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春や昔の -佐賀の役拾遺-  作者: 深川ひろみ
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場面三 月光

 二月二十八日、夜半。

あと数日で満ちる月が、澄んだ空気の中、煌々と下界を照らしている。

「団にょん」

 濡れ縁に胡座をかき、酒を飲みつつ月を眺めている島に、村山が部屋から声を掛けた。

「そこは冷えんか」

「いんにゃ」 

 梅の香が優しく薫る静かな夜だ。この冴え冴えとした月も、あるいは今宵で見納めだろうか。

 島はそんなことを思う。

 部屋にいるのは、島と村山の二人だけだ。




 憂国社幹部たちは日が落ちてから島の邸に一人二人と集まり、酒を酌み交わしながら副島を待った。

 蓮池に置かれた政府の陣から、夜十時も過ぎてから副島は戻ってきた。

 副島は陽気だった。内務卿を出せと散々詰め寄ったとに、あン臆病者が、首ばかかれっとを怖じて、出てこんじゃった、と笑い、酒杯を次々と干した。

 返答期限は、明朝十時だという。

「薩摩へ行こう」

 そう言いだしたのは、馬渡―――幹部の一人で、島たちの母方の従弟だ―――だったか。

「行ってどがんすっと」

 福地が質した。福地は馬渡の実弟で、つまりこれも島らの従兄弟にあたる。酒がかなり回っており、赤い顔をしている。

「従二位様に訴える」

「まだ凝りんとか」

 酒のせいでややしわがれた声で、わめくように福地が言った。馬渡は拳で床を叩く。

「ここまで来たとなら、やれるだけやってみたか。こンまま、朝までただ政府ン軍ば待つと?」

「………基ン兄じゃば、どがんしとっとかのう」

 馬渡と福地の言い合いの傍らで、副島がぽつりと呟いた。

 島と副島の間の兄弟、重松基吉は、島の指示で四日前に鹿児島へ派遣されている。

 重松を派遣したのは、江藤ら征韓社幹部が、神崎での敗戦の後に城にいた島たちを訪ね、鹿児島へ行って西郷隆盛を頼る、と言ったからだ。昨年十月、当時参議だった西郷隆盛は征韓を巡って太政官が紛糾した際に下野し、今は鹿児島にいる。

 副島は、この期に及んで西郷がこちらに力を貸してはくれまいし、さりとて公的な立場にない西郷が、政府に対して何が出来る訳でもない、頼るなら従二位様だ、と反論し、それはこちらでやる、と重松を派遣したのだ。

 江藤は転陣するとだけ言い残して引き下がった。だがそのまま島らにも告げず、戦闘中の自軍に解散すると言って戦線を離脱した。幹部と共に鹿児島へ向かったという。

 翌日それを知った副島が、あの卑劣漢め、今度会うたら喉笛食いちぎってやると息巻いたのも無理はない。

 しばらく、皆でむっつりと酒を呷った。

「………行っか」

 沈黙を破って、副島が言った。

「駄目で元々―――基ン兄じゃば、一人にしては気の毒ばい」

 カン、と村山が酒杯を床に叩きつけた。

「おいは行かんぞ」

「おいもじゃ」

 福地も言った。

「今更逃げっち武士の恥じゃ。そンくらいならおいは城ば戻って腹ば切る」

 副島は、赤くなった目で福地を見た。

「好きにせい。おいは行く」

 福地は副島を睨みつけ、黙って飲んでいた島を見た。

 島は酒を干し、一つ息を吐いた。

「おいも残る」

「兄じゃ」

 副島は目を瞠って島を見た。島はわずかに頬笑み、軽く背筋を伸ばして座り直す。そして、静かな口調で言った。

「おいは腹は切らん。ただ城の引き渡しば、誰いかが立ち会わんとの。そいは佐賀ン者の務めじゃ」

「兄じゃ、後生じゃけん来てくんしゃい」

 副島が泣きそうな顔で訴えた。

「城には隊のもんがまだ残っとっ。もう抵抗はせんとに、いくら何でも政府ン連中も皆に無体ばせんとじゃろ。案内ぐらい任しゃよか。兄じゃは社の総裁じゃ。殺されっしまう。兄じゃを残しては行けん」

「謙三、そうやなか」

 島はかぶりを振る。

「江藤も謙三もおらんでは、裁判もやれん。謙三が捕まらん限り、おいの首も落ちん。わさんが従二位様ば動かせればよし、動かせんとなら、まあそいもよか。皆、どうか謙三と一緒に行ってくれ。どがんこっなっても、おいらは一蓮托生じゃけんの」

 その場の者は皆、互いに顔を見合わせた。

「行こう」

 馬渡がまた言った。反対していた福地も、一つ頷いて立ち上がり、島の手を取った。

「団にょんがそン覚悟なら、おいも腹ァ切らんぞ。一蓮托生じゃ」

 島は福地の手を握り返した。

「おう。おいも切らん」

「兄じゃ………」

 島は立ち上がり、弟の肩を叩いた。

「情けなか顔で泣くもんやなか。しっかりやってくれ。おいが命は、わさん次第じゃけんの」

 副島は、兄の身体を抱いた。

「兄じゃ、兄じゃ、ほんにすまん。赦してくんしゃい」

 ひび割れた声で、副島は絞り出すように言う。滂沱と流れる涙が、島の肩に落ちた。島は何も言わず、ただ弟の背をとんとんと叩いた。




場面三 月光

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「よか夜じゃのう」

 村山が言った。この男だけが残ったのは、戦闘で足を痛めていたからだ。旅の足手まといになるからと、島と共に留まった。

「よか月ばってん、潜むにゃ明るすぎっの」

「昔の暦なら、月の終わりは新月じゃったとに」

 村山の言葉に、島は苦笑する。

「………ほんにのう」

 今日は二月二十八日だ。昔の暦であれば、月の終わりは闇夜だった。闇夜であれば、いささかなりともかれらの潜行の助けとなっただろうに。だが時は移り、暦を支配するものは、夜に輝く月から、全てをさらけ出す太陽へと変わった。

 どこまでも時代に合わぬ己に、少し笑った。その頬を、涙が伝う。

『赦してくんしゃい』

 島は洟をすすった。

「………ふうけもんが」

 小さく呟いた。団にょん―――と村山が呼んだ。目を覆い、島は天を仰ぐ。

 何を、赦せと。

 血気に逸る弟を、従兄弟を、仲間たちを、島は止めることが出来なかった。

 さりとて、この闘いに勝利するだけの力もない。

 郷党の力にもなれず、皇恩に報い奉ることも、ついに叶わず、ただこうして虚しく郷里の月を見上げている。

 不甲斐ない兄を、どうか赦せ。

 団にょん、と呟く村山の声も、掠れて震えている。

 我々はついに賊徒として、時代の流れの中に消えてゆくのか。

 目に映る月が、涙でぼうと霞む。

 よくこうして、月を眺めた。弘道館で、京で、船上で、帝都で、そして遠い蝦夷の地で。

「春や、昔の春ならぬ………」

 酒杯をもてあそびながら、島はぽつりと呟く。


  月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつは元の身にして


 春ももう、かつてと同じ春ではない。

 わが身ひとつはもとの身にして―――時に置き去りにされたこの老いの身を、明日は皆が蔑み、笑うのだろうか。

 まあ、それもよかろう。

 パンパン、と音を立てて、島は己の頬を叩き、そして、小さく笑った。

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