『エミリー・ローズ』(ラストまでのネタバレを含む)
あくまで、私個人の意見なので……。
今回は、ホラーの中からの一本です。といっても、少し他のホラーとは違ったタイプの映画ですね。2005年に製作公開された、ちょっとだけ古い映画です。以前より見たいと思っていたのですが、最近になって、ようやく視聴する機会を得る事が出来ました。
監督は、スコット・デリクソン。キアヌ・リーブス主演の『地球が静止する日』などを撮影した監督さんです。
主演はエリン弁護士の役を演ずるローラ・リニー。数多くの映画に出演する、ハリウッドでも実力派のベテラン女優さん。『トゥルーマン・ショー』で、奥さん役を演じてた人と言っても、なろうを読んでる今の若い人には分からないかな。後、タイトルにもなっている女子大生のエミリー・ローズ役に、ジェニファー・カーペンター。『REC』で出演、或いは海外ドラマ好きの人なら、『デクスター 警察官は殺人鬼』の義妹役と言えば分かるだろう。このドラマが切っ掛けで、主人公のデクスター役のマイケル・C・ホールと結婚。でも、その2年後には離婚と、私生活でも有名になった女優さんだ。ドラマは殺人衝動持ちの警察官(鑑識官)が、悪人を殺していくといった衝撃的な内容の人気ドラマで、共演している二人が結婚するとなれば更に話題になり、日本でも映画や海外ドラマ好きのファンの間では話題になっていた。しかも、夫のマイケル・C・ホールが悪性リンパ腫を患い、その闘病中に別居、離婚へと流れると、色々な憶測が飛び交って、日本のファンの間でもかなり有名になってた。
本当に、二人の間で何があったのか……おっと、また映画とは関係ない方向に脱線してしまった。私の悪い癖で、小説を執筆してる最中もそうだが、つい、他の事に考えが流れていってしまう。この癖だけは、本当に早く直したい。
で、映画の方だが、冒頭に『この映画は実話に基づいている』とのテロップの挿入から始まる。
まぁ、この手の映画ではありがちかなと思いつつ見始めた。あの有名な映画、『エクソシスト』もメリーランドの悪魔憑依事件が基になってるとか言われてるし。実際、私の所蔵するDVDのパッケージに、『実話』の文字が踊るのが、少なくとも3本はあるからだ(悪魔の棲む家など)。
とにかく、映画はそこから画面が、何処かの田舎のひなびた家へと変わる。ある男が訪ねて来るのだが、家の中に入ると、家人らしき人や警官などが大勢いた。促されるまま二階に上がると、暫くしてまた一階に下りて来るが、その男は「お嬢さんは、自然死かどうか断言できない」と言う。どうやら、男は検死官のようだった。
そして、それを聞いた警官が、傍にいたムーア神父を連行して行くのである。
死んでいたのは、女子大生のエミリー・ローズ。ここは、彼女の実家だった。
そこから場面は裁判所前へと変わり、大勢のテレビ局のリポーターなどが待ち構える中、ムーア神父が護送されてくるのだ。教会側は、野心家のエリン弁護士に神父の弁護を頼むのだが……。
そうこれは、ホラーといっても裁判所内での法廷劇。それも、悪魔祓いの最中に死亡した、エミリーの死因を巡る法廷劇なのだ。
教会は注目されたくないため、司法取引で穏便にしてくれとエリン弁護士に頼む。が、当の神父はこれを拒否。例え、負けようと、裁判で真実を明らかにしたいと言うわけだ。証言台に立たせてくれないのなら、エリンの弁護さえも断ると言うのである。
それでやむなく、エリン弁護士は了承し裁判が始まるのだ。
そこで面白いのが――エリン弁護士は神の存在に懐疑的な不可知論者。以前、有罪確定の凶悪事件の犯人を、無罪へと裁判を引っくり返して有名になった、やり手の女性弁護士。今回弁護を引き受けたのも、事務所内での地位を向上させるためなのである。
それに対するは、メソジスト派ではあるが、敬虔な信者でもあるトマス検事。
私も詳しくないが、メソジストって、プロテスタントの一派で堅苦しいイメージじゃなかったかな。日本だと青山や関西学院とかが、メソジスト系のミッションスクールだったような……。
とにかく、堅苦しく融通の利かない検事って感じなのである。
無神論者の弁護士と、キリスト教の信者でもある堅い検事。悪魔祓いを巡って、真逆のその二人が法廷で戦う。そこに、私はこの映画の設定の妙、面白味を感じた。
で、世間の注目が集まる中、裁判が始まったのだが。
映画の展開自体は、証人が語る証言を通しての過去の再現と、現在の裁判の進行が交互に進められていく。
エミリーが最初に恐怖体験に遭遇したのは、大学に入学して間もなくの頃だった。
奨学金で大学へと進学し、彼氏もでき順風満帆かと思われた。しかし、寮に入寮して直ぐの頃から、不可思議な現象に襲われるようになる。それは決まって午前三時。しかも、その怪奇現象は徐々に酷くなっていく。幻覚にも悩まされ、日常の生活にまで支障が出るようになるのである。
そして、大学での生活を諦め実家に帰るのだが、それでも症状は酷くなる一方。遂には、入院をするはめになるが、逆に症状は進んでしまう。
そこでようやくエミリーや家族は、現在起きている事が悪魔憑きであると確信するに到るのだ。ならばと、以前より親交のあるムーア神父に、悪魔祓いを頼む。そして、その渦中にエミリーは死亡したのだ。死因は、極度の拒食症。最後には、食べ物を受け付けなくなっていたエミリーは、体力がもたなかったのである。
エミリーの死亡までの経緯は、こんな感じだ。
で、裁判の方だが。
まず、トマス検事は、エミリーが精神病を患っていた事を立証し、ムーア神父が宗教儀式を行うため、医学療法を止めさせた事が死因だと立証しようとするのである。
エミリーの彼氏や家族など近しい者は、その当時のエミリーの様子から、確かに悪魔に憑かれていたと証言する。
仕方なかったのだ、ムーア神父には非がなかったみたいな感じ。
しかし、トマス検事は、非科学的だ、全てはエミリーの幻覚だと一笑に付す訳だ。
ま、当然だわな。俺が検事でもそう思うよ。
そこで検事側は、当時のエミリーを診察していた医師や、精神医学の権威の学者などを出廷させ、弁護側の証言を論破していくのである。エミリーは、明らかな統合失調症、精神を病んでいたと。薬物治療の投与を止めさせた事が、エミリーの死因になったのだと。
例えば、エミリーの症状である奇妙な言動や振る舞いは、精神病の幻覚や自傷行為などの病状と合致するという訳だ。それ以外にも、知らない言語を喋っていたのも、以前、上級の教理問答を勉強していた事から、ヘブライ語やラテン語、キリストや弟子たちの言葉であるアラム語まで勉強していた事実を突き付ける。あるいは、2種類の声が同時に発せられたのも、人の声帯は2つあり2種類の声を出すのも可能。実際に、チベットの僧侶などは訓練の一環で、2組の声帯を同時に使い熟す練習をする事実など、科学的な根拠に基づいて弁護側を論破していくのである。
こうなると、弁護側の敗北は濃厚。
エリン弁護士も、超自然現象にも造詣のある人類学と精神医学の研究者であるアダニ博士を証人として出廷させるも、不利は覆らず。
悪魔ばらいが失敗したのは、医者に投薬されていた薬の成分のため。脳の一部を麻痺させ、それが逆に、悪魔の有利に働いたのだと。だが、それを科学的に立証するのは困難。
まあ、当然だわな。なんせ、相手は悪魔なんだから。
それ以外にも、神父は儀式の際に、その模様をテープに録音していて、それを証拠として差し出すも、前述の通り、トマス検事に尽く論破されていくのだ。
いつしか裁判は、悪魔の存在の有無を問うものへと変わっていくのである。
この辺りは、検事側と弁護側のお互いの論拠を崩そうと、丁々発止のやり取りがあり法廷ミステリーぽくて、私は結構好きなシーン。
そして、追い詰められていく弁護側。
エリン弁護士にとって一番痛かったのは、精神科医のカートライトの死。
実は、悪魔祓いの儀式にはムーア神父の友人である精神科医のカートライトが立ちあっていたのだ。ムーア神父は、友人のため立ち合いを秘密にしていたのだが、精神科医のカートライトは裁判での神父不利の経緯に、たまらず名乗り出てきたのだ。しかし、証人として出廷するはずの時間になっても、カーライトは現れない。ようやく見つけ出したエリン弁護士が非難するも、悪魔に怯えるカートライトは「すまない」と謝るのだが、その直後に車に跳ねられ事故死してしまう。
この死は、ただの事故死なのか、劇中では明らかにされないが……ムーア神父は、裁判の最初から警告していた。この裁判は、闇の力が働いていると。闇の力との戦いでもあると言っていたのである。
実際、裁判が始まってからは、エリン弁護士も午前3時になると、何度か不可解な現象を目撃していた。
午前3時というのは、キリストが死んだ時間から最も遠い時間。悪魔が活発化する時間だったのだ。エミリーが、悪魔に出会ったのも、この時間。
この頃になると、エリン弁護士も悪魔の存在を信じるようになってくる。が、それは、ある意味、裁判での戦いと同時に、自分の中に生まれる恐怖との戦いでもあったのだ。それでも、エリン弁護士は、恐怖に屈することなく戦うのである。
映画の後半の要となるのが、エミリーが神父に託していた手紙を公開する所。
ムーア神父が行った悪魔祓いは失敗したのだが、その日、エミリーは夢を見た。その夢の中で、エミリーは聖母マリアと邂逅していたのである。
「神はあなたの苦労を知っています」
そう言われたエミリーは、そこで、なぜ私が苦しまなくてはいけないのか、なぜ悪魔を追い払えないかを尋ねる。それに対するマリアの答えはこうだ。
「悪魔はそこにいる定め。あなたが望むなら肉体を捨てて、私と一緒に来てもいいのよ。しかし、生き続ける道もあるのです」と。
要は、このままマリア様と一緒に行けば、魂が解放され安らぎを得られる。それか、このまま悪魔を宿したまま生き、苦しみも酷く最後は死ぬけれど、エミリーの犠牲を通して人々に神や悪魔の存在を示すことができる。そのどちらかを選択しろと迫る訳ですな。
なんじゃい、どっちも死ぬんかい! 神様は救ってくれんのかい!
ちょっとぐらい、悪魔を追い払ってくれてもええやろと、私なんかは、映画を見ていて思ったけどな。
結局、エミリ―は自己犠牲の信仰の道を選び、以後の悪魔祓いさえも断る。そして、最後には拒食症となり死亡してしまうのだ。
そしてこれこそが、神父が証言台に立ちたかった理由。犠牲となったエミリーのためにも、神や悪魔の存在、ひいては霊的世界の是非を、裁判を通して世間に問いたかったのです。
うぅん……信心が強ければ強いほど悪魔憑きに成りやすく、それ自体が信仰への試しになるみたいな感じで、いかにもキリスト教的な展開ですな。
映画の途中で分かるのですが、エミリーに取り憑く悪魔はカイン、ユダ、ネロ、レギオン、ベリアル、ルシファーの6匹。前の3人は悪魔に憑かれていたらしいが、キリスト教圏で生まれ育っていない私には上滑りして、内容が上手く染み込んでこない。終盤の宗教色の強い展開は、どうにも食傷気味、ちょっとうんざりだ。どうしても、日本の狐憑き何かと重なってしまう。それに、だいたい聖書の一節を読んできかせるだけで悪魔が苦しむとか、おかしいだろと思ってしまう訳で、舞台が現実的な法廷なだけに、私はどちらかといえば、科学的に論破していく検事側に立ってしまいますよ。
で、エリン弁護士の最終弁論。
検事側の科学的根拠も認めつつ、それでも神や悪魔の存在を否定できないと、これは可能性を問う裁判だと、陪審員に訴えかけます。事実のみを追求すると、可能性自体を否定してしまう。唯一の事実は、神父がエミリーを愛し、助けようとしていた事。神父を信じて下さいと。
これって、ある意味ずるいですよね。陪審員に、神を信じないのですかと問い掛けてるようなもんですから。
そして、陪審員が下した評決は過失致死罪で有罪……でも、陪審員が提案します。刑期を今日までにしてはと。それを判事が認め、ムーア神父は晴れて自由の身へと。
法的には有罪だが、心情的には無罪。そんな感じでしょうか。私には中途半端に感じてしまいました。
最後は野心を捨てたエリン弁護士が、ひっくり返していた時計を元に戻しベッドで眠りにつくシーンで終わります。これは、午前3時になると不可思議な現象に悩まされて、時計を見えないようにしていたのですが。それを聞いた神父がこう言っていました。正しく裁判が終了するまで悪夢は終わらないと。
これで、ゆっくり寝める。そんな感じでしょうか。B級映画に毒されてる私としては、最後にドォンと怪奇現象が起きて、悪夢はまだ終わらないみたいな感じで締めくくるのかと思いきや、最後は淡々と静かに終わり、不完全燃焼。
まぁ、実話を元にしてるだけに、極端に振れなかったのでしょうけど、悪魔が存在するのを前提として作った映画なら、もう少し娯楽色が欲しかったですね。ジェニファー・カーペンターの鬼気迫る演技には驚いたけど、ホラーというには、やはり、他の悪魔祓いの映画『エクソシスト』などに比べても、あまり怖くなかったし。法廷劇というには、『十二人の怒れる男』や『英雄の条件』(この映画は見終わった後にモヤモヤ感が半端無いので、いつか批評したいのだが)などに比べると力不足。設定自体は面白そうだっただけに残念です。
欧米では、結構な衝撃的映画だったようなのだが、日本人としてはいまひとつに感じてしまうのは、致し方ないだろう。
そういえば、昔の映画に『オー! ゴッド』なる少しコメディ色の強い映画があったが(神の啓示を受けた男が、神様の無茶な注文に右往左往した揚句、最後には詐欺師扱いされて裁判に掛けられる)、その法廷の証人に、本物の神様が現れるといった飛んでも話だった。何もそこまでとは言わないが、もう少し娯楽性を強くして、さいごには大どんでん返しにしてほしかった。それが、私の見終わった後での正直な感想だ。
因みに、モデルとなった事件は1970年代にドイツで実際に起こった、悪魔祓いによる保護責任者遺棄致死事件が元になったようだ。その事件も、判決は有罪となっている。まぁ、当然だわな。でも、彼女の両親と神父たちは、過失致死にしては軽い刑罰、懲役6か月で済んだようだ。やはり、キリスト教圏では悪魔祓いを、罰しにくい風土があるのだろうか。これが、日本など教圏以外の国なら、また違った形になっていたのだと思う。
このドイツで行われた裁判でも、証拠として悪魔祓いの経過を記録した録音テープ(嘘か本当か、映画内で使われたのは本物らしい)が提出されたようだ。興味のある方は、ドキュメンタリーも制作されているようなので、アンネリーゼ・ミッシェルと検索すれば、詳しい話も分かると思う。
さて、今回の評価点は、65点(MAX100点)
評価点について
一応、50点以上は、そこそこに見れる映画と思って下さい。
50点以下は……。
そんな感じです。