プロローグ
多くの高層ビルに囲まれた都会の中、日差しの熱がこもり、全身を舐め回すように焼き尽くす感覚を味わう。
たまに吹く風が、自分の体を冷やしてくれる心地がして癒される。
先ほどまで、
クソ!夏なんて滅べば良いに!
なんて思っていたわけだが、恵みの風ですっかり恨みなんて忘れていた。
そんなことを考えながら、目的地である在籍する大学へと向かう。
今日は授業を受けに来たのではなく、待ち合わせの時間まで暇つぶしに来たのだ。
珍しく午前五時に起床してしまい、二度寝をしようとしたが三十分経っても寝付けなかったため、諦めた。
家の掃除、洗濯などをして時間を潰していたがいよいよすることがなくなった。
少し早いが先ほどから尻尾をフリフリしながらこちらに物欲しげな目をする愛犬――スズの散歩をすることにしたのだった。
時間帯が早かったためか、まだ外出している人は誰もいない風景の中を歩いて行く。
そんな何気ない些細な変化を楽しむ一日の始まりを過ごしていた。
スズの散歩と朝の空気に触れたことで交感神経が刺激されたことにより、じっとしていることが耐えられなくなったため、両親に大学に行く旨を伝えて家を出たのだ。
今日一日の回想をしている間に大学に着いたが、どこに行けばいいか考えていなかったことに気づく。
(サークルか? いや、でも今の時間だと授業中だ、四年生ならともかくそれ以外の学生は授業に出席しているな。)
などと思考に耽っていると、後ろから声がかかった。
「あれ? くまちゃんじゃん! こんな朝早くに合うなんて珍しい。なにしているの?」
くまちゃんと呼ばれた平均よりやや高めな身長にそこそこ筋肉の付いた体つきをしている髪を青に染めた青年――新澤拓雅は限られた者にしか呼ばれないその愛称を呼ぶ人物におおよその見当をつけていた。
「ああ、輝空か。暇だったから来ただけだ。それよりサークル外でその呼び方はやめろ。恥ずかしいから別の呼び名で呼んでくれ」
輝空は形式だけの謝罪だけ述べて、そのまま呼び名は変えなかった。
拓雅も大して気にしていないので形だけの注意をしただけだが、他の先輩の迷惑にさえならなければ大学内の呼称など大体でいいだろうと考えていた。
藤村輝空。演劇サークルに入っている拓雅の一つ下の後輩だ。拓雅が六歳のころ、輝空とあとよく絡んでいる四人の問題児と知り合った。
それが運の尽きだった。
彼らはいわゆる、我が道を行く系の人だ。他人(拓雅を除いた)の迷惑にならないようにする節操はあるようだが、とにかく自分がやりたいことは今すぐにでもやらないと気が済まない性分らしく目を離すとすぐにどこかに旅立っていることもあった。
「いや、待て。今授業中だよな、何でここにいる?」「さぼってきました」
平然とさぼり宣言を言う後輩に唖然としてしまった。
真面目な先輩なら注意するのだろうが、自分の大学生活を振り返ってしまえば、彼を咎める資格は自分にはないため「ほどほどにな」とだけ言って二人で演劇サークルへと向かうのだった。
案の定、サークルの中には問題児四人のうち二人が今日のニュースを見ながら会話に花を咲かせていた。
「うわ、昨日も出たって、連続殺人鬼。最近物騒だね」
「ほんとだ。てか、昨日の事件ここからそんなに遠くないな」
森崎結夢、三谷冴羽がそれぞれに口を開く。
残りの二人は事件のことにはまるで興味はなく、最近のゲームの話題に夢中である。
「ねえ、駆翔、アッキー知ってる?最近話題の連続殺人鬼」
ポニーテールにした長い黒髪をもつ結夢が伊達駆翔と織田白式の二人に水を向けた。
「あ? ああ、知っているよ。ここ数日の間に五人殺している奴だろ。そんなのどうでもいいだろ、俺らには関係のない話なんだから。誰が好き好んで大して金のない大学生を狙うんだよ」
ゲームの話題を遮られたことに若干の不満を抱きながらも長年の付き合いでお互いのことをよく理解しているのか大して気にした様子はない。
アッキーはそのまま駆翔とゲームの話題を再開した。
ぞんざいに扱われたが特に気にした様子はない結夢も今度は駆翔に最近話題のゲームの話を振り輪に加わった。
ここ最近のゲームの話題と言えば、VRMMORPGの発売が決定し既に予約が殺到しているほどの人気がある。
彼女としては、そのゲームがどのようなものなのかよくわかっておらず何がすごいのかゲーム好きな友人二人に説明してほしいのだ。
一通りの説明を受けて会話が一区切りついたことで結夢は満足し、拓雅と輝空がサークル部室に入ってきたことに気がつき、はきはきと挨拶してきた。
「輝空やっときた。あ、くまちゃんおはようございます。今日の夜は先週の公演が無事に終わったことを祝して打ち上げですね!」
元気よく挨拶してくる後輩にさらっと返事をし、横にいる輝空を連れてゲームの話を延々と話している二人の輪に加わり五人で世間話をして時間を潰していた。
昼頃になると午前の部の授業を受け終えた一年生や二年生が続々と集まり会話の中に参加しながら、昼食をとっていく。
それを皮切りに拓雅と問題児五人もそれぞれ持参したものを食べ始めた。
一年生や二年生は先輩である問題児が朝からいたことに愕然としていたが彼らの性分を考えると納得したようだ。
ちなみに拓雅が朝からいたことにも驚いていたが、問題児に比べるとその驚きは小さなものであった。
四年生ともなると就活で忙しく大学にいることは滅多にないことだが、拓雅は大学院に進学することが決まっていたためだ。
演劇サークルの四年生は拓雅一人。
後輩たちとの会話が盛り上がると昼休憩に終わりが迫り、彼らは慌てて講義室へと向かっていってしまった。
そこからはまた、いつものように問題児たちと世間話だ。
ただし、今回は昼休憩を挟んだこともあって六人で。
日が沈み始めていることにも気がつかず、世間話や単位の話で盛り上がっていると授業を終えた後輩たちが迎えに来てくれた。
時間を忘れていた彼らは少しの驚きを感じ、後輩たちに感謝の念を伝え打ち上げの会場へと向かっっていく。
打ち上げの場所は彼らの大学の学生であるなら、誰もが一度は来たことがあるほど有名な居酒屋だ。
飲み物の種類が数多く、ソフトドリンクも豊富にあるため、未成年の後輩にも人気がある。
打ち上げに参加できないのはさすがにかわいそうだしね。と内心で呟いていると、頼んでいた料理と飲み物がどんどん出てくる。
乾杯の挨拶とか正直苦手なんだが、年上がやらないわけにはいかないので重い腰を上げて乾杯の音頭を上げる。
「え~、みんなが頑張ってくれたおかげでこないだの公演は大成功だったと思う。だから、今日は好きなだけ飲み食いしてくれ。乾杯!」
「「「「「「乾杯」」」」」」
そこから先はどんちゃん騒ぎだ。
食べ盛りな年頃の人も少なくない。
総勢十八名。
貸し切りとはいかないが、自分たち以外でその場にいるのはたまたまそこに居合わせた同じ大学の学生たちで、気がついたらサークルの垣根を越えた宴会となっていた。
打ち上げの会計は拓雅が精算し、二次会に行くかこのまま解散の多数決をとり結果二次会の予約が取れた拓雅行きつけのバーへ向かっていく。
時間は午後十時過ぎにも関わらず、辺りは人で賑わっていた。
市井に紛れつつ、スクランブル交差点を渡ろうとする一行。
歩道の半ばで、渡ろうとせず立ち止まっている黒いフードの男が拓雅の目に留まる。フードを深くかぶっていて顔がよく見えない。しかし、いやだからこそ男が不気味に口の端を吊り上げるのがやけに目立った。
そして、激震が走る。
最新の携帯端末をいじりながら前をろくに見ないで歩いている高校生が男の目の前を通り過ぎようとした瞬間にフードの男が高校生に近づいて――刺した。
高校生は知らない男が急に近づいて自分の目の前で止まる男が何をしているのか理解できなかったようだが、それは自身の身体が証明することになる。
彼の身体のある箇所から燃え盛るような熱を感じ、そこを見てみれば刃物が刺さっており、血が滴っているのを確認する。自分が刺されている状況を理解することで精一杯であり、燃え盛るような熱が痛みの極致であったことなど理解していない。
彼は事態についていけず倒れこみ、ただひたすらに助けを求める喚き声を上げ続けていた。
男は刺した刃物を高校生の抵抗を無視して強引に引き抜き、拓雅たちの方へゆっくりと近づいてくる。
刃物を抜かれた高校生の身体から溢れ出てくる血の量が凄まじく、彼の声は次第に小さくなっていった。
それを呆然と見ていた人たちはようやく事態を飲み込むことができたようで、がむしゃらに逃げ始め烏合の衆へと変わり果てた。
演劇サークルのみんなは状況を理解していない者もいるようで「これ、夢だよな」とか「酒、飲みすぎたか」と現実逃避している者までいる。
「いいから、さっさと逃げるぞ! 死にたいのか!」
拓雅の怒声で我を取り戻したらしく全員が一斉に男から離れるように逃げ始めた。
ただ、一人を除いて。
「何しているんだ、結夢。早く逃げるぞ」
拓雅は不審な行動をしている結夢に叫んだ。
結夢は泣いている少女へと近づいていこうとし、彼女が目指しているものに気がついた輝空があとを追う。
「だって、置いていけるわけないじゃない!この子一人取り残すなんて!」
少女は周りの悲鳴と叫びに驚いて泣いてしまっているらしい。
こんな時間に少女一人で出かけているとは考えられないが、逃げるときに手を繋がなかった両親がいたとしたら、あとで探し出してぶん殴ってやりたいと拓雅が胸中で不平をこぼした。
血塗られた刃物をもつ男と拓雅たちとの間に少女がいる。つまり、必然と男は少女へ近づいていることになる。
輝空は少女の手を引き、結夢とともに全速力で逃げることにした。
それをみた男が大声を上げて追いかけてきた。
狂気をはらみ、怒りのままに声を荒げるように支離滅裂に叫んでいるのではなく、この世のものとは思えない言語を使用しているかのようなそんな叫びであった。
およそ人間が発する殺気や威圧感よりも恐ろしい何かを発しながら近づいてくる。
男は少女を連れた輝空よりもずっと速く走れている。
このままだと輝空がそして少女も危険な状況である。
「何とかしないと」
思わず口に出た言葉に拓雅自身が気づいていない。 そして気がついたときには拓雅は輝空たちの方へと走り出し輝空を庇うように男の前に出ていた。
腹部が以上に熱い。原因は自分でもわかっている。でも、このまま引いたらだめだと本能が告げている。 刃物が抜かれると大量の出血を起こし、ショック死をするという。
そして、それは目の前で事切れている高校生がそれを証明していた。
せめて警察が来るまではと拓雅は辛抱強く我慢していた。
自分でもこれだけ我慢強いとは思っていなかったが今はそんな些細なことなど、どうでもよいと切って捨てた。
すると、遠くの方で警察らしき声が聞こえてきて、男が軽く舌打ちをして刃物を引き抜こうとするが拓雅が男の腕をつかんでそれを阻止する。
すると、男が蹴りを入れて、強引に引き剝がし、拓雅を押し倒した。
刃物が両者の身から離れるが刃物のことは諦めたのか、特に回収さずそのまま立ち去っていった。
近くにいるはずなのに警察の声が遠くから聞こえる。
体から熱が逃げ、血が足りなくなっていることを実感する。
輝空と結夢が涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、こちらに叫んでいる。
心配してくれていることが途切れ途切れに聞こえる言葉から伝わってきていた。
二人とも傷一つない。
それに少女も泣き止んでいてこちらに憂いを含んだ眼差しを向けている。
「良かった……三人とも……無事か……」
自分から刺されに行ったのだから当然かと杞憂した。そして、きっと最期になるのだから、先輩として伝えておかなければならないことを後輩に送る。
「クソ……相変わらず面倒ごとに……巻き込まれる奴らだな、お前ら……あんまり心配させるな……問題児。」
すでに駆翔と冴羽そして白式がこちらに来ていて拓雅の言葉を黙って噛みしめている。
「お前らみたいな可愛くねー後輩……俺じゃなかったらとっくに……手に負えなくて人様に迷惑ているに決まっている……感謝しろよ」
どこからか救急車のサイレンが鳴っているのが聞こえる。
自分を助けてくれるはずの音が今はすごく鬱陶しい。
自分は助からないとわかっているからだろうか。
「これからは……俺はいないんだ……あんまり無茶するなよ?やらかしたときは……今後は自分たちで何とかしてくれ……いいな?」
黙って頷く後輩たち。彼らの目には決意の光が宿っていた。
その目に安堵したのか拓雅は安心した表情をして、安らかに眠った。後輩たちに看取られながら。
こうして新澤拓雅はわずか22歳という若さでこの世を去った。
彼の思い出はいつも共に過ごした一つ下の後輩たちとの日々で溢れていた。面倒事に巻き込まれることがあったとしても、どこにでもあるありふれた人生。彼にはこの世に未練などなかった。だから、彼は走馬灯を見ながら、死者の魂が集う天国みたいなところが実在するのなら、そこに行くだろうと考えていたのだ。だが、現実は違った。