別れと窮地
周囲は静寂に包まれる。
辺り一帯は熱と爆風で更地となっていた。
雲が吹き飛んだことで月明かりがその惨状を照らす。
アルゾとその騎士たちは高熱により塵すら残らず、ドロドロに熔かされた疑似太陽炉のみがそこにはあった。
生存者はたったの二人。
最も熱源に近いはずの二人は火傷どころか、かすり傷すらついていない。
美丈夫に抱きかかえられた真紅のコートがもぞもぞと動き出す。
中から出てきたのは四歳ほどの紅色の髪をして子ども――リンだ。
リンが爆発で吹き飛ばされないようにと無意識のうちに抱きかかえたパトリックによってリン自身が何が起こったのかあまり理解していない。
ただ彼の母――レベッカが彼女の身を挺してまで自分たちを守ってくれた事実。
そして、最期の言葉。
リンにはそれしか知らない。
あとは今見ている悲惨な光景から何が起こったのかを推測することしかできない。
「うぅ……リン……逃げろ……魔界へ」
パトリックが声を出した。強烈な光を目の当たりにしたからか、視点がはっきりとしていない。
それにうまく言葉が発することができていないようだ。
「逃げろ……魔界へ……早く……朝が……来る」
「じゃあ、一緒に逃げようよ」
「俺は……いい……」
パトリックの意識はもとんど残っていなかった。
パトリックがレベッカが放った黄金の輝きを真っ向から浴びたためだ。
この光は親密な関係の相手には高熱や爆風の影響のすべてを無効にする。
ただし、その相手を抜け殻のようにさせる一種の呪いを与えてしまう。
それはまた、パトリックも例外ではない。
最愛の人が目の前で光となって消える。
これだけで気が狂いそうなものだ。
それに加えて、その呪いのようなものが襲い掛かればそれは当然ともいえた。
だが、パトリックは少し違った。
レベッカとの約束があったためだ。
彼女に何かあったらリンを魔界へ送り出すことを、リンが生まれたときから誓い合っていた。
パトリック自身、できれば魔界へともに移り住み家族との生活を望んでいた。
しかし魔界で生活するには人間には厳しすぎる環境であるとレベッカに止められていた。
それに今の自分では到底無理だと自覚していたため、苦渋の選択ではあるがリン一人で魔界へ行かせることに納得していた。
幸いに、魔界へのゲートは消えていない。
高熱や爆風の影響によりかつての家は崩壊しているが、ゲートには一切の揺らぎがない。
だが、ゲートがいつ消えるか分かったものではない。
それに、夜がいつ終わるかもわからない。
リンが自分と一緒に逃げることを提案するが今は自分のことなどどうでもいい。
自分がこの先野垂れ死のうが別に構わないとさえ考えていた。
まずは、リンの安全が最優先だと考え、再度この場から去ることを促す。
「いいから……行け」
息子の顔をぼやけた視界で見入る。
これで最後だと思ったからだ。
もう二度と会うことはないと。
息子は自分の手が決して届かない世界で生きていき、自分は生と死の瀬戸際をさまようのだと自覚していたから。
「リン、さよならだ」
まだ四歳の子どもだが、親馬鹿としての忖度なしで賢い子だと自慢できる。
この状況を理解できないような子ではないと断言できる。
あまりの賢さにとても子どもとは思えず、最初は接し方がわからなかったほどだ。
最後くらいは笑顔で。
これから先の長い人生を生きるうえでたくさんの思い出を築いていくだろう。
そんな息子にとって幼少期の四年という歳月はあまりにも短い。
父親としてできたことなど、ほとんどないだろう。
多くの思い出に埋もれて、父親の顔などほとんど思い起こされることもないだろう。
だがもし、思い出してくれたのならその時は笑顔でいる自分の顔を思い出してほしい。
だから、今自分のできる精一杯の笑顔を息子に向けるのだ。
リンは父――パトリックの笑顔を見る。
それは彼がいつも見せる笑顔とは比較にならない歪で無理をしたものだった。
とてもじゃないが見ていられない。イケメンが台無しだとリンは心の内で思う。
だが、言葉にはしない。
父親として何をしたかったのか理解できたから。
リンはパトリックの言葉に背中を押され、魔界へのゲートへと向かう。
四年という歳月。
それも幼少期の四年。
普通の赤子ならまだしも、異世界転生し我を持った状態で生まれたのであればなおさら、育ててくれた恩義はあれど本当の両親とは思えない。
ならば、決して涙を流すことはない。
だからきっと、頬に熱い何かが流れるのを感じるのは気のせいだろう。
足取りが重く感じ、ゲートまでの距離が縮まらない。
リンがゲートへ到着したとき、更地には少年が歩いた道程にあるいくつもの斑点と心許ない慟哭だけがそこにはあった。
――――――
ゲートを潜った先には暗闇で満たされているわけではなかった。
視界に映るものはまばらに咲き誇る緑黄色の光源とこちらに触手のように近づいてくる植物の葉のようなもの。
リンはそれから逃げるように離れる。
彼らの攻撃に殺傷能力はない。
スピードもなく触手は動きこそ厄介だが、生命を狩る役割がないように見える。
どちらかというと、生命を捕縛することに重視を置いているようだ。
自ら光源となることで生物を誘き出そうとしているのだろうが、リンのスキル『暗視』により、たとえそこに光があろうがなかろうが危惧するようなことではなかった。
見たところ、この生物は地面で根を張っている感じはない。
移動することも可能であるが今のところその素振りを見せない。
だが、リンを中心に扇形のように囲んでいる。
また、リンの後ろには先ほど通ったゲートがあり逃げ道がない状況だった。
リンの胸中に焦りが駆け巡る。
相手の攻撃をかわすことは造作もない。
だが、いつまでやっても体力を消耗するだけで悪手だ。
後ろの選択肢はない。
仮に戻って朝を迎えるぎりぎりまで粘っても、状況は変わらない。
それはこの植物たちも同じことをするはずだからだ。
相手が戻ってくるまでおとなしくここで待っているだろう。
そうなれば、いよいよなすすべがない。
それにもう一度入る前に閉じてしまったら言葉もなくなってしまう。
ゲートが閉じるまで粘るか、いやその間に間違いなく捕まって終わりか。
ゲートが閉じる瞬間を狙って後ろから逃げるのも不可能。
となれば、やることは限られてくる。
つまり、植物たちを倒すなり、逃げ道を作ることだ。
リンは魔力を開放する。
三年以上培ってきたものでこの窮地を脱しようとするのだ。
触手の動きが鈍る。
見た目からは想像もしなかった魔力量に翻弄されているようだった。
だが、彼らが臆することはない。
彼らは他者から魔力を吸い取り己の生命力とするためだ。
ならば、今のリンはまさに彼らにとっての大好物だ。
それも小さく何もできないような幼子が相手だとすればなおさら。
目の前に好物があってそれを見逃すほど甘い考えを持つものはこの魔界にはいなかった。
その考えが彼らを狂わせた。
すばしっこく簡単に捕まえられないならば、手数で勝負するまでと。
植物たちが一斉に欲望をむき出しにして触手を獲物に向けて伸ばす。
リンにとってこの状況は都合が良かった。
身体能力だけは見た目を逸脱していた。
人間の大人と比較すれば、既にリンの方が上だ。
小さく素早いこの体であれば、たとえ攻撃手段が乏しく戦況が不利だとしても勝機があった。
攻撃を搔い潜り一体の植物に近づく。
そしてその植物に向かって爪を出し、魔法『操血』を使って思いっきり切り飛ばした。
爪から出てくる血の量はわずかだ。
爪には小さな穴が開いており、その穴から血が出てくる。これは今を生きている吸血鬼にもなく、古代から生きている吸血鬼にだけ備わっている器官の一種だ。
魔力を使って、血の勢いを調節することができる。
レベッカが魔力の説明のときにはこの勢いを弱めていたわけだ。
今リンがやっているのはその逆で、今行うことのできる最大出力をだしたのだ。
左側と右側の体が泣き別れしたことで活路が開かれた。
リンはその活路を見逃さずにその場から逃げるように走り出した。
魔法『操血』の弱点、貧血を引き起こしながらリンが全力で逃げだす。
植物たちが一斉に触手を前に飛ばしたことにより、即座に逃げるリンを捕まえることができなかった。
植物たちには焦りの表情があった。獲物の正体が判明した途端に血相を変えるように態度を変えた。
そんなことを知らないリンであったがそれはそれとして。
リンの作戦勝ちである。
状況を把握して相手のできること、できないことを判断、予測して行動に起こす。
初めての劇戦(というより実際には逃亡劇だが、今のリンには気にしたことではない。)をやり遂げたことで安堵の胸をなでおろした。
窮地から逃れたことで身を任せて地面に崩れ落ちる。
スキル『高速再生』で血液を補充し貧血を直し、疲労も回復させた。
多少の貧血程度なら、スキルを使うことで直せるようだが、さすがに限度はありそうだが。
――――――この世界での魔力について
魔力とは魔素を操るための力のことである。
そして魔法を行使するために必要な力であるが魔力が枯渇すれば、体内や周囲に魔素が十分にあったとしてもそれを使うための力がなければ、魔法が使えないのだ。
スキルとは簡単に言えば、体内にある魔素を利用することで自動的に発動される補助的な能力だ。
スキル保有者が眠っていようが気絶していようが、スキルが解除されることはなく保有者が意識的にしなければ解除することができない。
自身の身体能力に関係するものがほとんどであり、攻撃に直接関係しているものはほとんどない。
リンが使った『暗視』や『高速再生』もこの身体能力に関係する能力だ。
また、レベッカから教えてもらったスキルにはランクがある。下から順にコモン、エクストラ、ユニークだ。
ここで、リンが現在使うことのできるスキルをまとめるとこうだ。
『暗視』:コモンスキル。光がない空間でも昼間と同じような視力を見ることができる。もちろん、夜になっても松明などの光源を必要としないので、洞窟探索などに便利な能力。レベッカから受け継いだ能力。
『高速再生』:エクストラスキル。コモンスキル『自己再生』の上位互換で、両腕が吹き飛ばされるぐらいなら即座に修復することができるほどの回復能力を可能としている。レベッカから受け継いだ能力。
『物理結界』:エクストラスキル。自身の周囲に物理攻撃を軽減する能力。熟練すれば町を破壊するような攻撃に耐えることができるほどの結界を張れるようになると言われている。レベッカから受け継いだ能力。
『魔法結界』:エクストラスキル。『物理結界』の魔法版。レベッカから受け継いだ能力。
『亜空間』:エクストラスキル。亜空間にさまざまなものを収納できる。RPGにおけるアイテムボックスのようなもの。容量の限界はスキル保有者の力量による。パトリックから受け継いだ能力。
『熱源感知』:コモンスキル。周囲の熱源――生命や稼働している機械を視界から外れていても認識することができる能力。レベッカから受け継いだ能力。
『毒無効』:エクストラスキル。身体に害をなすものを無効にする能力。レベッカから受け継いだ能力。
『痛覚無効』:コモンスキル。文字通り、保有者の痛覚を遮断することができる。レベッカから受け継いだ能力。
『聴覚強化』:コモンスキル。使用することで使用者の聴覚で聞き取れる音の幅と範囲が百倍になる。レベッカから受け継いだ能力。
『魔力感知』:コモンスキル。周囲の魔素、魔力を視界に囚われずに認識、発見を可能とする能力。レベッカ、パトリックから受け継いだ能力。
『物理耐性』:コモンスキル。物理攻撃を軽減することができる能力。パトリックから受け継いだ能力。
――――――
今の気分の余韻に浸っていたいが、リンの目に映る光景によってその笑みが吹き飛ばされることとなった。
目の前にはこちらの顔を覗き込む魔物がいたのだ。
見た目に最も近いのはサーベルタイガー。
だが所々に角のように生えている突起物があり、尻尾は五本生えており、体長は六メートル近い。
しかも、白い雷を纏っているようにも見える。
その目は完全に捕食者としての目つきで涎を垂らしながらこちらの動きを観察している。
特に動きがなければ、このままガブっといくだろう。
リンは焦る。
だがこういうときにこそ冷静であるべきなのだと己を落ち着かせる。
すぐに動くべきかとおもったが、ちょっとやそっと動くのでは逆効果でそのままパクリといかれることは目に見えていた。
ゆっくりとされど迅速に呼吸を落ち着かせ、慎重にそして大胆に行動することを考える。
リンは直観的に悟った。
(ああ、これ無理だわ。)
今の自分ではとてもじゃないが勝つことができない存在。
それを今直面している。
獲物が動かないのでサーベルタイガーモドキはリンに猫パンチを喰らわす。
地面を叩きつけられるように転がり一度の攻撃で意識が飛びそうになるが、ぎりぎり繋ぎとめて何とかなった。
出血がひどく貧血どころか血液不足となる。
魔法を使えば、目の前のサーベルタイガーモドキはおそらくやれる。
でも、その前にやられるのではないか?
リンの心にそういう感情が巡ってくる。
しかし、サーベルタイガーモドキがリンの流した血を見ると反応が一変した。
表情が戦慄いている。
震えあがってサーベルタイガーモドキは動けない。
サーベルタイガーモドキの反応が止まり、時間が止まったと錯覚するほどに。
リンはスキル『高速再生』で傷ついた体を治すが、未だにサーベルタイガーモドキは動かない。
倒すという考えにはならなかった。
相手の殺意が喪失したこともあるが、必要のない殺生をしたくはなかったからだ。
リンは生き残るために全力で走り出した。
この世界、魔界の惨さと己の不甲斐なさを嚙み締めながら。
後半はどう進めていくか大分悩みました……
キャラのイメージを崩さないように書くのは難しいものですね。
スキルについての説明を忘れていたので、追加しておきました。