平穏は当然、終止符を打たれる
異世界転生をしてから四年の歳月が経った。
家族とのいつもと変わらない安寧な日々を過ごしている。
年を重ね、俺の魔力でできることが増えるたびにパトリックが驚愕の表情をすることもあまりなくなった。
きっと俺のすることなすことに慣れてしまったというよりも、息子の成長が嬉しい気持ちの方が大きいのだろう。
レベッカと一緒にハイタッチして、喜んでいる姿がよく見られるようになったから、きっとそうだ。
しかし、肉体的成長はあまり感じられない。
身長も同年代の子と同じくらいだ。
おそらくだが、人間と成長段階の時期が異なるだけで、ある一定のところまでの成長結果は同じなのだろう。
なぜ、異なるのかを断言することはできないが、そうしないと生きていけないからと推測くらいはできる。
生物は種族や環境によって成長スピードが異なる。 小さな生き物は成長が早く、大きなものは成長が遅いと言われることと同じだろう。
人間と同じほどの吸血鬼がここまで早く発達した原因はおそらく環境だろう。
もともとは劣悪な環境で生きるものだったか、狩られる立場であったか。
それとも、親と子どもがともに生活する本能がなかったのか、いやこれはない。これがあったのなら、自分の教えられることをできるだけ早く学ばせ、独り立ちの準備をさせ親が子どもとの関係を断ち始めるだろう。
母の表情や態度からみてそれはないだろう。
しかし、なぜ吸血鬼に転生したのだろうか。
(いや、この身体に転生したことに不満はないよ?
でも、吸血鬼である限り、太陽の下を歩いていけないのはつらいな……)
やっぱりいくらガンガンにエアコンの効いた部屋でダラダラと生きていた現代人でも、たまに浴びる太陽の光も悪くないものだと思うのだ。
リンが今後の生活に不安を抱えるも、さらなる疑問が浮かぶ。
前世では気にもしなかったことだが(気にするほど興味もなかったが)、前世の知識として月明りの正体は太陽光が月に反射して我々に浴びせている光だということだ。
つまり、月の明かりも太陽の光とたいして変わらないということだ。
では、吸血鬼であるこの身が月明かりを浴びると消滅してしまうのではないだろうか。
だが、実際はこの身体が証明してくれている。
なんともないのだ。月の光を浴びても。
(そもそも俺の今見ている月は前世にあった月と同様のものなのか?)
実はあれは月に似た見た目をしているだけで、太陽と同じ恒星の一つだったとか。
月に反射する際に吸血鬼の弱点であるポヨポヨ粒子とかテマテマ光線を月が吸収してからこの世界を照らしてくれているのかもしれないとか。
もしかしたら、月の光が大丈夫なのだから、太陽の光を浴びても問題ないのではないかと淡い期待をもつが、家に厳重にされている窓を見ればその理想の仮説は否定される。
そんなわけない……そんなわけないのだ。
太陽の光を浴びて大丈夫なら、あの厳重さに説明がつかないのだ。
自分の期待を軽く一蹴されて、希望が潰え心にダメージを負うリン。
話が脱線してしまったが、魔力を習得し、わかったことがいくつかある。
そのうちの一つにこの家の状況だ。
家の地下室には莫大な魔力の塊がある。
自分の目で確認することができないので、母に聞いてみた。
母曰く、地下室には魔界へのゲートがあるという。 魔力の流れが乱れて暴走でもしたら辺り一面が吹き飛ぶかもしれないから、気になっても絶対に触ってはいけないと忠告してきたが、俺からしたらなぜそんな危ないものがこの家にあるかのほうが疑問だ。
なぜあるかと問えば、もしもの時の避難口の役割があるそうだ。
用心するには越したことはないと言っているが、一体何に狙われているのか。
あまりビビらせないでほしいものだ。
また、レベッカの魔力も莫大だ。
ゲートよりも魔力量が多いかもしれないほどだ。
魔力を抑えるのが難しいのか、常に周囲にまき散らしている。
彼女を魔力探知を通して見れば、辺り一面が魔力で染められるほどには。
そんなに魔力を垂れ流していたら、用心のために用意したゲートのお披露目を近いと思ったがそれは杞憂であった。
「リン、家の周囲には広範囲の結界があって、それには魔力を閉じ込める効果があるのよ。この結界があれば、どんなに魔力コントロールがヘタクソな私でも気にせずに生活できるってわけ!!
どう? すごいでしょ!」
「ええ、すごいです! お母様。そんなに大変便利なことができるなんて!」
すごく自慢している感じがしているので、とりあえず褒めておいた。
レベッカは息子の賛美に鼻が高くなっている。
自虐的に魔力のコントロールについて触れていたが、そこについては何も言うまい。
ちなみにレベッカのことを「お母様」というのは彼女自身の希望だ。
おかあさんやママと呼んだら、「お母様と呼んで」と駄々をこねた子どもみたいに暴れたので要望通りの呼び方となった。
なんでも自分の子どもにそう呼ばれることに憧れていたらしい。
ちなみにこの結界には魔物を寄せ付かない魔除けの効果もあるらしい。
「これでリンも気兼ねなく、魔力が使えるからね。当然だよ~」
口調は至って普通だが、褒められたことが余程嬉しいようで表情筋が上がりぱなっしで限界突破しそうである。
機嫌がよくなり、さらに褒めてもらいたいレベッカは自身の魔力を使ってあれこれを教えてくれた。
「リン、私たち吸血鬼が生まれつき持っている魔法の名前は『操血』。これは自分の血に魔力を流すことで自在に操ることができるの。魔力が流れている間はある程度の硬さもあるから外に出して武器として使うこともできるの。ただし、あまり大量の血を外に出すと貧血になるから、注意してね」
そう言って、レベッカの爪から血が出てきた途端に宙でさまざまな形を成し、踊っているようにさえ見えた。
目の前が流血沙汰になっても、不思議と不快感を覚えることはなかった。
むしろ、一つの美しい芸術品を見たときのような心地にさえなっている。
「それと使用者の血に触れた他種族の血は時間が経てば、私たちの血へと変化する能力があるの。
もちろん、その血も所有者の血として自由に扱うことができるのよ」
ん? ちょっと待て。
今、サラッととんでもないこと言ったよね?
血が触れた他人の血を自分の血にするって言っていたよね?
つまりその血を使って自分専用の輸血としても使えるってことだ。
それに相手の体内の血を自分の血に変えることも可能となる。他人の血にすり替わった者がどうなるのかわからないがまともな目に合わないだろう。
「他の用途としては、劇毒としての使い方かな。量にもよるけど、ニ、三滴でも数分で服用した人が全身に激しい痛みと嘔吐を繰り返す症状がでて殺すこともできるね」
その後もレベッカは淡々と自分たちの能力について解説していく。
自分の子に軽く引かれていることに気づかず、レベッカは満足そうに続けていく。
そんないつも妻子の様子を楽しそうに眺めるパトリックは今はいない。
家の日用品や食材の買い出しにここ数日出掛けているのだ。
ここからパトリックの祖国――アナストーレ王国まで早馬を走らせば、五日あれば着くと言う。
なので、ここからあと一週間は父がいないというわけだ。
リンは内心で呟く。「早く帰ってきてくれ! この暴走しがちな母を止めてくれ!」と。
――――――
それから一週間後。
パトリックにより叱られたレベッカはしばしの反省の日々を過ごすのだった。
こうして平和な生活を手に入れたリンたちは家族の時間を大切に過ごしていた。
しかし、この生活も長く続くことはない。
――――――
ある日の夜。
空一面が雲で覆われ、月が隠れてしまう。
辺りの様子はいつもの森なら暗闇に支配されて見えないだろう。
レベッカとリンはスキル『暗視』により、昼間のような(この世界で昼に外を見たことがないため、あくまで前世と比べて)明るさで生活できる。
このような雲行きの場合、普段パトリックは魔力感知で周囲の状況を確認する。
しかし、今回はその必要はないようだ。
目の前には数多の明かりが灯されて、こちらに近づき徐々にその明かりは大きくなる。
そしてその一行が正体を現す。
最初、盗賊や山賊が来たのかと思ったが現れたのは、鎧を全身にまとった騎士たち。
そして、最前線にいる薄気味悪い笑みを浮かべた男。
「やっと見つけましたよ。古代吸血鬼族。あなたを見つけるのに、七年もかかりましたよ。こんなに広い森の中で一人の女性を探すとは思いも寄らないことでした」
余程嬉しいのだろう。
男の顔が感極まって笑みを隠せないでいる。
実際にこの森は大国二つぐらいなら余裕で収まるほど広大な土地である。
むしろ、歩いて国二つ分の土地からたった一人を探しだすのに七年で済んでいるのは早い方だろう。
「あなたをさっさと捕らえて、依頼者に引き渡すとしましょう。もう、こんな森はコリゴリです。うんざりだ!」
男は急に怒声を上げ始めた。
自分はこんなことをしている場合ではないといった怒りと焦りが混ざった心情がその面持ちから感じられる。
「悪いけど、あなたたちの言う通りに従うつもりはないわ。死にたくなかったら、さっさとここから出て行ってくれるかしら?」
「ご自身が悪いんですよ? あなたが亜人種の奴隷解放に関わらなければ、あなたは今も平和に薄暗~い暗闇の中でひっそりと生きていけることができたのですよ。ですが、あなたは目立ち過ぎました! その髪の色そして能力、絶滅したはずの古代種の生き残り! しかもその古代種が吸血鬼族なら、なおさら。それがまだこの世にいるとわかった貴族たちは挙ってあなたの命を狙うでしょう。なぜなら! 古代種は永遠ともいえる命をもつとされ、吸血鬼は特に不老であると伝説になっているのだから! その若さを保つ伝説ゆえか、世界で最も美しい種族とまで言われている。古くから貴族は永遠の命と若さを求めて吸血鬼狩りを行ってきた。真偽はわからないがそんなことは依頼者である貴族たちにはどうでもいい。可能性がある。それが彼らを突き動かす! 私はあなたを彼らに引き渡し、彼らはなるかもわからない不老不死を求めてあなたを切り裂き、その血肉を口にする。そして私は多額の報酬を得る。それでいいじゃありませんか」
狂っている。
ただ、あまりの身勝手さにそれだけしか言葉にすることができなかった。
己の欲望のままに他者を利用し、手段を問わずに痛めつける。そんな筆舌に尽くし難いことがこの世界には行われていることに虫唾が走る。
そして、自分には無関係であり、その残酷さが正しいと言い張っているこの男にも心底腹が立つ。
疑問にも思っていない雰囲気がよりリンをイラつかせる。
「さあ、おとなしく捕まれば痛い思いをすることもないですよ?」
「さっきも言ったけど、要求には従うつもりはないわ。捕まえたければ、力づくで捕まえてみなさい。」
「リンのこと、お願いね」
パトリックにそう呼びかけ、肩から覗くようにリンに笑顔を見せてくる。
しかし、次に彼女が正面を向いたときその顔には笑顔が消えていた。
レベッカは高速で走り出し集団に突っ込んでいく。
彼女が着る真紅のコートが翻る様とそのスピードからまるで紅い弾丸のようだ。
現に騎士たちの急所を一撃で仕留めている。
手刀で胸に風穴を空け、能力『操血』で自分の血を使い、多くの首を刎ねる。
風穴の空いた騎士たちは激痛が襲い掛かり倒れ伏せ、首を刎ねられた騎士たちは気がついたときには自分の首から血が噴き出している光景を目にしていく。
「「「アルゾ様! お助け――」」」
ある者は助けを乞う間に絶命し、ある者は依然冷静としている男ーアルゾを見て冷静さを取り戻す。
「まあ、そう焦るな。対策は用意している。」
まだ生きている騎士たちには突然の仲間の死に驚き、阿鼻叫喚と化している。
アルゾ・ヒッサークガは冒険者の一人だ。
ただし、闇に染まっているが。
金のために動き、手段は問わない。
魔物討伐や護衛の任務などよりも人身売買や密輸に手を出した方が多くの報酬を得ることができることを知って以降、彼はそちら側の冒険者として活動することになる。
そして、今回吸血鬼一人捕獲し引き渡すだけで、冒険者をせずとも、一生遊んで暮らせるほどの金が手に入る。
七年という長い年月も探し出していた理由はそこにあった。
「おい、お前らあれを用意しろ」
アルゾに指示された部下たちは五人ほどでやっと運べるような巨大な装置を持ってきた。
大きな台座の上には半透明な球体が置かれていた。
「おい、吸血鬼! これを知っているか!」
レベッカはその装置を見て驚愕としてしまい、動きが止まる。
「なんで……なんであなたがそんなものをもっているのよ!」
今まで見たこともないほどまでに動揺を露わにしている。
「知っているなら話が早い。そうだ!疑似太陽炉だ。お前らが弱点としている太陽を人工的に作り出すことができる物。光量の調整さえすれば、お前らの弱体化もできると考えられただろうが、今じゃその作り方がわからないロストテクノロジーの一つ。昔から吸血鬼狩りにはこの装置を使っていたんだろ?」
「そんな便利な代物じゃないわよ、それは」
怒りで冷静さを欠いてしまっているのか、レベッカの口調と表情から余裕が消えている。
「本当はこんなよくわからないもの使わないに越したことはないのだが、お前を捕まえるには骨が折れる。やれ」
疑似太陽炉に幾何学模様が浮かび上がり、光が集まり始める。
アルゾはこれから手に入る多額の報酬に涎が止まらないといった笑みを堪えることができないようだ。
レベッカは状況を把握する。自分がすべきことを理解している。
(大丈夫。このコートなら太陽の光を阻害する効果がある。だから――)
彼女は踵を返してリンたちの元へと向かう。
疑似太陽炉に目一杯の光が収束し凝縮されていく。 光が解き放たれるのにもう数秒もかからないだろう。
レベッカはリンの元に跪いて、コートで完全に包み込み、二人の目の前に立ち塞がるように立つ。
疑似太陽炉の光がレベッカを覆いつくす。
レベッカは振り返りながらこちらに満面の笑みを向けている。
その笑みには一切の未練も後悔も含まれていなかった。
むしろ、守れることが至上の喜びであることを物語っているようだった。
彼女の体が太陽の光に襲われるも、全身からそれ以上の輝きを放つ。
黄金の輝きは見る者すべての身体を、周囲一帯のありとあらゆるものを、ともに発せられる高熱で焼き尽くし、高熱により発生した爆風がその一切合切を吹き飛ばす。
彼女とともに過ごした二人を除いて。
「リン、パトリック……――――」
体を光で焼かれながら、彼女は最期の言葉を口にする。
最後の言葉は凄まじい爆音でかき消されてしまう。 しかし、その一部始終を見ていたパトリックにはその言葉が何かをすぐに理解する。
パトリックは涙する。
しかし、決して彼の瞼が閉じられることはなかった。
彼女の最期を見逃さないために。