避難生活
おかげさまで余震の心配も少なくなり、朝から悪かった体調も一旦安定した。
昼食を食べた後、相方は糸が切れたように眠ってしまった。
私はすることもなく、Facebookで情報を漁っていた。
とにかく余震が強い。
時折この遠く離れた佐賀まで余震が伝わってきた。
私はこのニュースの中で十六日の地震が本震だったと知った。
一昨日の余裕が嘘のようになくなった。
ニュースはずっと熊本を映し出している。よく見知った町並みが廃墟になっていた。
益城町は相方がスポーツ教室の一端を任されているところだった。
だから、益城の総合体育館は毎週通っていたところで、町並みはよく知っていた。確かに古い家が多くあり、密集している地域ではあった。
それが今や瓦礫と化している。
耐震設計で震度六強を示していた家も度重なる強い地震で見事に崩れてしまっていた。
どうやら、スポーツ教室の児童の家もつぶれてしまったとのこと。
しかも今日から雨の予報だった。
佐賀は曇りだったが、少し肌寒く、私は冬物の上着を着ていた。
熊本の方が心配になり、母に電話をかけた。母は近所の人の家に避難しているとのことで少しホッとした。