強さと憧れを胸に抱いて、そして―
大きな地響きが聞こえるたびに砂塵が巻き上がっている。
濃紺色の怪物――ドュメイの咆哮が衝撃となって周囲を揺らす。
しかし、魔族たちは怯まない。特にゴブマサやヴォラフルム、エイドスは。
ゴブマサは口元から笑みがこぼれ、ヴォラフルムは真剣さが、エイドスは不敵な笑みを浮かべ、それぞれの表情からやる気に満ち溢れていることがわかった。
ゴブマサが真ん中のドュメイに向かって疾走する。
それを皮切りにエイドスが小隊に指示を出す。
「第一から第三小隊、第七、八小隊は一番右を目標に。牽制で構いません。それから、第四から第六小隊はその次のを。第九、十、十一小隊とはヴォラフルム殿とともに左を相手してください」
それぞれの小隊が指示通りに行動する。
そんな彼らを無視して一人独走するゴブマサは既に目標を自身の射程圏内に捉えて攻撃に移ろうとしていた。
自分にとっては羽虫みたいなゴブマサがこちらに突っ込んでくることを視界に捉えているドュメイは彼に向って石化ブレスを放つ。
ゴブマサはそれをあっけなくかわして口の端を少し上げる。
「まずはその足落として、なげぇ首、地に落としてやらあ」
そういってゴブマサはエクストラスキル『亜空間』を用いて自分の愛刀である巨大な中華包丁を取り出し、その硬度な体を豆腐のようにドュメイの前足を切り裂いていく。
すると、ドュメイの体制が悪くなり雪崩れるように倒れ、頭部が地面を抉りながら地面に着く。
勢いをなくし完全に停止し、重く長い頭を上げようとした瞬間、ドュメイの頸部の一つが切断された。
その張本人はもちろんゴブマサだ。
ゴブマサの動きを封じるため、周囲に毒や麻痺ブレスをまき散らしながら、切られた頸部と前足をドュメイはエクストラスキル『高速再生』で再生させようとする。
しかし、そんなことを気にした様子もなく、ゴブマサは次々と攻撃を仕掛ける。
あっという間にすべての首を切り落とし、絶命させてしまった。
巨大な中華包丁を肩に担いで戦況を見ている。
リンにいいところを見せることができて嬉しいのか口角が上がっている。
ゴブマサが戦闘開始して少し後
ヴォラフルムが一体のドュメイと対峙している。
ドュメイが自身の巨大な尾を鞭のように薙ぎ払う。
まともに喰らえば全身をミンチにし、後方へ吹き飛ばされるほどの威力をもっている。
その重厚感のある尾からくり出される衝撃をヴォラフルムは一身に受け止める。
しかし衝撃は緩和され、ヴォラフルムの体も微動だにしない。それどころか彼の後方には一切の影響が起きていない。
その理由は糧鬼族の誕生魔法である『吸収』にある。
物理攻撃と衝撃を吸収し無効化することを可能とするこの魔法は使用者を鉄壁の要塞へと化すこともある。
斬られたり、魔法での攻撃は吸収することはできないが相手の攻撃手段が打撃攻撃のみであるなら、この魔法の前では無力だ。
目の前にある尾をヴォラフルムはつかみ持ち上げていく。
ドュメイの足が地面を離れ、そのまま凄まじい勢いでヴォラフルムに背負い投げされる。
背中から落ちて地面にクレーターが生まれた。
ドュメイの口から苦悶の声が漏れる。
倒れたまま動かないドュメイをヴォラフルムは睨む。
ゆっくりと近づき、それに次いて第十一小隊が倒れている獲物の首を狙う。
第九、十小隊は最も左の相手をしている。打撃攻撃は一人では耐えきれないため、複数人で。
交代で攻撃を受け止め、負傷したのなら、すぐさま回復薬で傷を癒している。
石化ブレスや麻痺ブレス、毒攻撃の際には、攻撃範囲から遠のくように逃げている。
最も右にいるドュメイを相手している小隊は指示通りに動きを止めることに徹していた。
近づいては各々の武器に毒を塗って攻撃をしているが、頑丈な鱗で覆われていて直接ダメージを与えているようには見えない。
毒を塗った矢を使って遠距離から攻撃する毒鬼族もいたが結果は同じであった。
毒鬼族の魔法『毒』は文字通り、毒を操る魔法だ。
彼らの体には毒を保管する器官がある。
体内に入った毒をその器官でろ過し、貯蔵する。
また、貯蔵した複数の毒を合わせることで、新たな毒を作ることもできるのだ。
一度保管された毒は記録され、任意で自由に作りだすこともできれば濃度を調節することで薬として扱うこともできる。
ゴブマサが瀕死の毒鬼族に治療していたのもこの能力だ。
まさに、毒にも薬にもなる能力なのだ。
ただし、症状を直すことはできるが直接的な回復には繋がらない。
そのため、怪我をしたら素直に回復薬が必要であるなだ。
そんなこんなを繰り返していくうちにドュメイの数が減っていき、やがて最後の一体の命が断たれたのだった。
その光景はまさに圧巻の一言であった。
途轍もなくでかい魔物をものともせずに倒していく姿に一種の憧れを抱いてしまうほどに。
今のリンを見れば誰から見ても興奮しているように見えるだろう。
普段は冷静で理知的に生活していると周りから思われているが、この時ばかりは年相応のはしゃぎ方をしていた。
それを見ていたエイドスは眼鏡を軽く上げ、リンを見直していたのだった。
幼いころから高い知性があって、大人の対応をしている子どもをエイドスは少し毛嫌いしていたからだ。
しかし、今の行動を見て子どもらしい一面を見て、認識を改めたのだった。
そうこうしている間にゴブマサ達が笑いながら戻ってきたのだった。
きっとリンのはしゃぎ姿を見ていたのだろう。
「どうだ! リン。これが魔界での魔物の戦い方だ。参考になったか?」
「はい! はい! すっっごくかっこよかったです! まさか、あんなことができたなんて知らなかったです!」
「はっはっは、そうだろ~。もちろん、俺の戦いを参考にしていいんだぞ、リン」
「六歳の子どもじゃさすがに早いだろ」
ゴブマサが上機嫌に言う。
それをリンが受け答えし、ヴォラフルムが真面目に指摘する。
ここにもし常識人がいたとしたら、大人でもあんなでかい怪物倒せるわけないだろとツッコミを入れているかもしれないが、残念ながらこの場にはいない。
周りにいる人たちはそれを見て笑っていた。
こうして魔界での平和は保たれるのだった。
――――
それからさらに四年後。
リンが十歳になったころ。
リンはドュメイ討伐を目撃してしばらくして、剣術に励むようになった。
ゴブマサに、戦い方を教えてくれる人を紹介してほしいと懇願したところ、炸鬼族の族長のところに連れていってくれたのだ。
なんでも、炸鬼族は武器の扱いに長けているらしく、特に族長ともなればその腕を比肩する者は魔界にはいないと言われるほどに。
族長ともいわれているほどの人物なので、髭を蓄えた仏頂面でもしているのかと思ったが、さすがは異世界。
そこにいたのは若々しい筋骨隆々の美丈夫であった。
そこからなんやかんやあったのだが、その話は別の機会にでも。
とにかく、無事に弟子入りすることができて、そこで摸擬戦やら実戦やらを多く積んでいきながら剣について学ぶことで多くの経験を学ぶことができたのだ。
ちなみに、先のドュメイ討伐の際には別の用事で参加することができなかったというのもあるが、あの程度のことは日常茶飯事らしいので、他の人たちも特に気にした様子もなく、各々がいつも通りの日常を過ごしているらしい。しかも、そんなことを後から知った人が大半であった。
――――
ある日の学校帰り。
リンはこの日、テスト期間のため仕事のシフトも入れず、そのまま直行して帰り道を歩いていく。
ただ、少し寄り道をしてから帰ろうと思い、下校ルートから外れる。
しばし歩いていくと寄り道の途中で話声が聞こえる。
「いやあ~久しぶりだな―っておい。お前大丈夫か、その怪我。誰にやらせた?」
「いや、見た目ほど大した怪我じゃね―よ。人界にいる新米冒険者に魔物に間違われて軽く斬られちまっただけだ。気にするな。イテテ……」
「本当に大丈夫か? あまり痛むようなら、薬ちゃんともらえよ?」
「俺たちはあんまり人界に行くことがないから、彼らにとっては新手の魔物だと思われちまうのかもな……。まあ、しょうがないことかもしれないけどよ。ちょっと悲しいよ」
会話しているのは二人の吸血鬼。
リンには吸血鬼の知り合いがいないため、その辺のことを教えてくれる人がいなかった。だが、吸血鬼は人界と魔界の出入りをしているかどうか少し気になるところではあったので、彼らの話に傾聴していたのだ。
そして、彼らの話ではリンの予想通り、古代種であるかは関係なく、人界で過ごす吸血鬼は珍しいらしい。
であるなら、レベッカが危険を顧みずに人界へ赴いていた理由が気になる。
自分の命を私利私欲のために狙う者、そして決して浴びてはいけない太陽光。
それらを度返ししてでも人界へ何を求めていたのか。
リンの頭の中にはそれらがぐるぐる廻っていく。
そして、リンはある決意をする。
それは己も人界へ行ってその目的を探すこと。
このまま魔界で一生を過ごすことも悪くはないと思う。
もちろん、平和な生活に飽き飽きしているわけでもない。
だが、気になるのだ。
彼女が命を懸けるほどの価値がその目的にはあるということに。
そして、それを知るためには己の命を懸けなければ、自分にはそれを知る価値がないとも感じるのだ。
平和で安全なところでのうのうと生活している自分がいつか知ることができるだろうという甘い考えで彼女の望む答えをただ待っているのはおこがましいだろう。
加えて、リンはレベッカからの望みを聞いていた。
それは彼女の願い。
当時の光景は今でも鮮明に覚えている。
――――
満月の夜に家の外へ出て月明りに照らされながら、原っぱでレベッカがリンを覆うように座りながら談笑していた日のこと。
『いつか人界を旅して、いろいろなものを見てほしい。きっと、リンが想像もできないようなたくさんのものが世界中にあって、それらがリンを形作ってくれる。だから、一人でも生きていけるようになったら、自由に旅をしてみてほしいな』
そう言って、レベッカは遠い過去に経験したたくさんの苦楽を懐かしむかのように追想していた。
ノスタルジ―に浸っている様は、見た者をそれは儚くとも美しいと感じてしまうほどに。
――――
だが、今の自分では到底一人で生きていくことはできないとリンは考える。
ならば、一人で生きていけるまでこの魔界で力をつけることを重視するべきだろう。
だが、いつまでも準備に時間を割くつもりはリンにはなかった。
期限を設けるべきだと思案する。
( ――十五になるまで。
それまでにできることをして強くなる。)
そう心の中で決意してその場を離れるのだった。
この日からリンの行動に変化が見られた。
学校の授業の範囲外の内容を質問してみたり、炸鬼族の族長との稽古をより意欲的に取り組む日々が続いていく。
そしてもちろん、ゴブマサやヴォラフルムを含めた恩人たちにもこれからの自分の今後の身の振り方についてを包み隠さずに話した。
止められる覚悟もしたが、彼らの中にそれをする人はいなかった。
正直、止めてくるようなら旅立つときにこっそりと出ていくつもりだったので、リンは心底安心したのだった。
素直に言ったことが功を奏したのか、彼らと会うたびに今までいろいろと気にかけてくれるようになった。
模擬戦も炸鬼族の族長だけでなく、ゴブマサやヴォラフルムといった面々が付き合ってくれて、それが終われば、アドバイスをくれたりもしてくれる。
本当に面倒見のいい大人に巡り合ったことに幸運を感じるリンであった。
――――
リンが十五歳になったころ。
いよいよ人界へ旅立つ日だ。
今のリンは紅の髪に全体が翠色で瞳孔に近づくにつれて紫がかった目をしている。
また、漆黒のコートを羽織っていろ、身長も伸びていて百七十センチメートルほどになっている。
このコートはリンが旅立つ際に必要だとゴブマサたちがオーダーメイドした特注品だ。使われている素材はリンが以前に討伐したサーベルタイガーモドキ――ブラタリィータイガーの毛皮や爪、牙を使って作られたものだ。
フードがついていたり、ところどころにポケットがあって、実用性に優れている一品だ。
身長とその長いコートが相まって大人の雰囲気を感じさせるものであった。
顔立ちは十五歳にしては幼い顔をしているが、その目には力強さを感じさせるものであった。
その目に映っているのは十年以上ともに過ごし、自分を育ててくれた人たちだ。
ゴブマサとヴォラフルムたちとそれぞれ抱擁し合い、今までの感謝と別れの挨拶を交わす。
「気つけてな、リン」
「はい。そちらこそ、あんまり無茶をしすぎないでくださいよ」
「ガキに心配されるほど、無茶している気はねえんだがな」
ゴブマサが照れ隠しのように頬を軽くかきながら言う。
「今出れば、夜のはずだが、そのコートに太陽の光を遮断する効果はない。昼間に出かけてはならないぞ」
「わかってます。ヴォラフルムさん、心配しすぎですよ」
安心した表情をしてヴォラフルムは「そうか」とだけ返事した。
「もう立派な大人に見えますよ。肉体が精神年齢に追いついたみたいです」
「そうやって、子ども扱いするのは相変わらずですね。エイドスさんは」
「私からしたら、あなたはまだまだ子どもです。ですので、何か困ったことがあったら戻ってきて構いません」
エイドスが粛々と言う。それに対して、
「風邪ひかないようにね。季節の変わり目のときには特にね」
「今までありがとうございました。ゴブナさん」
ゴブナはリンの手を握りながら心配しそうに言ってくる。
リンは笑顔で返して、安心させようとしていた。
みんなの顔をもう一度見る。
「じゃあ、行ってきます」
リンが振り返り、後ろにあったゲートを見る。
背中からさまざまな眼差しと応援の声を受ける。
このゲートを最後に見たのは、魔界に来た以来だ。あの時とは心境も状況も全然違うせいか、異常に緊張している。いや、あの時があったからだと認識を改める。
あの時起こった凄惨な出来事。
そしてそれから自分を守ってくれた両親。
泣きながら潜ったゲート。
何もできないことに悔しさを感じて、歯を食いしばりながら逃げてきた日々。
今の自分はあの時とは違う。
それを証明するかのようにまずは最初の一歩を歩みだす。
次回、人界編になります。