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春や昔の -佐賀の役拾遺-  作者: 深川ひろみ
3/5

場面二 白旗

 翌二十八日早朝。

 木原は白旗を掲げて境原の陣へ行き、島がしたためた、止戦を請う嘆願書を提出した。

 しかし、境原を預かっていた壮年の陸軍少佐の渡辺は、このような不遜な文面の嘆願書は受け付けられぬと、上に取り次ぐこともせずに受け取りを拒絶した。

 戻った木原から話を聞き、島は苦笑して言った。

「仕様しょんなかの」

 一度降伏すると決めた以上、その程度のことは覚悟の上だ。島は諦めず、もう一度謝罪文を書こうとした。だが別室へ行こうとした島を、副島が止めた。

「おいが書く。兄じゃは後で文辞ばみてくんしゃい」

 島はかぶりを振る。

「こやおいが役目じゃ。社の総裁ば務めとっとはおいじゃけんの」

「兄じゃ、そや違う!」

 副島はほとんど吼えるように言った。その剣幕に島は驚き、動きを止めてまじまじと弟を見た。副島は血走った目で島を見つめ、違う、違う、とひび割れた声で繰り返した。

「社の総裁は兄じゃじゃ。おいらが兄じゃに頼んだから、兄じゃばそいを受けてくんさったとじゃ。ばってん、こン戦ば始めたんはおいじゃ。そや皆が知っとっ」

「謙三―――」

 島は言葉を挟もうとしたが、副島は激しくかぶりを振る。

「じゃけん謝罪はおいが書く。おいが書いて、今度はおいが自分で政府ン軍へ持って行く」

「いかん!」

 島は言下に弟を怒鳴りつけた。

「わが、何ば考えとっとか。絶対にいかん」

 木原は戦闘に参加していない。むしろ止戦のために奔走していることは皆が知っている。白旗を掲げて降伏のために使いして、拘留されるぐらいはあっても殺されることはないだろう。

 だが副島は違う。常に最前線に出て戦い、何度も政府軍と干戈を交えた憂国社の主将だ。自分一人が投降するというならまだしも、一軍が降を乞うのに、主将が自ら降伏文を届けに行くなど聞いたこともない。

「わァと義四郎とは立場が違う。義四郎は薩摩におって戦ばしとらん。政府ン連中ば皆―――」

「兄じゃ」

 副島は、がばっとその場に平伏した。

「兄じゃ、後生じゃけん、どうかおいに行かせてくんしゃい。こがんこっばなって、兄じゃにも、社中のもんにも、おいはもうどがんして詫びば入れりゃよかか判らん。おいが腹ば切って済むならこの場で切ってみせっばってん、もう、おいが腹じゃ、こん戦は止まらんとじゃ」

 島は震える弟の背を、しばらく黙って見つめた。

 確かに憂国社を実質的に束ねてきたのは、この副島だ。だが、島とて弟の頼みだからと、何の思慮もなく総裁を引き受けた訳ではない。社の精神に共鳴しているからこそ、依頼に応じたのだ。自分は名ばかりの総裁で、この戦は弟の責任だ、などと言うつもりは毛頭ない。

 謙三。

 こみ上げてくるものを抑え、島はその場に膝をついた。

「謙三」

 弟の背を、軽く叩いた。

「そいぎ、任した。そうじゃの。文ば書くんはわさんの方が巧みじゃ。わさんに頼む。書けたら見せにきんしゃい」

 童子の手習いでも見るような、敢えて軽い口調で告げた。

「ばってん、こン憂国社の総裁はおいじゃ。わさんやなか。こン兄じゃ。よかな? そや忘れっとやなかぞ」

 副島は顔を上げて島の顔を見つめた。そして黙ったまま頭を垂れ、何度も何度も頷いた。



          ※



 その日の昼過ぎ、木原と副島は再び謝罪文を携え、政府軍の陣へ向けて発った。その後、海軍も上陸して木瀬に迫っているという連絡が入り、そちらへもほぼ同じ文面を今度は島がしたため、幹部の一人、村山に託して出発させた。

 城内には止戦交渉中である旨を通達し、待機を指示した。この後の戦を禁じる旨を厳命し、解隊しても構わないと告げた。止戦交渉と言っても、実質は降伏であることは皆判っている。

 憂国社は四大隊を編成している。六十人程度からなる小隊六隊を一人の大隊長がまとめる形だ。征韓社は小隊しか編成していなかったため、江藤ら幹部の突然の離脱で混乱のうちに四散したが、家臣団を核に大隊に編成されていた憂国社は、それに比べれば比較的まとまっており、集団としての統制が取りやすかった。もっとも既に隊を離れた者や、郷里に戻った隊も多く、島としてもそれを留めるつもりもなかった。



          ※



 使者たちを送り出した後、島は城の高台から、郷里の町並みを眺めた。

 二月十六日に戦闘が開始されてから、わずかに十二日。久々に銃声も大砲の筒音もやみ、静かな一日となった。

 明日は三月一日。風は冷たいが、降り注ぐ日射しは、既に春の明るさだ。

 城を枕に討ち死にする。

 一旦兵を挙げ、そして敗北が明らかとなった以上、本来であればそれが一番判りやすい。

 五日前、江藤が幹部と共に戦線を離脱した後、行き場もなく城へ戻ってきた征韓社の者が語ったところでは、江藤はその行動を「匹夫の勇」だと言ったという。大切なのは己の主義主張を通すことである。一度失敗しても、他日を期し、志を実現する。大局を見るとはそういうことであると。

 島は、必ずしもそうは思わない。力で己を主張し、力と力でぶつかり合い、そして敗れたのだ。ならば相手に降るか、あくまでも降らぬというのなら、闘って死ぬまでだ。それが、戦というものではないか。

 ただ、己れは戦を仕掛けたのだろうか、という一点が、今になっても、どうしてもすとんと腑に落ちなかった。

 島の、そして恐らく社中の他の者たちが抱える割り切れなさは、結局はその点にあっただろう。

 確かに佐賀は、不平党の巣窟であるかもしれない。征韓社は征韓を主張して県庁を掌握し、憂国社は島津久光に建白して現政府を批判した。薩摩や土佐と気脈を通じ、いつか「御政道を糺す」日を待ち望んだ。

 だが征韓社も憂国社も、征韓のため、禁闕守護のためと、それぞれの方針から武備を整えはしたが、決してそれは政府転覆を企ててのことではなかった。長く東京にあった島も江藤も、むしろ人心を鎮め、「不平党」の宥和を図るために佐賀へ戻ったのだ。島に至っては、それは政府にある三条・岩倉両大臣の依頼でさえあった。

 小火ぼやで済んだはずのものを、枯れ枝をどしどし投じ、更には風を起こして煽りに煽り、ついに佐賀の地を焦土と化すまでの大火に仕立て上げたのは、むしろ政府の側ではないのか。

『大久保は本気じゃぞ。こん機会に佐賀ン不平士族ばまとめてぶっ潰す気で、政府の全権ば握って、自ら乗り込んで来とっとじゃ』

 結局我々は皆、政府によってもはや無用と火に投じられた、枯れ枝の束であったのだろう。空へ向かって伸びようとする大樹から、邪魔な者として切り落とされ、水も糧も与えられずに、ただ乾いて朽ちてゆく。

 そして朽ちてゆく定めの枯れ枝であれば、投じたその炎が不平士族という厄介者を根こそぎ焼き尽くしてくれるなら、政府にとって倖いであったのだ。



          ※



 副島がしたためた謝罪文は、再び突き返された。副島は、どう修整すれば認めてもらえるのかと食い下がった。

「こん戦ば、我が兄やのうて、おいこそが首魁じゃ。こん謝罪文もおいが書いた。どがん直せばよかか教えてくんしゃい。この場で書き直すけん」

 副島の必死の訴えに、再び応対した渡辺少佐は薄笑いを浮かべて応えた。

 謝罪文を出す側が、どう書けばいいかと敵に教えを乞うなど聞いたこともない。天朝に弓引いた事実を認めた上で、文辞は己れで考えよと。

「思うてもおらんそら言を書く必要はなかろう。思うところを書けばよい。そちらの言い分が我らの意に適わんなら、このまま軍を進めるのみだからな」

 副島は拳を握りしめる。爪が、手に食い込んだ。

 「天朝に弓引いた」―――それだけは、副島たちが絶対に認めることは出来ない一点だった。

「中山様に、お目にかからせてくんしゃい」

 木原が訴えた。

 久光四天王の一人、中山中左衛門。

 中山様なら、我々の気持ちを判って下さる。汲み取って下さるはずだ。

「中山様は、賊徒となどお会いにならぬと仰っている」

「そがんはずはなか。おいは中山様の伴ばして佐賀へ来たとじゃ。おいが必ずこン戦ば止めっけん、そがん約束で―――」

 その時、渡辺が幕内に小さく目配せした。一瞬で、幕内にいた兵たちが木原と副島を羽交い締めに捕え、二人を引き離した。更に、周囲の兵たちが銃口を向ける。

 木原は驚愕して目を見開き、もがいた。

「何ば―――」

 渡辺は片頬に笑みを浮かべ、何が起こったか理解出来ない様子の二人を見た。

「中山様はむしろ、木原は帰すなと言っておられる」

「何じゃと」

「義四郎ば離せ」

 副島が吼えた。

「捕えっとなら、おいだけにせえ。義四郎ば何いもしとらんとじゃ!」

「だからこそだ」

 渡辺は顎をしゃくった。兵たちは、振り払おうとする木原の腹を、銃床で鋭く衝いた。う、と鈍く呻いて膝をついた木原を、後ろ手に縛り上げる。

「義四郎!」

「これ以上、この男が賊徒と運命を共にする必要はないと、中山殿も言っておられる。お前も武士の端くれなら、この男はここに置いていけ。起こした戦の責任は、起こした者たちで取れ」

「違う!」

 木原はほとんど死に物狂いになり、己れを捕えている兵に体当たりをした。兵はよろめいて尻餅をついたが、縛られたままの木原も起き上がることは出来ず、その場に横倒しに倒れた。その背に、兵が銃床を叩きつける。二度、三度と、容赦のない力で打たれながら、木原はなおも叫んだ。

「謙三!」

「この賊が―――」

 兵が銃を振り上げた。その時、副島と渡辺がほぼ同時に怒鳴った。

「やめろ!」

 兵は動きを止める。

 木原はなおも副島を見上げ、必死の面持ちで言い募った。

「謙三、違うぞ。こン連中の言うこっなんぞ聞くんやなか。おいはわさんらの仲間じゃ。じゃけん、こがんして帰ってきたとやないか」

「義四郎―――」

 副島の唇がわなわなと震えた。

「置いていかんでくれ。おいも最後まで共に」

「賊を帰してやれ」

 木原の悲痛な声も聞こえないかのように、冷たく渡辺が言った。

「それとも、お前もこのまま投降するか」

 副島は木原を見つめ、渡辺を見た。渡辺は再び顎をしゃくる。

「連れて行け」

兵が副島を背後から捕えたまま、半ば引きずるようにして天幕から連れ出した。

離せ、という木原の叫びが、己れを呼ぶ悲鳴が、副島の胸を背後から刺し貫いた。だが歯を食いしばって胸を張り、政府軍の陣を出た。

二月の終わり。明るい陽光の下、副島は馬を駆りながら、ただ涙を流した。



          ※



 城に戻った副島は、島と、集まった同志たちの前で頭を垂れ、泣いた。堰を切ったように涙が溢れ、頬を伝い、床を濡らした。

島は、弟の肩を叩いた。

「よう、戻った」

 自分でも驚くほど、穏やかな声が出た。兄じゃ、とひび割れた声で副島は言い、また獣のように声をしぼって泣いた。

これで木原は助かる、と、島は心のどこかで安堵していた。あの従弟を巻き込まずに済むのなら、それに越したことはない。もう十分だ。

 わさんは、生きてゆけ。

 さて、と島は天を仰ぐ。あとは、自分たちの身の振り方だ。

 天朝に弓引いたと認めることだけは、絶対に肯んじ得ない。それも、政府軍には判っているはずだ。それを認めて生き延びるぐらいなら、割腹して果てた方がマシ―――そう考えるのが島ら憂国社だ。

これ以上は、茶番だ。




 島と副島を囲み、再び幹部八人で善後策について協議が始まった。だが、島は既に政府とのやり取りに疲労を覚えていた。

 昨夜木原を迎えて、今日は早朝から二度の使者を送っては突き返され、そのたびにまた議論をして―――時刻はもう、夕方四時を回ろうとしている。

 腹を切って済むのなら、その方が楽だとさえ思う。

 もう、ここらでいいではないか。政府はどうせ我々の言を聞くつもりなど、ありはしないのだから。

「兄じゃ?」

 副島が黙り込んだ島に気づき、話をやめてこちらを見た。気遣うような表情だった。持ち前の快活さを取り戻したようにも見えた。だが、恐らく残された気力を振り絞っているのだろうと島は思う。疲れているのは皆同じだ。

 島は強いて片頬に笑みを浮かべ、姿勢を正して「何じゃ」と返した。副島はしばらく島の顔を見ていたが、パン、と一つ空中で手を打った。

「ああ、もうやめじゃやめじゃ」

 場に不釣り合いな明るい声で言い、副島は胡座をかいた両膝に手のひらを置き、ぐるりと幹部を見回した。

「天朝に弓ば引いたち。いやしくもここにおる者ンが、そがんこっ書けっはずはなかとじゃろう。のう? 書けんもんはどがんしたって書けやせんばい」

 副島はにっと笑った。

「ここは一つ、おいがもう一度おいらなりの謝罪の文ばつづって、そいば持って大久保に直談判してくっけん。今日ン所は解散じゃ」

「また行くとか」

 海軍の陣へ使いした村山が、さすがにやや呆れた様子で言った。こちらもやはり謝罪文を突き返されて戻ってきている。

「今日会った連中ば、こん後に大久保ば陣に迎えっち言うとったけんの。面ぁ見て話ばしてくっばい」

「会うてはくれんじゃろう」

「やってみんこつにゃ判らん」

 副島はバン、と膝を叩いた。

「とにかくおいが行って、もうちかっと時間ばくれっよう掛け合うてくっけん。皆も兄じゃも、今日はもう帰ってくんしゃい。兄じゃは、昨夜から一睡もしとらんとじゃ。見事なクマば出来とっとよ。水でも浴びて寝たがよか。寝て果報ば待っとってくれや」

 島は弟を、そして同志たちの顔をぐるりと見た。そして、一つ息を吐いてから、苦笑交じりに言った。

「謙三が言うとなら、すまんがそがんさせてもらおうかの」

 話し合いに疲れた幹部たちも苦笑を浮かべ、曖昧に頷く。これ以上議論しようと固執する者はいなかった。

 副島は軽く手を挙げた。

「戻ったら、兄じゃン邸へ行くけん」

 島は、無精髭のぶつぶつと生えた弟の顔を見た。弟は笑っている。島も、笑みを返した。

「そン顔ば、きちっと整えて行くとじゃぞ」

「おう。判っとっ」

「じゃ、あとでの」

 島は軽く手を振り、広間を後にした。




 城を出た島は、そのまま城下の精小路にある自邸に戻った。井戸の冷たい水を浴びてさっぱりしてから、床を延べて寝た。頭も身体も綿のように疲れている。すぐに眠りに落ちた。

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