とある日の古書店『ふしぎのくに』
古書店『ふしぎのくに』
様々なweb小説の世界を知ることが出来る、穏やかな時間と暖かい空気に包まれるそこで。
絹のように柔らかく、雪原を連想させるような銀色の髪を下ろした女性。彼女は鼻歌混じりにコーヒーを淹れていた。
普段、この店に出入りする者は少ない。故にこの女性……古書店の店主はこうして、オヤツの時間を確保することが出来る。
「ふふっ……今日はガトーショコラですよぅ……」
ケーキはまだ沢山ある。いつもならそれを美味しそうに頬張る人達もいるのだが今日に限って見当たらない。
とはいえその人達を待っていたら、至福の一時を迎えるのは後になってしまう。だからひと切れだけ食べて、後は皆のために残しておこう…………
そう考えてソーサーにカップを置いた時だ。
カランカランと軽やかに鳴るのは、店の出入口に取り付けてあった鈴。
奥の席でティータイムの準備を着々と進めていた店主が顔を上げると視線の先には、白がベースのシャツに紺に近い青色のネクタイ・襟・肩章が特徴的な制服を着た茶髪の少年が立っていた。
少し中性的な顔立ち。ハの字眉のせいで気弱な印象を与えるその少年は、店を不安そうにキョロキョロと見回した後で店主に気付き、体を強張らせる。
「えっと……」
「お客様ですか? ふしぎのくにへようこそ」
お客様が来たとなってはケーキを食べる時間は後伸ばしにされてしまう。
内心では『早くケーキを食べたいですね……』と泣き言を言いつつも、折角来てくれたお客様へは誠心誠意を持って対応しなくてはならない。
少年は頭を下げたが、その視線はどうしても、店主に釘付けになっていた。
「ふふふ。珍しい外見だから、つい気になってしまいますか?」
「あ、いえ……」
「はじめまして。セシャトと申します」
店主のお辞儀を見て少年は再び頭を下げた。今度は外見を気にした様子もなく。ただ誠意を込めて挨拶をするために。
「は、はじめまして。シドウといいます……」
「シドウさんですね。本日はどのような本をお探しでしょうか?」
「やっぱりここ……本屋さんなんですね……」
シドウはバツが悪そうに苦い表情を見せる。
セシャトは安心させようとニッコリ返すものの、何故か彼は怯えたように後ずさった。
「あ……ごめんなさい……」
己の失礼な態度を自覚してか、すぐに謝るシドウ。しかしセシャトとの一定の距離は保たれている。
「大丈夫ですよぅ。外見が珍しい自覚はありますし」
「あ、いえ、見た目……の問題ではないんです。ただ……」
「ただ?」
不思議に思って首を傾げると、シドウは視線を合わせずにボソッと話す。
「ちょっと最近……女性不信になりそうで……そのせいで……本当にごめんなさい……」
「あらあら……」
外見ではなく、『女性』だから彼はこのような反応を見せているのか。
それに女性不信とも。詮索する気は無いがきっと普段、女性から何から嫌な事をされているのだろうとセシャトは推測する。
それにシドウの目元には疲れの色が見えた。
「きっと普段から大変な経験をされているのですね」
「……ええ……まぁ……」
「では甘いものを食べて一息つきませんか?
きっと元気になりますよぅ」
「えっ」
本屋でお茶が出来る場所は珍しくない。とはいえ、皆が皆そうというわけでもないが。
キョトンとするシドウを他所にセシャトは慣れた動きで直ぐにガトーショコラをもうひと切れ用意する。
たちまちにして用意されたケーキのセットを見下ろし、シドウは困ったようにセシャトを見た。
「あの……お代……」
「いいんですよぅ。丁度食べようと思っていたんです。1人で食べるより、誰かと一緒した方が楽しいですから」
シドウは暫くセシャトとケーキを何度も見ていたが、やがて意を決したように頷いた。
「……いただきます」
……………
…………
………
…。
「美味しいですね。このガトーショコラ」
ケーキに舌鼓を打つシドウの顔からは、先までの怯えたような色は消えていた。
コーヒーのおかわりを注ぎながらセシャトは胸を張る。
「それはもう。甘いものに関して私はうるさい方ですから。お客様に出すケーキもコーヒーも、オススメばかりですよぅ」
「ええ。コーヒーも香りが良くて……なにより……」
カップから口を離し、シドウは天井を見上げた。
明るすぎず。でも暗いわけでもない。
窓の向こうには自然が広がり、その中でゆったりと落ち着いた時間を過ごすことが出来て、疲れも忘れたのだろう。
彼の顔には少年らしい明るさが少しだけ見える。
「こうして落ち着いてお茶が出来るって……本当に幸せですね」
「学生さんのようですが、ご多忙な日々を過ごされているのですか?」
「まぁ、学生ですが普段は任務……いえ、ちょっと家のバイトで忙しくて」
途中、口ごもったためにセシャトには『任務』のキーワードは聞こえなかった。
「で……ワケあって寮生活なのですが……特に曲者が多いんです」
「曲者……ですか?」
「ええ……一見、人畜無害な笑顔をしておいてその実、人を痛めつける趣味を持った女の子とか……」
「ふむふむ」
「数少ない男の幼なじみは基本、僕がいじめられるのを見てスルーしたり」
「ふむ」
「マトモな女子もいるのですが、最初に話した女の子と喧嘩して僕がその被害を受けるのも毎度の事……」
「ふ、ふむぅ……」
「ネガティブ発言を始めたら終わらない女の子、妄想が酷すぎていつも振り回してくる子、脱ぎ魔…………」
「に、日常から苦労されているのですね……」
詳しくはわからないが、シドウを取り巻く環境が騒々しく、しかもその殆どがクセの強い女子である事だけはうかがえた。
確かに、初対面の女性に対して警戒してしまうのも当然かもしれない。
「でも…………」
優しく微笑む様子に気付いてか、シドウはコーヒーのおかわりを飲みながら視線だけを彼女に向けた。
「シドウさんはお友達さんの悪口は言ってません。疲れは感じてもそれを言わないのは……お友達さんが大切だから。じゃないですか?」
「……………」
彼が黙りこんでしまったのもあって、ただでさえ静かな古書店の中には更なる沈黙が流れる。
しかしそれは互いの腹を探るような物々しい時間ではない。
「……そうですね……」
シドウはカップを置くと、小さく微笑んだ。
「確かに毎日には疲れますが……でも……充実してますし、皆……大切な仲間です」
「シドウさんは友達思いの素敵な方ですね」
「たまに疲れるから、こうしてゆっくり出来る場所を探した末にコーヒーを楽しんでるんですけどね」
2人はそこで声をあげて笑いだした。
コーヒーと、ケーキの甘い香りが漂う古書店で小さく響く笑い声。
シドウは立ち上がると、最初の時のように。しかし晴れ晴れとした表情で頭を下げた。
「本当にごちそうさまです。おかげで良い気分転換が出来ました」
「こちらこそ、楽しかったですよぅ。また来てくださいね」
「はい。次回はきちんと、本を見に来ますので。美味しいコーヒーと……ガトーショコラのお礼に」
セシャトの皿に少しだけ残ったガトーショコラの欠片を懐かしそうに見つめ、シドウは背中を向けた。
……………
………
……。
少年が立ち去った後も、セシャトはテーブルでコーヒーを啜っている。
エメラルドのように澄んだ緑の瞳は、漆黒の飲み物に反射した自身の顔を見つめていた。
「ガトーショコラ……そういえば彼らの好きなお菓子でしたね……」
視線が、未だに手をつけていない最後の欠片をとらえる。
「ああ、だから……彼はここに来たのでしょうかね……ガトーショコラは……大切な人との思い出の品だから」
この古書店では作品の世界に入り込む事が出来る。逆に、作品の中の存在が現れる事も。まさかそれが、自分が用意したお菓子をきっかけに……というのは少しばかり予想外であったが
「物語では闘ってばかりなので、少し荒い人かと予想していましたが……意外にも穏やかな方でしたね……獅童新さんは」
テーブルの端に置かれたPCを開くと、画面には『小説家になろう』の文字。そして丁度開いていた、『アクション部門』。
そこに並ぶタイトルの1つを見て、セシャトは優しく笑いかけた───
「楽しかったですよぅ。また一緒にお茶しましょうね」
北方真昼さんが、当方古書店『ふしぎのくに』とのコラボ作品を書いてくださいましたよぅ! こちら、当方だけで楽しむのは非常に勿体ないと思いまして、公開させて頂きました! 素敵ですねぇ^^ イクリプスの戦いの最中、時折こうして休憩に来て頂ければ嬉しいですねぇ!