ケムリクサがやっぱり良かったし、とっても大事なことを伝えようとしていると感じた件について
どうも。フェフオウフコポォ改め中々中と申します。
しばらく『土日しか文字を書かない!』と決めたところ、土日は『なんて布団が心地いいんだ……』と、だらだらと惰眠を貪ることに夢中になり、まったく文字を書かなくなってしまったというアマチュア丸出しの物書きスキーでございます。
そんな『書くのが好き』とも言えなくなってきていた私ですが、アニメ『ケムリクサ』を見終わり、じんわりと数日その余韻を噛みしめていたところ矢も楯もたまらない何かが心の中に沸き起こってしまい、自分に課していた『平日はちゃんと平日にやるべきことを頑張る!』という禁を破ってエッセイを書き始めております。
というわけで久しぶりにエッセイを書くに当たって、いつものお断りという名の予防線を書きまするぞ!
はじめに。
私が記す内容に関しましては、あくまでもエッセイで、しかもただの思い付きです。
個人の主観で感じるまま書き綴ったモノであり特定の事項を断定したりするわけではなく純粋に『私はこう思った』という程度のものでしかありません。誰かの意見を否定する気もありません。内容によっては書いても仕方がないことを述べる愚痴のようなモノもままありますので、どうぞその旨ご了承を宜しくお願い申し上げます。
うん。最初にこれを書いておくと『何か言われても、だいたいなんとかなるだろう。よっしゃ好き勝手書くぞー!』という気持ちになりますな。遠慮せずに言いたいことが書ける気がしてくる!
いやはや、それにしても久しぶりに文字を書いておりますが、やはり文字を書くということは楽しい。楽しいですね。
自分の思ったことを文字という形ではっきりと表に出す。表に出すことによって自分自身の考えを見つめなおすことができる。見つめなおすことができることで更に自分の気づかなかった考えなども深く掘り下げる事ができる。
さながら思考の迷宮でお宝を探し出すトレジャーハンターのような気分です。ワクワクする。
今回、またそんな風に文字を書き出すきっかけになったのは、タイトルにも書いたようにアニメ『ケムリクサ』を見たことがとっても大きい。
このアニメを話題にするのは色んな風な捉え方をされてしまうこともあるだろうけれど、それでも書きたくなった。というか書かずにいられなかった。
それくらいに面白かったし影響を受けた。もちろんBDは予約していて、まだ届いていないので届くのを首を長くして待っているのですよ。
さて、まず私がケムリクサというアニメを見ることを決めたのは『けものフレンズ』というアニメの影響が大きい。
『けものフレンズ』がとっても面白くて、もう映像付き書籍6巻購入して大事に保管してあるくらいに好き。2017年に『けものフレンズ』のエッセイを書いてるくらい好き。
……ただ、この『けものフレンズ』を話題に出してしまうと、とんでもないことになっている現状に対して私がどう思っているか、そして『けものフレンズ2』について、どう考えているかにも触れなくてはいけない気もしてしまうので、折角だから、これらについても思うところを書こうと思う。よし書くぞー! 書いちまえ!
けものフレンズといえば、たつき監督。
内容ももちろん評価されて然るべき内容だったし、それに加えてブラック企業社畜も真っ青なんじゃねと思ってしまう制作環境での監督の孤軍奮闘ぶり、そしてその過酷な環境の中でのファンサービスっぷり。もうね。神かと。神じゃなければ変態かと(いい意味でですよ!)。いや、もう変態な神かと(いい意味でですよ!)。わけがわからないよ。(いい意味でですよ!)
そしてそんな変神(いい意味でですよ!)が多大な応援を受け大成功として報われ認められるという、ある意味でのシンデレラストーリーがアニメと相まって社会人層を感動の渦に巻き込んだのだと私は思っている。
いや、だってあんなん応援したくなって仕方ないやろ! 応援するためにも買わなきゃ! って、めっちゃ買ったわ。
そして、そのたつき監督が突然、首を切られるという現実。
たつきショック。
もうね。
当時
「はぁっ!!?!?!??!?!???!?!?!??」
って声に出たわ。
なんか知らんけど『ちょっと待て』『なんでなんや』『もう続き見れない』『ふざけんな』とか色んな感情が混じりまくって久しぶりに感情が爆発して、ちょっと泣きたくなった。
その爆発の余韻のせいで、なかなか落ち着くことはできなかったし、なんでなんや!? という気持ちから原因を探しまくったこともあったし、カド○ワが嫌いになりすぎてカドカワの新刊コミックを買えるようになるまで1年くらいかかった。
今は『たつき監督を切る権利を持っていたのは誰なのか』そして『そうすることでメリットを受けるのは誰なのか』という推測の元で、ある程度『こうだったんだろう』と納得できる考えに至ったので、若干の嫌悪感は持ちつつもカド○ワの本を買えるようになったけどね……
ただ色々と考えて至った結論が欲望にまみれたものだったせいで、なんということでしょう『けものフレンズ』に対して希望を抱けなくなってしまいました。
むしろ強い拒絶反応すら持ってしまうようになったとさ。
1期は良い。
1期は良いんだ。
あれはもう心の中にしまっておく宝物。それでいい。
ありがとう。ありがとう『けものフレンズ』。
それ以外の『けものフレンズ』と名の付くポコポコと生み出されるモノは、私にとって全て金儲けの道具であり、あの暖かい世界や、その背景を汚す泥でしかないと感じてしまうようになったのだ。
1期が希望と夢にあふれていたからこそ、以降の汚いと感じるものを見てしまうと悲しい気持ちになってしまうので、1期以降の『けものフレンズ』と付くものは意識的に見ないようにした。もちろん2期のアニメなんてPVすら見ていない。見たくない。悲しみを思い出したくない。あんな悲しみはもうごめんだ。
原因の推測をしている時とかにも、たつき監督への悪評のバラまきとか、どう見ても金のかかった工作臭い雰囲気とかを見つけてしまっていたから拒否反応は相当になってしまった。あんなん監督が全てを辞めてしまっても不思議じゃないくらいだったし、とんでもない悪意しか感じられなかった。
監督は好きなアニメをしっかり作ってただけやないか。なんでそれを批判されなアカンのや。もうね辛すぎて傾福さんも買ったよ。応援したかった。ただ応援したかった。もうほんとなにもかもが悲しかった。
ぶっちゃけ私のように、もう『思い出すと悲しいから該当しそうな文字すら見ない』と拒否感を持っているファンは多いと思う。1期のファンは社会人が多いだろうから、社会人として過ごすと身についてしまう『見たくないものは見ない』というスルースキルを発揮している人が大半なんじゃないだろうか。
私の中のけもフレは一期が心に残っているし、それ以外は死んだのだ。
そんなときに出てきたのが『ケムリクサ』ですわ。
あのたつき監督が、たつき監督として作るオリジナルアニメ。『ケムリクサ』
スルースキルを発揮しながらも日々削れていく希望という潤い。カッサカサのミイラになっていた私は、その情報に恵みの雨が降ったように潤いを取り戻した。
久しぶりにワックワクのテッカテカになりながら見ましたわ。
もうアマプラ最高ー! とウッキウキになりながら毎回最速で放送開始と同時に見ましたわ。
見終わって思うのは、やっぱり、たつき監督だからこその『けものフレンズ』だったんだな。と。
もうね。やさしさが溢れるというか、殺伐とした厳しい世界なんだけど希望があるというか。なんというか、もう見てない人は見ればいいのに! 11話はやっぱり背中がぞわぞわぞわぞわー!ってなったし、ほんと良かった。
最終話は、もう少しアクション表現したいんだろうなぁ! って気持ちも沸いたので、その応援の為、環境が整うようにという願いも込めてのBD購入ですわ。人的な不足や時間の不足は金でしか解決できんからね。
購入については、良かった物の評価、形となった物を手元に置いておきたいという気持ち、そしてより良いものが見たいからの投資という1度で3度おいしい購入ですわ。いや、監督のコメンタリーもみたいから4度おいしいのか。うん。あぁ……はやく届かないかなぁ……ワクワクするのですよ!
さて、なんだか余談が多くなり色々とズレてきてしまっているので本題に戻すけれど、タイトルにも書いた『ケムリクサがやっぱり良かったし、とっても大事なことを伝えようとしていると感じた件について』。
ケムリクサというアニメは、視聴後、考察してみると、その全てを通して『楽しく生きて』や『好きという気持ちを大事にして』という思いが籠められていたように思う。
正直なところ視聴前『ケムリクサ』という元あった同人作品を焼き直したアニメというところに色々と『ん?』と思うことはあった。
でも見終わって、なぜケムリクサだったのか。というところに合点がいった。
辛いだらけで最悪な環境に置かれていても、好きなことは頑張れる。
好きなことを頑張っていることは楽しい。
楽しければ明日も生きられる。
……まったくの推測だけれど、1視聴者では想像もつかないような辛い環境に、たつき監督や仲間たちは置かれていたんじゃないだろうか。
ネットを開けば応援と悪意の渦、これだけでも精神的に多大な負荷がかかるが、『けものフレンズ』という死にコンテンツを金のなるビッグコンテンツにまで育ててしまったリアルな環境。
金がなってしまったからこそ書面に残っていないやり取りと現実書面化されたものとの差異による法律面からの防衛。弁護士などが絡むと証拠を探す必要も出てくるし『自分を守れる盾を探さなきゃいけない』という強迫観念に近い思いは精神的に本当に辛いものになるだろう。相手方が諸々からそこまでしてこないだろうという期待はあっても、万が一に備えなくてはいけないのは変わらないし、その立場の辛さは察して余りある。
それ以外にも新たに見つかった『たつき監督』という金脈を利用しようとするモノの出現など、それこそいっそのこと失踪してしまいたくなるほどの精神負担があったのではないだろうか。
そんな擦り減り、全てが消えてしまいそうな時だったからこその『ケムリクサ』。
初心に帰れるもの。
自分達が『なぜ』頑張れているのかを思い出すための『ケムリクサ』だったのではないだろうか。
好きだったから頑張れた。そして楽しかった。
好きなことは頑張れる。
頑張れることは楽しい。
好きなことを頑張れば、明日もきっと楽しい。
だから『好き』を大事に。
自分たちで改めて『自分たちの好き』を見つめなおし、再度ニュートラルな気持ちに戻して出発する。その為にケムリクサは必要だったのではないだろうか。
そして、私のような1期に心酔するファンにとっても、このメッセージが伝わってほしいという考えもあったのではないだろうか。
何かを批判し、否定することは簡単だ。
言葉一つでどうとでもできる。
だが、そこからはマイナスの事しか生まれない。
逆に好きを見つけ、その好きを大事にすることの、なんと難しいことか。
簡単そうに見えるのに、こんなに難しい事はない。
だけれども、好きを大事に生きれば全てのことがプラスに見えてくる。
そして生み出されるものもプラスしか生まれない。
こんなに素敵なことはない。
だから私も折角出会えた自分の『好き』を大事にしようと思った。
物を書くのが好き。だから物を書こうと思った。
今日も、明日も、楽しく生きていこう。
おいしいものを食べてこその人生。
楽しく生きてこその人生なのですよ。