという話は耳にタコができるほど聞かされた。
それでも私はこのトカゲ、もといドラゴンを使い魔としていや家族として迎えることに決めたのは生物学の教師がこう言っていたからでもある。
「この子は親と離れ離れになってしまったのかもね。そうして彷徨ううちに君と出会った。寂しかったのかもしれない」
私はそうなの?と言葉に出さずに目でトカゲにそう問うとぱちぱちとまばたきしてちょろりと舌を出した。
その時期は長期休暇に入る直前で、私は家族に会えるのを楽しみにしていてもし帰れる場所や家族がいなかったらと思うと心がひんやりするようだった。
そんな気持ちで迎えたのかと言えば覚悟が足りないとでも言われそうだが私は彼とここまで歩んでこれたのだ。
一応、自慢である。
ドラゴンの成長は早く、日に日に大きさを変えていく。
だからちょっとした水槽にいれておくと翌日には水槽みちみちに成長していたり水槽を突き破っていたりということはよくあることであった。
とてもではないが肩にも乗らず、また屋内においておくこともできなくなったアルマは在学中は校舎裏の広大な牧場に放されていたが卒業後は本来生きるのに適した場所である人里離れた岩山に居を構えている。
アルマがぐるりと金の瞳をこちらに向ける。
「父さんと母さんは元気?」
「ああ、それがね。父さんと母さんは田舎に移住したの」
「移住?」
「老年の魔法使いが集まって暮らしてる村があるんですって。父さんの知り合いがそこにいて来ないかって誘われたみたい。気候も良くてのんびりしたとこみたいよ」
「へえ、まあ住みやすいところで暮らすのが一番だね」
「うちは辺境だから寂しいみたい」
我が家は山間のやや開けた野原にぽつんと建つ一軒家である。
老年の夫妻二人では暇らしく、一人暮らしをしていた頃はしょっちゅう手紙をもらっていた。
私も帰るのはたまにだったし、その頃にはカメラは壊れてしまっていた。
魔法を使えばカメラは簡単に修理できたのだが、父はカメラを直すことはしなかった。
壊れたなら壊れたままで良いと言い、地下に飾っておいて綺麗好きな母の要望によりホコリよけの魔法だけはかけてあったのだ。
「引っ越し先の家はあまり大きくないらしいけど持っていけば良かったのにね。あんなに大切にしていたのだし」
「サラに使ってほしかったんじゃないの」
「え?」
私はきょとんとアルマの顔を見上げた。
「自分はそういうポリシーがあるから使えないけどサラなら魔法を使って直すことができるだろ」
「何それ。変なの」
「変だと思うよ。でも自分に課した縛りってなかなか破れないものだったりするんだよね」
はぁ、と私はそれしか口に出せなかった。
こだわりの強い人だったからそのこだわりを捨てられなかったのだろうか。
「じゃあ帰ったら早速直してみるわね」
私はアルマの体をひと撫ですると箒に跨がろうとしたのだが、そこをアルマに引き止められた。
「たまには乗っていってよ」
ドラゴンは気高い。
故に基本的に人を背中に乗せることは好まない。
幼体の頃から人に慣れていて、また信頼するに値すると認めた人間が乗る場合のみ背中を許すのである。
それでもドラゴン自ら乗れとはあまり言われないものだが。
ドラゴンライダーの元で修行したとはいえ私自身箒で飛べるので実はあまりアルマの背に乗ったことはない。
正直かなり久しぶりなために少々緊張したがアルマはそれを見て笑いながらばさりと翼を広げて宙に羽ばたいた。
「そんなにびくびくしなくても良くないか?」
「だって久しぶりだし、乗り慣れないもの。落ちたらどうしようって」
私はアルマの背中にある大きな棘にしっかりとつかまりながらひやひやしていた。
「落ちないよ。落とさないさ」
アルマは絶妙なスピードと角度で飛んでいく。
それこそ箒で飛ぶよりやや速いくらいでドラゴンにしてみればかなりゆっくりな速さなのではないだろうか。
落ちるのではないかという懸念さえ無ければドラゴンの背中に乗って空を飛ぶのはかなり快適だ。
彼とともにいろんな場所に行けたらどんなに楽しいだろう。
そしてそこで撮った写真を両親に送れたら素敵なプレゼントになるのではないだろうか。
両親は二人とも旅好きで幼い頃はいろいろな国や土地に連れて行ってもらったものだ。
そのなかで自分とは違う系統の魔法使いや、別種族らと交流したのも現在就いている職業である魔法界歴史文化研究所職員を志したことにつながっているのだと思う。
最近忙しかったし、この先有給でもとってのんびりするのもいいかもしれない。
そんなことを考えているうちにあっという間に我が家へと辿り着いた。
それじゃ、とあっさり帰ろうとするアルマを引き留めて私は急いで家に入り地下室からカメラを持って戻ってくると杖を一振してカメラを修理した。
かつて父から教わったカメラの操作方法を試し、動くのを確認すると空を眺めていたアルマを家の前に立たせ、タイマーをセットしてその隣に並ぶ。
「はい、にっこり笑って」
カシャ、と音がした。
あとで魔法で現像すれば良いだろう。
「父さんと母さんに送るわ」
「いいね、きっと喜ぶよ」
「それでね、私もっといろんな場所で写真を撮って二人に送ろうと思うのよ。良かったらアルマも一緒に行かない?」
アルマの金色の目が輝いた。
「やった!行こう行こう」
アルマいわく岩山ぐらしは暇らしい。
確かに快適ではあるのだが刺激も変化もなく毎日空を眺めているせいで空を見あげる癖がついてしまったとか。
「近く休暇を取るから、どこに行こうかしらね」
昔行った、かなり遠くの山奥の魔法使いの村はどうだろうか。
夜中に星空を見あげながら彼ら独自の星見の方法を教えてもらったことが思い出深い。
かなり冷える土地だったので服を何枚も着込んで焚き火にあたりながら空を眺めた。
占星術師に振る舞われたミルクティーのようなお茶の飲み慣れないがクセになる不思議な味わいが舌に蘇る。
あの時はアルマはまだ訓練中で決められたエリアを出ることができず留守番をしてもらっていたから今度は一緒に行きたい。
それかこのまえ熱帯地域出身の友人に教えてもらったジャングルもいい。
そこもまた異文化の魔法が使われており学術的な興味があるがいささか仕事の延長のような気もする。
と、なるとだ。
「温泉」
アルマがぽつりと呟いた。
奇しくも私もそれを言おうとしていたから驚いた。
「昔、訓練先で他のドラゴンに聞いたことがあるんだよ。ドラゴンも人も入れるいい温泉があるってね。ドラゴンは文字通り羽を伸ばせる」
「温泉か、いいわね。まずはそこに行きましょうか」
その夜、私は父と母の居なくなった実家の片付けを一段落させた後手紙を書いた。
それを封筒に入れて郵便獣に預ける。
郵便獣とはキーワードで呼べば来る郵便局の使い魔のことで今回はふわふわした毛並みの美しい白いフクロウがやってきた。
封筒を咥えさせてひと撫でするとフクロウはばさばさと空へと舞い上がりあっという間に見えなくなった。
後に両親から返ってきた手紙には感謝の内容が綴られていた。
カメラを置いてきたのはアルマの言う通りの理由だと母の手紙に書かれており私が使ってくれるのをとても喜んでいたそうだ。
父の手紙には近況が事細かく記されており、山奥で少々寒いがなかなかに快適な環境であること。
友人たちと人間界から伝わったスポーツを毎日楽しんでいること。
隣家の住人がかまどの火を司る火の精霊と喧嘩し、精霊が屋根をぶちやぶってかまどごと家出したこと。
太古の幽霊が出て大昔の武勇伝を語るのだが肝心な部分を忘れていて記録係の伝記作家が苛ついており密かに浄霊を画策していること。
そんなことが楽しげに綴られていた。
なるほど楽しそうに暮らしているようで安心した。
私は父と母が居なくなったのを機に実家へと戻ってきた。
うちの家は静かな環境を好むが寂しがり屋でもあり無人の家だと悲しくなり家の劣化が早くなると聞いて私が住むことになったのだ。
職場こそ遠くなったが専用の直通ドアを貸しだしてもらい仕事に支障はない。
先日、有給届を提出し受理された。
トランクに荷物を詰め込みながら旅の目的地に関する書物を眺める。
あとで家が寂しがらないように私のダミー人形を忘れず作らねばならない。
数日間の旅行ならこのダミー人形でも家の孤独は癒されるらしい。
出発の日は晴れだと、嬉しい。