眠りは優しいゆりかごの中で
※この小説は、遥彼方さん主催の「夏祭りと君」企画参加作品です。
※「夏祭りと君」の「君」は、本作では恋愛対象などではなく「人生の中で重要な位置づけとなる人」という印象が強いものとなります。
※ページ最後に相内 充希さんから戴いたイラストを掲載しております( *´艸`)
「ねぇ、お母さん」
「うん、なんだい?」
ベッドに横たわりながら、わたしは首を僅かに傾けて、横に座るお母さんを見る。
お母さんは日に日に痩せているように見えて、ちょっと心配。もしかして食欲がないのかな? 今みたいに疲れたような笑みじゃなくて、昔みたいな元気な笑顔が見たいよ。
「わたし、お祭り、行きたいなぁー……」
「お祭り、かい?」
「うん」
「そう、ねぇ……」
お母さんは困ったように眉を八の字にして、わたしの左手をギュッと握ってくれた。カサカサして少し固い手だけど、大好きなお母さんの手。
「ちょっと先生に聞いてみようかねぇ」
「うん……」
先生に聞いてみる、と口にするも、お母さんにもわたしにも答えはもう分かってる。だって……このやり取り、毎年やってるもんね。
少し開けた窓からは、楽しそうな喧騒や太鼓の音などが聞こえてくる。
この病院の裏手の公園では、毎年、夏祭りを開催してるみたい。公園は大きな通りを挟んで向こう側で、通りに沿って視界を埋めるおっきな木が並んでるから、祭りの様子は窓からは覗けない。
ただただ楽しそうな音だけが、わたしの耳を楽しませようと頑張ってくれる。
お母さんはこの音がわたしを苦しめていると気遣ってくれたのか、「病院、変えてもらえるように頼んでみよっか」って聞いてくれたけど、わたしの我儘でこのままにしてもらっている。だって……静かだと、色々と考えちゃうから。気持ちが沈んじゃうの。だからこの祭りの音は、わたしにとって大切な音楽なのだ。
年1回の楽しみ。
去年はまだ体も動かせたから、窓を開けて木々の間から祭りが見えないかなぁ、なんて覗きこむこともできたけど、今はもう無理みたい。首をやっと動かせるぐらいが限界。だからわたしはベッドに全身を預けて、お母さんが開けてくれた窓から流れ込んでくる"祭り"を楽しむんだ。
でも……やっぱり、お祭り、行きたいなぁ……。
あんまりこんなこと言い過ぎちゃうと、お母さんが困っちゃうから、これ以上は心の中で思うことにする。
肘の内側や鼻から伸びたチューブを眺めていると、お母さんがわたしの前髪を優しく指で梳いて、おでこを撫でてくれる。
お母さんの指。わたしたち家族のために、お洗濯ものやお掃除、ご飯を作ってくれた頑張り屋さんの指。ふふっ、ちょっとチクチクするけど、気持ちいいなぁ。
わたしが目を細めて少しだけ口元を綻ばすと、どうしてかお母さんは目尻に涙を浮かべてしまった。困らせるつもりはなかったのに、どうしよう。
「……」
お母さんに元気を出してもらいたくて、何か口にしようと思ったんだけど、時間切れみたい。最近はしょっちゅうこうして電池切れみたいに力が抜けていくことが多いの。体がどこまでも沈んでいって、目を開けているのも辛くなる感じ。
祭りの音もどこか遠のいていく中、わたしはゆっくりと眠りにつくことにした。
次、目が覚めたらお母さんに「元気出して!」って言おう。わたしの大好きなカレーを作ってくれる時はいつも気合をいれてくれたお母さん。美味しい! って言ったら少し照れたように笑ってくれた――あの時の笑顔を浮かべて欲しいから。
「っ……、友里っ……!」
遠くでお母さんの声が聞こえる。
うん、大丈夫だよ。いっつも負担かけて、ごめんね。心配しないで。次起きたら、もっと元気に振る舞うから。お母さんに心配かけたくないから。だから……大丈夫、泣かないで――。
**********************
――目が覚めた。
「……?」
病室は真っ暗で、窓からは月灯りが差し込んでいた。
どうやら変な時間に目が覚めちゃったらしい。
「お母さん?」
声に出して呼んでみるも、お母さんの返事はなかった。
寝ちゃったのかな? だったら起こさないようにしなきゃ。
いつものように首だけ横に向けると、そこにお母さんの姿は無かった。代わりに居たのは――暗い病室なのに、やけに薄っすらと光る人影。
「………………だれ? 看護師さん?」
白い服装だったから、看護師さんかなぁ、と思って問いかけてみた。でもよく見ると、服の形が違う。ヒラヒラとした長い袖に、白いスカート。見たことのない変わった服だった。淡く光るその服に身を包んだわたしよりちょっと年上の女の子は、とっても綺麗に見えた。
「お姉ちゃん、だれ?」
「こんばんは、友里ちゃん」
「うん……こんばんは」
白いお姉ちゃんは小さく微笑むと、いつもお母さんが座っているベッド横の椅子に座った。近くで見ると、天使様みたいに可愛くて綺麗な顔立ちがハッキリと分かる。
お姉ちゃんはお母さんがするように、わたしの左手をそっと両手で包み込んでくれた。お母さんの手とはまた違う、サラサラの感触にちょっとだけ戸惑ってしまう。
「友里ちゃん、立てる?」
「……ううん、わたし、もう立てないの」
正直に話すと、お姉ちゃんは少し悩んだような素振りを見せたあと、「実はね」とほほ笑んだ。
「私、魔法使いなの。貴女のお母さんに頼まれて、魔法をかけにやってきたのよ」
「まほう……つかい?」
「うん、そう」
まほうつかい……魔法使い! えっ、お姉ちゃんって、あの魔法少女なの!?
「すごい!」
わたしは声を大きくして、勢いよく体を起こした。そっか、この変わった服装はきっと魔法少女の衣装なんだ! わぁ……感激だなぁ!
ワクワクする心に頬を熱くしていると、お姉ちゃんはキョトンとした顔をしてから、すぐに小さく笑いを零した。気付けばわたしはお姉ちゃんの両手を逆に握り返している状態だった。
「あっ、ご、ごめんなさい……わたし、興奮しちゃって……」
「ううん、いいのよ。それより……さっそく私の魔法は効いているみたいね」
「え?」
そういえば……いつの間にか、わたしはベッドから自力で起き上がり、久しぶりに座っていた。
「え、え?」
「ふふ」
お姉ちゃんがわたしの手を取って、椅子から立ち上がる。前に引っ張られる感覚と共に、わたしは慌ててベッドから足を降ろし――気づいた時には、両足できちんと立っていた。
「ほら、立てた」
「…………」
ご飯を食べる時だって、ここまでポカンと口を開けたことなんてない。それぐらい、わたしは驚いてお姉ちゃんを見上げていた。
お姉ちゃんはやっぱり天使様みたいな優しい笑顔で、わたしの頭を撫でてくれて、手を繋いだままゆっくりと窓の前まで歩いていく。
「友里ちゃんはお祭りに行きたいのよね?」
「え、うん……でも、どうして」
「お母さんに頼まれた、って言ったでしょう? 貴女がお祭りに行きたいっていう願い――それを叶えて欲しいって頼まれたのよ」
「お母さんが!」
さっきはボンヤリしていてちゃんと聞いてなかったけど、今はしっかり頭の中にお姉ちゃんの言葉が入ってくる。
お母さん、凄い!
わたしの我儘のために……そこまでしてくれるなんて――お母さん、大好き!
「お母さんは、大好き?」
「うんっ! お母さんはね、世界一のお母さんなんだよっ! 朝になってお母さんが起きて来たら、うんとお礼言わなきゃっ!」
「――そう、ね。ええ、そうだね」
「お姉ちゃん?」
ちょっとだけお姉ちゃんが痛そうな顔をしたけど、どうしたんだろうか? 興奮しすぎて、手を強く握りしめちゃったかな? お姉ちゃんの手、とっても細くて壊れちゃいそうなくらい綺麗だもんね。
「おいで」
お姉ちゃんの柔らかい手を握り直してると、そう言われたので、わたしは言われるがまま、お姉ちゃんの身体に抱き着いた。
「行くよ」
どこに? と聞く時間も無く、わたしの身体がふわっと浮き始める。お姉ちゃんの身体もだ。
「えっ、えっ」
「大丈夫、私を信じて」
「お、お姉ちゃん!?」
お姉ちゃんは窓を大きく開け、そこから身を乗り出していく。危うく手を離しそうになったわたしだけど、お姉ちゃんの言葉をすぐに思い返して、その身体を強く強く抱きしめた。
そして――気づけば、わたしたちは空を飛んでいた。
「ひゃあああああっ!?」
「大丈夫、落ちないから心配しないで。ほら」
お姉ちゃんはわたしを胸元に抱え直し、優しく微笑んでくれた。不思議とそれだけで怖かった心は安らいでいって、胸のドキドキが静かになっていった。
そうすると自然に周りの景色も落ち着いて見れるようになり、上空を見上げてみれば、そこには満点の星空が広がっていた。
「きれー」
「ふふ、そうね」
下では窓の先を塞いでいた大きな木が過ぎていくのが見える。ここから先は、わたしが見たくても見れなかった公園がある場所だ。
すると――静かだった星空の下で、微かに祭りの音が聞こえたきがした。
ううん、気のせいなんかじゃなくて……お祭りの音は徐々に大きくなっていって、今までにないボリュームになっていった。
「友里ちゃん、見てみて」
「あっ……!」
お姉ちゃんが身体の向きを空中で変えてくれて、わたしはその光景を真正面から見ることができた。
――そこには大勢の人たちと、たくさんの屋台が賑わっていて、木から木へと橋を架ける提灯たちが夜空を押しのけて明るく照らしていた。
そこは夜の一角からぽっかり切り取ったかのような、まるで別世界のような場所。そんな場所に迷い込んだ気分になって、わたしは思わず「わぁ」と胸を躍らせた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! お祭りだよ!」
「ええ、そうよ」
お姉ちゃんはふんわり笑って、ゆっくりと祭り広場へと降りていった。やがて地に足が付くと、わたしは思わずその場を駆けだして、公園の中を歩いていくお祭りを楽しむ人たちや、屋台でお料理をする人たちの様子を見上げていく。
まだわたしの身体が元気だったころ、2度ほど行ったことのあるお祭り。懐かしさが込み上げてきて、身体の中がポカポカにあったかくなってくる。
「友里ちゃん、あんまり一人で走っちゃ駄目よ」
「あっ」
そういって、後ろをついてきたお姉ちゃんはわたしの手を握ってくれた。お祭りの光景を見ながら、わたしはその手の感触に昔の記憶を思い出した。
――そういえば、あの頃はこうやって……お父さん、お母さんに手を繋いでもらってお祭りを楽しんだなぁ……。
わたしがきゅっとお姉ちゃんの手を握ると、お姉ちゃんも握り返してくれた。それが嬉しくて、わたしは「えへへ」と笑いながら、お姉ちゃんの手を引っ張って近くの屋台まで行くことにした。
なんだか、本当にお姉ちゃんができたみたいで、嬉しいなぁ。
「オゥ、こいつはァまた可愛らしいお客さんだなぁ! 小さなお客さんよォ、どうだい? 焼きそばでもいっちょ食ってみねぇかい?」
捻じれハチマキとサングラスをしたオジちゃんが、明るい声で話しかけてくれる。わたしは背伸びして屋台の中を覗きこみ、焼きそばが乗った鉄板から流れ込んでくるいい匂いに思わず涎を垂らす。
「ふふっ、それじゃ一つ頂こうかしら」
「ヘイッ、お嬢――じゃなかった、お客さん! すぐに仕上げるんでェ、ちょいとお待ちくだせェなァ!」
ジュウっという音と共に、オジちゃんが焼きそばを鉄板で焼き、二本のヘラで混ぜ返していく。そのたびにふわりと食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐり、わたしは出来上がるまでその様子をじーっと見つめていた。
「おっし、出来たぜぇ!」
タッパーに出来立ての焼きそばを詰め込み、輪ゴムで閉じる。そしてオジちゃんはそれを「熱ぃから、気を付けて持ちなぁ」と言って渡してくれた。
「わぁ、ありがとう!」
「お、いい笑顔すんじゃねぇか! へへっ……祭りってのは楽しむもんだ、何もかも忘れて、な。ほれ、お嬢――じゃなくて、お姉ちゃんと一緒に、色んな屋台で遊びつくしてきなぁ!」
「うんっ」
わたしはお姉ちゃんの手を引いて、近くのベンチに向かう。わたしが勢いよく座ると、お姉ちゃんもその隣に座ってくれる。
「お姉ちゃん、一緒に食べよっ」
「ええ」
割り箸をパチンと割って、まずはお姉ちゃんに焼きそばを渡そうとすると、お姉ちゃんは「まずは友里ちゃんから食べていいわよ」と譲ってくれた。なんだかそんなさり気ない一言が、本物のお姉ちゃんのように感じてしまい、わたしは照れながらも素直に先に戴くことにした。
「はふはふ」
「ふふ、美味しい?」
「うん、美味しいっ!」
オジちゃんが作ってくれた焼きそばは美味しかった。病室がわたしの部屋になってからは病院食だけの生活が続き、ここ最近はチューブから栄養を流されるだけの生活だった。だからこうして自由に美味しいものが食べられることが何よりも嬉しくて――わたしは勢いよく焼きそばを口に運んでいった。
「そんなに勢いよく食べたら、喉に詰まっちゃうわよ?」
「う、うん」
言いながら、またお姉ちゃんはわたしの頭を撫でてくれた。
それがとても気持ちよくて……日向ぼっこしているみたいに心があったかくて――わたしは目を細めながらも無我夢中で焼きそばを頬張った。
「あ」
そしていつの間にか空になった容器を手にして、わたしはお姉ちゃんの分まで食べてしまったことに気付く。
「ご、ごめんなさいっ、お姉ちゃん……ぜ、全部、食べちゃった……」
悪いことをしてしまった気持ちが先立ち、わたしの目に涙があふれてくる。でもお姉ちゃんは変わらない微笑みのまま、長い袖の先でわたしの涙を拭ってくれた。
「美味しかった?」
「…………う、うん」
「そう、良かったわ。私は友里ちゃんが美味しそうに食べている姿を見るだけで嬉しかったの。だから泣かないで? 可愛いお顔が台無しよ?」
「お姉、ちゃん……」
お姉ちゃんはなんでこんなに優しいのだろう。お母さんに頼まれたから? ちょっと違うような気もするけど、とても長閑でお日様みたいなお姉ちゃんの雰囲気は、わたしの悲しい気持ちをすぐに癒してくれるようだった。
どこからか取り出した濡れたティッシュで口元までも拭いてもらい、わたしは何処までも甘えてしまいそうになる。
「そうだわ、その恰好のままだと、お祭りを楽しみ切れないわね」
「かっこう?」
自分の姿を見下ろしてみると、わたしは病院で借りている水色の簡易的な服だった。周囲を仰げば、みんな浴衣だったり、お洒落な格好をしていた。いいなぁ、と行き交うみんなの姿を見ていると、お姉ちゃんが「友里ちゃんも着替えてみよっか」と言い出した。
意味が分からず、首を傾げてお姉ちゃんを見上げると、おでこに人差し指を当てられた。
「?」
無意識に人差し指の方へ視線を上げると、急に服の着心地に違和感を抱くようになる。お姉ちゃんが人差し指を離してくれたので、なんだろうと自分の服を確かめてみると――いつの間にか他のみんなと同じ浴衣を着ていた。
「え、え、お、お姉ちゃんっ! こ、これっ!」
「うん、浴衣よ。ふふ、とても似合ってるわ」
「お姉ちゃん! もしかして、これもお姉ちゃんの魔法なの!?」
「そうよ、お姉ちゃんは凄いんだから」
「うん、凄い! 凄いよ、お姉ちゃん!」
さっきまでの落ち込んだ気持ちは一気に吹き飛んで、わたしは両手を握ってぶんぶんと振る。嬉しくて、嬉しくて、わたしがその場でくるりと一回転すると、お姉ちゃんは「可愛い」と褒めてくれた。それがまた嬉しくて……わたしはその後もお姉ちゃんの手をとって、お祭りの中を駆けていった。
お祭りのうちわを買ったよ。
お面もつけてみたんだぁ。
わたあめ、甘くて美味しかった!
型抜き、やってみたんだぁ! とっても難しくて、わたしは全部割っちゃったけど、お姉ちゃんは綺麗に作ってたの!
リンゴ飴、お姉ちゃんと一緒にぺろぺろしちゃった! ちょっと恥ずかしかったけど、今日ぐらいは……甘えても、いいよね?
輪投げ、2つも入ったんだよ! えへへ、凄いでしょ!
金魚すくい! 金魚、可愛かったなぁ……! お姉ちゃんに取ってもらって、お土産にもらっちゃった!
そうだ! お友達もできたんだよ? 同じくらいの子でねっ、達也くんと美奈子ちゃんっていうの!
お姉ちゃんと一緒に4人で色々と遊んだんだぁ!
楽しいなぁ……ねぇ、お父さん、お母さん。今度は家族みんなでお祭りに行きたいね! だってね、わたし。もうこんなに元気なんだよ! いっぱい食べられるようになったし、走ることだってできるんだよ?
そうだ、家に帰ったらお父さんの肩を揉んであげるねっ! いつもわたしたちのためにお仕事、ありがとうって、お礼言えてなかった分も頑張るね!
お料理や掃除だって頑張るんだぁ。お母さん、少し休んでていいよって言えるぐらい、わたし、色々と覚えるね! えへへ、このお祭りで食べた焼きそばぐらい美味しいもの作って、二人を驚かせるんだから!
あとね、あとね――。
やりたいこと、たくさんあるの。伝えたいこと、たくさんあるの。覚えたいこと、たくさんあるの。色んな人に出会って、色んなこと学んで、色んなこと体験して……いつかお父さんとお母さんみたいに、仲のいい夫婦になるのっ!
だからね、お母さん。また明日、一緒に「おはよう」しようね。
お父さん、一緒に「おやすみ」しようね。
一緒に――――。
「んにゅ……」
「あら、目が覚めたの?」
重たい瞼を開けば、お姉ちゃんの優しい顔があった。後頭部の感触から、わたしはお姉ちゃんの膝枕の上で寝ていたみたい。
すぐに起き上がろと思ったけど、頭が重くて身体が思うように動かせない。
「お姉ちゃん……なんだか、とっても、眠いの……」
「そう……きっと、遊び疲れちゃったのね」
「うん……」
目元をごしごしと擦っていると、お姉ちゃんの柔らかい掌がおでこの上に置かれた。
温かい……うーん、でも、もっと眠くなっちゃうよ……。
「友里ちゃん」
「……なぁに、お姉ちゃん……」
「今日は楽しかった?」
「……うん……えへへ……でも、いいのかな?」
「なにが?」
「わたしだけ……幸せに、なって……むにゅ、こんなに楽しんで、いいのかな? お父さんも……お母さんも……みんなで一緒に……楽しみたかったなぁ……」
「大丈夫よ。子供が幸せな姿を見せているのに、それを悲しむ親はいないわ」
「そう、かな……うん、……だったら、目が覚めたら……お父さんも、お母さんも……仲間外れに、ならないように……寂しくないように、いっぱい話す、ね。たくさん、たくさん……こんなことが、あったんだよって……」
「……ええ、そう、ね……」
「そして……みん、なで……お祭りに、行くんだぁ……。お姉ちゃんも……一緒だ、よ?」
「………………そう、ね」
「お姉、ちゃ……ん?」
「……なぁに」
「どうして、……泣いて、いる……の。……どこ、か、痛いの……?」
「……大丈夫よ。友里ちゃんは何も心配しなくていいのよ。ゆっくり……お休みなさい」
「……うん、ごめんね……すごく、眠くて……」
「いいの、いいのよ。何も不安なんてないわ。安心して眠って……いいのよ」
ポタポタ、と温かい液体がわたしの頬を濡らす。でもわたしの眠気はそれぐらいじゃ晴れなくて……静かに瞼が降りて行った。
そうだ……ちゃんと寝るときの挨拶しないと。
お母さんが言ってたもん。
おやすみ、は明日への挨拶。おはよう、は今日の挨拶だって。ちゃんと挨拶しないと、明日に挨拶しておかないと、もしかしたら"明日"がそっぽ向いて来てくれないかもしれないって。
だからちゃんと挨拶はしなきゃ。
「お姉……ちゃん」
「うん?」
「おや、すみ…………なさ、い……」
「えぇ――――おやすみ、なさい」
お姉ちゃんの声は震えてたけど、わたしはお姉ちゃんとちゃんと挨拶を交わせたことに安心し、また明日がやってくるという安らぎを胸に、ゆっくりと眠りについた。
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「――お嬢」
深い眠りについた友里ちゃんの頬を撫でていると、後ろからさっきまで焼きそばを焼いていたマサムネが声をかけてきた。
マサムネはサングラスを外し、額に蒔いていた鉢巻を外すと、それを乱暴にポケットに突っ込んで大きくため息を吐いた。
「なによ」
「お嬢、身が持ちませんって。アンタぁ、死神でありながら感情移入しすぎだァ。そんなんじゃ、いつの日か心が参っちまいますぜ。時間だって有限だァ、一人一人に対してンな手間かけてると――」
「……うるさいわね」
私の不機嫌な声を聞いて、マサムネは参ったようにガシガシと角刈り頭を掻いた。
「アッシはお嬢のためにですねぇ……」
「分かってるわよ、そんなこと」
私が見せた幻影――見せかけの祭りは既に姿を消している。私とマサムネを除いて、祭りを楽しむ人たちも屋台も、その全てが私が創り出した幻の世界だ。現実に残るのは静寂に包まれた元の公園のみ。今日で祭りも終わったのだろう。屋台は撤去され、片付け途中と見られる木材や備品などが至る場所に置かれていた。
夜道を通る人もまばらに存在するが、誰も私たちの姿に気を留める者はいない。
それもそうだ。私は死神であり、マサムネは私の使徒。生者とは次元を隔す者なのだから。
そして――この友里ちゃんも……。
背後の病院を仰げば、友里ちゃんが入院していた病室の明かりがついていた。慌ただしく動く人影から、何が起こっているのか、察することは難しくない。
胸が熱く締め付けられるような感覚に、私はまた一滴、涙をこぼした。
「――それでも」
「お嬢?」
「それでも……せめて、最期ぐらいは夢を見させてあげたいじゃない。この子はまだ……11年しか生きていないのだから」
「…………まァ、眩しい笑顔ォ見せる子でしたからねェ……。だから嫌ァなんですわ。まだ瞼の裏に焼き付いて残ってやがるンすよォ」
マサムネは再びサングラスをかけ、腕を組んだまま俯いた。
強面の男だが、私の使徒でもある。つまり性格的に私に近しいのだ。友里ちゃんの笑顔を見て何も思わないはずもないか……。
「ごめん、マサムネ。無理かけた」
「いいンすよォ、これも仕事ですわァ」
「ええ……」
膝の上で抱えていた友里ちゃんの魂は徐々に青い粒子へと化していき、天へと昇っていく。
夜空を埋める星々に還るかのように、高く、高く――。
私たちは友里ちゃんの残滓を見上げながら、もう一度、口を開く。
「お休みなさい――友里ちゃん」
今度は返事のない、就寝の挨拶。
一方的な挨拶は、一方の明日という光を摘み取るかのように夜空の中へと消えていった。
(相内 充希さんから戴いたFA)