5 背中に傷を負った剣士がいた(2012.4.13)
「血の臭いがする」
太陽を遮るものがない、ただ一途に広がる大地。
俺は、うずくまる物陰を見た。
勘は、間違っていなかったようだ。
(剣士…)
青年からやや離れた場所に、やや錆びついた剣が無造作に横たわっている。この青年は、剣での戦いに敗れたのだろう。
そして、疲れ切った感じの青年は、首をがっくりと下に垂れ、目を閉じていた。
「おい、こんなところで何をしている。大丈夫か」
「あ…、お、俺…」
俺が体をゆすると、茶髪の青年はゆっくりと目を開いた。一時はその色を失った蒼穹の空が、眩しく彼を照らす。
(血は流れていないようだな…)
俺は、青年が首をきょろきょろさせている間に、彼の負った傷を見る。そこで俺の目に飛び込んできたのは、青年の背に無数に刻まれた傷跡だった。
「背中…、これ、傷が多くないか…」
俺は、何気なくそう言ったつもりだった。
「ふさけんなよ!」
遮るもののない空を、青年の激しい声が包み込んだ。
四方八方に飛び散る、彼の力強い言葉に、俺は立ち止った。
(何がいけなかった…)
怒らせるつもりはなかった。ただ、彼の傷があまりにも深かったから、俺の心がその言葉を遮ることができなかった。
戦いに敗れた相手の気持ちを一切考えなかった。そう思った俺は、青年の目をやや細めて見た。
俺と目が合って、気に障ったのだろうか、青年はゆっくり俺の方に歩み寄った。後ずさりしかける俺は、青年から目を離すことができない。
やがて、青年は俺の前に立ち、首を激しく横に振って言った。
「背中の傷、俺は誰にも言われたくないんだ」
「…そんな。俺はただ…」
また、あの狂った声を出しはしないか。
怯える俺を前に、青年は少し下にうつむき始めた。
「分かってたんだ。俺が剣士のくせに、背中に傷を付けられてること」
「…そうか」
「俺は人にそれを気付かれないように、今まで一生懸命、剣士として戦ってきた。背中にいっぱい傷を負った剣士、その時点で、周りは俺を無能な剣士としてしか、見てくれない」
そこまで言うと、青年は立ち上がって、おそらく自分が使っていたと思われる、錆びた剣を手に取った。そして、力ずくでそれを投げ捨てた。
「…どうした!」
その場から動くことのできない俺は、思わず口を押えた。青年の顔は、これまで以上に曇っていた。
「俺は、剣士失格だ…。背中に傷を負うなんて、まともに戦う意思のない現れなんだ…」
青年は、ゆっくり歩きだす。剣に背を向けて。
俺は、思わずその錆びついた剣をガッとつかみ、そのまま剣先を青年の背中に向けて、狂ったように走り出した。
「お前こそ、ふざけんな!」
「…っ!」
青年は、背中に迫りくる剣を感じ、とっさに左によろけて難を逃れた。
「お前、何がしたい」
動きの止まった青年を前に、俺は剣を手にしたまま言った。
「…剣を、捨てたかったんだ」
「それは分かる。けれど、それは現実から逃げているだけじゃないか!」
「…っ!」
青年は、唇をかむ。目を細めたまま、何も言えなかった。
「なぁ、どんな強い剣士だって、敵に敗れることがある。動きを翻弄されて、背中に傷を負うのは、剣士である以上当然のことだ」
「…あぁ」
「むしろ、背中に傷を負った剣士は、懸命に戦ったって証じゃないのか。少なくとも、真面目に戦ったのなら」
俺は、青年に剣を返した。
その剣は、ずっしりと重かった。
その剣こそ、彼が懸命に戦ってきたことを物語っている、そんな気がした。