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避難生活5
翌日はおばあちゃんの誕生日だった。
昼食をおばあちゃんの家で摂るようにと義父から言われていたが、当然私は起き上がれず、相方にポカリとゼリー飲料を頼んだ。
相方は昼前にそれらを購入してきてくれ、酔い止めの薬も購入してきてくれた。
私はそれらを腹におさめるとまた眠った。
起きたら気分が良くなっていた。完全復活な気分だった。
十五年連絡をとっていなかった和歌山の友達が心配して連絡をくれた。
私は懐かしさと嬉しさで泣いた。十五年も連絡先をとっておいてくれるなんて……。
私は再び情報集めに勤しんだ。
しかし、昨日のように熱中し過ぎることがないように努めた。
私が収集していた情報は、ライフラインの復旧具合と炊き出しの場所、給水ポイントなど、現地に必要な情報だった。
多くの友人たちがそれをシェアしてくれた。
しかし、今考えるともっと精査した情報を流したほうがよかったのではと思う情報もあった。
それが次第に自衛隊への感謝の情報や、心のケアポイントなどの情報に変わっていった。
私はずいぶん楽な被災者だと思う。