4 希望の街に吹く風(2013.6.29)
「お兄さん。あれ、取ってよ」
女の子が指差す方向には、教会の十字架に絡まってしまった、オレンジ色の風船が軽く揺れていた。強い力でも働いたのか、風船の糸が白い十字架に三回ほど巻かれており、風向きが変わらない限りその場所から動かすこともできなそうだった。
僕は、しばらく風船を見つめた。女の子の方を向く余裕すら、次第に失われていく。
一度は、その手に風を起こそうと右手を高くかざしたが、右手へと続く一本の腕は、僕の意志で、力なく落ちてしまった。
「……僕には、できないよ」
(……っ!)
そう言い切った僕は、額に激しい痛みを覚え、女の子の真横にうずくまった。嫌な記憶が甦ってくる。
この小さな街ウィッシュホープで、ただ一人、風の魔術を使えていたはずの僕。
他の属性の魔術師たちが輝いている中、見た目地味な風使いとして、懸命に魔術を使い続けていた。
それでも、結果は……求める者を満足させるものではなかった。
次第に、僕のもとから人は離れ、悔し紛れに風魔術を思い出す僕を、ウィッシュホープの人たちは笑う……。
いつしか、魔術の世界をシャットアウトしていた。風使い、と呼ばれたのも、数ヵ月ぶりだった。
それなのに、僕は自分の勇気を、過去の記憶に立ち向かわせることすらできなかった。
「なんで泣いてるの……」
軽くあしらうことなく、女の子は少しの間を置いて言った。僕は、ゆっくりと額を上げた。
「お兄さん……、いや、風使いエオリス……。とてもすごい風を、この街に吹き荒らしていたはず……」
「でも、あれは……」
自分の名を呼ばれ、僕は思わず首を横に振った。この後、何か言ってしまいそうで怖い。それでも、女の子の顔にだけは視線を反らさなかった。
「デスアルバトロスを、その風で引き裂いただけじゃなく、魔鳥のアジトすら消し去った……。そうお母さんから聞いた。だから、風使いエオリスを……、頼ってた……。でも、こんなに冷たいなん……」
「違うよっ!僕は……!」
(その風で、魔鳥のアジトの近くにいた何人もの人を葬ってしまったとしても、あの時街は、僕のことをそんな目では見なかったんだよ……)
僕は、思わずボロボロの革靴を力強く叩き付けた。
「僕は……、風魔術を使える。不完全だけど……、それでも僕は、何度も何度も力を……コントロールするために、努力してきたんだ。だから……」
「お兄さん……」
僕は、女の子に軽く見つめ、一度うなずいた。女の子がうなずくのを見ると、吊るされてしまった風船に向けて、右手をかざした。
「天空を舞う偉大なる力、いま我が声に耳を傾けよ……」
少しでも風が強ければ、十字架を折ってしまう。あまりにも難しい。
けれど、今日の僕は、背中から力をもらっているような気がした。
軽く吹きつけた風が、風船を女の子の元へと還した。
それが僕の、風使いとしての再スタートだった。