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『山桜』(ラストまでのネタバレを含む)

自称、映画マニアの飛狼です。

ジャンルは問わず、SFからホラー、バイオレンスや恋愛まで、幅広く数十年に渡って映画を見続けてきた私ですが、それだけに最初の記念すべき作品にはあれこれ悩みました。

私の大好きな、B級映画の巨匠ジョン・カーペンターにするか、それともホラー界の鬼才ゾンビ映画を産み出したジョージ・A・ロメオにするか、それかいっその事、映画の果てZ級の映画をこきおろそうかと、大いに悩みました。

 で、最終的に選んだのは、邦画でしたとさ……。

 時代小説が好きな人なら、故藤沢周平先生の事はご存知だろう。庶民や下級武士などの哀歓を扱った、藤沢文学とも呼ばれる名作を数多く残されている。当然、藤沢文学を原作とした邦画やテレビドラマも、数多く制作された。


 今回紹介する『山桜』も、そんな藤沢文学の短編を原作とした邦画なのだ。

 私は藤沢文学を映像化した作品の中でも『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』と、今回の『山桜』が好きなのだが、特に『山桜』が一押しなのである。

 他の作品に比べて派手な殺陣もなく、ただ淡々と静かに進んでいく物語。だが、美麗な風景を映し出した映像美と相俟って、忘れ去れつつある日本の美を思い起こさせる『山桜』。

 見終わった後もじわじわと感動に包まれ、もう一度見たくなる作品。ここ数年で見た邦画の中でも中々の良作だ。


 藤沢先生の長女である展子さんは、「まるで父の小説を読んでいるようだ」と絶賛したとか。

 映画の宣伝用のコメントなのだろうが、「然もあろう」と思える出来映えだった。


 さて、作品の中身だが、監督は『地下鉄メトロに乗って』や『真夏のオリオン』のメガホンをとった篠原哲雄さん。

 主演は野江役の田中麗奈。時代劇では珍しい女性主人公。

 最初は、「あぁ、ゲゲゲで猫娘を演じてたあの女優かぁ」と、少々失礼な事も思ったが、いやいや、中々の演技をしていた。特に、あの目力は凄かったと思う。

 全体的にセリフ自体が少なく、東山紀之演じる手塚弥一郎に至っては、冒頭の野江と出会った時のセリフ以外に、セリフらしいまともなセリフが無い。「えぃ、ヤァ!」とかの気合いのこもったかけ声以外は無かったような……。

 立ち居振舞いやちょっとした仕草で感情を表すとか、ある意味俳優の演技力を試すような映画でもあったようだ。


 映画の冒頭、野江が墓参りの帰り綺麗に咲き誇る山桜に見蕩れ、少し小枝を手折って持って帰ろうとする。しかし、花が咲く枝は高さがあり、背伸びしても手が届かない。

 そこに背後から「手折って進ぜよう」と声が掛かり、ぬっと男の手が伸びる。

 その男性が手塚弥一郎だったのだ。


 野江は海坂藩の吟味役百二十石、浦井家の長女。最初の夫には先立たれ、次に嫁いだ磯村家では金に汚い強欲な家風(下級藩士ではあるが副業で金貸しを営んでいる)に馴染めず、辛い日々を送っていたのだ。


 手塚弥一郎は、野江が一度出戻った時に、是非にも手塚家へと縁談を願った事があった。

 当然、この時代の武家の男女は婚儀が整うまで顔を合わせる事はない。

 だから、弥一郎に説明されて「あぁ、あの時の」と、野江も初めて弥一郎の事を知るのである。


 弥一郎は剣の達人で、野江の弟が通う藩の道場で師範をしている。後で野江と弟が会話する中で分かるのだが、野江が手塚家からの縁談を断ったのは、その剣術家との話が理由だったのだ。最初の夫の友人の中に剣の腕を自慢する人がいて、その荒々しい言葉づかいや振るまいに苦手意識があったからなのだが。

 弟は「手塚様は、そのような人ではございません」と抗弁し、野江も初めて見た物静かな弥一郎に、その通りだったと納得する。


 一方の弥一郎は若い頃、藩道場に通っていた時に、習い事のため道場の前を通る野江を見初め、それ以来恋心を抱いていたのである。


 前述の冒頭の出会いのシーンの最後、弥一郎が「今はお幸せでござろうな」と声を掛ける。それに答える野江は少し困ったような素振りの後、「はい」と小さく返事する。

 実際は幸せとは真反対の毎日なのだが、初めて顔を合わせる弥一郎に本当の事を話せる筈もない。

 で、弥一郎はというと、野江の返事に満足し爽やかな笑顔を見せて去って行くのだ。

 なんとも優しげで誠実な良いやつなのである。

 その笑顔が、野江の心にさざ波のように小さな波紋を残して行くのだ。



 結局、野江と弥一郎が直接顔を合わせるシーンは、この冒頭の山桜の前でのシーンのみ。

 後は二人の物語が別々に進んでいくのである。


 野江の二度目の夫は酷い男性やつ……いや、磯村の家自体が酷い。藩政を私物化する家老に取り入り、金儲けに走る磯村家。

 で、すったもんだの挙げ句、その磯村家からも追い出される野江。実家の父母や弟は暖かく向かえてくれるが、さすがに二度目の出戻り。

 実家の浦井家は弟が嫁を貰い家督を継ぐ家。自分の居場所は、もう何処にも無いと、将来を悲観し諦めてしまう野江。

 その間、度々思い出される弥一郎の面影。弥一郎の投げ掛けた波紋が、徐々に大きくなっていくのだ。

 私は進むべき道を間違えたのではと、そんな感じ。


 で、弥一郎の方はというと――藩政を我が物として私腹を肥やす家老。藩内では、それを憂う者も少なくない。江戸にいる藩主に家老の悪事を記した密書を届けようとするも、家老一派に闇討ちにあう。藩内が物々しくなるも、実直な弥一郎は役目を淡々と勤める毎日。

 しかし役目柄、藩内の村々の田畑を見て回る弥一郎は、ちょっとした関わりの出来た農民の家族が、悲惨な状況に陥ったのを知る。

 家老が大百姓と組んだ新田開発で、農民たちに重税を科した。その煽りで、農民の幼い娘や母親は餓死してしまったのだ。

 遊興にふける家老一派、潰れていく農民たち。

 ここに至って遂に、静かなる弥一郎が立ち上がる。

 城中で、家老一派の前に立ち塞がる弥一郎。

 家老に取り入る小悪党の面々は峰打ちに、悪の首魁である家老のみは刃を返して鮮やかに切り捨てた。

 家老を討ち果たした後、弥一郎は大目付けの元に自ら赴き裁きを仰ぐ。が、農民の一揆を恐れた藩内の偉いさんたちは、自ら裁きを下すことから逃げてしまう。弥一郎を牢獄に閉じ込め、殿が江戸から帰るまで裁きは決定されないのだ。


 この辺りから、もしかして弥一郎の切腹がラストなのかと、ハラハラドキドキして映画を見守っていた。

 悲しい結末は見たくない、バッドエンドは止めてくれぇと、叫びそうになるほど感情移入していたものだ。


 その後、参勤交代で領地に藩主が戻るまで、季節が過ぎ去っていく。牢獄の中で、瞑目し端座する弥一郎。裁きの時が訪れるまで騒がず静かに待ち続けるのだ。


 その一方で野江は日増しに募る弥一郎の面影に、無事を祈ってお百度詣りをしたりと、気持ちが大きく膨らんでいく。

 弥一郎は早くに父を亡くし、母親との二人暮らし。その事を聞き及び、弥一郎の母親を不憫に思い手塚家に足を向けるが――一度目は、やはり勇気が足らず玄関前で引き返してしまう。

 そして季節は巡り藩主が江戸から領地へ戻る頃、また山桜が咲き誇る。


 意を決した野江が山桜の枝を手折り、手塚家に向かう。

 緊張し強張った様子の野江に、暖かく迎える弥一郎の母親。


「あぁ、貴女が野江さん。弥一郎からよく話を聞いていましたよ。貴女が磯村の家に嫁いだ時には、弥一郎は大層立腹していたけど、私はいつか野江さんがこの家に来ると思っていましたよ」


 と、にっこりと微笑んだ。

 弥一郎の母親の優しげな様子とその言葉に、全編を通じて芯の強い凛とした女性だった野江が、ここで初めて表情を緩め泣き笑いで涙する。

 ここが本来の私の居場所だったのだと、そんな感じでした。


 ラストは、牢獄の小窓から差し込む陽光を見上げる弥一郎から、領地に戻る藩主の行列へと場面が変わる。最後に艶やかな満開の山桜で映画は終わってしまう。

 藩主も登場せず、弥一郎への裁きも下されず、はっきりとした結末は示さない。

 本当のラストは、この映画を観る観客のひとりひとりが、各々の想いで作れば良い。悲恋を想像するのも良いし、二人が結ばれるハッピーエンドを想像しても良いのだ。

 ただ私は、最後の綺麗に咲く山桜が見終わった後にも爽やかさを残し、弥一郎は罪を赦され、野江も小さいながらもようやく幸せを掴み楽しそうに笑っている姿が想像できた。


 藤沢作品の全てに言える事だが、現代社会にも置き換えやすく感情移入がしやすい。藤沢先生の描く下級藩士が、今の下っ端サラリーマンに相通じるものが有るのだろう。


 この『山桜』も、いつしか映像の中にのめり込み、しばらく経った後に、またもう一度見たいと思える素晴らしい一本だった。



 この映画の評価点は、90点(MAX100点)

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