あいするひと
前作の「すきなひと」に彼sideを付け足したくて書いたけど、蛇足だったかも……
駄文ですが読んで頂けると嬉しいです。
愛するひとがいる
慎ましくて、可愛く笑う
一緒にいるだけで幸せを運んでくるようなひと
来世は一緒になろうと誓い合って別れた
私では幸せにできなかったひと
どうか、どうか、幸せになって欲しい
彼女はうちに仕えるメイドの一人だった。私は伯爵家の子息でそれだけの関係だった。
ある日たまたま、彼女の髪を結うリボンがいつもと違うことに気付いた。何とは無しに
「今日はリボンが違うんだね。似合ってるよ」
と声をかけた。大体のメイドは「お坊っちゃまはお上手ですね」とか「ありがとうございます」とか返すだけのそんな普通のやり取りのつもりだった。ただの挨拶のようなものだ。
だが、彼女は顔を真っ赤に染め、蚊の鳴くような声でお礼を言った。
その時、何故だか彼女の表情が脳裏に焼き付いた。
次から彼女がどんな反応を見せるのか知りたくて声をかけ続けた。
彼女の淹れてくれる紅茶や新しくつけた口紅、彼女の嬉しそうな笑顔、その柔らかい手に触れた時は守ってあげたいと思った。ほんの小さな事ばかりだけれど、嬉しそうに微笑む彼女を見るたび心惹かれるようになっていった。
身分違いである事は勿論分かっている。だけど、少しメイドと話すくらいは許されるだろう?そう思う事で、自分の気持ちに気付きつつも見ないフリをしていたのだが、ある日、使用人の1人が彼女に言い寄っている場面を目撃してしまった。
そうなると、蓋をしていた自分の気持ちが抑えられなくなってしまった。彼女が誰かに取られてしまう可能性に焦ってしまったのだ。その後の彼女がどうなってしまうのかその時の私は考えもしなかった。
気が付けば逸る気持ちのままに、彼女に告白をしていた。
「離したくない」と抱きしめれば、彼女は涙ぐみながらも嬉しそうに微笑み、私のことが好きだと抱きしめ返してくれた。
天にも登る気持ちだった。彼女が私のものになったと浮かれた。
彼女と初めて肌を重ねた日は一生大切にすると心に誓った。
が、そんな日は来なかった。
彼女との関係を父に知られてしまった。いや、元々知ってはいたのだろう。ただの火遊びならば見逃したのだろうが、私がどんどん彼女に本気になっていくことを危惧し、彼女を始末すると言い出した。
今考えればただの脅しだ。いくら貴族といえども、人一人簡単に消せはしない。だが、彼女の命が取られるなどあってはならないと、彼女を救けるため父の条件をのみ、早々に結婚することになった。その時、
「今世では一緒になれなかったけれど、来世では必ず一緒になろう」
と誓い合って泣く泣く別れた。
結婚した侯爵令嬢は政略結婚だと、愛はない結婚だと割り切っていた。
そして、私に恋人がいる事も知っていた。更に自分にも恋人がいると。あの時、侯爵家に知られないようにと急いで結婚した意味はなんだったのだろうと乾いた笑いが出た。
そんな私に妻となる人はこう続けた。
これは白い結婚だと。私と妻の恋人が髪や目の色が同じで面差しもどことなく似ていたから私を選んだ、彼との子が欲しいのだと告白してきた。
通りでおかしいと思ったのだ。うちは特に政治的に発言力があるわけでもなく、領地が特別潤ってるなど旨味もない。何故、うちなのだろうかと不思議に思っていたのだ。だが、いかんせん家格は下なので断れ無かった。
妻と恋人はそのまま関係を続けるのに、私と彼女は何故別れなければならなかったのか。その理不尽さに怒りが湧いた。
だが、妻はこうも続けた。
対外的に仲の良い夫婦を演じてくれれば、愛人を囲っても構わない、と。世間にバレなければ愛する人と過ごせばいいと言ってくれた。ただ、今すぐには無理だ。義父や世間に信用してもらえるまで、暫く待って欲しいと言われた。
希望が一つ見えた気がした。
結婚し3ヶ月後、名ばかりの妻が妊娠した。「おめでとう」と声をかけると、とても幸せそうに微笑んだ。私と妻は友人のような、同士のような関係になっていた。私たちは上手くやっている。おしどり夫婦だと評判も上々だ。
もうすぐすれば、私も妻のように幸せになれる。そう思っていた。
そうして生活が落ち着いてきた頃、彼女に手紙を出した。だが、返事はなかった。
最初は手紙が届かなかったのかと思った。だが、何通出しても返事が来ることがない。
もどかしかった。会いたくてたまらないのに、彼女はたった半年で気持ちが変わってしまったのかとそう疑う気持ちも出てきた。そして、我慢出来なかった私はついに彼女の家まで出向いてしまった。
そこには彼女はおらず、彼女の幼馴染という男がいた。
「君は誰だ。彼女はどこにいる」
「俺はハンス。あいつの幼馴染だ。あんたこそここに何しにきたんだ」
「彼女を迎えに来た」
「はっ、愛人にしようって?」
「下衆な考えはよしてもらおう。私と妻は白い結婚で肉体関係はない。私が愛しているのは彼女だけだ」
「そんなの知るかよ!じゃあ、何で結婚してからあいつのこと守ってやらなかったんだよ!」
その幼馴染から聞いた彼女の現状は酷いものだった。
婚前に関係を持つことでこんなにも世間が彼女に厳しく当たるなど想像にも出来なかった。
「あんたのせいで、働き口も無いんだ」
「っなら!尚更私が彼女の面倒を見なければ」
「そういうことじゃないんだよ!あいつを愛人になんてしないでくれ。愛してるなんて言うけど、あんたはあいつと幸せな家庭が築けるのか?普通の家庭みたいに子供を持って幸せにしてあげられるのか?」
言葉が出ない。
私は何を夢見ていたのだろう。一気に現実を叩きつけられた。
私は彼女を愛人にしてそれから?
彼女と子をなしても堂々と私の子だと言えない子を産ませる?
一生ずっと日陰者として暮らす?
あの、陽だまりのような暖かい彼女をそんなところに?
言葉に詰まる私を一瞥して、その幼馴染は彼女の家へと戻っていった。
私はそれからどうやって屋敷へ帰ったのか。
ぐるぐるとあの幼馴染の言葉が頭の中を支配する。
結婚してから、彼女の現状を知らなかった。いや、知ろうともしなかった。調べればすぐに分かることだった。
自分のことに精一杯で、彼女のことを守る事もできなかった。何も考えず、一緒にいることがただ幸せなのだと思い込んでいた。
幼稚な自分の恋心が、彼女の人生に影を落としたことを悔やんだ。
あの幼馴染は彼女を守ろうと必死だった。多分、あの男と一緒になるのが彼女の幸せなのだろうと理解した。
手紙をだすのはやめた。
彼女とは、あの時、来世を誓い合った時、もう終わっていたのだろう。
今世での繋がりを諦めた時点で彼女とは切れたのだ。そんな相手とは来世も一緒になれないだろう。そう思った。
私が結婚してから1年と少しして、彼女があの幼馴染と結婚したと聞いた。
どうか幸せになってほしい。
私では不幸にしかならなかった。
私のことなど早く忘れて、
どうか、どうか、幸せになって欲しい。
遠くから願うしかできないけれど、
私のいつまでも愛するひと。