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1話 謎の洞窟と少女





「あーあ、  ……だめだったね、 」


 休日のせいか閑静と佇んでいた住宅街のある路地に、少女は軽く溜息をついていた。

 時刻は朝を迎えており、ギラギラと明るく光る朝日は少女の肌に直撃し、照りつくす。


 心地よい春風が吹く。


 気分が穏やかになりそうな天気予報だが、少女は違う。


 逃げたいのだ、今すぐどこかに。


 どこでもいいから あの声が聞こえないところに。


 愛する人の藻掻き苦しむ声が聞こえない場所に。




『ああぁぁぁぁああああ!!!』


 直後少女が襲われたのは、耳の奥で一生残り続けるような醜い断末魔の叫び。


 ただ知らない他人から聞いても不快な声なのに、この声を出している張本人を知っている私からすればもう地獄としか言いようがない。


 現在進行形で分厚いドアの中で行われている蹂躙。

 聞きたくない、どんなに怖くて不気味な音よりも聞きたくない。


 だって私のせいだから、私のせいで木霊が……


 体を蹲めて耳を塞いでいてもその断末魔は響き続ける。

 ジジイ(あいつ)と私の耳の奥で、


 まさしく あの世界の始まりの合図のように――。





 覚悟を決めた少女はポケットに入ってあったナイフを取り出した。

 刃渡り11cmのペティーナイフ。


 ああ、始まる。


 妙に冷たいナイフの持ち手が、彼女の心に不安を与える。

 全く変わる世界、そんな世界の中で私は救えるのか。

 木霊を… 救えるのか。



「まあそんなのどうでもいいや…… 」


 彼女は徐に立ち上がり、ナイフを両手で力強く握る。そしてそのまま首元に近づけた。


「じゃあね木霊。 また…… 会おう」


 そう呟くと彼女は、躊躇なく喉の動脈に思いっきりナイフを差し込んだ。


 …痛いな。


 道路にぽたぽたと零れ落ちていく自身の血。

 でも動揺なんて一切していなかった。

 ただただこのままじゃ死ねない。それだけしか思ってない。


 くらくらとする意識を無視し、そのままナイフを横に捻じれさせる。

 捻じれさせたお陰なのか、傷口が先程よりも開いて、出血量は増す。

 このまま放置しておけば勝手にこの体は死んでくれるだろう。


 ……でも早く死にたい。


 首の頸動脈も切ればすぐに死んでくれると思った彼女は、左側の首の頸動脈に向かって思いっきりナイフで叩き切る。


「ぁああぁぁ!!」


 悲痛な声を上げナイフを抜き取る。

 だが彼女の顔は、声とは裏腹に満足げだった。

 何一つ不安も悩みもない。善人のような顔立ち。


 そして間もなくして少女の意識は天に行き、意識を失った体は膝を崩して路上へ倒れた。




 〇




 目覚めてすぐ思う、

 ここはどこだと。



 すんなりと体を起こし、状況を確認しようとするが、イマイチ現在の位置にピンと心当たりがない。


 特徴としては見渡す限りすべてが岩であり、そしてかなり暗い。

 そして空気が少しどんよりとしており、妙に肌寒い。


 とすれば、今考えられるのは洞窟?と言えばいいのだろうか。

 まだいまいち把握できないから洞窟だとは決めつけれないが、候補としては有力だろう。


(うーん、どうすればいいのかな、)


 現在地がどんな立地なのかを考えすぎて、自分の名前すらも確認していなかった。

 まずは過去の整理から先だ、頭を捻って自身の過去を遡ろうとする。


 …だが、待てど暮らせど過去の記憶が脳内に掠らない。


 まずいな。

 今現状自分は、名前も顔も何故この場所に一人でいるのかも分からない。

 要は 記憶喪失 と言う状態となってるって事なのか??



 しかし日本語は喋れてしまう。

 摩訶不思議な現象だな。

 普通は記憶喪失になった人間は、言語も儘ならない状態に陥るんじゃないか? …多分そうだろ。


 だが俺の状態は全くと言っていいほど快調だ。

 これは何かしら俺に課された試練なのか? …もう訳分かんねぇ。


「あーもー分かんないよー。 誰かいませんかーー!!」


 現在の状況に混乱してどうしようもなく、只々救助が来てくれるのを信じて叫ぶしか手段はなかった。

 だが悲しいかな、この助け船に乗せた言葉は、無情にも洞窟内で反響してしまい自分の耳へ帰ってくる。


『だれかいませんかーー』


「いや俺が聞こえても意味ないんだよ!!」


 思わず漫才師のツッコミ役かのように、今起こった出来事をツッコんでしまう。

 あまりのツッコミの速さにもしかして、記憶取り戻す前は芸人をやっていたのかと想像が過大になっていく。


(…まあ、そんなわけないか)


 口には出さず自分に対して軽くツッコむ。


 やはり現状を打開しないといけないよな。

 ただ茫然と人物を探ってる()()をしてるだけは駄目だ。

 俺は状況を改めて把握したいため、地べたに座り考えることに……



 いやちょっと待てよ。


 現在姿勢は中腰で、すぐに床へと尻を据えれる状態だ。

 だが少し前に発言した言葉を遡って見よう。俺はある言葉を思い出してしまった。


『ごつごつとした岩洞窟』 この単語をだ。



 …チラッ


 中腰姿勢を保ちつつ、床の足場を見て確認すると、そこには[あなた、殺しますよ]と言われているような錯覚に陥るほどの、トゲトゲとした無数の岩塊が立ち望んでいた。

 しかも丁度座ろうとしていた箇所が集中的に置かれている。


「あっぶねーー。 死ぬところだった… 」


 危うく穴から口まで串刺しにされる所だった。


 すぐさま危険(デンジャラス)ゾーンを一目散に離れ、辛うじて安全なゾーンで身を固める。

 比較的洞窟内は冷涼な気温で汗なんてかくはずないのだが、

 度重なるトラブルのせいの冷や汗と言っていいのか… 汗がビッショビショだ。


 しかし体調が良好じゃなくなったとはいえ、ここで待ち籠っていたら元も子もない。

 暑い暑いと文句を言いながらも、俺は再度これからの目途について考えた。


(まず最初は、自分の記憶を取り戻すことよな… )


 この洞窟を脱出したとしても俺には記憶がない。

 右も左も分からない状態で、知らない場所に放り出されるのはさすがに無理難題過ぎる。

 だからまずは、記憶を取り戻すのが最善案と言えるな。


 まあ記憶取り戻すのが最前線って言ってるけども、その事案の解決策の目途は一切ないけど…


 でもやっぱり今の体は、()と言う 元の体の持ち主ではない第三者が乗っ取ってるのと同じ捉え方ができるからな。

 しかも記憶が取り戻されなければ、場所もそうだし、人間関係もリセットされることになる。


 特に今の記憶といえば、洞窟にいたという話が出出しだから、…言わば今俺は生後30.40分の赤ちゃんと同じくらいの体感量しか感じれていない。

 人と会って話したという記憶ももちろんないので、碌に話せれる自信がない。


 だから何が何でも記憶だけは取り戻さないと――。


 だが問題は山積み。

 記憶を取り戻すためにはどのような努力をすればいい?

 っていうかそんな『記憶がないので人と上手く話せないから、取り戻さないと』とかいう、自己満足みたいな甘い考えで、元に戻るとでも思ってるのか?


 マイナスなことを思い浮かんでは深く刺さる。


 ただ自分の無力さが心に染み渡り、頭を搔き毟る事しかできなかった。


「なんで記憶なんか忘れちまうんだよ… 俺 」


 体つきが中高生ぐらいの、性別男しかまだ確認はできていない。

 鏡もないから顔も分からないし、当然だが自分自身の性格も全く持って知らない。


 まさしく0からのスタートだ。

 もう一生記憶は取り戻せずに生きていかないといけないのか… そんなことも視野に置き始めていた。


(でも、これからの生活を考えるよりも先に、まずこの洞窟から抜けないといけないよな)


 やはり深く考えれば考えるほど『生きたい』という感情は強く芽生えていた。

 いつまでもマイナスなことをくよくよ考える暇はない。

 ここで誰にも看取られずに、死ぬのだけは嫌だ。

 幸いなことに自分自身の記憶は完全に喪失しているが、日本や世界の情勢のことは頭の中にきちんと入っている。


 俺は日本語を喋っているから日本人。


 とりあえずこの洞窟から出て、市役所で戸籍確認でもしたら、自分の名前は分かるだろう。

 体つきが中高生なだけに、親と同伴で来てくださいとか言われそうなのがネックだけど。


(まあそんなこと考える暇があったら脱出のこと考えよ。)


「…おし、行くか」


 気持ちを楽な方向へと持っていき、腕を伸ばしながら体を起こす。

 洞窟を出る出ると言ってはいるが、脱出方法は全く持って知らないんだよな。

 途方もなく、ある道ある道を辿っていくしか手段はない。

 かなりと言っていいほど絶望的だ。



 お腹が鳴り、少し腹が減っていることに気が付く。

 こんなに絶望的な状況でもお腹は平常通り空くのか…

 真剣に考えていたがために、少し驚いてしまった。体は正直者だったんだな。


 早くこの洞窟から出て飯を食おう。という新たな目当てを持てた俺は、急いで辺りを見廻す。

 現在俺がいるスペースを広場として考え、その広場に何本道が通っているのか確認すると、二本の洞穴を発見。


 俺側から見て右側に、高さ1m半 幅2mの小さい洞穴A

 そして左下に位置する、高さ4m 幅5m弱の大きい洞穴Bの二つが存在した。


 俺自身の体が、この広場に実在してるという事実を鑑みれば、自然とどちらかの洞穴から来たことに違いない。

 選択肢が二つしかないとなると、当てつけで両方とも探索すればいい話だろう。

 だが、


(うむ、…どうしよっかな)


 選択肢が二択だったとしても、深く考えてしまうのが人間の性と言うものだろうか。

 分かりやすいように目を押さえて考え込む。

 正解を当てたい!早く脱出したい!という人間の根本的な欲求が、この状況でも遺憾なく発揮されていた。


 まあ普通の人なら迷いなく、大きいBの洞穴に行くだろう。

 だって大きいし、…まあ大きいし、…あ、安心するし、、


 だがしかし!!浦島太郎はそんなつまらん欲求のせいで、おじいさんになってしまったのだ。(まあ浦島太郎と違って後戻りはできるけど、)

 でもだからと言って、A行くかぁ?


 結構怖いと思うよ、洞穴の先が真っ暗で見えないけど、穴に入ったら常時しゃがみ状態で行動するだろう。

 そしておまけに体も屈まないといけないから、前も向きづらい。


「でも! 俺は困難の道べし行く者なのだ!Aの洞穴、お前に決めた!」


 こうなりゃ己の直感を信じるしかないな。

 何故だか分からないが、洞穴Aが俺を親友か如く糾ってる気がする。

「おいお前!こっちの穴に来いよ!」と言ってる気が… いや言ってるな。


 どのみち行き止まりだったとしても、またここに戻ってこれればいいんだからまずは洞穴Aに、

 そう思った俺は… 


 いや、思わなかった俺は、 …とち狂ったかのように猪突猛進が如く洞穴の中へ入ってしまう。


 しかし無論、現実は無情なことに、



 入った矢先、ドンッと鈍く、何かに接触した音が洞窟内を谺する。

 後に続くように痛ったぁぁ!!! と言う叫び声が聞こえてきた。


「痛ってぇぇ、マジで痛ってぇ 」


 …どうやらこの洞穴Aは道ではなく、ただの凹凸の激しい大穴だった。


 洞穴モドキに入っていた俺の姿勢は、まるでドリル。

 頭を守ることは決して無いという姿勢のまま激突してしまった。

 生憎と言ってはいいのか分からないが、頭と接触した岩はそこまで尖ってはなく血は出てないと信じたいが… 分からない。


 激突した頭を両手でしっかりと押さえながら、岩塊した岩が少ない安全地帯へと再び戻る。




 耳鳴りが激しい。

 残念だったが、前頭葉辺りに深い傷があり、そこからたらたらと血が流れだしているのがわかる。

 出血量は少ないが、いつどうなってもいいように、今着ているTシャツを脱いで傷口をきつく縛った。

 縛る前に既に、Tシャツが血だらけになっていたこと関しては、見なかったことにしよう。

 前世の名残リ品かもしれないけど。


 こりゃまだ数十分ぐらいは待機して、安静にしてないといけないな。

 思わず自分の失態に苦笑する。


「ホント、記憶が戻って俺がモテモテの爽やかイケメンだったらどうするんだよ」


 折角のイケメンフェイスが台無しじゃないか… と思ったが、イケメンが岩に思いっきり接触する絵面はかなり面白そうだな。


(いやでも、イケメンが普通一人でこんな寂しく洞窟に来るわけないよな)


 自分がイケメンだと勘違いして優越感に浸ろうとしたが、考えてみれば誰が一人でこんな場所来るんだよ。

 さっき言ったが、Tシャツもなんか知らないけど血だらけだし、生臭い。

 黒みがかっていて、少々時が経った血のように感じる。


 この状態で洞窟から出るとどうなるんだろうな。

 第一に見た人は、俺の姿を見るなり驚愕して病院送りだな。

 上半身裸の男が血を流している… 文字だけでも怖気が立ってきそう。

 何か悪い人たちから逃げている人のように感じ取るんじゃないかな。普通の人は。


 体力が心配だけど、なんだか楽しそうだから、洞窟に出たらこの状態のまま誰かを驚かしたいな。

 出来れば逃げてる風に立ち振る舞って…。


 そんな他愛もない、実現も出来ないであろう話に一人盛り上がりながら、頭の痛みが治まるまで待つことにした。




 〇




 数十分が過ぎた頃だろうか。

 結論を言うと、痛みは治まらなかった。


 しっかりと傷口を縛ってるはずだったが、やはり少し爪が甘かったのだろうか。

 傷口付近から頭にかけての温度が徐々に低下しているのがわかる。

 血をかなり出しているからなのか。


(結構危篤な状態かもしれないな… このまま身籠っていても埒が明かない)


 普通は救急車を呼んだほうがいいかもしれないんだが、まあ今の状況からしたらまず病院はどこですか?の状態。

 スマホも持ち合わせておらず、自分で行動するほかない。



 …なんか、こうやってしっかりと状況判断ができている自分が冷静過ぎて怖いな。

 普段以上に冷静で物事を客観視している。


 普通は「痛ってぇぇぇぇええええ!! し、しぬぅぅぅうう!!!」っていう感じで精神崩壊してそうだが、今の精神状態は全く持って前述通りでない。

 勿論焦ってはいるけどな。

 が、今はそんなことを考えても無駄だと分かり切っている。


 でもこのままの考え通りに進んでいったら、ずっと其の場凌ぎで回復を待ち続けてしまう。


(やっぱりこの状態のうちに洞窟から出て行ったほうがいいのかもしれないな)


 いつまでもこんなに冷静に、物事を判断できるのか分からない。

 頭の出血は、1時間ジッと待っていれば治るほどの軽傷かと言われれば違う。

 病院で頭を縫ってもらったほうがいいかもしれないレベルだ。


 冷静なのはいいが、頭の考えが固いんだ。

 考えを滞っていたら、肝心なチャンスも掴めないかもしれない。


 途中で諦めてもいい、そういう精神で俺は再び立ち上がり、Bの洞穴へ方向転換する。


 目指すはこの洞窟の脱出。ただそれだけ。

 足場に気を付けながらゆっくりと歩いていき、安全確認をして洞穴へと入っていった。




 〇




 20分ぐらいだろうか… 洞穴に入って。


 予想通りと言っていいのか分からないが、Bの洞穴はAとは違い、入っていくとずるずると道が大きくなっていった。

 道を蔦っていくと明らかに人工的に作られているランプが点々と、一定の距離を敷いて置かれており、ここは人の出入りが行われている洞窟だと確信した。


 だが不思議なことに俺が現在辿っている道は、洞穴から入って一直線の道。

 まだ枝分かれした道には出会っていない。

 三叉の道が立て続けに来られるのも少々癪だが、やはり定規で引いたようなすらっと伸びる直線路は不気味で不安を駆り立てる。


 頭の傷はと言うと… 現在も元気に血を流し続けていた。

 縛ってたシャツの裾からはみ出る血の雫が、地面にポツンと滴り落ちる。


(はぁ、はぁ、 …熱い)


 頭が炎でぼわっと燃え上がっているようだ。

 痛みの感覚は徐々に薄れて行ってるが、対照的に接触した直後には感じられなかった()と言う新たな感覚が、今になって浮上してくる。


 朦朧とする意識、どこまで続くか分からない直線路。

 もしかしたらこのまま一生ループしていくんじゃないかと、死の恐怖で体が怖気ついていた頃。



 うっすらと映る光が、瞳孔を突き抜けた。

 ランプが照らす人工的な光ではない、紛れもない太陽が生み出す自然の光を薄っすらとだが目視で確認できた。


「あ、ぁぁ 」


 死の一本道だと思っていたこの道で、脱出することができるかもと、喚起のあまり声を掠め、その場で膝を崩して声涙した。


「よか った… ホントに…」


 しかし脱出する道が見つかったが、現状はかなりの危篤状態。

 あの脱出口から出る前に意識を失い、倒れるかもしれない。

 何としてでも生きて出ないと。


「がん ばれ ……おれ 」


 小声で自分に活を入れると、ゆっくりと着実に前へ… 光の指す方向へと歩きだした。




 〇




 ―― 一目見ただけで分かった。俺は確実に死ぬと。


「ゲロゲロ」


 もう洞窟に出られる寸前だった。

 あんなに小さかった陽の光源が、今じゃ爛々と光り輝く太陽が想像できるほどに大きく明るくなっており、脱出できる… そう確信した矢先。


 謎の生物が俺の行く手を阻んだ。


「だえだよ」


 血液の循環が上手くいっておらず、頭が酸欠状態だったため呂律が回らず、上手く言葉が喋れない。

 だがそんな俺でも分かった。

 眼は普通に見えるからな。


「う、ぅそ…… だろ… 」


 目の前にいる謎の生物の存在感が、あまりにも大きすぎるがため、軽く怯んでしまう。


「ゲロゲロ」


 すると謎だった生物は信じがたい声を出した。

 ゲロゲロと、夏の間ならどこの地域でも聞きなじみのあるあの声。


 目の前に聳え立っていたのは、3mをも超えそうな体長のカエルだった。

 夢なのか?そう信じたいがために目を擦ってもう一度見てみるが、景色は変わらぬまま。


 銅像のように何も動じず、只々こちらを凝視するだけ。

 それがまた不気味な姿で、恐怖心を駆り立てられる。


 死の恐怖を肌身をもって感じた俺は、何も動けずただ精神が蝕まれるのを感じ、その場で立ち尽くすしかなかった。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、


 鼓動が速くなる。

 不規則に動く心音が、俺を死に導くメロディーのように捉えてしまう。




 …やっぱり俺、死んだほうがいいのかもしれない。


 もしもここから出られたとしても、俺には記憶がないのだ。

 誰からも相手にされず、一人寂しく死ぬのなら今ここで… そんな事実を知らぬまま、潔くここで死んだほうがいいのかもしれない。


 圧倒的な強者を前にして気持ちが下へ下へと加速していく……



 しかしこの男は、そんなところで挫ける男ではなかった。


 俺はそんなことで心が折れる人間じゃあねぇーんだ。

 それだったら最初に降り立ったあの場所でとっくに出血死してるよ。


(俺は、 …俺は!!!)


 ポタッと血の雫が滴り落ちる。

 滴り落ちる雫の音色がよく響くほどに、周辺には何の音も無い静寂の空間だった。

 そんな場所で俺は、今出し切れる全力の声で叫ぶ。


「おれは!! いきのこらなきゃいけないんだーー!!」


 カエルに怖気ついて死ぬという醜態を晒すだと?

 ふざけるな。

 俺はこのまま洞窟から脱出して、このイケメンフェイス(妄想)で女の子たちとキャッキャウフフのハーレム青春を送るんだろ!!!


 何弱気になってんだ俺!!

 このカエルを倒せればいい話なんだ!!




 ある時は絶望を悟り、下を向いていた視線を再び上に向ける。

 目の前には現実では考えられないほどの巨漢を持つカエルの姿。


「おいカエル。いまからおひゃえをころす」


 ぶらぶらと垂れ下がった手を握り返し、今走れる全力でカエルにへと接近する。

 狙うはカエルの鳩尾だ。あるか分からないけど。

 いくら巨漢であっても、鳩尾にパンチが食い込めば誰だって藻掻き苦しむ。

 その間に俺は逃げる。


 なんとも安直な考えだが、俺にとっては本気中の本気だ。

 このままそろっと足踏み速く、カエルに気づかれないように逃げることが最善策だが、そんなの臆病者がする作戦だ。


 男なら… 最初ぐらい拳でぶつけないと!!


「おら!!」


 全神経を使った一撃は、見事想定しているカエルの鳩尾付近に直撃した…

 はずだったが、予想以上に肉の弾力性が凄かったせいか、俺の魂込めた渾身の一撃は、無情にもぽよんと音を立てるかのように跳ね飛ばされた。


「ぁあ!!」


 跳ね返される衝撃は強く、俺は後逸に身を任せて倒れた。

 その際に背中が岩に擦れた。

 即座に頭は両手で守って無事だったが、背中と足に重大な被害を被った。


 背中は岩塊に引っかかったせいで深々と傷が刻まれてしまい、足は左足が捻じれてしまい骨折。


「はぁはぁはあああはぁはあ」


 あまりの痛さから呼吸が荒々しくなっていく。

 心では落ち着いて対処できてるはずなのに、体は言う事を聞いてくれない。


 岩塊が左脇腹に突き刺さっており、岩に凭れ掛かるように仰向けで半分金縛りに逢っているような状態。

 眼だけしか動かせる部位がなかった。

 すかさずカエルの今の様子を、痙攣する体の中、確認しようとした時。


「ゲロゲロォォ!!」


 ものすごい咆哮が静寂としていた洞窟内に響き渡った。

 さっきまで何も動じなかったあのカエルが、見間違えるようにけたたましい叫び声をあげている。

 そして、目線がこちらへと合致した。


 カエルと目が合い、確信




 俺は死んだと。




「ブォオオオオオ!!!!」


 声に乗せて、勢いよくカエルの口から吹きあがったものは 炎。

 炎は弱って瀕死状態の体を容赦なく頬むる。

 カエルとの距離は少しばかりあったかのように感じたが、直できたような熱温度を肌で感じる。

 射程距離あり過ぎかよ。


「ぁぁぁ!!」


 炎が俺の体を纏わりつく。

 それはこの世のものとは思えないほどの想像を絶する苦痛。


 焼死

 炎に包まれ藻掻き苦しむ最中、この言葉が浮かんだ。


 焼死が一番つらい。

 死にたいのに死なれない、そんな苦痛が数分間も続く。

 俺は溺死が一番辛いと思ってたけど今分かった。

 体に纏わりのは数百度をも超える炎たち。

 まるで俺はピザ釜で焼かれているピザ。オーブンで焼かれている七面鳥。

 どちらももう息はしてない分、俺のほうがよっぽど辛い。


 あまりの痛さで声を上げたいが、喉も爛れ焼けているせいか、上手く声が出ない。

 開放的でよく空気が通っているこの道なら、火は治まるどころか徐々に増していくだろう。



 ただ死を待つだけしかない。


 炎がどんどんと体を蝕んでいく感覚を体験した者はこの世でいるかい?

 急には死ねない。

 どんどんとこんがり焼け死んでいくか、運よく一酸化炭素中毒で死んでいくかの二択。

 そんな苦痛、体験したことある?




 ああ、こんな終わり方なのか。

 眼はもう見えない。暗い暗い闇の中。

 体はこんなにも危篤なのに。心は正常と動いている。

 物事を考えれる。こんな状態なのに… ロボットなのか俺は。



 ああ死んでしまう。



 何も分からず、自分の名前も顔も知らないまま死んでいくなんて…


 プルプルと痙攣が止まらない体。

 そして何事もなくゲロゲロと鳴くカエルと尻目に、俺の意識は暗黒の闇にへと…。





「ボエェェー!!!!」


 突然とカエルの叫び声が聞こえ、半眼を開けた。


 現在進行形で炎は体に纏わり付いており、死んでも死にきれない。

 何も希望も思いつかない、そんな状態だった。


 だけど俺は最後に見たいものがある。

 さっき出したカエルの声。

 まるで死の淵に出すような、耳がはち切れんばかりの鳴き声が聞こえた気が。


 だから最後に… あのカエルの姿を…。


 まだ光を捉えることができる左目だけを頼りに、最後の力を振り絞ってカエルのほうに視線を向けた。



 するとそこにいたのは、

 直径1mもありそうな頭を切り落とされて倒れていたカエルの姿と… その上に聳え立っている謎の少女の姿だった。


(ハハッ ただの夢かよ)


 これが現実とは思えない。

 そう確信した俺は夢だと勘違いをし、満足げにした顔で業火の中意識を失った。









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