走馬灯の夜
「本当にそこでいいのですか?」
「うん」
「あまり、嬉しそうではありませんね。一度きりの権利。もう一度考えなおしては」
「いい。さあババっと開けてちょうだい」
ナデシコともう一度会って話をしたかったけれど、彼女はもう幸せなはずだから。
あなたの夢見た国への道は確かにあった。そんなことを伝える必要はない。
お姫様。夢の国ではないけれど、もし見ることができるなら私のいる世界を楽しんで欲しい。
「では、ノックして、どうぞ」
紳士はそう言って机の引き出しの中に消えていった。これでもうもう逃げ場はない。もう一度封筒がちゃんとポケットにあることを確認して、さあ行こうと自分に発破をかける。緊張しながら自分の部屋のドアを、しかも内側からノックするのは妙な気分だった。
扉の向こうからは緊張した声の返事がした。少しだけドアを開けて中を伺うと驚いた顔をしたね子と目が合った。
* *
てっきり紳士だと思ったノックの主は小此木春だった。
「やあ」
「あれ? どうしたの??」
「はーやっぱり本ばっかりなんだねえ」
僅かに開けたドアの隙間から滑り込むように入ってきた彼女はどこかいつもと違った。部屋を見回す目も興味というよりは形式的で妙によそよそしい。この部屋に入るのが初めてとはいえ、いつもの彼女ならいつまでも入り口でもじもじしているなんていうことは無いはずなのだ。
「半分は漫画だけど」
「そかそか」
そかそか? 「へー気持ち悪い」そのくらいのことがすらすら出てこないなんて、この人は本当に小此木春その人なのだろうか。
「こんな時間にどうやって来たの?」
「うん、送ってもらった。ビューっとね」
「ビューっと」
「………………これ!」
「うわあ! なんだいきなり!? 手紙?」
片思いの先輩に手紙を渡すかのように封筒を両手で突き出したまま、彼女は目を合わせようとしない。愛ではないだろうが、何かを告白しに来たのだ。手にとって見ると封筒は殆ど膨らんでいない。中に入っているのは便箋ではないだろう。恐らくはカードのようなもの。
「まさか……あなたが黒幕?」
「は? いや、黒幕……というか単独……だけど。いいから早く中見て!」
「では」
猫の図柄の封筒は表裏に何も書かれていない。丸くなって寝ている猫のシールを破かないように慎重に開ける。送り主はそれを怒られた犬のように上目遣いで見ていた。
「あ」
出てきたのは栞。失くしたはずの猫が描かれた金属製の栞だった。
「ごめん! どういう反応するか見てみたくてちょっと隠すだけのつもりだったんだけど、まさかあんなにがっかりするとは……。それでちゃんと謝ろうと思ってる内に夏休みになっちゃって……ですね……」
「なーんだ」
「あれ、意外と反応薄い」
それはそうだ。そんな深慮遠謀の人ではないのはわかりきっている。でも少し期待した。もしこんな人が悪の大王だったとしたら、そんな世界を。
「これは私にとって勇者の証」
「そんないわくつきのものだとはつゆ知らず……」
「私の名前がね子だったから貰えた逸品」
「ええ。私も猫アイテムには目がなくてですね。一度じっくり見てみたかったりして……」
「クラスメイト全員を疑いの目で見る日々」
「最初うちに来たときには息が止まりました……」
「学校中をどれだけ探したか」
「いやホントもうそのへんで……」
「このドロボウ猫!」
「この通り本人も深く反省しておりますので」
「まあ、最後のは一度他人に言ってみたかっただけ」
「結構精神的にキたんだケド……」
「ちなみにその昔芳生くんに貰ったものです」
「うわあ触っちゃった……。しかしなるほど……そんなイヤラシイことしてたからお互い覚えてたわけだ」
「何か?」
「いえ、なんでもないですスイマセン」
「見たところ、とても大切に保管してくれていたようだし」
「屈辱だわ」
「……ひょっとして、ここに来るのに”権利”を使った?」
「バレタ! ねちっこい上に意外と鋭い」
「何か?」
「いいえ! まあ……行きたいところ特に思いつかなかったし……。仲良くなってしまうとなかなか……こうでもしないとタイミングが」
「もったいないことを……。だが、その言や良し」
「ゲンヤ?」
「許してあげましょう、ということ」
「おお! やった! じゃあこれで貸し借りナシね!」
「貸し……?」
「トモダチ! ユーとワタシトモダチということよ」
「やっと!?」
「うん。やっと」
ギリギリ紙一重で、と言うのを聞いて、確かにこれは小此木春だと思った。
チャオ! と軽やかに彼女が帰っていった後に、久しぶりに手の中に戻った栞を眺めていたら初めて彼女と交わした会話を思い出した。
「あんたページのめくり方って猫がおもちゃにじゃれてるみたいだよね」
私はそのとき変なところを見てる人だなと思っただけだったけれど、きっとあのときからあの人は私のことを猫のように見ていたのだ。おもちゃを隠したらどうなるかなんて思いながら。
またノックの音がした。現れたのは今度こそ紳士だった。栞を日記に挟んで立ち上がり、相手に倣って頭を下げる。
「この度は誠にご苦労様でした」
それだけ言うと彼はすぐに行きたい場所を尋ね、答えるとただ頷いた。
「これでお別れですか?」
懐中時計のようなものをいじっている間に尋ねる。彼は否定も肯定もしなかった。
「神のみぞ知る、といったところです。お元気で」
「あなたも」
ドアを開けるように促した。余計なことは何一つ言わない。他にも質問したいことは山ほどあったが、いざとなると何をどう聞いていいかよくわからなくなって止めた。
ドアを引くと、あのときと同じ銀河鉄道の車両があった。足を踏み出して裸足のままなのに気づいた。でもむしろそれでいいのだと思った。離れの廊下よりも滑りは悪いながら、床には埃もなく歩くのに何の支障もない。振り返るともうそこには誰もいなかった。ご苦労様でした、自分もそれを伝えればよかったと思った。
座席の木枠に一つ一つ手を掛けて感触を確かめながらゆっくりと進む。線路を滑るカタンカタンという音も、近づいては遠ざかる明かりもない。天井の電燈からする微かな音と自分のたてる音だけの静かな世界は、神様が戯れに創った砂絵のような宇宙の中を、一体どれほどの速度なのかはわからないけれど進んでいた。
行きたいところ、考えてみるとそれはほぼすべて未来にあった。どこでもドアで行けたとしても、推理小説の最後だけを見てしまうのと同じで、残念ながらきっと感動も何もない場所。「そんな場所はありません」何よりそう言われるのが怖かった。王様達の世界は全て自分の中にある。会いたければいつでもゲームを始めればいい。
ここを選んだのは、どんなに美しくてもきっとすぐに帰りたくなるからだ。やっぱりいつもの場所が最高だ、そう思えるなら結果として元の世界が行きたいではなく生きたい場所になる。せっかくの機会にいささか臆病すぎると自分でも思わないでもなかった。それでも万が一にも「あそこに比べてこの現実は」なんて思いながら生きていくことになるのは嫌だった。
銀河鉄道の感触を手と足で感じながら入ってきたのと反対側の扉まで達する。開けてみようか迷って止めた。隣の車両につながっていてもきっとここと変わりはないし、自分の部屋ならばさすがにまだ戻るつもりはないからだ。
だが扉は勝手に開いた。
* *
「この景色が単なる物理現象の結果だものな。はー宇宙怖い。こんなに綺麗なのに」
目の前で話す人物はどう見ても本物の志塚芳生だった。
「神秘ね」
「もし今隕石が突っ込んできて帰れなくなったらどうなるんだろう。ああ怖い」
「じゃあなんでここにしたの?」
「それはロマンだからです」
「確かに」
「吉崎さんは?」
「この間はゆっくり見られなかったから……」
「そか。原作ファンだもんね。…………あら? よく考えたらこの列車って死者の……」
「そうだね。だからほどほどで帰らないと」
「ひょっとして俺がいると原作のイメージ壊れるかな」
「ううん。原作も二人で乗るもの」
「そかそか」
出来過ぎている。これでは本当の意味で望んだ場所になってしまった。いつか現実と比べて思い出してしまう場所に。紳士が気を利かせたのだろうか。二人が顔を合わせるのは彼には当然分かっていたはず。そんなことをしばらく考えていたが、目の前のあまりの星の多さになんだかどうでも良くなった。
「超ラッキー」
「何が何が? 超新星でも爆発した??」
「今こうしてここにいること」
もう疑うのは止めよう、ついこの間もそう思ったばかり。私は私でよかった。日記を書き始めた日のように、ただそう思えばいいのだ。
「いや、それは決してラッキーなんかじゃない」
「え、そうデスカ……」
「多少の運もあったけど、俺らは実力で勝ち取った!」
「そうか。勝ち取ったのか。私達は」
「変な夏休みだったな……」
「まったくね」
「でも面白かった」
「うん」
「その後変なメッセージは?」
「大丈夫。ちゃんと紳士が見てくれている」
「ふーむ。それも嫌だけど……。まあ何かあったら連絡してよ」
「そうする」
「ちょっと眼鏡外してみてよ」
「メガネ?」
外すと彼は顔を暫し見てから肯き、次に眼鏡を受け取っていろんな角度から眺めきれいなフレームだとひとしきり感心したあと、銀河にかざしてレンズも素晴らしいと言った。眼鏡なしで見る宇宙は光の一つ一つが膨らんで更に眩しく、くっきりとしていない分温かみがあった。視力のいい彼は自らかけて眩暈をおこし、再びかけさせると君によく似合うと言った。そして最後に君は眼鏡が似合うと思うと言ってくれた。
本物か私の願望なのかやっぱりよく分からない。本物だとは思う。栞をくれた時に似ているから。そうであって欲しいと思う。
それから二時間ほど話して私達はそれぞれ反対のドアから元の世界に戻った。




